「アトリエ訪問:近藤康弘 後記」


アトリエ訪問:近藤康弘 後記


近藤さんと知り合って先月で丁度一年。

今回アトリエ訪問で益子に訪れた時がその節目だった。


近藤さんとの付き合いは、名倉くんがyutaさんを引き連れ「∴つづる」の連載記事「健康より」の執筆をお願いしに彼の家に訪れた際、僕も同行させて貰った事に始まる。

名倉くんは僕を連れていく理由として、

「近い内に近藤さんのアトリエ訪問を行なえたらと思うので、縁をつなぎたい」との事だった。


僕は初対面の近藤さんに、

「うえおかさんは穏やかそうに見えますが、何か秘めてそうですね。むむむ」

的な事を笑いながら言われた様に記憶している。(記憶違いならごめんなさい)

でも、同時に僕も同じ様な事を近藤さんに感じていたのでした。密かに。


時は過ぎ、その数ヵ月後。


次に再会したのは秋。夕顔さんの「たち呑み屋夕顔」にて。

そこで近藤さんは、頼んで読んで頂いた、僕の小説の感想をくれたのでした。

良い事もたくさん言ってくれたのですが、どこか歯切れが悪い。

そして、やはり近藤さんが一番言いたかった事は、良い事ではない所でした。

「小説の後半、ドロドロとしたうえおかさんの内面が出てくる所があるでしょう?あれはどうかなと僕は思った」と。

「もっと話全体の展開として、健康的な物語になり得たのではないか?」と。

数分間、その可能性に想いを馳せる僕。


そして話題は変わり、近藤さんに対し僕は、

「轆轤を回している時には何を考えているんですか?」

と質問してみたら、なんと彼は、

「ドロドロした事が多いですね」

と口に漏らしたのでした。

すごい矛盾! 故にリアル! 僕は近藤さんの内面を見た気がしました。

しかしそのあと彼は、

「だからこそ健康的でありたい。ドロドロは内に秘め、外には出したくない」

と言い切ったのです。


そして今回、一年前の念願叶って近藤さんにアトリエ訪問を行いました。

二時間半のインタビューの際、近藤さんの話は、どこかへ脱線しても必ず最終的には凧の糸を手繰るように「健康的な物づくり」の話に帰って来る。

その粘りの様なものに感心しました。


「健康的な物づくりとは、安心出来る物」


人間、ドロドロした部分は当たり前の様にあると思います。

それを自分の意志でなるべく外に出さぬと踏み止まる、近藤さんの「健康的な姿勢」。

もちろん、それが良い悪いとかの話しではありません。

しかし、彼のその姿勢に対する意志の強さが、今回のアトリエ訪問インタビュー全体に、一本の軸として通っていた事は確かであり、そこに近藤さんらしさを再確認したのでした。



「近藤康弘アトリエ訪問インタビュー」も併せてご覧下さい。


うえおかゆうじ 

・・・・・


手創り市

info@tezukuriichi.com





アトリエ訪問インタビュー:近藤康弘

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第十回アトリエ訪問 近藤康弘


話す人:近藤康弘→近

聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ



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名:今回は栃木・益子の近藤康弘さんのアトリエにお邪魔しております。昨晩から、ご飯を頂きお酒を頂き。

近:「みんなで料理したのが、新鮮でした」

名:釣ってきた鯉を食べ(笑)。これからが本番ですね。さっきまで制作をしている所を見せて貰って、写真も撮らせて貰って、男前な姿を撮らせて頂きました。

植:男前でしたね〜。


名:今回のアトリエ訪問でひとまず最後になります。またいつかやるかもしれないけれど。ではよろしくお願いします。

近:「よろしくお願いします」


名:まず、自己紹介からどうぞ。

近:「益子で焼物を作ってます、近藤康弘といいます」

名:出身はどちらですか?

近:「出身は大阪です。今から八年前に益子に来ました」

名:この場所、アトリエですよね? 

近:「はい」

名:この場所をつくったのはいつ頃ですか?覚えてる範囲でどうぞ。

近:「まず最初に益子に移り住んだ時に、一軒家の平屋を自分で探して借りたんですけど、そこは普通の民家って感じだったので、スペースの問題もあって、そこでは仕事は出来ないなと思ってました。修行中は自分のアトリエというか仕事場っていうのを探したりとか、そういう事は一切考えてなくて、卒業したあとに考えようって思ってました。で、修行期間が三年半程だったんですが、三年目の時に友人から空き家の話が入ったんですけど、丁度焼物屋さんが使ってる場所で、その人が益子を離れて自分で家を建てるというので、空くからどうかなって声を掛けて貰いました。実際見に来た時にご覧のように環境がいい、自分のイメージしてた感じで。水を結構使う作業なので、水を使ったり、薪を確保出来て割る場所が欲しかったので、ここを見た時に理想的かなって思いました」

名:作業する音が大丈夫なこと、あとは快適さですか?

近:「音はどうしても出るんで、僕の場合は住宅街とかだと出来ないなと思ってました。焼き物の仕事でも人それぞれスタイルがあって、都会の中でやられる方もいるだろうし。…元々僕は団地で育ったので、団地の中で作ってた時期も少しありました、ものすごい狭い空間で土埃とかを気にしながら。だから物を生み出す環境によって出来るものは違ってくるなとは思ってました」

名:この場所があるからこそ作品を生み出せる。この工房との出会いで気づいた事ですか?

近:「イメージは以前からありましたね。自分のやりたかったことが、出来るだけ機械に頼らないスタイルで、必然的にこういう環境を求めていて、それに適う場所だと思いました」

名:それが丁度、前に働いていた師匠の元を卒業する前のタイミングで。

近:「そうですね、丁度」

名:ここだ!と思って、そのまま。

近:「はい。ただ快適さでいうと、住空間の方がものすごく傷んでたので、手直しはしないといけない」

名:そうだね、確かに。見ると、全然材が違うものありますもんね。

近:「はい。元々あった床とかは、家が山を背負ってるって事があって、湿気でかなりやられてました。でも、この家に移って来て二日目に気付いたのかな? 風呂の配水管が途中で壊れている事に気付いて。風呂入った後、穴あいてた床下を覗いたら、流した水がそのまま床下に溢れてました。ありえない光景でしたね。床下は湿気を嫌うんですけど」

名:自分で自分の家を腐らせてるみたいな?(笑)

近:「ええ。 すぐに、この家のひどい傷みの原因に納得しました」


名:次の質問行きます。製作の場で過ごす一日の様子、流れを教えてください。

近:「基本的には9時〜6時くらいっていう時間を決めてます。で、10時、3時にお茶の時間があって、12時から1時間、昼ご飯を食べる時間で、その時間の決め方っていうのは、修行時代から、益子ではどこもその時間の流れでやっているので自然に身に付いてるんですけど」

名:意外に普通の会社員と変わらない時間ですね。もうちょっと早いかなと思ったけど。

近:「修行時代は9時〜5時でした。あと、それをきっちり守ってるかというとそうでもなくて、仕事がおしてる時は夜中迄やったり、…窯焚きがある時は本当は、ある程度時間のサイクルを自分でコントロールすればいいんですが、そこらへんまだ上手く出来てなくて、徹夜の日が続いたりとかってあります」

名:窯焚きで徹夜してる時って何をしているんですか? ぼーっとしてますか?

近:「うーん、一番やっちゃいけないのが、大事な時間帯の途中で寝てしまうとか。ある程度の緊張感は持ってないといけないので、それまで作業してた細工場の後片付けだったり、釉掛け作業をした片付けなんかをしてますね。

名:それは効率的ですね。年間で一番忙しい時っていつですか?

近:「うーん、まだそこまで自分のスタイルが確立されてないし、仕事も全然安定してないので…。でもやっぱり益子の場合だと春と秋に陶器市があって」

名:「5月と10月?」

近:「5月と11月です。その前月に他のフェアが入ってたり、注文の仕事なんかが入って重なってしまうとバタバタとしてしまいますね。逆に僕の場合は冬場は粘土づくりをしたりしていて、…土は凍らせた方が乾燥が早いんですよ。それで結構冬場の方が」

名:作業がはかどる?

近:「はかどります。こういう場所に住んでると、修行時代に描いてた独立してからの姿とは違って、草刈りだとか木を切ったりだとかで、月の内の結構な時間を取られてしまうんです」

名:それは想いもしなかった?

近:「予想外というか、思ってた以上でした! あんまり忙しいとさぼったりするんですけど、休日とか近所から、草刈りの音が聞こえて来て、急かされるように『お前もやれよ』とワンワン機械が鳴ってるんで」

ユ:今日も朝から鳴ってましたね?

近:「そうですね。窯焚きの最中、仮眠取ってる時とかに、そういう音が聞こえてくるとたまらないですね」


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名:次の質問です。つくる事を意識的に始めたのはいつ頃ですか?またそのきっかけは? この辺りって『健康より』にあったと思うんですけど、改めて。

近:「焼き物と出会ったきっかけってのは、『健康より』にも書いてなかったんですけど」

名:ではそれを。

近:「高校時代までは全く陶芸の『と』の字も知らない様な人間で全然興味もなかった。ただ小学校時代に、焼物に興味のある女の先生だったんですが、授業に古墳を見に行くという郊外学習を盛り込んでくれまして。で、その時に、取ったらいけない土器の欠片を先生が取って、こっそり僕にくれた」

名:先生の名前は?(笑)

近:「名前はピーーーなんですけど、その先生が図工の時間に土器をつくる授業を設けてくれてってのがあって、それが最初のきっかけですね」

名:何で先生はくれたかね?

近:「お前、好きだろう? みたいな(笑)俺だけですよね、貰ったのは。他の生徒が見てない時に袋に入れたやつをこっそり渡される感じで。その先生は二年前に大阪で展示の機会があったんですけど、その時に手紙を出して見に来て貰いました」

植:いい話だー(笑)

近:「やっぱりこうなったか! みたいな事を言われて。自分じゃ意識してなくても、そういう素質っていうか、素養っていうか」

名:先生はそれを感じてたんだろうね。

近:「感じてたのかもしれない」

名:普段の康弘を見て。

近:「はい。で、その後はスポーツばっかりする様な少年時代を過ごして、高校卒業してからの進路を決める時に、さて大学受験するか、専門学校にいって手に職をつけるか? あっ、手に職をつける前に僕は男一人の長男なんですけど、うちの親父が一人で自営業をしてまして、それを継がなあかんという空気感がどんどん歳を重ねるごとに自分の中に出て来まして…。その頃、決められたレールっていうのが嫌で嫌で、ほんでそこから逃げ出したいって所がまずあって、大学受験するか、専門学校にいくかって迷ってました。何がしたかったかとか、特になかったんですけど、ホント縁って言ったら縁なんですけど、リクルートブックってあるじゃないですか? 太い本。わかります?」

植:リクルートブック?

近:「色んな学校がズラーッと載ってる分厚い本で、それをイライラしていた時に放り投げたら、たまたま開いたページが焼物の学校だったっていう、ふざけた話なんですけど」

名:その中からあの時の土器が姿を・・・(笑)

近:「顔をのぞかせた(笑) で、その時にこんなんで決めていいのかなって気もあったので、焼物の学校と一応硝子の学校を取り寄せたんですけど、何故か硝子の学校の資料は届かなくて。で、体験入学してみたら面白いなって思ったんですよ。でまぁ、二年の学校なんですけど、入学して一年経った時に考えまして…。うちの親父は跡を継いで欲しいのに自分は同じ物づくりだけれど、違うジャンルに行こうとしてる。それなのに高い学費を払って貰うっていうのが」

名:耐え切れなかったと。

近:「…そうですね。それで一年で辞める事にしたんですよ。もし本気でやりたい時が来たら自分で学費を払って学校にいき、仕事にするんだったらその後そうしようって」

名:今言ってた陶芸だったり硝子だったり、どちらも工芸じゃないですか? 工芸って頭は最初からあったんですか?

近:「いや」

名:絵をやりたいとか?

近:「絵をやりたいってのはなかったですね」

名:役者になりたいとか?

近:「全く。あんまり人の前に立ったりとか目立った事するのが苦手っていうか、でも完全に日陰の存在っていうのも嫌で。小学校時代から親父の仕事を手伝うんじゃないですけど、小学校が休みの日とかに、一緒に行って掃除の手伝いとかをしてたんですよね。親父のやってた仕事っていうのが金型業なんですけど、機械で鉄を削る、油まみれになりながらという仕事だったんですが、そういう音とか匂いだとかは子供時代から自分に染み付いてた、嫌な記憶としてあるんですよ。なんでかっていうと、すぐ工場の裏手にドブ川があるんですけど、その川の色が在り得ない色をしていて、黄土色とヘドロが赤茶けたような色で、そこに図鑑に載ってない様な生物が泳いでるんです、オタマジャクシの様な。小さな頃から虫を取ったり釣りをしたりするのが好きな子供だったんですが、そのドブ川の奇妙な生物に、子供心に常に疑問に思ってて、気持ち悪いなって。それが跡を継ぎたくなかった大きな所かもしれないですね」

名:その疑問っていうのは、おかしいだろ、ってこと?

近:「これは何かおかしいぞと。頭ではわからないけど、安全なことじゃないなっていうのがあって、物づくりを仕事にしたいなって気持ちはずっとあったんですけど、機械を使うものは嫌だなってのはありましたね」

名:機械を使って、結果、自然にダメージを与える事。そうじゃない物づくりをしたかったし、だから陶芸だったり硝子の方にいきたいって。

近:「そうですね」

名:自分に対する違和感。それが焼き物だな、硝子だなって事を考えた。

近:「はい、でもその頃は陶芸の世界の事を何も知らなくて。学校に行く中で、この業界のことを知っていくんですが話を聞けば聞く程、仕事には出来ないな、難しいなと思いました」

名:それで食べていく事は難しいなあと。

近:「難しいなと思いましたね。選ばれた人じゃないと出来ないなと思って、で、学校辞めてからは普通に荷物を運ぶ仕事をしてたんですが、その職場のすぐ近くに古本屋さんがあって、そこが美術書とかのセレクトがなかなか良い古本屋さんで。休憩時間にそこで焼物関係の本を買っては読んだりしてて、趣味ですね。んっ、趣味じゃないな? でも仕事にしようとかじゃなくて」

植:ライフワークって事ですか?

名:ライフワークじゃないでしょう。いわゆる趣味だよね。

近:「趣味です」

名:でも、陶芸ってものは頭から離れなかったんだよね? 仕事の休憩中に行くくらいだから、休めばいいのに。

近:「そうですね〜。」

名:その時買った物は、ここにもたくさんありますか?

近:「結構多いですね。三分の一位ですね。で、きっかけの話でしたよね?」

名:陶芸の学校を一年で辞めました。荷物を運ぶ仕事をしています。古本屋に通って本を買ってます。読んでます。頭から離れません。その後にそうだ益子に行こう、っていう期間は?

近:「その時にきっかけとして、高校からの付き合い、幼馴染みの手創り市でお世話になってるyutaこと、須原なんですけど。あいつが柳宗理さんの講演がある民藝夏季学校っていうのに応募して行ったって話を聞いたんです。で、その時に感想文を書いて、その感想文が『民藝』って雑誌に載るって話を聞いたんですよ。載るんだったら俺もその本見てみたいなって。聞いた事ない本だったんで大阪で一番大きな本屋さんに行って、『こういう本ありますか?』って聞いたんですけど、でも見つからなくて…。大阪で一番大きな本屋さんにないって事はどういう事だろうって、『ここだったらあるんじゃないか?』って聞いたのが大阪の民芸館。行ったら置いててそれを読んだんです」

名:読んで、どんな印象を?

近:「それまで民藝というものに興味もないし、ほとんど自分には縁がないものだったんですよ。で、その冊子の一番後ろに全国の民芸館の営業時間なり開館日が書いてあるページがあるんですけど、京都の民芸資料館っていうのがあって、そこが月に一日しか開かない、ってなってたんです。で、月に一日しか開かないって事はおかしいなって思って、逆に興味をそそられて足を運んでみようかと。で、開館日に行ってみました。行ってみたら、民藝に関する面白い話を聞いたりしたんですけど、その場で民藝協会に勧誘される羽目になって、その場で申し込んでしまったんですよ」

名:民藝協会って何するところ?

近:「民藝を普及させる会なんですよね。全国に支部があって。そこから民藝運動を始めた柳宗悦と河井寛次郎に興味を持って、古本屋で買ってきては、調べたり想いをはせたり、という事をしていたら、どんどんどんどん自分の中で、この世界に興味が沸いて来まして。何よりも特別な才能がなくても、平凡な人間でも美しい物がつくれるという教えがあって。

名:そこから今までに止まってた陶芸に対する想いが、自分の中でくすぶっていたものがより明確になって来たんですね。

近:「明確になって来ました。で、まとまった休みを取っては産地を自分の目で見てみたいなと思って、色々周ってみたんですね。そこから『健康より』にも書いていると思うんですけど、焼物の仕事は小刀ひとつあれば全て成り立つ、という言葉を聞いて、『あ、ロマンチックだな』って思って、これを仕事にしてみたいなって思いが自分の中でどんどん強まっていったんですね。そうなって来ると、一から修行だなって思い立って、仕事を辞めて、頭を丸めて、どこか知らない土地で一から修行しようと思いました。益子を選んだ理由っていうのは、東京に住んでた須原の家に遊びに行った時に、日帰りで益子に行けるから行ってみないかって誘われて行ったんですけど、全然土地勘とかもなかったんですが、まず最初の濱田庄司が住んでいた益子参考館に行きました。そこで、一人のお爺さんと出会ったんですけど、そのお爺さんに話を聞いてみると、濱田さんの元で60年以上に渡って職人さんをやっていたお爺さんで、その時でお歳が76歳だったんですよね。職人さんとして働くには無理がある年齢になったので、去年から一人で仕事をする様になったと。良かったら工房に遊びに来ないか? って誘ってもらって。喜んでお邪魔させてもらいますって行ったら、そこで見た器にしろ聞いた話にしろ、面白いもので、湯飲みをひとつ買って帰ったんです」

名:産地としての益子に一番魅かれた部分は?

