きっかけと、はじまり


6月21日。本日はあいにくの天候不順のため中止。
今日の取材で聞かれるはずだった、いつものことを手直ししてみました。

近頃の取材のおりに改めてよく聞かれます。

「手創り市をはじめたきっかけってなんですか?」

長文ですが、お菓子などつまみながら、お付き合い頂ければ幸いです。

※この記事は2010年4月に書いたものがベースとなっております。


私、2009年12月20日まで板橋区中板橋のなんにもない場所でロジカフェというカフェをやっておりました。
そこでは、平面・立体を問わず、様々なアーティストとの個展・企画展などを通して、一緒に仕事をし多くの時間を共に過ごしてきました。
それこそ24時間365日、頭の中はそのことばかり。
それが私の生活で、そうやって過ごす時間がくらし。
今も変わらず面白くて仕方がない。

私は、いわゆる作家さんのように具体的に何かを作っている訳ではないから(とも言い切れないけど、そういう事にしておきます)常にイメージし考えを伝え、さらに受け、拡げてゆくような、その繰り返しでそれが役割。ものすごく抽象的な言い方だけれど、自分のなかの真ん中はぽっかりと空いている状態でいいと思っています。

気負いはなく、正直なところ、遊んでいるか仕事してるか自分でもよくわからない。…と言ってしまうと怒られてしまうだろうけれど、そもそも好きなことを好きなだけやることを選んでいる訳だから、それが自分にとっての幸せというものなんだろう。(今もなお)

ロジカフェで出会ってきた作家さんたちと話をする中で、個展というものは相当な時間も費用もかかる事を知り、「そうだよな…」「仕方ないよな…」と思いつつ、どこかで違和感がありました。「こういうものだよね…」というものへの、理由のない反発でしょうか。

違和感。作家というのは、展覧会期間だけが作家さんである訳ではなく、日常生活からふだんの制作含めて作家さんな訳であって、でも、個展というものはそうそう矢鱈目ったらできる訳ではない。ということは、個展は作家にとってのハレの舞台で、ある意味、それは非日常的なもの。じゃあ、その対岸にあるような日常の舞台ってなんだろう?そのことを考え始めたことが、小さなきっかけのように思います。(おそらく…)

自分の目の前にいる作家たちにとっての、日常的な舞台。意味することはわかっちゃいるけれど、ふわふわしていて、けれど、答えは目の前までやってきているような、もどかしさ。そのことに、ナニカをつくりもしない私が、勝手に思い悩んだ。

この時、多くの作家さんという意識はまったくなかった。
それは生まれつきの性格のようなもので、所謂「みんなの為に」という言葉はあまり好きじゃないし、私の目の前にいるのは、みんなではなく、ひとりの作家さんであり、ひとりの人間だったから。みんなの為に、は結果的でいい。目の前にいる人になにが出来るのか?良い環境を作りたい…と頼まれもしないのに思っていた。

そんな事を考えながら、毎日を過ごしていて、ある時京都・百万遍の手づくり市を知り、その内容を知る中で興味がわき、自分の中で思い悩む事へのヒントがあるように思い、奈良で菓子店を営む友人宅を訪れる時に伺った。2005年のお盆のこと。

百万遍の手づくり市へ訪れ、その境内を埋め尽くす会場の驚くような光景を目にし、いろんな意味で触発された。東京に戻り、頭の中を整理し、知人にも自分が体験した事を話す中で、徐々にやりたい事が固まってきて、東京に手づくり市のようなものがないかをグーグル先生に聞いてみました。先生はすぐに回答をくれました。(世間では、検索という。)

その時、東京には「手づくり市」はまだなかった。(自分が知る限りは)
だったら自分でやれば早いと思い、企画書の作成を進めた。

たぶん京都のような手づくり市が東京にもあればやってみようとは思わなかったと思う。その理由は単純且つ自分勝手な理由なのだが、後発ではある程度道ができているし、既にある手づくり市が頑張ればいいじゃん、と思うから。つまり、へそ曲がりということなんだと思います。つまらない事かもしれないけど、無いことから始めるからこそのやり甲斐を感じるし、あるもののトレースはつまらない。今以上に若かったからこそ、そんな考えだったのだと思います。
(人間、生きていれば無意識に様々なことを参考にしていますしね…)