近:「その旅の途中で見た町の雰囲気っていうのが、僕が古本屋で買って見てた本っていうのが30年も40年も前の本で、自分のイメージしてた益子とあまりにもかけ離れてたんですよね。正直、来た時に町並みにはがっくりした部分があって、ただそこで出会ったお爺さんと器は本物だなって思いました。で、帰ってからその器を眺めてたんですけど、まず素直に温もりを感じました。その器の内側を覗き込んだ時に、外から見た時よりも内側の方が大きく見えたんですよね。中全体が広がってる感じで、大袈裟な言い方をすると宇宙の様に広がってる様に見えたんですよね。これは本物だなって思って、いよいよ仕事にしようかなと。それまで弟子入りっていっても、特にこの人、この産地っていうのはなかったんですけど、この人のところに弟子入りしようかなって思って行きました。

名:実際訪ねてですか?

近:「はい。とりあえず一週間土下座してお願いしようかなくらいの勢いで来たんですけど、早々にお爺さんは、余生を楽しむ為に焼物をやりたいし、お金なんか払う余裕も全くないし、ホントに仕事でしたかったら、まずは窯元に勤めた方がいいと言われたんですよね。それで、まぁ、諦め切れない部分と、どんだけお願いしても無理だなって事がわかったのであきらめて。その時は路頭に迷いましたよね。さぁどうしようかなって。大阪の地元の連中には行くっていってきたし」

名:俺は焼物で行くぜ!と。

近:「焼物で行くぜって、送別会までして貰って。行って来ますって言った手前、早々で『無理でした』っていうのは、帰るところもないなって思ってて。

名:それはみっともないね。

近:「さぁ困ったぞ、って思いながら、ふらふらと町を歩いてたんですよね」

名:野良犬のように。

近:「野良犬のように」

名:行き場もなく。

近:「行き場もなく…。何も調べずに、その時は益子に来たんですけど、寝床は山の中でテント張ってたんですけど」

名:あの展望台?

近:「いやいや展望台じゃなくて林の中で。で、僕が来て三日目にたまたま益子が春の陶器市に入ったんですよね。やけに観光客は多いし、売り手の人もお客さんも忙しそうで、とても仕事の話して貰える様な雰囲気じゃなくて…。それと売られてる物が自分の中で益子にイメージしてた焼物とあまりにもかけ離れてたんですよね」

名:そこに宇宙はなかった、と。

近:「宇宙はなかったです、はい。その頃の僕の頭の中は民藝の事で頭がいっぱいになってたんですね。正直、何百とテントがあっても、一通りぱぱっと見たんですけど、自分が心魅かれるものが全然なかった。柳宗悦が言うところの、器が病に侵されてるなと。そんな感じでふらふらしている時に、たまたまなんですけど、目に止まった器が、飛びカンナの器が店先に置いてあったんですよね。で、そこでお店の中を覗いたら、自分のイメージしてた益子らしい焼物がそこにあったんですよ。そこが弟子入りする事になった榎田窯だったんですけど、ここだなと! 二回目なんですけど、自分の中でドクンとくるものがあって。

名:その場で?

近:「いや、その時は一応店を出たんですけど、一晩考えて、ここしかないなと」

名:考えたのはベースキャンプ?

近:「ベースキャンプで(笑)ここしかないなと気持ちを高めて、翌日アタックしたんですね。で、『健康より』にも書いてあるんですど、断られて、でもお願いして、みたいな感じでなんとか置いて頂ける事になって」

名:そこから益子での生活と。

近:「いよいよ始まりましたね」

名:独立への第一歩だよね?

近:「はい」

名:榎田窯で働き出して、素朴な疑問だけれど、仕事っていうのは教えてくれるものなの?見て覚えろって感じ?

近:「最初は雑用ばっかりでしたね。掃除が一番基本にあって、俺は全く予定にない人員で」

名:人という名の空気だね?

近:「ホントに空気です。だから最初は窯場のペンキ塗りから始まって、色んな傷んだ壁を直したりとか、大工仕事なり、仕事の半分くらい畑仕事があるんで、雑草抜きから始まって、半年くらい雑用やってましたね。で、仕事が5時までなんですけど、5時以降は好きに練習していいぞ、好きに使っていいぞって言って貰ってたんで、毎日、5時から9時くらいまでそこで練習をしました」

名:いいね、そういうの。好きにやれってのがさ。

近:「ありがたい事に夜食まで出してくれて」

名:それは雑用もはかどるよね。

近:「はかどります。雑用も経験したことない事ばっかりだったんで、毎日が楽しくて」

名:近藤さんの今の様子を見てるとそんな感じがするし、絵が浮かんでくるよ。

近:「その時は休日、最初の一年は週休二日だったんで窯屋さんで窯づくりのバイトをしてたんです。だから修行先での一日も楽しいし、休日は休日で焼物に対する新たな発見があったり、窯の事を色々勉強出来るので、焼物づくしの修行期間でしたね」

名:どっぷり。

近:「どっぷりですね。家帰っては焼物の本を開けては、深く勉強する訳でもないんですけど、ぼっーと眺めるだけで。焼物三昧の日々だったんですけど。自分にとってはその日々が、生まれて一番輝いているというか、毎日毎日が充実感で満たされてましたね」

名:生きてる感触があるってこと?

近:「ありました、本当は仕事はこれからの独立の事とか考えなきゃいけないけど、毎日が楽しいんで先の事じゃなく」

名:今この時が。

近:「今! 明日死んじゃってもいいかなくらいな感じで過ごしてました」

名:それって今思えば、なんでそこまで?20代前半? 

近:「25歳でしたね」

名:そしたらやっぱり休みは遊びに行きたいとか、デートしたいとかあるだろうに。でもそうじゃなくて、どっぷり焼物の事で。それは単純に好きだからって事もあるかもしれないれど、でもそうじゃない、益子までに至る間の時間、無意味な時間、失礼、悶々とした時間があって、その時と、修行の始まった時、まるで違う。

近:「ええ、違いました。僕はただ焼物の仕事を覚えるつもりで入ったんですけど、実際には日々暮らすという事を学んだというのがあって、焼物の技術の方は自然に身に付いていった感じでした。楽しかったってのは、仕事中でも大きなお鍋で料理をつくったりとか、窯でピザを焼いたりとか、そういう事とかもたまにやったりして、暮らしと仕事が一つだったんですよね。雨が降ったら細工場で仕事して、晴れだったら外で畑仕事したり、それこそ自分の思い描いてた理想の焼物のスタイル。高校でて、学校に行ってた時は焼物って言葉を使わずに、陶芸だったんですね、自分の中で。でも益子で暮らしてからは陶芸って言葉を自分から使わなくなりました」

名:芸じゃない?

近:「芸じゃないなって。暮らしかな」

名:暮らしと生きる事に直結してる。それで焼物かあ。

近:「はい。暮らしの理想はどんどんと膨らんでったんですけど、でもそれと焼物で独立して自分でやってくって事は全く別物だなっていうのを、そのあと独立準備期間にしろ、独立してから今に至るまで、痛感しました」

名:今も尚?

近:「はい(笑)」

名:でも痛感してるっていうのは、修行先でただ器をつくるだけじゃない、色々な事を学んだから、尚更それを痛感しているんだろうね。修業先で今までやって来た事がある。そこで学んだ事っていうのはただ焼物を焼いてればいいって事じゃなくて、器をつくる事と暮らしがセットになってくる、というのを学び体験して、知ってしまった。

近:「知ってしまった」

名:それが修行先での体験でいざそこから独立した時に、今はまだ、ちょっと前に修行先で味わった所に自分は辿り着けて、ない?

近:「うーん、そうですね。自分でそうなる様にとはもって来てるつもりだし、ひとつひとつ階段を上る様にはしてるんですけど。まぁそれ以前に独立してぶつかった壁っていうのは、値段を付ける事とか、器のデザインの事であったりです。…売れない事には明日生きていく為のお金が入って来ない訳だから」

名:それは独立したからこそ味わった壁だよね?それを含めて自分でやらなきゃ独立とは言えないし。

近:「はい」


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名:ちょっと話変わりますけど、益子の同業仲間とはどんな関係ですか?お互いどういう風に影響をし合ってる。影響を受けてます?

近:「そうですね。時々なんですけど一品持ち寄りで、誰かの家に集まって飲む機会っていうのがあって、そういう時にまぁ、焼物の話をする訳じゃなく、世間話をしたりするんですが。陶器市とかで他の連中の仕事を見た時に、新しい仕事を始めてたり、釉薬が若干変わったりしていると、その飲み会の場で、あまりに気になった事は話に紛れ込ませてこっそり聞いたりします。教えてくれたりくれなかったり、その場では笑ってるんですけど。その場で笑う事が出来るのは、普段、切磋琢磨して頑張ってるからだなと思います。だから刺激になりますよね。丁度同じ歳ごろで、僕より2、3年の先輩連中がほとんどなんで。その場を大切にする為に皆頑張ってる。

名:集まった時に、常に器の話をする訳じゃないけど。

近:「ほとんどしないですね」

名:でも、普段器と向き合って、それぞれやってるからこそ、集まった時に器の話じゃなくても、色んな話が出来る。時々器の話をしたりとか。かわされたりとか。同志に近いよね?

近:「同志ですね」

名:仲良しこよしではなくて。

近:「はい」


名:次の質問です。制作する時、どんな事を考えてますか?これみんなに聞くと、あまり何も考えてないですって言われると思うんですけど。

近:「僕も何も考えてないかな。ほとんど無意識なんですけど、つくってる物のラインだったりとかは気にしたりします、でも頭の中は何も考えてないですかね。むしろ、悩み事とかあったらそれを考えてたりとか。手はもう、別に全然動いてるので。むしろ、考えて仕事をすると物が鈍るっていうか、そういうのもやっぱり、土は柔らかい物なので、ダイレクトに出ちゃいますよね。いじり過ぎても悪くなるってのもあるんで」

名:ギクシャクするって事?ものを考えながらやってて。

近:「そうですね。考えながらつくったものは、出来あがった時に迷ってる感が出るんですよね。それは自分ではわかります」

名:そうすると、物とひたすら向き合って、頭で考えてるっていうよりも手で考えてる、それと無意識に反応して?

近:「そうですね。物づくりやってる人、結構みんな同じじゃないかなって思います。ちらっと本で読んだんですけど、イタリアの職人さんの工房では、独り言が飛び交ってるみたいで、全然仕事の事とは関係ないような。僕もぼそっと独り言を言ったりとかってあるんですが、独り言が多くなっていったら一丁前かなみたいな部分が自分の中であります」

名:その独り言っていうのは器と関係ない事。

近:「関係ない事です。周りの人にとっちゃあ迷惑な話なんですけど。考える時っていうのは、作ってる時じゃないですね。例えば、草刈りしてる時だったり、車を運転している時だったり、外食で出会った料理とかをみてどういう器が似合うかなとか? 日常生活にアンテナを張ってるような気がします。」

名:器をつくる時に器の事を考えてるんじゃなくて、普段の生活の中で考えてる。

近:「例えば、テレビ見てても小道具として使われている器だったり、映画の中で後ろの方に小さく映ってる器だったりとかを、すごく意識して見ちゃいますね」

名:あれいいな、とか。俺の方がいいぞ! とか(笑)

近:「ははは(笑)でも、自分のつくりたい物の希望としては、人よりも優れた物をつくりたいなっていうのはそんなにないんですよ。人と違った事をしたいとか、自分を出したいとか、そういうのはほとんどなくて。ただ自分の育ってきた様な、一般家庭の何気ない日常使いの食器が、器の事に全然興味ない家庭で使われてる食器とかが、…それってだいたい大量生産の物じゃないですか? そういうところを変えていけたらなって思ってます」

名:ものすごい器が好きで集めてるコレクターで、そういう人に使われるって事よりも?

近:「自分の育ってきたような家庭で使われたいな、という思いで作ってますね。それ以外でも例えばオリンピックやってますけど、メダルとるような選手の食卓風景が映った時に、そこで使われてる器が同じ様な工業製品、よくわからないプリントされた物とか、アメリカの国旗が入っているマグカップだったり。そういうのを見た時に、俺頑張らないとって思って。こういう所を変えていけたらなというのがありますね」

名:それが理想だし、近藤さんの物づくりのあるべき姿。

植:『健康より』の中で、健康な物づくりを通して国を変えていきたいってありましたけど、それが今の?

近:「はい、それがそうですね。大きな事を書いてしまったなと思ってるんですけど。自分は、面白い物を探しによくリサイクルショップに行くんですけど、そのリサイクルショップに置かれている器が、さっき言ってた大量生産、工業製品で、9割9分がつまらないものなんですよね、自分にとってなんですけど。それが結局は世間の現状かみたいなことを感じますね」

名:あ、それわかるわあ。リサイクルショップという終着駅でね。

近:「行く先々で僕はいつも燃え立ちますね。だから器好きな人とか、物が好きな人とかこだわってる方に使って貰えるのは嬉しいんですけど、リサイクルショップにある物こそ、今の世間の現状かなって。だから、そういうところの流れを少しでも変えていけたらなとは思っていますね。最近はCMとか見てても、意外と作家さんの器が使われてたり、すごい雰囲気のいい器が使われてたりで、すこしずつここ数年で変わってきたのかな?」

名:それはメディア全体でしょ?

近:「はい」

植:ちなみに、奥さんとも今みたいな話はするんですか?

近:「うちの嫁さんはそんなに器に興味ない人間ですけど、話はしますね」

植:近藤さんが焼物の世界に入っていって、彼女にも影響ってあると思うんですよね?

近:「もともと全然興味なかった人間に、わかってもらおうと価値観を無理やりおしつけるようにしてました。嫌じゃないですか?強制されるっていうのは? 修行時代とかまさにそれで、電話越しに器の話とかばかり言ったりしてたんですけど、自分の理想だとか」

名:あれまあ、そんな話が聞きたい訳じゃないのにね(笑)

近:「向こうがどんどん目に見えて器が嫌いになっていくのがわかりました。でも、今は結婚して二年になるんですけど、手創り市に出展させて貰う様になってからは、販売の手伝いに来てもらってます。その中で他のつくり手の人とコミュニケーションを取ったり、作られた物だけじゃなくて、作った作家さんと接する機会が増えてから、興味を持ち出したなって思います。最近は手伝ってくれている合間に、時間が空いた時には、喜んで買物しに行ったりして、俺よりも楽しんでるなって。自分で買うと物にも愛着が沸くし、作った人にも興味が沸いて」

名:それは奥さんの立場で考えると、器だけじゃなくて、色んな人が出てるから楽しいんだろうね。器だけだったら、自分がつくる側じゃない故に、専門過ぎて門外漢な感じを受けてしまう。そうするとなかなか入っていき辛いし、よくわからないし。手創り市だったら色んな人がいるからね。

近:「そうですね」

名:そういう奥さんを見て、逆に近藤さんが影響される事って?ありますか?

近:「…影響ってよりも、ホントは自分の生活で使う物とかは、自分好みの物を買い揃えたいっていうのがあって。あっ、ストレスが溜まったりすると買物しちゃったりするんですよね。OL気質があるっていうか。OLの方に失礼ですけど」

名:近藤さんがですよね。

近:「はい。それが最近は俺が選ぶよりも早く、向こうが買ってきたりするんで(笑)こっちの購買意欲が削がれるというか」

名:それ、いい話じゃないなぁ。大丈夫かなこんな話を聞いちゃって。でもまあ、面白いから。

近:「ま、でもお互い買ってきた物を自慢し合ったりして、器に関しては、この人のこういうところがいいね、使いやすいね、とか。あと、器があると料理するのにも身が入ってくるというか、それに合うような料理を作ってくれたりするようになってきたかな」

名:それこそ、自分が目指す先はそれだよね?それで変わってくる。ちょっとした事かもしれないけれど。

近:「そうですね、まず、身近なところから第一歩です。実感として少しずつ変わってきたなっていうのがあります」

名:まず嫁さんから。

近:「まず嫁さんから(笑) 嫁さんの友人連中も嫁さんと一緒で、あんまり器に興味のない人が多いんですけど、旦那がこんな仕事してるっていうんで、買ってくれたりとか、こういうのが欲しいって言ってくれたりとかする事があるんです。そうして貰ってるうちに周りの人も徐々に興味を持ってくれて、裾野が広がっていってる感じがありますね」

名:それは、近藤さんが凄く特別な事を目指してる訳ではないし、照準を置いてないから、元々作家さんがつくる器に興味のない人でも感じてくれたりするんじゃないのかね?

近:「…だからそういう一般家庭で使って貰いたいなって。で、大量生産の工業製品と何かが違うぞって感じて貰いたいので、より手作り感が伝わるように自然の原料を使う様にしてますね」

名:多分、近藤さんの伝えたい事っていうのは、思想じゃなくて、もっと平易な言葉で興味のない人達にもわかる様な事で伝えていってると思うんだよね?それっていうのは、器見てください、はいどうぞ、ってだけじゃわからないと思うんだよね。物があって、その後に自分の言葉があって。と、伝える作業は意識してますか?例えば展示会とか、自分と器が一緒に出て行く時に、そういう自分の物づくりについて話をしたりするかどうか?

近:「まぁ、聞かれると今言った様な事を断片的に話したりはするんですけど、結構話も長くなってしまうし、自分の器の特徴とかだけ簡潔に伝える様には心掛けてますね。ホントは作り手は、器をつくるばっかりしてて、売るのはお店の人に任せるのが本来のあり方かもしれないですけど、伝えたい部分とかもあるんで。手創り市とか、クラフトフェアとか、陶器市とかで、お客さんと接する場を持つ事はこれから先もやっていきたいなって思ってます」

名:その方が伝わると思う。なんでかゆうとつくる人が伝える方がわかりやすい、とは違う、言われて腑に落ちるのかね。目の前に器があって、器をつくってるのはこの人で、更に作品を見た時に振り返るでしょう?すると聞いてる方っていうのは、器だったりそういう物に興味があってそこに行くのだから、つながりやすい。そうすると腑に落ちる。それが伝えるって事かなって。

近:「そうですね」


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名:ちょっとその辺の流れから別の質問ですけど、静岡の護国神社で開催されているARTS&CRAFT静岡に参加したきっかけと、参加してみて、お客さんと会話する、それを含めての感想を教えてください。

近:「きっかけは須原に誘われたんですよね。手創り市の事もほとんど知らなかったし。で、独立してちょうど一年くらい経った時、合同展示?企画展示?」

名:一番最初の開催で、こちらの方から作家さんに二区画お願いする、という話で、その中で自分で二区画、幅が6メートル、奥行きが3メートルを使って貰う。その区画を一人で使ってもいいし、自分で他の作家さんを連れて来て二人で使うのもいいですよっていう事で多分お願いしたと思うんですけど」

近:「ええ。あんまり具体的な事は須原からは聞いてないんですけど、一緒に静岡でこういうフェアがあるから出してみいへんか?って感じで誘われて。面白そうだなって思って」

名:その時の感想、エピソードなどありますか?

近:「その時に、さっきしゃべってた様な、自分とお客さんとの会話する事の大切さみたいなのを、初めてやってみて思いましたね。それまではやっぱ、作る事しか考えてなかったなっていう部分があって。まだ独立して間がない頃だったんで、値段の事にしろ、展示の仕方にしろ、初めての事づくしだったんですよね。単純にお客さんとコミュニケーションする大切さを知ったし、自分で空間を見せるという事…」

名:トータルで見せることを?

近:「トータルで見せるって事の難しさだったり、什器一つとっても運びやすさにしろ、お客さんの見やすい高さとか、そういう事の発見の連続でしたね。でも何よりも護国神社の境内が初めて見た時に凄く気に入って。その境内に向かって店舗が連なってる景色っていうのが、もう、すごくいいなって思いました。その一部分を自分が担ってるっていうのがまた。全くそういう事は予期してなかったので」

名:僕らとしてはそういう意識を作家さんが持ってくれるって事が嬉しいよね。あの会場のつくりだったり、それこそ正面の鳥居から入っていって、ずっーと真っ直ぐ行くと本殿があって、その中のひとつに自分がいて、その場所は自分が担っている、という意識があるのはすごく嬉しい。僕らとしてはそういう意識が作家さんの中にあるっていうのは、常に持っておきたい部分かなって。今の話を聞いてて思いました」

近:「やっぱり雰囲気っていうのも大切ですよね? 他のフェアもどうかなって思うんですけど、とりあえず気に入った場所で毎回毎回、違う部分を試行錯誤していったり、お客さんの変化を見たりするのが今は楽しいって思います益子でも売る事に関しては陶器市があってテントを出すんですけど、焼物ばっかりじゃないですか? 手創り市だと、違うジャンルの人がいると自ずと見せ方も変わってたりして、刺激される部分はあります。センスのいい人がすごく多いなって。良いところは盗もうって思ってるんですけど」

名:その流れで言うとさ、作家さんっていうは3メートル×3メートルの中で簡易的な仮設かもしれないけど、自分のお店をつくるって事と一緒な訳でしょう?

近:「店ですね」

名:ということはその人のオンリーショップだよね?その延長には、個人の本当のリアルなお店が、きっとあるはずだと思うし、実際、手創り市に出た事のある人の話だけど、それこそ、山口に引越したhimaar(ヒマール)さんだったり、埼玉・秩父にいるツグミ工芸舎さんとかは、個人の作家さんであり、自分のお店を開いてやってるんだよね。そういう流れが今あるなと思って、作家さんからすると、そこに希望があるからこそお店を開いて、お金をかけて責任を持ってやってる。作家さんが作家活動だけじゃないお店の活動もする事によって、もっと気づける事。自分達も作家さんがお店をやって、その活動によって、僕らみたいな野外のイベントを企画してる人達が気づく事もたくさんあると思うんだよね。そういうのを、個人的にも、イベントを主催する身としても、単に知りたいし、応援していきたいかなって最近思ってます。ちなみにhimaarさんはお知り合いですか?

近:「手創り市で出会いました」

名:単純に作家やってて、お店を始められて、すごい事だと思うんですよ。

近:「すごい事ですよね。隅々まで自分でこだわって店をつくっていかれたじゃないですか? 僕の自分の仕事場も自分でつくったんですけど、プロの大工さんにやって貰った綺麗さだったり、仕上げの上手さだったりそういうのはないんですけど、隅々までこだわれたかなって…。何が言いたいかというと、例えばテーブルにしてもたった1センチの高さの違いで、変わってくるじゃないですか?」

名:テーブル一枚の厚みであったり、高さであったり、それこそ1センチ単位の事を考えて選択して決める事に、そうしたところにいちつくり手として、責任を果たせる事が嬉しい、気持ちよい事ですよね。

近:「単純に一つ一つの選択が、時間は掛かるんですけど、出来上がったものは何よりもつくり手の人のこだわりにしろ、考えにしろ出るんで。もちろん大変です、思ってるよりも100倍大変だったとかってよく聞くんですけど、でも出来上がってみるとその分、隅々までこだわりが行き届く」

名:達成感?

近:「達成感もあるし…」

名:質問の角度を変えますけど、himaarさんの様に個人の作家活動もして、お店も始めました。ジャンルは違えどいちつくり手として、近藤さんは自分のつくる場所、見せる場所、売る場所、そのトータルで完結した形の場所をつくりたいと思いますか? 

近:「自分の修行先が窯元なんですけど、販売所があって。希望としてはいずれはそういった形で、自分でも店舗を構えてみたいなってのはあります。工房の横にお店みたいな」

名:そう考えると、焼き物の場合は窯元っていう、つくる場所、見せる場所、売る場所ってよりも、何も珍しい事じゃなくて当たり前の様にあるから。

近:「そうですね」

名:小さな窯元みたいなもの。

近:「そうですね。窯元になりたいんかな、俺は」

名:そういうものが増えていったら面白いですね。

近:「増えたら面白いですね」

名:今、オンライン上でも売買出来る場所ってたくさんあるでしょう?その中に個人の作家さんが作品を提供していて、売り買いが出来ますよって状態。オンライン上だから、その人には会えないし、伝え切れない。でもそれと同じ様に、個人個人で小さな場所でもつくっていく事が出来れば、オンライン上がもっとリアルになってきて、そうするともっとこう、オンライン上も意味があるし、もちろん、リアルなものに対する意味ってもっと大きいし深いけど、よりつながってくるなって思うんだよね。だからこう、himaarさんだったりツグミ工芸舎さんの様な人が増えたら楽しいだろうなって。同じこと言ってるけれどさ。

近:「楽しいでしょうね」

名:大変だろうけど。

近:「そのお店に行く事によって、そのお店を訪れる楽しみであったりもあるけど、そこから自分の住んでるところとは違った地域性を知る事が出来るじゃないですか? 全国にそういったお店が、何にもない様な場所でも作り手さんが住んで、小さなお店でもいいからあれば、その地域にもいいですよね、知って貰う為に。だから、山口には近い内に行きたいなとは思ってます」

名:観光の仕方も変わるだろうね。そうなると。

近:「観光ガイドには載ってないような自分なりの観光ができますね」


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名:何か植岡さん、聞きたい事はありますか?

植:『健康より』にも出てくるキーワードですけど、『健康的な物づくり』ってあるじゃないですか? そこの話を今一度、近藤さんの言葉で聞きたいなと思って。それはどういうもので、近藤さんはそれに対してどう思っていて、どう大切にしているか?

近:「いい質問ですね(笑)それは安心出来る物」

植:安心出来る物?

近:「使ってる材料なり、自分ですべて把握出来る物を使って、それが仕事と暮らしと密着している物。それが僕の考える『健康的な物づくり』だと思います。というのは、自分で仕事してて、原料なんかも、色んな種類が売ってて買ってきたりする事もあるんですけど、安全かどうかよくわからない物が売ってるんですね。それをそのまま飲み込むと毒物だったり。そういうのを使って綺麗な色とか出せたりはするんですけど、どうしても制作してる途中で釉薬の残りなんか捨てないといけない時があって、捨てるってなった時に、そんな得体の知れない物を捨てると、環境に一体どんな影響があるかわからないじゃないですか? だから自然に還る事が出来る物を使っていきたいなと思ってます。話大きくなってしまいますけど、例えば原発、あれなんかそれこそ処分出来ない物を産み出してしまうじゃないですか?」

名:自分でどうにか出来ない事はしない。それはどんなに便利であっても駄目ってゆうこと?

近:「便利さって言葉を最近よく意識するんですけど、便利の裏側には何かが必ず犠牲になってる。その犠牲になってる部分を最近気にする様にしているんです」

名:便利や効率的なものを目指す故に犠牲にするところを救いあげていく。

近:「そうですね。犠牲にしてしまったところを救いあげていく。そういう道を選んでいったら、自ずと自分で取って来たりする事になるのかな。気持ちが安心出来るかどうかって部分が大きいですね、デザインの魅力とかよりも。捨てれる物、捨てても安心な物づくり」


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名:最後の質問です。今後の目標を教えてください。短・中・長期で関係なく。

近:「今は一歩ずつ階段を上ってる感じですね。自分の作ってるラインナップがある程度固まってきたので、そこから一つ一つをより良い物になるように発展させていったり、釉薬なんかもより自分の求める雰囲気になる様に変化させていったらいいなって思ってます。目の前にある事をホント一歩一歩やっていくしかないなって思います。そして結果作った物がたくさん売れてくれたらベストなんですけどね!締めに商売の話になりましたね。これは端折るかな(笑)」

名:器をつくる人間として当たり前の事を当たり前にやってく。

近:「そうですね。そして理想とする暮らし、長々としゃべって来たんですけど、その暮らしに近付くように一歩ずつ、やっていくしかないなって思ってます、はい」

名:以上?

近:「以上です!ありがとうございました」

名:ではこれで御終いです。

一同:お疲れ様でした。


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※アトリエ訪問インタビューへのご意見・ご感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。


手創り市

info@tezukuriichi.com






アトリエ訪問:こばやしゆう 後記


こばやしゆう アトリエ訪問 編集後記


ゆうさんとの対話を通して気付いたことがある。

それは僕の言葉が、どこか街の匂いがするということ。

僕の言葉はどこか区画されたプールに似ていると。

ゆうさんの言葉と比較するとそれは実感としてわかるのだけど、彼女の言葉の背景には広い場所を感じさせるものが宿っていると僕は感じる。

初めてゆうさんに会ったその後、僕は海から帰って来たみたいな感覚を覚えた。そんな感覚を覚えさせるものがゆうさんの言葉には宿っていると。

片や僕の言葉といえば、東京の、府中の、北山町的なものがあるのだなと言うことに気付いた。

何かを考えること。それは思考の旅のようなものだ。ならば僕の思考は、僕という25メートルプールを懸命に往復しながら、距離を稼いでいるだけなのではないか?

例え3キロ泳いだとしても、それはやはり区画されたプールでの事なのだ、と今に思う。

僕の思考にはどこか枠があったと。


ゆうさんが言う。

ものをつくっているとパターン化して来る。例えば器なら、窪みのあるもの、真っ平らなものなど、ある程度の限定が出来ていると。でも、海に来て、一回として同じ波はないんだからと考える時に、自分の器はこうあるべきだっていう枠が外れていく。そんな風に海は枠外しの達人だと思うと。


ゆうさんとの対話は実に動的なものだった。海が、同じ波を二つと作らないように、ゆうさんは二つと同じ言葉をルーティン的に語らなかった。

言葉が生きているとか、よく言われるけど、ゆうさんの場合は、心がまず活き活きと生きているのだ。

それは『毎日ひとつ新しい事をする』とか『細胞が活性化する感覚を大切にしている』と語るゆうさんの、そんな生活の仕方が、生きた言葉を、枠を感じさせない言葉を発する源となっているからかもしれない。

そしてその対話は実に型のないものになったと思う。それが今までのアトリエ訪問とは違う点の様に感じた。ゆうさんらしいインタビュー記事になったと思う。

そんな対話を通じて、僕の枠も少し外れたかなと思う今日この頃である。


うえおかゆうじ



※こばやしゆうさんのアトリエ訪問インタビューは「こちら」をご覧下さい。



手創り市

info@tezukuriichi.com


 




第九回アトリエ訪問 こばやしゆう

第九回アトリエ訪問 こばやしゆう
 
話す人:こばやしゆう→ゆ
聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ


今回のアトリエ訪問インタビューは、アトリエ撮影後、こばやしゆうさん宅からすぐ近くに
ある松林で涼みながら行いました。
始めは何気なくも色の濃い雑談から。
そして徐々に質問の方へと入っていきます。


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ゆ:「朝、明るさでひゅっーて目が覚める。でも朝のうちが一番仕事出来るかな」
名:そうなんですよ。朝飯前?
ゆ:「朝飯前というか、私一日一食位しか食べないから、夕方三時過ぎになるとお腹空くかな、
  やっぱり。朝、珈琲二杯くらい飲むでしょ。レーズンを一口食べるでしょう。で、割と
  ガッーと仕事しちゃうから」
名:僕もそうですね。一食って事はないけど、くだものをひと口ふた口食べて。お昼過ぎに
  腹へってきたらちゃんと食べる。
ゆ:「そう、お腹グーって言ったら食べる感じかな、私も。誰が三回って決めたの?
  でもその時間しか食べられない人はしょうがないですね」