手創り市を開催する為の企画書は、2006年の正月を過ぎてから鬼子母神さんへ持ち込んだ。
ちなみに企画書の中身では、手創り市でやりたい事は多分3行程度だったと思う。それより起きるかもしれない問題の対処についてほとんどを費やした。通常、企画をする上での逆をいっていたと思うけれど、それは自分にとってふつうのこと。自分の考える、やりたいと思う、手創り市というものが誰しも興味があるものである。…というような誇大妄想的な言い方はしたくなかったし、なにより手創り市を鬼子母神さんがやらなければならない理由は、鬼子母神さんの方にはないのだから。(私にはおおいにありましたが。)

企画書を持ち込んだ時、「本来であればこういう持ち込みは全てお断りしています」というような話をされましたが、玄関先でちょっと話をしているうちに「とりあえず上のものに渡しておきます…」と言われ、その後、毎月1回少しずつ話をするようになっていった。急ぐことなく毎月伺い、お茶と美味しい最中をいただきながら、徐々に徐々に、という感じで、じっくりと。
(今思えば、その時間が本当に有り難かったように思う。)

その後、約10か月後に第1回目手創り市開催が開催された。2006年10月のこと。
スタッフの秋田さんとは開催直前に出会ったように思う。

最初の手創り市は冬の入口からはじまり、出展数、来場者ともに正真正銘の「冬の時代」でした。この頃から参加して下さっている方にはおわかりですので、どれだけ冬だったかは敢えて言いませんが、身も心も凍えるほどの環境でした。が、私は「春がやってくれば大丈夫でしょ?」と自信満々に思ってました。理由は鬼子母神と、雑司ケ谷の街並みにそれだけの魅力があるから。もちろんそれだけではないですが。

その後、春の訪れと共に徐々に出展数が増えてきて、少しづつ手創り市がどんなものなのか知られてゆき、良いイラストを描く山口さんとも巡り会い、質の面でも徐々に更新してゆきました。

その頃、都内に手創り市のようなものがなかったからこそ、毎回スタッフとああでもないこうでもない、参加する作家さんともああだこうだ、と話しをする事が多かったように思います。
私自身、その頃のことは、ふとした時に思い出し、ひとり笑ってしまいます。

何故手創り市を鬼子母神で?という事ですが、東京に来てから、たまの休みの日に池袋あたりを自転車でぷらぷらしていました。そんな休みの日に、偶然鬼子母神を見つけ、休憩がてら立ち寄り、駄菓子屋でうまい棒(めんたい味)を食べ寛ぎつつ、それから自転車で雑司ケ谷の入り組む路地をぷらぷらしている内に、鬼子母神と雑司ケ谷の街の景色が好きになりました。理由はそれだけあればいいように思います。

なにもないところから始めること、自分がつくってゆくことを意識する時、店舗を開く為の不動産を探すのとは訳が違ったので、世間で云うところの良い条件や立地を考える、というあたまは全くありませんでした。そもそもノウハウなんてものはないし、それを知りたいという人の気持ちも未だによく理解できないけれど、自身のやりたい事を考え、むきあい、行動すれば自然とついてくるものだし、その積み上げがノウハウ?のようなものな気がする。(それを世間では経験という言葉で片付けるような…)
まあそれでも、それでもうまくいかない事はあるんだろうけども、それはそれで積み上げだと思うし、うまくいかないことさえも個々にとって必要なことで、そのことに辛抱出来ずに嫌になるのであれば、想いはその程度のこと。もっとよりよい人があらわれ形にするはずですから。
いつも思う事ですが、自分の代わりはいます。オンリーワンだなんて、私自身はそういう風には思いたくないですし、単にあなたと私は違う。差異があるからこその、理解。たったそれだけのことで、形にしてゆく過程も、そのスピードも違うだけです。辛抱って大事。

手創り市が始まって、もうすぐ10年目に入ります。
時間の積み重ねが今をつくり、時折、こうして過去を振り返ることの大事を感じつつ、少し先の未来にむかって歩き続けます。なにより、たかだか10年の経験の上に、胡坐をかくようなことは嫌だな、とよく思います。今日と明日は違うように、少しのことの積み重ねで未来が創られてゆきますから。

2015年10月で手創り市は10年目にはいり、来年10月には丸10年を迎えます。
その時に、「これから更に面白くなってゆくはず。」そんな風に思えるよう、これからも取り組んで参ります。

「きっかけと、はじまり」。

これからも手創り市を宜しくお願い致します。


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