ゆ:「今、農業始める人達も多くて、出来たものをどういう場所でいかに売るかっていう事を
  最近二人位に聞かれた。その方はもともとデザイナーなんだけど、すごく対極な仕事
  でしょう。忙しくて、クライアントがいて、その要求に合わせて仕事をするっていう
  追われる仕事と、この自然に実るものと、自分ととっても平等な関係でいくのが農業みた
  いなんだって熱く語ってる人がいたけど、大変だよね?代々農業の人でないと大抵どこか、
  途中で辞めたくなる人達も多くないですか?」
名:兼業とか? 今のシステムになると戦後六十年とかそういう風になると思うんですけど、
  そうじゃなれけばものすごく長い時間をかけて積み重ねだから、その中で今新しく始めよ
  うと思ったら、既存のルールとかシステムは頭の片隅に置いておいて、あとは自分で流れ
  をつくり出さないとたぶん続けられない。本当に代々何百年ってやってればそうじゃない
  んでしょうけど。
ゆ:「そうですね。それで出荷するとなると自給自足の為にやるのとは、
  同じ農業かと思う位、本当に差があるものね」
名:確かに全然違うものですよね。
植:ゆうさん、送って頂いたエッセイにあったテトラポット、あそこですよね?
ゆ:「テトラが出てた? 最近は絵日記を書いてるからエッセイは書いてないけど、エッセイ
  の頃は、毎日起きてすぐ、一個ずつ書いてました」
植:エッセイだったら、書こうと思う事って、毎回どういう風に決めていっているんですか?ゆ:「事実と自分のやった事、経験。例えばまず自分のやった事を書く。朝だから昨日の事
  でもいいのだけど。そこから始めるんですよ。一番最初の一行はそれ。結局きれいな言葉
  で書くことはいくらでも出来るし、でも本当に気持ちを打つ言葉っていうのは、その人の
  言葉でしかなくて、その言葉っていうのは、自分のやって来た、やった、自信のある言葉
  でしかないでしょ?やった事だから、自信があるから、パン!と言える訳ですよね?
  それが一番なんですけど」
植:僕は以前ファンタジー小説も書いたりしていたんですけど、最近、リアルな物を書く頻度
  が増えて来ていて、自分がやった事とか、体験した事を織り交ぜる様になってから、より
  肉感が出る様になってきた様には思いますけど。
ゆ:「なるほどね」
植:書き易いし、ちょっとした事でもいいんですよね。
ゆ:「ものすごいちっちゃな事」
植:そうですね。その小さな波に面白味があるというか。それはすごく感じますね。
ゆ:「だって、普通の人達が暮らしているのって、普通なんだから、その普通の部分に共鳴
  出来なければ、なんか、この人毎日すごい事ばっかり起こってるんだなって、自然ぽく
  ないですよね?」
植:はい。
ゆ:「そのちっちゃな事。最終的には気づき。気づく事でしょう? 書くことによって気づく
  部分があって、話してても気付く部分があって、ちっちゃな気づきを独り作業をして
  書いていく。ファンタジーって難しいですよね?」
植:はい(笑)
ゆ:「いわゆる日本人が思う、ファンタスティクなファンタジー。何か夢的な、そういうもの
  じゃなくって。本当のファンタジーってむちゃくちゃ深いでしょう?下手をすると帰って
  来れなくなる位の、難しい部分ですよね?村上春樹が書いてる現実と、今は現実だけど
  実はこれこそが彼の小説だっていう、アバターじゃないけど、ジェームス・キャメロンの
  作品みたいに、現実だけれども、超リアルな部分とそうでない部分を、すごい交差させて
  るじゃないですか?そういう物はすごく大好きですよ。そんなに私は本を読んでないけれ
  ど。あれ、さっきの話題なんでしたっけ?」
名:気づき、ですね。気づきについては僕よく考えますよ。
  普段なんでもない事とか、それこそ最近の事だったら。
植:キツネ?
名:そうそう。職場の亡くなった社長の息子が夏休みでさ、毎日邪魔しに来るんですよね。
  遊びに来るんです。で、仕事しながら遊んでて、その時、子供の遊びで、手でつくる影絵
  あるじゃないですか?定番のキツネ。キツネって、影絵でやってキツネってわかり
  ますよね?それがお約束みたいなとこですけど。でも、本当のキツネの影はキツネとは
  わからないですよね?影絵のキツネはキツネとわかるのに、本物のキツネの影は影だけ
  見てもキツネとはわからない。それって何だろう?って思ってさ。
ゆ:「でもこれはキツネって決まってる訳でしょう?(右手でキツネの影絵をつくる)」
名:そうそう。でもそれもその子との些細なやり取りの中で見過ごせば見過ごすし、見付けた
  所で何がある訳でもないけれども、そういう事をふとつかめた瞬間っていいなと思うし、
  そこで何故だろう?って考えるから、それが面白いなというか。
ゆ:「特に子供はね、ちょっとしたおしゃべりって面白いかも。何の作為もなくポロっと出る
  言葉だから。考えてはいるんでしょうけどね。少ないボキャブラリの中で話しするから
  わかりやすいんだよね。大人でもホントに頭のいい人は、すごく相手をみて、その人の
  レベルに合わせてちゃんと噛み砕いて話してくれる人がいるんですけど。
  私が会った人はね、禅の人だったんですね。三年前に出会って、禅というものを改めて……  言葉は知ってても本当の事は知らないでしょう。その時に、座禅の合宿があるって言う
  から私が『やってみたい』って言ったら、『あなたは禅の世界に入らない方がよろしい』
  ってきっぱりと言われたのね。『なんで!? 』って言って。思い上がりとかそうじゃなく
  て、その人の事をよく知っているなら止めた方がいいよって言えるでしょう。
  でも知り合って間もない時にそう言ったから、『あ! すごい人なんだ』って思って。
  何故かっていうと、後で自分でよく考えてみたんだけど、私はこういうつくる仕事をして
  て、それはどこでモノが生まれてくるかっていうと、あ、なんかこのフォルム嫌い、やだ、
  こっちの方が好きかも。説明は出来ないけど、自分がいい形、なんとなくしっくり来ると
  か、気持ちいい形とか。好きか嫌いで決める訳でしょう?禅はそれはダメなんです。
  とにかく無になること。ゼロになる事なんです。限りなくゼロに近づく事。だから好きとか
  嫌いとか分けちゃダメなんです。
  こういう仕事をしているから、禅を追求していこうと思うと、グラグラになって土台から
  崩れちゃうから、自分の今までの価値観はなんだったんだって。結構私、二ヶ月位グラグラ
  してたなぁ。それは自分の中で咀嚼しようと思ってしてた事で、『好きとか嫌いとか
  言えないんだったらどうするのこれ!?』っていう感じになったんですけど(笑)。
  そういう世界なんです。ああいう人に人生の中でもっと早く出会ってたらすごい違って
  ただろうなって。
  (話は飛び)
  『場の空気を読めよ』ってこれ、とっっても日本人的でしょう?」
植:わかりますよ。一時期KYって言葉も流行りましたよね?
ゆ:「私、この言葉不思議って思ったの。空気を読めよってわかるんだけど、日本人の感覚と
  して和を大事にする日本人の文化としてわかるんだけど、じゃ、個人、個人はどうなるの
  って思うんです。どうなるの?」
植:どうなるの?あぁ、禅問答みたいになって来ましたね(笑)
ゆ:「あっはははは」
植:大丈夫、大丈夫、今のは冗談です(笑)えーと個人個人。
ゆ:「個人ってどんなんですか? 植岡さんにとって」
植:どんなんですか?個人ってどんなんですか? 自分にとって個人とはどんなものですか
  って事ですよね?
ゆ:「はい。私はそれ子供の頃からずっと考えてるんですけど」
名:僕は好きか嫌いか。あと、自由。それだけですかね。
植:好きか嫌いか。自由。それが個人。
名:それが相対する人にとっても、自分にとってもそうだし。それで成り立ってるものかな?
植:僕はなんか、好きとか嫌いとかそういう言葉に置き換わる前の感覚の固まりみたいなもの
  って自分を捉えてますね。それが個人かな。
ゆ:「個人主義って言葉があって、みなさんは違うと思うんですけど、一般的な個人主義の
  イメージは、すごいいいイメージじゃないかもしれないでしょ? もしかして」
名:一般的に使われる文法上では、ですよね?
ゆ:「エゴイストじゃないんだけど、全然。どちらかというとそっちの方向ですよね?」
名:蛸壺みたいな感じですよね?みんなそれぞればらばら。この言葉を使う時は。
ゆ:「使う時はね。ほら、名倉さんはすごい中立の人だから、そうやって使うけれども。
  そうじゃない、すごーく普通の人達が使う場合って言うのは、個人主義っていうのは
  苦手的な言い方でしょ?私がどうして個人の事を子供頃から考えたかというと、例えば
  左利きで、左で物を持っていると、席の位置によって、隣の人に腕が当たるんですよ。
  で、隣の子といつも喧嘩になるのね、腕が当たるから。黒板に字を書くでしょう?
  その時、すごい仲良しの子が左手だからって笑ったんですよ。すごい笑ったのね。
  何かそういうのって、劣等感じゃないですけれども、たったそれだけの事で人と違うみた
  いな、ハンディキャップの人達の気持ちがわかるんですけど、そういうので、人との違い
  ってものをすごくすごく思ったのね。何かにつけ。
  それで旅をする、特に西アフリカなんですけど、やっぱり差別がある訳ですよ。
  肌の色が違う。白が一番、優性であって、黒い人達は劣性。黄色い人もダメなんですよね。  そういう差別主義的な事も自分の経験としてすごく感じるのね。ちっちゃな事なんだけど。  そういう所で、私にとっての個人は、個人主義っていうのは、「すごくあなたを尊敬しま
  すよ、あなたを尊重しますよ」っていう、個人主義なんです。
  で、みんなそれぞれお互いを尊重し合いましょうっていう個人の主義なんです。
  だからその、身勝手な個人主義とは違うんですね。
  それを大人数の前で言った時に、『私は個人主義です』っていうとすごく語弊がある。    色んな考え方の人達がいるのだから。で、質問の中にあるつくる事に繋がって来る話し
  なんですけど、どうしてそれをつくり始めたかっていうのは、ネガティブじゃないんです
  よ。選択して選択して行った結果、これしか残らなかったっていうのがまず一つと、これ
  なら出来るというのが一つあります。
  水の怖い人、海の怖い人が、潜水士になれないのと同じで、苦手なものはみんな敢えて仕事
  にはしない訳で。自分の能力をわかってる訳じゃないの全然。わかってないけれどもそれ
  しかなかったって言うか、楽観的かもしれないけれど、そこの場所にいる事が一番自分の
  ポジションだなっていう」
名:はい。私でいられるって事ですよね?
ゆ:「そう。一番自分的な。そういう場所っていうのにいつ気づいたんだろう?
  ふふふ。そういうのがありますね。
  だから、出来るって核心はないですけど、それでもやっぱりこれしかないんだろうなって
  始めたのはこれかな」
植:それが自分の中で始まったとか、その居場所が自分の中で明確になった瞬間って、すごく
  生き易くなったっていうのはあるんじゃないですかね?
ゆ:「たぶん」
植:僕の場合なんですけど、僕は揺れてる時期が長かったんですけど。
ゆ:「私もだよ」
植:小説を書き始めて、これでやって行こうって思った時に、すごく生きるのが楽になったん
  ですよ。ゆうさんはその辺は?
ゆ:「楽になったってその境はないかもしれない。比較の対象ですよね?
  自分のステージじゃない所にいつもいたんだなって言うのは後になってわかるんだけど、   ここは私のステージじゃない、ここも違う、そういうのがあって、あ!ここだ!っていう
  のを見つけた訳でしょう。楽になったっていう言い方かぁ。うーん。そんなに苦しんだ
  かな私?」
植:自然に流れて行った?
名:流れの中でああじゃないか?こうじゃないか?考えてくうちに、ここだなっていう。
植:辿り着いた?
名:辿り着いたっていうか、そこにいた。チェンジじゃないんじゃない?
植:ああ!チェンジじゃない。
ゆ:「ああ。それはそうなんですよ。私は就職した事ないし。確かにそうなんです。
  でも今から別の仕事をするとなると、すごく方向性考えますね。これ、これ、これって。   今は好きでこれって思ってるからそんな気持ちはないですけど、今から、好きな仕事から
  別の仕事にってなったら、ホントにチェンジですけど。
  好きな事してると、全然、暑くないんですよ。朝涼しいでしょ? で、昼になるにつれて
  だんだん暑くなっていくじゃない。でも入り込んでいるからどの位汗が出てもわからない
  んですよ。それと同じじゃない?どんなに暑くても気が付いてないんですよ。
  あとになって、喉からから、へとへとどうしようっていう感じだけど。
  例えば、人の苦労話を聞きたい御年配の方とか、思いやってそう言うんでしょうけど、    とても大変なご苦労があったんでしょうねって言う人もいるでしょう。世の中には。
  でもホントに好きな事やってるし、全然苦労って思わないでしょう?ホントに好きだっ
  たら」
植:はい。それはわかりますね。書いてる瞬間とか。
ゆ:「そうそう。振り返ってみたら大変な事をしてるかもしれないけど、本人何も思ってない
  と思うんですよ。私思ってなかったもん。
  運が良かっただけですって今はそう思うし、ふふふ。
  つくる事の話しってそれはもうこれだけって言えないですよね?」


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名:じゃ、質問始めます。
ゆ:「始めてください」
名:アトリエ訪問ですけど、これは趣味なので。好きでやってるだけです(笑) なので、
  何かそこに目指すものとかはなくやっています。まず最初にお聞きしたいのが、この場所
  をつくったのはいつ頃ですか?
ゆ:「2001年でした」
植:何月ですか?
ゆ:「春。冬の間につくってねって決めて、一ヶ月でつくって貰って、だから四月にはここに
  入りました」
名:何故この場所を?どういう風に見付けたのですか?
ゆ:「前段階がすごい長いんですけど、日本地図を広げて、上は日立の辺りから」
名:茨城。
ゆ:「太平洋側をすべてトレースして、下の紀伊半島迄。バイクとか車で全部見て。
  何年も掛けて。役場に全部手紙を書いて、空き家とか、今はアーティスト村とかあるけど、
  最終的に静岡が一番住みたかった場所だけど、最後に決まったのがここだった。
  何故私一番に来なかったのかなって思った。自分の中で静岡ってすごくリゾート的な、
  まだ物理的にもお金がなくて高くて住めないわって思っていた所があって。
  で、全部探して、最後の最後に一番住みたい所、ここから5キロ位の山の中に住む事に
  したんですけど。
  その前は愛知県に住んでいて、窯を持って仕事を始めた頃だったんですけどね。
  で、その頃に友達が、ブギーボードやってて、私もサーフボードを譲って貰って、
  サーフィンを始めて。こからだと二時間以上掛かるんですね。
  で、どこで住んでも良いんだっていうのがあって、もっと海の近くに越そうと思って」
名:それでこの場所を見付けて?
ゆ:「最終的には、千葉も候補でいい所があったんですけどね、最後にここだったんですね」植:ここに初めて来られた時ってどんな事を感じられました?
ゆ:「前住んでた山の家に住んでた時、毎日ここにサーフィンに来てたんです。
  とりあえず静岡に住んで、その後海辺に住もうっていうのは最初からあった事だったんです
  けどね。で、山の家って言うのは茶畑の中なんですけど、来た時にここが駐車場になってて
  砂利が敷いてあって、あ!ここ!って思って。バリケードがあって、そこに建設会社の
  名前が入っていて。それがそこのすぐ角だったんですよ。その足で、(タンクトップと
  短パンとビーサン履いて)社長はいつも居ないのに偶然にいて、話しを聞いてくれて、
  『あそこだったら貸してあげるよ、隣の人が持ち主だから話ししてあげるよ』って言って。  そしてここ貸してくださいって言って。
  で、お金がないからまず山の家をなんとかしないといけなくなって、山の家を買ってくれ
  る人がいたもんですから、こっちに越すことが出来たんですよね。
  とても大変な色々な事がありましたけど。
  まず静岡にじわじわと近付いて来て、今はもっと崖の端にある様な場所に住みたいっていう
  イメージがあるんですけど」
名:今の工房と住居はセルフビルドですか?
ゆ:「そうですね。外側は建てて貰って、中をいじっただけなんですど、床張って、天井張っ
  て、壁張ってっていう」
名:その後、暮らしながら付け足していったり。
ゆ:「はい」


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名:では次行きます。生活と制作の場が同じところにありますが、普段の一日の流れを教えて
  ください。
ゆ:「四季によってそれは違うんですけど。外が明るいか暗いかによって起きる時間も変わっ
  て来ます。冬は六時過ぎだもんね、明るくなるの」
名:そうですね。
ゆ:「夏は明るくなるの、四時ちょっと過ぎ位かな?薄明かりの頃に丁度いい感じでさーっと
  目が覚めて。先週、七月の前半位に、ずっといいタイミングで、四時二分位とか、
  ほわーって目が覚めるんですよ。いい感じで目覚めてました」
名:朝起きてその後は?
ゆ:「夏だったら海に行きますけど、今は鰐日記(わにっき)というのを書いているので、
  それを書いて。珈琲を二杯飲んで、庭の手入れをして、草がすごいんですよ夏は。だから
  それを取って。黒苺が出るんで、毎日少しずつ採って、オクラさんが実ったかなって、
  オクラさんを採って、それでその後、そのまま仕事に突入しますね。午前中、中が暑く
  なるんで、午前が勝負ですね」
名:早い時間帯が勝負。
ゆ:「時々、過ぎてやってる時もありますけど」
名:そういう時は喉がカラカラになって気付く(笑)
ゆ:「40何度だって言っても、へーっとかって言うんだけどみんな、想像がなかなか付き
  難いでしょう?」
名:そうですね。想像は付き難いけど、冗談じゃないなって思う(笑)
ゆ:「あのね、感じとしてはね、私よく旅の時に思うんだけど、『あの状況と同じ』っていう
  のはわかりますね。あそこの村を歩いている午後一時位の感じと同じだなーって。
  地上10センチ位を、地面に足を付けず歩いてる感じ」
名:わからない(笑)
植:熱気でって事ですよね?
ゆ:「うん。もう頭がボーっとしてるんですよね、きっと」
植:ぼあーん、ぼあーんって感じですかね?
ゆ:「そう。現実感がないんですよ。地面を踏んでるっていう。ふわーんっていう。
  空中移動みたいな。飛ぶ夢はよく見るんですけどね。それにも近いかな?
  夢覚えてます?」
名:夢、僕は覚えてないですね。
ゆ:「朝起きるとぱっと、あれしなきゃって思うんでしょうね」
名:ぱっと起きた瞬間、ぱっと動きますね。
ゆ:「動く、でしょう。だから瞬間に忘れちゃうんです。そういう時はやっぱり覚えてないん
  ですよ。明日の朝これやらなきゃって時は、忘れますね。昼間、気の抜けた時に一瞬だけ
  かすめるんですよ。その夢が。というので一瞬思い出す事がある。そういう時、すごく
  いい状況。自分の中で。とっても自分的に生きてる時間の流れだと、一日五つは気付くん
  だそうです。何かに」
名:何かに気づくって意味は、ああ、そうか、って意味ですよね。
ゆ:「そういう気づきがあるんだけど、夢を覚えてるって事もとってもいい状況」
植:気づきのひとつの様なものに数えられるって事ですよね?
ゆ:「どっちが現実かっていうのは、もうどっちでもいいんですよ。
  夢の中だってちゃんと自分なんだから。夢の中で続編があるんですよね。
  昨日見た夢の続きがあったりする。街があるでしょ?ちゃんと」
植:あります僕も。
ゆ:「そういう続きもあるから、どっちも自分だと思っているから、すごく二つ人生があって
  とってもいい感じがする。それで、ここで手仕事はするんですよ、風に吹かれて。
  割とどこにでも自分の場所をつくれます。それは、一ヶ月の旅だとしたら、最終地点は
  ここ迄行こうかなって決めます。その道中何も考えてないし、行きと帰りのチケットしか
  持ってないので、それはどうにでもなるでしょう?どういうルートでも行けるし。
  とりあえず、ここにしようかなっていうのがあるから、どこに寝るってのも決まってない
  です。バス停とか乗合タクシー場のそういう場所の隅とか、割とここって決めたら自分の
  世界になっちゃう。
植:自分の場所になるんですね。
ゆ:「そう。ここも大事なとてもいい場所ですね。スペシャル空間ですね」
名:自分の居場所をつくるってすごく大事ですよね?僕もそれ意識しますよ、どこに行っても。ゆ:「で、ここで手仕事して、海に行くか、ほぼ毎日プールに行ってるんですけど、夏休みは
  子供達でプールが一杯なんで、殆どこっちで泳ぎます。夕方は、夏は本当に良く本が
  読めます。他の季節よりも一番いいかな。で、暗くなる位迄ここにいて、食事はお腹が
  空いた時しか食べないので、泳いで帰って来て、早目に夕方位から食べて。
  無理に窯を焚いたりしないんですよね。もちろん展示会の前だと、ぎゅうぎゅうしたりは
  するけど、それ程に寝る間を惜しんではしないけもしれない」
名:常にやらなきゃやらなきゃって事はない?
ゆ:「そうですね。絵を描いてるでしょう?だからとってもいいバランスなんですよね。
  例えば、土の仕事だと立体ですし、絵は平面でしょう?このバランス、まず、いいですよ
  ね。土を乾かす間にちょっと絵を描くって事もいい。冬なんか特にいい。あと、土の色
  なんですけど、焼き上がった時白か黒のモノクロなんですね、色んな色はあんまり付け
  ないですね。絵は描くかもしれないけれど、色は割とモノトーンかな。
  土の仕事と、絵を描くことはすごく大事な事かな。それは、暮らしてく中で一つの
  キーワードみたい、バランスっていう言葉が。どっちにしろ、一人で仕事して一人で完結
  する訳でしょう。例えばデザイナーの仕事みたいに誰かと関わらないで、最後まで自分
  一人でやるので。一人で暮らしてるというと、割といくらでも偏る事が出来るでしょう?
  究極、ぐっーと偏ってもいいじゃないですか?それでやっていけるんだったら。
  自分の心地いい人達ばかりで、会話したりとか、集まったりとかっていうものそうなん
  だけど、無理に気の合わない人といる必要もない訳なんですけど、自分との違いを知るっ
  て意味では、自分と違うジャンルの人と話しをするってめちゃくちゃ楽しくないですか?
  楽しくない?」
植:楽しいですね。
ゆ:「たまにでいいんですけどね、ストレス溜まるから(笑)。
  例えばトライアスロンの仲間達とかたまに話したりするんだけど、今まで団体とか、
  そういう所に所属するとかすごく自分では好きじゃなくてやってないので、初めてここに
  来てトライアスロンのクラブなんですけど、クラブっていっても何の規制もない名前だけ
  なんですけどね。そういうので知り合って、色んなジャンルの人達がいるでしょう?
  それは結構面白かったかな。比重としてはおじさん達とか多いですから。時々野獣に
  なっていいですけどね(笑)」
名:野獣なんですか(笑)
ゆ:「野獣ですね(笑)」
名:どういう風に野獣なんですか?
ゆ:「だって彼等ってのは競技としてやる訳ですよ。
  私のトライアスロンはあくまで私の個人だけですから。
  スイムがあがってから次はバイクですから、最後のランの時に私はパフォーマンスがしたく
  てやるんですよ。それがしたいからやるんですけどね。それが出来ない時は行かないんです
  けどね。最後のランの時に日焼け止めを塗って、アパッチして、かぶりものをして走るんで
  すけど、カメラを持って走るのね。各ポイントにスタッフの人が立ってて、その人達に
  カメラ渡して、写真撮って貰うの。コースを少しバックして。走ってる所を撮って貰うの。
  いっぱい。そうしてずっと行くんですよ。制限時間が三時間半から四時間だとしたら、
  その一杯を使いたい訳。ラストランナーを目指して。後ろに人がいたら、先に行かせる
  くらい。私が最後なんだからって(笑)」
名:トライアスロンってそういう精神ですよね?最後の人を讃えるというか。
ゆ:「そんな精神だっけ? 知らないけど。私は制限時間一杯なんだけど、野獣の人達は、
  競い合うのも自分の能力を高める為なんで。仲間同士で、自分の方が速かったらビールを
  二本とか、そうやって競争するのが好きな人がいるんですね。子供に「勝(まさる)」
  っていう名前を付ける様な人で(笑)。
  ある時、行ったらマーシャルが名前を覚えていて、
  『ゆうさん、今度あんな事したら退場だよ!失格だよ!』
  っていきなり言われて。そういうのをふざけてると思うんですよね。
  でも、トライアスロンって最初始めたのって、各それぞれのアスリートが、スイマーと
  バイクの人とランナーが、一緒にやったらどう?って言って始まったって聞いたんですけ   ど、そういう元々のノリなんですよね。楽しむ為のものじゃないですか、あれって。     で、日本人はとても真面目な人達なので、選手の為の大会みたいになって来ちゃって。
  で、どんどんやらなくなっちゃったんです。面白くないから。
  そういう色んな職種の人達が集まる所でたまに話しするのもすごいいいですよね。
  やっぱり御年配の人達も多くて、ものすごく超ポジティブなんですよね。
  歯を折ったり指をなくしたりとか。全然めげない人達です。可笑しいの。
  それは、何が起こっても悲壮感ゼロですよね。大丈夫かなって(笑)。
  そういう人達の話しを聞けるのはすごい面白い」
名:毎日の生活の中でそういう時間っていうのは、ものすごく意識する訳じゃないけど、
  自分の中で楽しい位置というか、自分の時間もありつつも自分とは違う人達との対話。
ゆ:「うん。たまにだったらいいと思います。それは自分の入りこみやすい所から、ちょっと
  引っ張り出してくれる事においては。それが私の中でのバランスにもなる訳で、すごく
  必要かもしれない。究極行っちゃいますよね、こんな好きな事ばっかりやってたら。
  例えば八百屋さんだったら、市場に行ったら色んな人のやり取りとかあるでしょ?
  そういうのがひとつもないから。」
名:そう考えたら僕の場合、職場では常に人とのやり取り、相対しかないですけど、職場から
  離れて帰って来ると、それが全くないですね。人との会話を求め探したりもしないし。
  僕にとって今の職場にいながら別に好きなようにやるのは凄くいいバランスがいいですね。
ゆ:「あえて、人とおしゃべりしたくて、人を求めていくのは皆無かもしれない」
名:そう。だから、付き合いのために何かをする事もないなーって。
ゆ:「孤独こそが最大の友っていいますものね。それはすごいわかりますよね」
名:そういう時間がないと人の事もわからないと思いますよね。
ゆ:「それはきっと多分、一杯人と関わってる人なんかはそうだと思います」

名:全然話変わるんですけど、ここの夏の時間もいいですけど、冬の時間も気になるんですよ。
ゆ:「ここ?」
名:いいだろうなって。当然寒いでしょうけど。
ゆ:「朝、寒い時に、キーンって耳が千切れそうな時に走るの大好き。朝、寒い時に走る事は
  しています。とってもエコロジーでいいと思う。身体の中から温まって」
名:住まいが、ゆうさんの所って天井が高いじゃないですか?冬はあの中で寒気を蓄えてると
  いうか、あると思うんですよね。それが却って広いから、その寒さが気持ちいいだろうな
  って感触があそこにいてありますけどね。暑い時は暑いし、寒い時は寒い。
ゆ:「道路の向こうに住んでる人の所は全然凍らないんですけど、うち凍りますよ。
  水瓶張ってあるから、風で凍るんですよね。『えー! ここが凍るの!?』ってみんな
  びっくりするけど。ここはとにかく寒い事は寒いんですけど、浜を歩くでしょう? 
  冬の寒い時なんかは。良く歩くんですよ。夏よりも歩くかもしれないんですけど。
  気持ちいいんですよ、そのキーンとした感じが。  ただ風の日なんて、砂がバシバシに
  当たって、全身にバシバシ当たって、全然目なんか開いてられない。寒いは寒いんですけ   ど、ちょっと寒さプラス激しさがあるでしょ?
名:海風がありますもんね。
ゆ:「激しいですよね。穏やかな日もあるけどだいたい風が強いから」


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名:では次いきます。普段、制作をしている時に、どんな事を考えますか?
  例えばゆうさんの場合だと、絵であったり、器であったりそれぞれ違うと思うんですけど、
  その辺りはどうでしょうか?
ゆ:「つくって入ってしまったらもう考えないです。つくってる時?」
名:制作している時。
ゆ:「考えてないです」
名:何も?
ゆ:「うーん、ただこの形がいいかな悪いかなって、心地良い形かな?気持ち悪くないかな?
  って。それしか考えてないです。絵だってそうですよね。何にも考えてないですよ。
  入っちゃったらね。だから喉渇いたのもわからないし、終わって一時間位経って初めて
  『お腹が空いてたんだぁ』って思うし。考えてます?何か?例えば仕事をやってる時?
名:他の事を思い付くとかはありますよ。まったく目の前に関係しないことを。
  でもそれは考えてるとは全然違うから。
ゆ:「考えたらね、手が止まるんじゃないかな?」
名:うん。
植:僕の小説とかの場合は、流れです。次に連鎖させていく感じです。それは自然な連鎖で、
  考えてるとはまた違うのかなぁー。でも、一旦書き終わった後に構成し直す時には考え
  ますけど、一発目、入っている時にはあまり考えてるという言葉とは当てはまらない
  気がしますね。
ゆ:「だから時間の経過がないんですよね?時間が止まるってそういう事でしょう?忙しい時
  ほど、時間が早かったって思うんですよね。不思議な事に。ホントに自分が満たされて
  ハマってつくってる時って、ここ12時と4時と5時とサイレンが鳴るんですよ。
  で、夕方にサイレンが鳴った時に『あれ?お昼かな』って思ったんですよ。
  時間の流れが止まるって事は正しくその事なんですね。そういうのがあるから、あとに
  なって、『あ、早かったな』っていうのは言葉であって、自分の中では止まってるから
  すごい長いんですよね。つくってる間の時間っていうのは、停止した時間ですよ。
  停止してませんか?
植:停止というか、時間の概念のない世界で書いてる。
ゆ:「そうですね。概念はないですね。そうなるとね、夜見る夢の中もね、時間はない訳です
  よね?その辺で、夜見る夢と現実とは似てるなって思うんですよ。つくってる時って時間
  止まってるし」
植:僕もそれは思います。
ゆ:「あとになって、もうこんな時間とは思うけども、ものすごくぎゅーとした時間というの
  は感じますけど」

名:例えば、スランプみたいのってあるんですか?手が動かないとか?
ゆ:「それはね、書かなきゃいけないとか、じゃないですか?しなければならないと思ったら
  スランプじないですか?そうすると無理にやっているって事だから、それいくらやったって
  ものを書くにしたって、絵でもいいけど、エッセイでもいいけど、あとで絶対に気に入らな
  いんですよ。気に入った試しがないから、どうせこれ後で書き直すんだからって事で。    最近は学習しましたので(笑)やらないですね。だからスランプがないって言い方は
  ちょっと違うかもしれないけれども、スランプになりそうな時には最初からしないですよ
  ね。時間を置きますよね」
名:スランプを寄せ付けない、ですよね。
ゆ:「寄せ付けないっていうか、学んでる、学習したかな。距離を置くって事はあるの。
  つくってる時に何も考えないっていうのはあるんだけど、ちょっと離れてみるって事は
  とても大事な事。例えば夜仕事をしないっていうのもそれなんですね。
  電気を点けて仕事はしないんですね。何故かというと、例えば立体の物は影が出来るから。  あちこち電気点ければ影は出来ないかもしれないけれど、それはとっても不自然な事で
  あって。影が出来るとまず、手の動かし方が変わって来ます。そういう時には雨だったり
  曇りだったりとか、そういう時はしないことにしています。一年間にあまり出来なくなっ
  ちゃうのだけど(笑)
  で、距離を置くっていうのは、例えば夜書いたものとか、朝起きて読むと気に入らないん
  ですよね。エッセイとか。だから、ものを書くにしても、朝はやっぱりいいかな。絵はね、
  昼間に描いても、全部が気に入らない訳じゃない。どこか一部分が気に入らない、どこが
  違うのか、どこが自分にしっくり来ないのかわからないから、とりあえず消さないで置い
  ておこうって一週間位ほっておくんですよ。大きな絵だったりすると、アトリエの部屋の
  中から見える場所に置いておく。で、必ず出入りするからそこら中に置いておくんです。
  絶対目の端にちらっと入るんですね。ずっーとどこか引っかかる場所があって、『あそこ
  だ!』ってわかるんです。そこを他の色に変えてみたりして。そうするとすごくしっくり
  する。そういうやり方はします。どこが自分に違うのかはわかないので、距離と時間を
  掛けて作品をみるというのは
  あります」
名:寝かしておくって感じですか?
ゆ:「そうですね。発酵させておくって感じかな」
 
 
ここで一時休憩。
ゆうさんが一旦家に戻り、飲み物の補充と深い黄色をした南瓜のケーキを差し入れてくれまし
た。ゆうさん曰く、このケーキは南瓜しか材料に使ってないとの事。その風味たっぷりの南瓜の
ケーキを頂きながら、かたやユキくんは、『海にはこれ!』という訳で持参した小豆色のウクレ
レを鳴らし、みんなの笑みを誘いました。特にゆうさんは盛り上がり、「小学校の頃、親にウク
レレ買ってって5000回位言って、買って貰ったのに全然弾かなかったの〜(笑)」と思い出
話しを語ってくれました。そしてユキくんに、「あれ弾ける?これ弾ける?」とリクエストの嵐。しかしユキくんは、残念ながらどの曲も知らず、「自分の曲です」と言って、その曲をポロ
ンポロンと奏でてくれたのでした。
松林を爽やかな風が抜けていき、ウクレレの音色がその風に遊ばれます。
 
 
そしてここからアトリエ訪問インタビュー、後半に入っていきます。
 
 
名:目の前にある海はどうゆう存在ですか?
ゆ:「やらしい(笑)」
名:やらしいですね。こういうの字にすると本当にやらしいんですよね。
ゆ:「そう。鰐はゆうさんにとってどういう存在ですか?と同じですけどね(笑)
  例えば部屋の中でぐーっと考え込んじゃう時っていうのは、絶対ここに来ると
  『ま、いっかー』って。思わない?思うでしょ?こう、わーっと広い所に来た時に。
  今まで心の中で考えてて、いきなりわーって開けた時に、ま、いっかーって思わないです
  かね?私思うんですよ」
植:僕の場合は、家を出て散歩して、少し先に雑木林の開けた場所があるんですよ、そこに
  行くと、そういう感じになる事が多いですね。それはゆうさんの言う海に近いかもしれ
  ませんね。
ゆ:「つくってるとパターン化して来ますよね?器に限っていうんだったら、窪みがあるもの、
  真っ平らでもいいですけど、ある程度の限定が出来てる訳でしょう?何かを乗せる、盛る
  っていう。(海が)一回として同じ波はないんだからと考える時に、自分の器はこうある
  べきだっていう枠が外れていくんですよ。
  すべて枠外しの達人ですよね。このヒトは(注、海)(笑)
  そう、余りにも偉大過ぎて、何もかも許容してくれながらも、でも絶えず私は畏怖する
  部分があって、例えば海に行って、いい波だと思っても全然波に乗れなかった場合、
  『すいません申し訳ありませんでした』って帰って来て、という事はありますよね。
  例えば、私は乗れないんですけど、ばんばん波に乗れて、波なんかこっちで抑えてやるって
  時には、思いっ切りやられる訳でしょ?巻かれちゃったりするんですよね。しっぺ返しなん
  ですよね。恐れ入りました、出直して来ますって感じで。
  そういう意味ではものすごく気づきの原点ですね、ここは。
  かといってものすごくこの人(注、海)が偉い訳じゃなくって、本当に対等っていうとおこが
  ましいんだけど、普段っていうのは何気ない顔をしているじゃないですか?偉ぶる訳でも
  なくってそのまんまなんです。
  海の沖近くにテトラのブロックがあるでしょう?そのブロックが七つくらい、向こうまで
  水平にあるんですね。で、須々木っていう場所まで車で行って、テトラの一番端迄斜めに
  泳いで行って、あそこの相良まで泳いで行って、テトラをよじ登って、飛び込んで戻って
  来るっていうのは、ふた夏やってたんですね。毎日。でも、どうにもならない日があるん
  ですよね。もう今日はダメだって言って戻って来る、そういうあなどれない面もたくさん
  あって、それは引き返すしかないんですね。行きたくてしょうがないけども、今日はやめ
  ときましょう」
植:その話し、ゆうさんにメールで送って貰ったエッセイにあって、引き返すのも勇気、引き
  返す事が勇気って書いてありましたね。
ゆ:「そうか、勇気でしたか。でも普通の言葉ですね(笑)」
植:いえいえいえ。
ゆ:「名倉さんも両方ともでしょうけど、海か山かって言ったらどっちが心地良い?」
名:心地良い場所?
ゆ:「例えばどっちもいいですよね?
  半年間ここにずっと居なさいって言ったらどっちにする?」
名:うーん。それはすごく難しいですね。
ゆ:「じゃ、どっちもいいんだ(笑)私も多分そうだけど、旅に出たらそこで自分の場所が
  出来ちゃうからそれはそうなんですけど」
名:心地良さじゃない色々な事を含めると、海の方がいいですかね。
  海には波の音があるじゃないですか見なくても波の音は聴こえてくるし、音を感じる事も
  あるし、見てると途方もないから。
ゆ:「そうそう。動ですよね。本当にずっと動いてるからね。冬の朝なんかは耳がキーンって
  する位静かなの。波が聴こえない日っていうのは。それはそれですごいいいですよ。
  山に行ったらきっともっと色々あるんでしょうね。今は目の前に比較の対象があるから」
ユ:あ、近くにいる。近くで鳴いてる。(蝉の音)
ゆ:「朝だいたい明るくなると家の横の松林がすごいの。ミーンってとんでもなくすごい音が
  します。その位のポロンポロンだとカリンバみたいだね。
  (ユキくんがウクレレを弾いている)ちっちゃくポロンっていうと」
ユ:海用の一番安い(笑)
ゆ:「本当に波とあってるね」




名:では次行きます。さっきもやらしいって言われましたが、やらしい聞き方ですけど、
  ゆうさんにとって旅の位置付け、単純に好きじゃないですか?
ゆ:「まず形としては一人旅。もちろん二人でもいいけど、それ以上多くなくてもいいなって
  私は思うんですけど。スキューバするのと同じでバディ組むんだったら一番いいのが夫婦
  で、その次が恋人って言う位。やっぱり二人旅だったらそういう関係だったらすごくいい
  かも知れない。自分的には一人がいいかな。好みとして。位置付けとしては、遠くへ行けば
  行く程、戻る場所の事を『あ、あそこなんだ。しかも私は日本人なんだ。なんで日本人に
  生まれちゃったんだろう』って思う事がある。ここにいて考えた事ある?なんで日本人なん
  だろうって?私一度もないんですけど。
植:ない……。(ひと呼吸おき考える)
名:考えるものじゃないよ。ないんでしょ?
ゆ:一応出掛ける時は家の中をすごくきれいにして、帰って来れなくてもいい様にしてあるん
  ですよ。なくてもいいようにっていうか、これなかった場合っていう事なんですけどね。   行く場所が行く場所だから、何が起こってもいいっていう感じで、例えば世界中どこに
  いたって同じ事ですよね?出掛ける前迄っていうのは、全く知らない場所に行く場合、
  だいたいリピートするでしょう。初めて行く場所っていうのは、多少ナーバスにもなるし、
  やめようかなって思う事もあるの。でも五分位経って『やっぱり行こう』って。六分位
  経って、『もうやめようかな』って。それ、一週間とかだったらそんな風に思わないし、
  早く行きたいし。でもそれが一ヶ月から三ヶ月のスパンになると、それは思います。
  例えば目的地の一番最後の所に長くいる。 あとはもう帰るだけ。そうすると、その時に
  一番、『どうして私は日本に生まれたんだろう』っていうのをすごく思う。あの人達は
  どうしてここで生まれたんだろう。じゃ私はどうして?戻る場所の確認って事でもないん
  だけど。作品を時間掛けて見るのと同じで、自分はここなんだけれども離れて自分を見る、
  かな?」
名:作品を寝かしてみるのと同じ感覚で、自分をちょっと離れた所から見る感覚で、改めて
  自分が戻る場所を確認したりとか。
ゆ:「自分のやってること、何もかもすべて」
名:そうすると逆に、帰って来た時に、行った所の事を思い返すって事もありますよね?
ゆ:「結構しばらくの間、美味しいチョコレートは冷蔵庫にあるぞって感じで、ずっーとちび
  ちびちびちび食べてます。思い返す事はあります。当分の間、その頭になってて欲しい
  感じです。三ヶ月あっても機内持ち込みの荷物なんですよ。たくさんは持っていかないの。
  大事なのはガスコンロなんですよ。ガスコンロ。鍋。お茶碗一個。その三点セットはもう
  絶対必要。水のない所でも五分ボイルして冷ませば飲めるでしょ? 水がもしくは毎日
  手に入らなかった場合。あとは着る物は向こうで調達するし。なんで鍋釜を持って行くか
  というと、まず知らない土地の野菜をすごく食べたいの。生で食べれるんだったらまだ
  いいけど、どっちにしろ、生よりも一応火を通して、市場見に行くのがすごく好きだから、
  市場で買ってきた物を料理したいんです。そうするとね、時々、じゃあ旅をしなくても家
  でやってるのと同じじゃんって思うんですけど。ただ聴こえてくる音とか違うでしょ?
  空気も、匂いも全部違う。
  すごい不思議なのが、水平線が大好きで、地平線が大好きで、水平線と地平線って同じ
  感じでしょう?で、なんで地平線だらけの砂漠にいくのかっていうのが不思議な所。
  ここに住んでるんだから、ちょっと行くにはエキサイティングで先進国はいいかもしれない
  けど。先進国こそ、敢えて別に。日本だっていいレベルなので敢えて行く必要はないかなっ
  て。今のこの暮らしとギャップが大きい程、いいなと思う。ギャップが大きいっていうの
  は、自然はここと同じ自然ですよね? 地平線と水平線の違いで。ただ今この時点では
  コンピューターも使えるし、電気も点きます、水道もひねれば出ます、という状況でしょ
  う?そうじゃない所なんですよ、私が行く所は。水も一日掛かって汲みに行くっていう
  遊牧民の人の暮らしとか、そういう感じなので、自分が帰って来ると、そっーと水道を
  ひねるとざーってお湯なんか出たりするじゃないですか!(笑)それがすごい感激!
  サハラの近い人の家も、温度差が激しいので、朝は10度とか位で、日中は5,60度位
  でしょう?一日の内で4,50度の違いがあって、朝寒いけれども、シャワーとかしたい
  んだけれども、お湯がない訳ですよ。どこの宿もお湯はないのね。私が泊まる様な所は。
  水なんですよ。そういうギャップのある所に行きたいかな?リスクはもちろんどこの旅に
  だってありますよね?例えばうちに来るカップルが『こういう暮らししたいんですけど』
  っていう熱烈な人達っていうか、話ししてて『じゃぁこの辺探したらどうですか?』って
  『私も全然知り合いいないけど、なんとかここで住んでます』って言って。 
  で、最後の帰り際の時に、『これ津波なんかは大丈夫ですかね』って。
  それ、去年よりもずっと前の話しだよ、そう言うから。
名:そりゃあ来る時は来ますよって事ですね。
ゆ:「ね。海に、もしくは水辺に住みたいんだったら、そのリスクは受けるべきであって、
  いいとこ取りは無理ですよね。怖いから住みたいけど住めないとか。例えば高台に家の
  ある人だって、時たまその時に海に入ってたらということもあるでしょ。心配事の99%
  は、無意味だと思っているのね。心配性の人を見たりすると思いますけどね。
 
ゆ:「旅は、何ですか?」
名:僕ですか?
ゆ:「じゃぁどういう時に旅がしたいと思う?仕事忙しいけど急に旅に出たくなっちゃったー
  みたいな」
名:そういう感覚はないかな。リセットしたいって感覚はないから。
ゆ:「そうかぁー。そのリセットって誰かからも聞いたんだけどね、リセットって言葉も私も
  不思議に思うかな。時々」
植:わかりますよ。僕が旅に出たい時っていうのは、恋をしてて、片想いで。
ゆ:「あー」
植:行き場がなくて、その気持ちを抱えて、それを道に変えて行くとか。そういう旅とかです
  かね(笑)その時によく一人旅をしてました。今ちょっとかっこよく言いましたけど(笑)
名:かっこいい!?女々しいんじゃないの(笑)誘えばいいじゃん!
植:誘えないから一人旅じゃん(笑)
ゆ:「誘いたいけれども、誘えないって事ね。あーそういう事かぁー。誘いたいけども、
  かぁー」
植:いや、誘いたいとも思ってないかな?やっぱり(笑)すごい距離があるから。その子とは。
ユ:で、どうするの?
植:一人旅して、色んな風景の中に入って、気持ちが別の物に変わるじゃないですか?
  映像に変わる。景色に変わる。そういう物によって癒されるというか。昇華されるという
  か。また帰って来て悶々とした気持ちも抱えるんですけど、その時は癒されているって
  いう。
ゆ:「片恋の時は、旅に出たいと思うかなー。そんな仲良しだったら二人で行くと思うけど」植:それはまぁ、以前そんな旅があったって話しですけど。でも僕もリセットとかではなくて、
  日常の延長上に旅があると思っていて。
ゆ:「敢えてそれを求めるとしたら、こんなに長く同じ町内に住んでるのに、一回も通った事
  のない道っていうのはすごい旅だよね? 今、朝市は自転車で行ったりしてるから、
  自転車で五分から十分位の所に小道があるのね。ホントに狭い道で。 毎回違う道をこっか
  ら行けるかなって、そうやって走ってる。夏は気持ちがいいから、それはとってもいい。   今日初めての事だ。
  そうだ!旅はね、全部が全部何もかも初めてでしょう?
  普段の生活は一日一個初めての事があればって思ってるの。
  初めてやった事とか、初めて見た事とかなんでもいいんだけど。
  それが旅では連続じゃないですか?全て何もかも全部!一日が!
  それが最高かも知れない。それが一番行きたい必要とする事かな?
  なんで旅が面白いの?って言ったら全部初めての事だからって言えるかな。
  そう思うとすごいワクワクしてくるでしょう?
  全部初めての一瞬一瞬、全部初めての事を一ヶ月もするとなると、例えばここに居る時
  だったら、割と目を瞑ってじゃないけど、何にも考えてなくてもここに歩いて来れるじゃ
  ないですか?車に乗ってても考えてなくてもこっちに曲がっちゃうし。そういう事は
  (旅では)在り得ないですよね?
  とにかく脳みそがフル回転してる。それがすごいいいかも。
  人に伝えるって事もそうだけど、単語のひとつが出てこなかった場合も脳みそがグルグル
  回ってて。特にあの辺の国の人達は、時間が有り余ってるから、人を見ればつかまえて、
  話しをしたがるから、そんなんで市場に行きたかったんだけど、途中でつかまっちゃって、
  ずっと話込んで、『あ、市場閉まっちゃったよ』っていう状況とか。
  もうあの人につかまらない様にこっちから行こうとか、そのぐらいみんな話しがしたくて
  しょうがないから。とにかく、毎回毎回毎回、気づきがある訳ですよ。言葉ひとつに
  したって、初めて会った人と話しをすると、時々意味のわからない事があったりする
  でしょう? それがもう一回出てきたりすると、これはこの人のクセなんだ、こういう
  言葉をこういうシチュエーションで使う人なんだってやっとわかったって思ったら、
  すごく話が伝わりやすくなった、繋がりやすくなった。
  ですから、異国にいて異国の言葉を話す事にしたって、さっきはあんなに話しが通じたの
  に、どうして今回は話しが通じないんだろうって。それはその人のクセなんですよね。    よく聞いてみると、私達が『そうだろう』とか『な?』とかただそれだけの事なんだけど、  その言葉がとてもわかり難く、わからなくなっちゃって。
  この人のクセなんだってわかると、話すのが下手とかじゃなくて。相手の言葉をつかまえ
  て、同じ様に言葉を使うと、とっても距離は縮まるわね。
  その土地ではそういう言葉の使い方がされていてるんだとか、なかなかそういう意味での
  気づきもあるし、コミュニケーションの気づきもあるし、村に入るとなんか独特の匂いが
  する。本当に実際の嗅覚としての匂いと雰囲気としての匂いとあるんですけど。
  だからフル回転、全身の細胞が全部使われてる、どくどく活性している感じがするわね」

名:それだと旅でそういう事を求めているというよりも、日常生活の中でそういう事を意識して
  いる事の方が多いですかね。例えば、考えなくてもここを曲がるとか、目を瞑っても何かが
  出来るとか、それって人間の当たり前の行動だけど、それが当たり前になっていく事への
  疑問ってすごくあるんですよね。
ゆ:「思考する人ですね。名倉さんは。哲学する人ですね」
名:わかんないですけど…形骸化することにすごく嫌悪を覚えるというか、当たり前の事って
  確かにそれはその通りなんだけど、あれ?なんでだろう?って思わずにはいられない。
ゆ:「あるある。私も質問しまくりで嫌われる事があります」
名:逆に日常生活は無意識で出来る事がいいんですけど、それが仕事とか自分が好きでやってる
  事に対しては絶対嫌というか、そうなれば自分で壊すというのは常にあって、これはこう
  いうものだけど、今はこういうものなんだよ、でも次の時はそうじゃないかもしれない。   その『かもしれない』って所は常に意識していたいというか。そこを見ないというそんな
  退屈な事はないというか。やる気が起きないし、つまらない。
ゆ:「当たり前なのに、当たり前である事がなんでだろう?それは答えは出ないんですよね。
  ただ思考するんですよね。思考する事が大事で、答えを出す事が大事じゃない」
名:旅とは違うんですけど、何で仕事しているかというと、そういう所が楽しいから。
  それが面白いって思えない仕事だったらやらない。絶対やらなければならないと思えない
  からね。やっぱり仕事って色んな人と集まってやるから、ルールがあるじゃないですか?
  そのルールっていうのが確かなものかもしれないけれど、でも、そうじゃない事も有り
  得るよね?って思うんですよ。変える必要あるなら自分らで変えるって。
ゆ:「そう。他者がいるから、その疑問ていうのは絶えずあるのだと思う。自分の個があれば
  あるほど、自分の個という存在をわかってればわかってるほど、他者に対してその疑問は
  起こると思う。そういった意味では私のこのシチュエーションで、比較の対象(他者)って
  のが普段日常的にはないから、どこかに行ったりすればあるよ、でもそういうのがないか
  ら。いい意味で言ったら超個性的になってるかもしれないけれど、日本社会に対しての
  適応性には欠けるかもしれない。


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名:次の質問なんですけど、コミュニケーション、ゆうさんにとって会話ってどういうもの
  ですかね?
ゆ:「うーん、それは『楽しむ事とはどういう事』とか?」
名:そうですね。
ゆ:「会話?会話をしたいとか?」
名:色々ですね。
ゆ:「色んな事を含めて?」
名:色んな事を含めて。
ゆ:「すごく会話をしたい時はあんまりないんですよ。以前、撮影の時に、動画っていうから、
  私しゃべるのダメですからって言って、普段一人だし、もう声帯枯れますから、退化して
  ますから、って。そうしたら『でも独り言は言うでしょ』って。
  『言いませんよ独り言なんか!』って私言ったの。
  ホントに言わないんだもん、独り言なんて。
  でも多分、心の中で(沢山)話ししてると思うのね。口には出さないんですよ。
  そういうので、会話をすごく必要とはしてない。ここに自分のつくるものがあるから。    これは自分の投影であって、自分と話ししてるのかもしれないし。
  で、会話よりは対話ですね、どっちかっていうと。根本的に何か軸として同じ様な人だった
  ら話しはいいかもしれないけど。ものすごくとんでもなく離れていない限りは、その互いの
  違いを話すっていうのはいいかな。もちろん日常的に他愛ないおしゃべりは力の抜けたその
  状態の中から、何か気づけることはいいかもしれないけれど。
  よりよいものとしては対話であって、投げた事に対して受け取るって事をして、投げた事
  に対して相手から戻って来る事を私が受け止めて考えたいって事はあるよね?そういう
  おしゃべりは好きかな」
名:会話じゃなくやっぱりそれは対話ですね。
ゆ:「すごい仲良しな人達でいませんか?一年も二年も会ってなくても、魂レベルでって
  言い方はあれですけど、そうやってすぐ話しが出来る人っているでしょう?」
名:そうですね。そういう人しか周りにいないですね(笑)
ゆ:「そうじゃない、私なんかは近所に色んな人がいるんで、そういう(深い話ができる)人が
  いる傍ら、そうじゃない人達もいる。そうすると、とってもいい感じのこの人はどこから
  話しをしていけばいいのか?って段階、ステップですけれども、別にそれがかったるいっ
  て意味じゃないですけどね。例えば今の話しみたいに、私おかしかったっけ?の確認とか、
  そういう些細な事でおしゃべりとかはしてもいいかなって思うけど。
  旅をしてて思うのは、ニュージーランドから、私は日本から。(出会った人がいる)
  ここを求めて来るからある程度の部分では近いんですよ。
  そうするといきなり魂レベルで話しが出来るの。
  それは向こうで出会う人の醍醐味かもしれない。おもしろいかなぁ、それ」
名:逆に言うと、僕は他愛のない会話というか、世間話?そういうのがいまいち出来ないと
  いうか、苦手というか、そういうのでいったりきたりが出来ないんですね。全部が全部
  じゃないですけど。
植:テレビ観てどうこうだったとか?
名:そう。
ゆ:「テレビ観る人いないでしょう?」
名:いませんね。テレビ、家にないんで。苦手というか、基本的にそういうことは一人で
  やってるもんじゃないのって思っちゃう。自分の中で、とか。
ゆ:「アフリカにいた時、割と街だったんで、。そこでヨネさんという知り合いの家に一ヶ月
  位いた時に、街の中で丁度市の立つ日だったんで行ったんですよ。一回も怖い目とか
  危ない目にあった事がないんですけど、お!怪しい!って目が合っちゃった人がいたん
  ですね。そうしたらやっぱり怪しい人で、いきなりひったくろうとする訳。でも、頭一つ
  分くらい大きい人なんですよ。元々みんな大きいでしょう?180センチ位あるんだけど、
  もっと大きかったのね、目立っちゃうし、向こうからやって来て、私の鞄をぐーっと
  持ってこうとしたから。周りの人達冗談だと思って全然助けてくれないのね。
  私はどうしたかっていうと、空手をやってたものだから、反射的に足で蹴ったんですよ。
  回し蹴りっていうか(笑)それでうちに帰ってヨネさんに、ひったくりに遭ったって言った
  んだけど、そしたら一、二時間して表に出たら隣の修理工場のお兄ちゃんがいて、よくしゃ
  べるんだけど、『ゆう!シャ!』って空手の真似するのね。街を歩いていたら、みんな
  『ゆう!シャ!』って(笑)とっても速かった。速い(伝達力)」
名:光回線ですね。
 
 
植:じゃ、僕の方から質問していいですか?
ゆ:「はい(笑)」
植:陶器を窯から出す時に、ひとつひとつがいとおしくてキスをするっていうお話しがある
  んですけど、つくる事と愛する事の関係性というか、その辺りの事を聞かせてください。ゆ:「ヤバイですよこれは(笑)」
植:語ってください(笑)。
(名倉とユキは無言)
ゆ:「アトリエに入って来る時に、これは本当にヤバイと思うんですけど、自分で夢中になって
  してるでしょう?その時にすごく愛する人がいたとするでしょう?そういう人がアトリエ
  の中に入って来たとする。簡単に言うと、愛する人が二人いる様な気がする。だから混乱
  する事があるんですよね。これもすごい大大好きだし、この人も大大好きだし、だから
  入って来ないでくださいって言いたくなる。なんかそういうのって、ジェラシーでもない
  し、なんなんでしょうね。面白い感覚なの。だって自分が両方好きでもいいんだよね?」
植:はい。
ゆ:つくる事と愛する事の関係性?
  よく言われるのは、すごく好きになると全てその人の方を向いてしまって、何も手に付か
  ないとか、段階にもよるんですけど。そういう事もあるんだけど、より一層力が倍増された
  様な気持ちになって、一層つくる事に情熱を傾けられる人とかもいるんですよね。
  私はそういう事も有り得ます。
  つくる事に対して愛する人がいたとすると、段階は別としてやっぱりそれはよりパワフルに
  なるかもしれないし、そういう部分はありますね。ただ、そこら辺は難しい所で、よりパッ
  ション的な気持ちでただガンガンいけばいいんじゃなくて、それはなんて力強いものかって
  思うかもしれないけれども、表層だけかも知れない。なんか美味しそうな物があっても、
  中、火通ってないねってなったら美味しくないじゃないですか?
  だから中まで火が通った状態でいい作品が出来たら最高ですよね?」
植:情熱を注いでそれが形になるって事ですよね?
ゆ:「うん。生きている対象の人間として愛する人がいた場合に、つくる事は増幅する様な。
  一人でいる時に使ってない細胞があるとしたら、六十億かそこらあるとしたら、片や愛する
  人が、使ってない細胞まで活性化させてくれる」
植:ああー!
ゆ:「そういうのもあるかも知れない」

 
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名:あと二つ質問させてください。現実に戻しますけど(笑)
植:甘い世界から(笑)
名:護国神社で開催されている静岡の手創り市『ARTS&CRAFT静岡』に参加しようと   思ったきっかけ。あと感想を。
ゆ:「現実的に言ったらまずパンフレットのイラストがすごいいい感じだったかな」
名:山口さんの。
ゆ:「はい。今のネットのもそうですよね?あれもすごい好き!ラフで繊細って言うのが。    あれが良かったのと、知り合いのイラストレーターさんが『いい感じだから私も行きたい』
  って言っていて。彼女も素敵なイラストを描く人なんですけど、おおそうなんだって思っ
  て。そこそこいいレベルで保たれてるんだなっていうのがわかるよね?まだみてもないの
  に。そういう意味で口コミってすごいですね。で、そういうのがあって、近いから二日間
  日帰りでもいいなっていうのもあって。初日でしたっけ?雨が降って」
名:そうです。初日です。
ゆ:「雨降るのはいいんですけど、砂利は苦難でしたね。荷物が重たくて。砂に食い込む流木
  を引きずってる感覚だなって言うのがありました。場所的には私にとっては狭いかなって
  いう。あと正面に鳥居っていうのは最高ですね!イラストも良かったけれどもこれを一回
  みに行きたい、この場所に行ったらどんな感じだろうというのには興味があった。
  鳥居の向こうに森になってるでしょう?あれがいいですよね。あれがなかったら別にいい。
  それを話さなかったかな?あの鳥居と森がすごくいいって。名倉さんか誰かに言った気が
  する。これがあったから来たかったんだって。感想は、いい感じでした」
 
 
名:最後の質問ですけど、今後の目標を教えて下さい?小さい事、大きい事、なんでも。
ゆ:「願ってる事?すごく不思議な事があるの。毎朝、立体をつくるでしょう?絵でもいいし。
  立体だとリアルなんだけど。ただ考えてるだけなのに、それが午後になったらその形が
  出来ちゃうって事が未だに不思議。むっちゃ不思議じゃない?!」
植:時間の経過はありますけど、それがいつの間にか出来上がってるっていうか?
ゆ:「出来上がってるんじゃなくて、頭の中で考えてたのになんでこれがこのまま
  出来ちゃったのって。小さな夢が叶っちゃったんですよ!例えば私が海辺に越したいと
  思って、今海辺に住んでるじゃんって。なんであの時考えてただけなのに、来ちゃった
  じゃんって。住んじゃってる」
植:イメージの具現化ですよね?
ゆ:「うーん。具現化、そうですね。思わない?そういうの。今日スプーンつくろうって
  思ったら、色んな形のスプーンがさっき迄あの棚空っぽだったのに、 (暫くしたら)並んで
  るじゃん。まるで私がつくったんじゃないみたい、みたいな。なんか、夜中に小人がつくっ
  てるって(笑)思うぐらい。誰がつくったの?小人さんいるでしょう?そういう小さな事
  から大きな事まで、目標じゃないんですけど、思ってるとちゃんと叶っちゃうなって。    それは私の力だけではないじゃないですか。
  一人だけで完結出来るものじゃないでしょ?こういうの。だからそれが不思議なの。
  つくるのは私がつくったので小人さんじゃないんですけど、わかりません。
  目標は具体的に言葉に出してこういう風だったらいいなっていうのはありますけど。     ちっちゃい冊子でもいいので、エッセイと絵と、つくろうかなって。
  そういう小さな思ってる事はいくつかあるかな。
  大きな目標?目標持たなきゃダメかな?こんなに満たされてるのに。
  時々思うんですよ、みなさんは、あれとこれとそれと同時に手に入れようと、その目標に
  向かってやってる訳ですけど。私が一番やりたい事で好きな事はここにあって、これが一番
  なので。二番目、三番目四番目は、この同じ間隔で二番目があるんじゃなくて、一番と二番
  の間はこんなに離れてるんですよ。だから要するに一番と二番、一番があるから一番以外は
  いいやって感じなんです。ここにあるから。その次の二番目にあることはずっーとこの辺な
  んですよ。何もかも全てを満たさなくてもいいかなって。グラスの中のいっぱいのお水
  だったら、これでいいかなって。私の容量はこれだから。これだけでしょう?この中に
  入る分だったらそれはいいかもしれないれけど。
  一年好きに時間あげるって言ったら、ぴゅーと旅に出ちゃう。そういうのはありますけど。  ある与えられた期間の中でやる事とかなら。
  この一年の時間とお金をあげるって言ったらそれはするかもしれない。
 
名:植岡さんから何かある?
植:この後、編集後記用に聞くから大丈夫。ユキくんは?
ユ:よくお話しを聞いてました。
ゆ:「あとは泳ぐだけですね」
名:長々とありがとうございました。
一同:お疲れ様でした。


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今回もとてもとても長い記事となりました。
最後までお付き合い下さいまして有り難う御座います。
今回のアトリエ訪問はいつものインタビュー、Q&Aというよりもこばやしゆうさん
私との対話という形に結果的になりました。きっとそれはゆうさんらしさを自然と
汲み取ったゆえの形であるのでしょう。
この日、久しぶりに海で泳いだ私たちは、色々なことが余りにも気持ちよかったからか、
ゆうさんのアトリエから東京へ戻る時に「ビールをのもう」といてもたってもいられ
なくなり、急遽私の静岡の実家に寄りビールをさくさくあおり早々と眠りにつき、
早朝東京へ戻ることに。
ゆうさん、楽しいひと時を有り難う御座いました。 名倉
 
※アトリエ訪問へのご感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。
 
手創り市
info@tezukuriichi.com




アトリエ訪問、近藤康弘さん


週末土日は益子で作陶をしている近藤康弘さんの工房へお邪魔してきた。

土曜、職場を早々に退散し、事務局へ戻り身支度。
お土産のすいかを用意し、ゆきくんうえおかさんと合流。
15時過ぎに東京を出発し、渋滞にも巻き込まれる事無く益子へ到着。
初対面のゆきくんと近藤さんの挨拶が済み、夕飯の買い出しへ。
夕飯は、私は辛味大根をつかった薬味たっぷりの冷やしうどん。近藤さんは鮮度の良い鯉をつかってこいこく。ユキくんはやたら包丁使いがこなれているので切る係。うえおかさんは…何をしていたのか忘れた。息はしていたはず。
夕飯後は様々なことを談笑。夜も更けた頃にぱらぱらと眠りにつく。
布団までどうやって行ったのかは覚えていない。忘却の彼方。

日曜朝。夜遅くまで起きていたにもかかわらずいつものように早めの起床。
工房は山を背にしているからか湿度高めだけれども、同時にひんやりとはいかないまでにも涼しさがあった。なんとも不思議な感覚。
眠る男子共をよそに近所を散歩。
適当に工房へ戻り、朝の薄い光のなか撮影を始める。
皆起床し揃ったところで近藤さんに器の制作をしてもらい、撮影をさせてもらった。
同時にサウンド・トラック制作の為の音録りもはじめる。
撮影はともかく、音を録る為の作業工程というのを凄く意識してくれていたようで、近藤さんは口に出さないまでにもそれがこちらに伝わってくるのが感じられた。感謝。
制作の後は本題のインタビュー。
近藤さんはこちらの質問に対し、間をおきながらも真剣に考え少しづつ言葉を紡ぎ出している様子が窺え、こちらは急かす事なく待つことが役目とばかりに待ち受けた。
終わってみれば、彼も自分の言葉が伝わっただろうか?と心配をしていたようだけれども、間が空いているだけで言いたい事は充分に伝わった、と返しインタビューは終了。
あとはライターうえおかさんの腕の見せどころだろう。頼むよ、うえおかさん。

今回のアトリエ訪問でひとまず区切りをつけることになっている。
これまでいわもとまきこさんから始まり、五月女さんまでは私ひとりで行って来たアトリエ訪問も、YAMA COFFEEさんの頃にはうえおかさんもライターとして参加し、ツグミ工芸舎さんの回からユキくんも参加をする事になった。
お邪魔させていただいた作家さんたちは当然のこと、彼ら二人の協力がなければアトリエ訪問はもっと味気ないものになっていたかもしれないと今はそう思う。
これまでの開催、そしてアトリエ訪問で得た事を基に手創り市のサウンド・トラックという形で形にしようと思う。

近藤康弘さんのアトリエ訪問インタビュー記事は8月末頃のアップを予定。
是非ともご覧下さい。

*アトリエ訪問写真は「静岡のブログ」でも紹介されておりますのでご覧下さい*

名倉







アトリエ訪問:こばやしゆうさん

こばやしゆうさんの住まい兼工房の一角。おっきな布で覆い隠す様子が好きです。

昨日、7月25日は静岡県に住むつくり手、こばやしゆうさんの住まい兼工房へアトリエ訪問へ行って来た。
ゆうさんとの出会いは人物よりも先に彼女の描いた絵だった。
以前よくお邪魔していた下北沢のミケネコ舎さん店内に飾られていた深い青で描かれた大きな魚の絵、それに惹かれたのだった。
(ミケネコ舎さんは、現在同じく下北沢で移転のCOFFEA  EXLIBRISさんです)
それから静岡でのARTS&CRAFT静岡の活動がはじまり、ある時接点を持ったことによって本人とお会いした。
思った通りのおおらかで穏やかな人だった。
けれども、そこは単なるおだやかの人ではないと思ったのも同時だった。
話をしてみると、おっきなだいたいの言葉を使いつつも、個人の思想の話になると論理的。
(思想と言うと大袈裟なようだが「考え方」に置き換えてもいい)
おっきな視点とちいさな視点。
すきときらい。
こじんについて。
かいわとたいわについて。
そんな言葉について考えさせられる。

今回のアトリエ訪問でも、同様に考えさせられた。
うまくやろうという頭は用意していなかったけれども、それでも多少は「うまくやろう」というつもりがあった事に気がつき、もうちょっとない方が良かったかな?・・・などと意味のない事も考えた。いずれにしても、あとはライターのうえおかさん任せでゆこうと思う。

久しぶりに海で泳ぎ、もぐり、海の途方もなさを感じ気持ち良かった。
うえおかさんは意外にも泳ぎがイケル口で、もう1人の少年は海は怖いと浅瀬で水につかっていた。これも意外だった。

ゆうさんのアトリエ訪問インタビューは20日後のアップを予定。

アトリエ訪問も残すところあと1回。
ひとまずの区切りとして、そして手創り市のサウンド・トラック制作へ本格的にうつる為。

名倉











アトリエ訪問:前田美絵 後記

【アトリエ訪問 前田美絵 編集後記】


うえおかゆうじ



「手創り市のルポ」を始めるにあたって、僕は名倉くんから一枚の企画用紙を受け取った。

その中にあった言葉に、「今僕とうえおかさんが中心になってアトリエ訪問をやっていて、そこで出会う作家さんとのやりとりをこれから円滑にしていく為に、日頃から作家さんに接して貰いたいというのもある」とあった。

今迄のアトリエ訪問は、名倉くんに次の訪問先を聞き、その作家さんを目当てに手創り市に足を運び、軽い挨拶や雑談を交わし、そして当日に向かうというパターン。他にも、アトリエ訪問当日、初対面でお世話になるというパターンなどがあった。

しかし、今回の前田さんとの出会いは違った。

まず初めに前田さんに出会ったのは、事務局でお茶を頂いていた時の湯飲み、つまり前田さんの作品だった。

その湯飲みは、深い青が印象的で、僕はその時、その湯飲みの向こう側に深海の静けさのようなものを見ていた。お茶を飲むと言う行為が、気を静めるという行為に僕は近いのだけど、気が静まると同時に、心もその海へと心地よく沈んで行くのがわかった。その静けさを含めて、この前田さんの湯飲みはあるとその時僕は思った。

そして次の日、初めての「手創り市のルポ」が始まり、そこで僕は会場の中から、前田さんの作品を見付け、ひと目で前田さんの作品だとわかった、そして前田美絵さんと対面することになった。

そこで僕は、昨晩事務局で前田さんの湯飲みを使わせて貰ったことを告げた。すると前田さんは、

「あの青は私も気に入っているんですけど、もう出す事ができないんです」

と打ち明けてくれた。その理由を聞くと、あの青は、以前通っていた陶芸教室の窯を使っていた際出た青で、次に購入した自分の窯では、何度試しても同じ青が出なかったというのだ。

そんな話を皮切りに、前田さんが陶芸を始めたきっかけや、以前テキスタイルをやっていたことなど、話は多岐に渡った。

そしてその場でルポの取材を申し込み、快くそれを承諾して頂き、前田さんとの対話の一部は9月のルポの一部となった。そして次の月からも、前田さんに会場でお会いする度、挨拶をさせて貰う間柄になった。

そんな風に手創り市で出会い、対話の回数を重ねた前田さんと、今回こうしてアトリエ訪問が出来た事。それが今迄のアトリエ訪問の作家さんとの大きな違いかもしれないなと、今に思う。僕と前田さんの間には確実に手創り市があった。

そしてアトリエ訪問当日、インタビューが始まると、前田さんの口からは刺激的な発言が多く胸を打った。

「動いて動いて動いて動く」

常に手を動かしつくり続け、心を惹き付けるイベントがあれば出掛けて行き、刺激を貰いながら流れ続ける。不安もないし、今迄に立ち止まった事はないと言い切る彼女のそのしなやかさに、僕も、そして名倉くんやユキくんも同じ様に、驚き同様、新鮮さを覚えたと思う。

そんな前田さんに、インタビュー終了後、僕は編集後記用のインタビューを少しの時間させて貰った。

話題は、前田さんが僕のルポやアトリエ訪問に対してどういった感想を抱いているかから始まり、前田さんはルポに対し、

「他の作家さんがどう考えているのか? そこから気付くことがある」

という回答をくれた。そして、

「手創り市は試行錯誤の場。周りの作家さんを見ていて勉強になりますね」

と続けた。

僕は聞いた。

「前田さんが他の作家さんの作品を観る時に、何か気を付けているポイントみたいなものはありますか?」と。

彼女は答えた。

「観ていてぐっとくる、シンプルに心が反応する、そういう作品に惹かれます。深みのある作品かな? 自分も、自分がいいと思っている感じで深みあるものをつくりたい。どんどん作品の中に入り込んでいけるような」と。

前田さんの作品には、その深みがある、と僕は感じていたのでその事を伝えた。

前田さんのアトリエにお邪魔する前、僕ら四人は蓮田にあるOkraというカレーカフェで落ち合ってランチをしたのだが、そのカフェでは、前田さんの作品がカレー皿や珈琲カップとして使用されていたのだ。

そして僕は、緑色の珈琲カップを覗き込んだ時、そこに田園風景、草原のようなものを心の目で見た。その事を前田さんに伝えた後、僕は一番初めに出会った、前田さんの青い湯飲みの事も伝えた。

「僕はあの湯飲みに深海を見ました」と。

前田さんはそれを聞いて嬉しいと言ってくれた。

「自分の作品に風景や奥行きを感じてくれるのは」

と。しかし、名倉くん、ユキくんは、

「うえおかさん、また始まった!」と爆笑し、そして、

「大きく出たね・・・それこそうえおかさんの身の丈に合ってない台詞だよね」

と言って、また笑ったのだった。

どうやら今年も昨年に続き、「身の丈・等身大」という言葉が僕のキーワードになりそうだ。「等身大」を地でいく前田さんを想いながら、そんな事を今に思うのでした。


・・・・・


*「前田美絵・アトリエ訪問インタビュー」はこちらまでどうぞ。


※ご意見ご感想は下記mailまでお気軽にご連絡下さい。


手創り市

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アトリエ訪問:前田美絵 インタビュー

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第八回 アトリエ訪問 前田美絵 http://mmnest.jimdo.com/


話す人:前田美絵→前
聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ


名:それでは前田美絵さんのアトリエ訪問インタビューをさせて頂きます。
植:よろしくお願いします。
ユ:よろしくお願いします。
前:「よろしくお願いします。頭は真っ白です(笑)」
名:アトリエ訪問インタビューは、事前にある程度こういう事聞きますっていうのを送っていますが、全てこれをやらなきゃいけないって事じゃないんで、話して脱線する…むしろ脱線歓迎です。気楽にお願い致します。
前:「はい」
名:では早速インタビューを始めますね。まず自己紹介と合わせて、前田さんはもともとテキスタイルを学んでいたという事ですが、テキスタイルから作陶を始める迄の経緯を教えてください
前:「はい。前田美絵です。今は陶芸をして主に器をつくってます。テキスタイルは大学の時やってたんですけど……自分もなんだろうって思っていて、そのきっかけ。自分では自然な流れで来たので、強く、陶器! って感じで始めた流れではなかったんですよね。テキスタイルをやっててその表現の一部で、陶器も必要、やってみたいと思ったのが始まりで、それっていうのは、スティグ・リンドベリっていう芸術家であり工業デザイナーである、スウェーデンの人なんですど、その人が大きかったかなと思って……知らないですよね?」
名:知ってますよ〜
植:僕は知らないですね。
名:北欧では自然の景色とか、自然の事柄、事象を色んな形に転換する事が多いと思っていて、それは、テキスタイル・陶芸家でも多いと思うんだよね。そういう所にすごく影響されてるのかなって。それはもちろんそこに興味があって、自分の中に一度落とし込んで、発信してって。
前:「そうですね。この人はスティグ・リンドベリっていうんですけど……」
名:日本でもコレクターの人は多いし。
前:「北欧ブーム……北欧ブームっていうのはあんまりあれなんですけど(笑)北欧ブームっていうのがあって、私の作品を見て「北欧っぽいね」って言われるのがあんまり嬉しい感じじゃなかったんですけど、でも自分の気になった人はやっぱりこの人かな。テキスタイルもこの人やるんですけど、陶器もやったり、イラスト、グラフィックもやるのかな? 両方とも惹かれました。テキスタイルも、陶器も。で、その中でも印象的だったのは、花瓶に凹凸が付いた柄の作品があって、それにすごく刺激を受けて。でも、これ見ていきなり「陶器やろう!」ってなった訳ではなくて、テキスタイルの表現方法、表現したいものをこれからインスピレーションを受けて。テキスタイルって布に柄を描くんですけど、私は布に絵を書く方が多かったかな。なので、これを見た時に、花瓶に柄を配置した絵を描こうと思ったのが一番最初かな? そこから、色んな方面からあるんですけど、柄が凹凸になってたってのも気になって、ここからまた消しゴムで判子をつくって、それを連続模様にしようっていうのが浮かんで。そんな作品をテキスタイルでつくって、今度はそれと同じ物を陶器でつくってみたいと思ったのが流れで」
名:それはテキスタイルは布がベースだと思うんだけど、陶器にしても、両方とも、布だから陶器だからとかじゃなくて、同じキャンバスとしてそのまま扱っている?
前:「そうですね。うんうんうん。表現の一部って事かな? で、表現方法のひとつが見つかって、それは大学在学中なんですけど。で、見せたいと思って個展をやったんですど、それは今迄もテキスタイルで個展みたいなものはやってたんですけど、カフェの壁面を借りたりとか。それで色んなカフェを探してましたね。で、rojicafeさんに行ったってのもあるんですけど。で、選んだのは、黒磯のSHOZO展示室っていうのがあって、そこを貸し出してる時があって」
名:結構前だよね?
前:「結構前です。今はやってないと思うんですけど。それで一週間借りて、テキスタイルと陶器をコラボさせて、展示をしたんですけど、それが卒業制作前か。ちょっと写真があるので観て貰った方がいいのかな? テキスタイルがあって、全く一緒の花器をつくろうと思ってつくった、これは初めての作品ですね。陶器で表現したいと思って、どうしたらいいのかなって思って、陶芸教室を探して、通って、そこでつくった最初の作品」
名:それが、今の後ろにあるやつ。
前:「形は同じじゃないんですけど、その頃の。スティグ・リンドベリの作品にインスピレーションを受けて、それでこれをつくって展示をしたっていう流れ。そこですかね、きっかけは」
名:それは2000何年ですか?
前:「2007年の夏ですね」
名:2007年の夏頃は、まだテキスタイルと陶器を両方平行してやって。
前:「そうですね。大学在学中だったので」
名:それが、今はテキスタイルではなくあくまで陶器が中心だと思うんだけど、大学の頃は平行してやってたかもしれないけど、いつから陶器のみになったのかな?
前:「そうですね。陶器のみは卒業してからですね。卒業制作もコラボさせてつくって、陶器はタイルをつくったんですよね。判子で押して、布にも同じ判子で押してって感じで共通させて、テキスタイルはこれで終わりで、それ以降はやってない」
名:何故って言い方になるけれど、テキスタイルの作品、このアトリエにもあるし、見てて窮屈な感じはしないんだよね。苦労してつくってる、ストレスフルな感じはしないんだよね、抜け感がいいというか。作品からそう受けるのね。きっと両方とも好きな事やってるんだろうなって感じを受けるんだけど。そこから何故、テキスタイルはひとまずお休みにして、陶器に行ったのか?っていうのが。そこに前田さんの今に繋がる第一歩があった様な気がするんですけど、その辺はどうでしょう?
前:「ちょっとその辺は、現実的に考えた所もあって、テキスタイルも面白かったし迷ったんですね。テキスタイルでそのまま行こうとも。だけどやっぱり道具とか場所とか本当にやろうと思うと大掛かりで、個人ではちょっと難しいというのもありましたね。陶器は割りと陶芸教室通いながら出来たし、また出会った陶芸教室も自分の中ではすごく良かった所なんですけど、家から近いんですけど、本当に自由にやらせて貰って、だって、陶芸教室に入って初めてつくる作品がこれって、最初にやらせて貰えないと思うんですね、多分」
名:そうだね。
前:「カリキュラムがあって、最初はこういう物をつくりますよ、こういう小さい器つくりますよっていうのだと思うんですけど、やりたいこと自由にやらせて貰って、それもいい環境だったと思うんですけど」
名:無理矢理あれやれこれやれって言われて、学校の授業の延長の様に、やるべきカリキュラムがあってやってたら、もしかしたら陶芸を好きになれなかったかもしれない?
前:「そうですね。いい先生に出会ったなっていうのはありますね。先生も陶芸家ではなくて、もともとは家具のデザイナーさんだったんですけど、技術っていうよりも、表現、オリジナルの表現を大切にしてくれて生徒さんそれぞれ違う作品、みんなオリジナリティある作品をつくっていて。あぁ、ここなら作家活動出来るかもって思って、結局卒業して特に就職もせず、陶芸教室通って、一日中ずっといてもいいんですよ、朝から夕方迄。週に五日か六日位は開いてたかな? だからずっとそこで制作してて」
植:フルに通い詰めで?
前:「バイトしながら通ってって感じで。それを三年間か? 在学中からも教室に通い始めて合わせて三年間通って」
名:その三年間が陶芸一本で行く前の助走というような?
前:「うん。そうですね」
名:その三年はあっという間?
前:「うん。あっと言う間だったかも。通いながらも、個展とかやらして貰ったり。教室によっては展示はダメだって言う先生もいると思うんですけど。でも、どんどん勧めてくれて、良いアドバイスもくれて」
名:話を聞くと、その三年間で陶芸をやっていく上での、基礎体力と、それとは又別の精神的な気持ちの部分、前田さんはつくれたような気がしますね。
前:「そうですね」
名:それが始まりとしてあったというのはすごくいいよね? ってなんか既に締めみたになったけど(笑)
前:「本当!(笑)もし違う陶芸教室通ってたら、全然違かっただろうならなと思って」
名:巡り合わせだね。
前:「巡り合わせですね」

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名:次の質問いきます。このアトリエはいつから持つようになりましたか? 出来るだけ正確に。
前:「今のここは去年の九月に借りました」
名:2010年?
前:2010年。その前にちょっと別な所、近くの農家のお家のご主人が趣味で建てた陶芸小屋を人づてに教えて貰って、借りる事になったんですけど、それが2010年の一月か。そこはろくろもあって外に窯もあったんですけど、それはガス窯だったんで私は使えなかったんですけど、そこでは制作だけしてたんですけど、焼くのはまた教室でやってって感じだったので、なんかちょっと違うなって」
名:ひとつの場所で最初から最後迄つくれないっていうのは色々もどかしい。
前:「そうですね。なのでそこは、短かったですけど六月で」
名:引き払って、その後?
前:「その後、また色々考えて、窯持つ前にどこか違う所いこうかなって思って、まだ技術がないかなって思って、窯業学校って言うのかな? も考えたり」
名:それは産地の訓練校だよね?
前:「そうですね。その資料とか色々見たりして、あとは多治見のMAVOっていう貸し工房を実際見に行って」
名:あそこの若い作家さん良いですよね。
前:「有名な方が出て、雑誌にも出てて、で、自分も気になったと思うんですよね。どんな所かと思って行って、見せて貰って、そこで会った作家さんとちょっと話をさせてもらったんですが。ここは雑誌に載ったりしてるけど、だからといって特別なところではないし、今制作出来る環境があるんだったら、ここ来る必要ないよって言われて。確かに刺激し合える同じ仲間がいて、土の材料も近くで手に入るけれど、ただそれだけ、って。あ、そっかって思って、考えて、それでも違う所がやっぱり気になって、窯釜を持っちゃうと動けなくなると思ったから、他を見るなら今かなと思って、後は滋賀の陶芸の森、だったかな?」
名:美術館がある所。
前:そこも気になって。
名:信楽だよね。
前:「そう、信楽。そこは奈良美智さんとか活躍されている人も来て制作されていたりだとか、あと若手の人も制作したりする所で、なんか刺激ありそうだなとか思って、そこも色々資料集めて見てたんですけど、決めようかなって思ったけど、何か結局、自分でやろうって思って」
名:それは特に具体的な理由がある訳じゃなく、感覚的なもの?
前:「その時も先生のアドバイスとか。先生はお勧めしてなかったですね、窯業学校行くとか、もう自分でやったらいいじゃんみないな感じだったかな」
名:自分が行きたいなと思ってた学校なり工房なり行って、そこで話をすると、自分でやるのが一番いいよって言われる事が多いということ?
前:「そうですね。陶芸の作家さんの話聞いて、どうなんですかね? って聞いたら、窯業学校だったら、その人が先生のひき方になっちゃうって言って、それに合う人もいれば、苦しむ人もいるって。だからなんか、オリジナルがなくなっていくのかなと思って。とりあえず自分でやろうと思って。そこから物件探して、この辺自転車でぐるぐる回って、手づくりやのパン屋さんにもこの辺物件ないですかね? とか聞きながら……で、ここが空いているのが見つかって、不動産屋行って、値段を交渉したら割りと下げてくれたので、決めようと思って」
名:アトリエとして使うという話もして?
前:「そうですね。すごい理解のある大家さんで、お金もないし、そういった状況で陶芸をやっていくって理解してくれた上で大分下げて貰ったのかなぁ」
名:2010年9月から、ここで始めるようになりました。
前:「なりました。それと同時に窯釜も買いました」
名:それを踏まえた上で、アトリエをね、自分の窯も持って、場所も持って、持つ前と今の、意識の違いや実際の制作面の違いを教えてください
前:「意識はあんまりわからないんですけど……制作面はすごい変わりましたね。やっぱり窯が変わったのが大きくて、最初悩みましたね。今迄と同じ、土と釉薬は使ってたんですけど、自分でも以前、出ていた緑色をすごく気に入っていて、この色は出し続けたいなと思って、お客さんもいいと言ってくれてたので。で、またここでもやろうと思ってやったら、全然出て来なくて、全然色が違くて」
名:ショックだよね?
前:「ショック!(笑)。どうしようと思って。出すのないじゃん、って。見せれるものがないやって思って。そっからもう試行錯誤で、他の作家さんにもどうしたらいいですかね? とか聞いて、「諦めた方がいいよ、同じ物を求めるのは」って言われて」
名:確かにね。それは冷たいようだけど、ホントの事かもしれないね。
前:「うん。なるほどなって思って。まぁ、だからこの窯釜で出来るものを最初はやってて、だけどなんかイマイチだなとは思っていて」
名:ある意味いちからのスタート。
前:「そうですね。初めからやり直し。それが大きいですね。そこから実験ですね」
名:今は窯があって、事務所があって、制作の場所があってすべてがひとつの場所にある。でも、ひとつの場所にあるんだけど、部屋自体は分けられてる、セパレート型、だからすごく切り替えがしやすいのかなと思って。
前:「制作の場所だけだったら、実家に建てても良かったんですよね。多分工房は。その分、家賃も掛からないし、って考えてたんですけど、やっぱりみんなに観て貰う空間をつくりたいなって思ってたんで、ある程度ちょっと広い所にしましたね」
名:観て貰うって言っても、お店で観て貰うんじゃなくて、それとは違う観て貰いたいってことがあるのは、ある意味性分的な事かな?
前:「そうですね」
名:それは何でかな? 単純にお店に卸して観て貰えばいいし、展示をして観て貰えばいい、というのもあるでしょ?
前:「そうですね」
名:それ以外にホームページもあるし、実際に制作の場所と事務所があって、そこに作品が置いてあって観て貰いたいっていうのは、そこに特別な事があるのかな? って思うんだけど。
前:「そうですね。やっぱり自分の空間で観て貰いたかったんでしょうね」
名:つくった場所で出来上がって、それをそのままつくられた場所で観て貰いたい。
前「そうですね。で、つくってる場所とかも観て貰えたらいいし、あと量があるから、お店だと限られちゃうし、全体で観て欲しかったんですね」
名:トータルで?
前:「トータルで」
名:自分のやってることを?
前:「うんうんうんうん。そうですね」
名:自分の場所を持たないとなかなかそこ迄出来ないよね? ある意味経費の事を考えたら、実家に工房建てた方がお金的には困らないと思うんだよね? でもそうじゃなくて、ちゃんと場所を借りて、すべて自分でやる、ということによって色々なことを考えるよね? 現実的な事も考えるし、やりたいこと、観てもらいたい事・・・そう思いました。
前:「そうですね」

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名:次いきます。前田さんの作品は、手触り感のある地肌、そこにテキスタイルをやってたから、意匠が描かれている事が特徴的なんだけど、でも今はそうじゃない作品が多いよね? 今の所、僕が最近観るのは、意匠が少ない物が多い様に思うのだけど、だからこの質問はちょっと現時点ではあってないなと思ったんだけど、まぁ敢えて、意匠があったりないもの、そこに色であったり触った感触が前田さんの作家性だと思うんですけど、自分自身はどのような器づくりを目指してますか? それは成形ついて、釉薬について、意匠について、などなど。
前:「昔は柄の物が多かったんですけど、それって言うのはやっぱり自分がテキスタイルをやっていたから、それが自分のオリジナルだと思っていて、いっぱい描いてましたね。なんかテキスタイルやってたんだからそれを活かさなきゃっていうのがあったと思うんですけど、でもやってる時は楽しくやってたし、柄描くのも勝手にスラスラ描けてました」
名:自然に。
前:「自然に。だからいい状態でその時その時は制作してたんですけど、だんだんスラスラ描けなくなって来て、多分違うなって思った」
名:マンネリ?
前:「うーん。何だろう? 気持ち的に違うかなって。で、なくなって来たっていうのは、やっぱりここのアトリエを借りたって事もまた大きくて、自分の器を使う様になった。今迄はそんなに、自分の器を使ってなかったですね。あんまり盛る事も考えてなかったし、面白い器をつくりたいってことがあって、何盛ったっていいんじゃないか? って思ってたんですけど。このアトリエ借りて、キッチンもあるんで、お昼をつくったりして、自分の食器を使うと、柄物だとなんか違うなと思ったのかな」
名:今はどんな器づくりを?
前:「今は、色ですかね? 色に重点置いてるかな。色味を大事に」
植:色で質問があるんですけど、前田さんの作品は色数が制限されているというか、選ばれている感じがあるじゃないですか? そこに対する想いとか、それを絞っていった過程を教えて欲しいんですけど?
前:「色を出すのに……色は釉薬なんですけど、実験していく中でポッと色が見付かるんですよね。この色いいっていって。最初は緑が出したいなって思って、でも思った通りに出ないですよね? まず。だから実験していく中で見つけ出す、自分の色というのを。で、それを自分で拾っていって、拾っていったのが今ある器の色かなぁ。自分が気になった色は自分と合ってるか? とか、あと今迄出来て来た器と合うかどうかとか、全体を見てその色が馴染むかどうか? とか考えながら色数をちょっとずつ増やしてますね。今は、黒、緑、渋いピンクの三色で、器を使う時も組合わせで、その器同士が良い組み合わせかどうか? と言うのも考えながらやってますね。まだ新しい色は試作してますけど、今度は黄色っぽいのかな? って」
植:その色を実験してつくっていく過程で季節だったりとか、自分の中に残っている記憶だったりとか、そういう物も反影されますか? それとも作業的なものですか?
前:「その辺は無意識ですね」
植:無意識?
前:「うん。テキスタイルやってる時からコンセプトってあんまり持たなくて、それを昔は悩んではいたんですけど、今はコンセプトがない感じで無意識の中から出て来るのが、あ、自分だな、という事に気付いて。気付いたらすごい楽になったんですけど、だから自分の中にあるもともとの感覚で出て来てる色かなって思いますね。昔から、小学校の頃からくすんだ色が好きで、あ、昔から自分の中に眠る何かがあるのかなって(笑)
名:DNAに?(笑)
前;「そう(笑)それを素直に出していくのがいいのかなって思って」
名:色を見つける作業も、ひとつの緑でもグラデーションでいったらものすごい段階がある訳だよね? その中から一生懸命探し出すってよりも、やってるうちに自分の気持ちいい緑が見つかったっていうか、たまたま腑に落ちる緑があって、これいいなっていう。それが多分、色の見つけ方かな?
前:「うん。無意識に。だからたまに自分は無意識に生きているんじゃないかって思います。そんなことないとは思うんですけど(笑)その位ホントに考えてない。頭で考えない。絵を描くときとかも、頭で考えない。その方が良い物が描けるし。頭で考えてるとなんかいやらしくなりますね。陶器に絵柄、判子を押していく時も、無意識っていうか?」
植:感覚?
名:自分のリズム?
前:「リズムで。うーんって考えながらじゃなくて。もうすぐに降りて来るって感じ。それがスムーズに出来た時が一番いいのが出来ますね」
名:その状態を保ってくって、ものすごく考え込んでやるよりも大変かなって?
前:「あぁー」
名:例えばそこに落ち着かない時、これいいなって落ち着かない時、そういう時どうしてるんだろう? って。結局物をつくってて、材料っていうのは無限にある訳じゃないじゃん、やっぱり材料を手に入れるのにも経費はかかる訳で。そこでこう、なんて言うんだろうな? 偶然を引き寄せるとはちょっと違うんだけど、降りて来るのを待つ、という感覚の様な気がするから、それが降りて来なかった時にどうするのかなって
前:「あはははは(笑)あー、どうするんでしょうかね? 待ってないと思います。なんか常に動いてる? 手を動かしているかなぁ。悩んだりもあんまりしないですね。陶芸は沢山の土、釉薬があって、またその組み合わせが少し違うだけでも、違った表情、色が出るし、試すことは尽きないし。違うなと思えばまた次へ、自分が出来る範囲の中で。悩んでる場合じゃない!って、頭で考えるよりも、手動かしてやることやってこうって、いつも思ってます。降りてこなかったときのことは考えたくないですね。マイナスのことはあまり考えたくないですね」
名:あーそっかそっか。
前:「普段から制作以外の事も。動いて動いて動いてく。だから色んな所行って、刺激受けたりとか色んな物を観たりとか、展示とか、自然の中に居たりとか、ま、走ったりとか。そこからいつも刺激を貰うかな。料理を食べたりとか。だからまだ悩んでないかな? これから悩むかもしれないですけど」

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名:わかりました。では、次いきます。前田さんのサイトを観てると、器と料理の関係というか、ここで昼食をつくってるのかな? それはよく最近見かけるなと思って。
前:「お恥ずかしいんですけど」
名:いいと思いますよ。
植:すごい美味しそう(笑)。
名:それは単純に、料理する事が好き、楽しいだろうなって思うんだけど、それをサイトで観せるっていうのは、何かそこに意図はあるのかなって僕は思うんだけど、その辺りはどうでしょう?
前:「はい。好きとはまた違うんですけど、多分、載せる様になったきっかけは、器を販売してて、何を盛ったらいい? とか、どんなのが合いますか? とか聞かれる事が多いので……最初は出て来なかったんですよね。料理もそんなにしなかったし。それじゃダメだと思って料理を始めるというか、色々してみようと思って何が合うか考えてみようと思って、それでサイトにも載せて、色の組み合わせを観て貰いたいなと思って。それが載せたきっかけですね。今はそれも表現の内と思って来ていて、今迄の作品、柄や絵が入ってた作品はうつわひとつでそれで完結してて、お皿をキャンバスに見立てて絵を描いていったって感じで、今は無地のお皿が多くて、料理を盛って完結するという風になったのかな。だから自分で料理を盛って、お皿使って見せるっていうのがしたいなと思って。表現として」
名:器が器としてあるってことだよね? 今の方が。テキスタイルの意匠をのっけた時よりも、今の無地のスタイルで料理を使って、料理を盛っている方が器らしい器。
前:「そうですね。使う器って感じですね。でも最近、使うってことだけを考え過ぎてもダメだなって思う様になって。なんだろう、やっぱり表現の一部かな? 器をつくるのは。料理を映えさせる器ってよりかは、なんだろうな? 器と料理が対等になってひとつに見せる、ということの方がやりたいなと思って。難しいけど。グラフィカル的に見せたいっていうのもあって、多分上から取る写真が多いから、グラフィックっぽく」
名:フォルムじゃなくて?
前:「うん。フォルムの前に、食材の色と器の色の対比とか、そういう組み合わせの面白さで観て貰えたらいいなっていうのはありますね。」
名:その辺さぁ、正面から撮ってグラフィカル的に見せるっていうのはわかるけど、器に料理が盛ってあることによって、真上から観る器も奥行きが出るよね? あんまり良い例えではないけど、前田さんのドンブリがあるとしてラーメンを入れました(笑)それは平皿だとは誰も思わないよね? それと同じ様にパスタのっけましたとか、物によって、盛る料理によって、見る側も深さはこれ位あるのかな? とか想像はつくから、そういう意味で料理をのせていることはすごくいい気がする。平行や水平に写真撮ってフォルムだけ見せるよりは、ホントの意味で親切。大きさはこれです、30センチです、15センチです、深さは5センチですってよりも、考える側に余地があるっていうか、想像が働くという方が良いと言うか、僕はその方が好きかなって。ま、それは僕の意見ですけどね。
前:「料理をするとどんな大きさの器が必要になって来るかもわかるのかなと思って、それもあったから……」
名:今迄の前田さんの話を聞いてると、自分で嫌じゃない「でも」が多いなって思って。
前:「でも?」
名:ポジティブな「でも」。料理に関してもそうだし、意匠から無地にいく時にもそうだし、決めつけないというか、変える時には多少なりともこうしようかなって決めてると思うんだけど、それもこういう風にしたらこうするってやり切るんじゃなくて、そこにこう振り幅の余地があるというか、そういう風な人なのかなと思って。だから逆にこう、自分で勉強してる、自分で学んでいってるのがあるのかなって。無意識とも言うけど、決めつけないが故に自分で学んでいけるというか。そういうのがすごく軽やかというか、僕はすごくいいと思います。
前:「なんか、アートと生活との間に居たい。実用的過ぎず、でもアート寄り過ぎず、生活の中には居たいので、その真ん中辺りをさまよってます」

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名:はい。ありがとうございます。次にいきます。アトリエの話に戻りますね。アトリエではどんな風に過ごしていますか? 住まいはここではなく、アトリエに出勤して来るんだよね? その、制作以外というか制作も含めてアトリエで過ごす一日の流れについて教えて貰えたらと。時間とか決まってれば、タイムカード押すとか。
前:「タイムカードは押さないんですけど(笑)、だいたい9時か10時の間位に来て、まずちょっと掃除するかなぁ。いつも制作終わった後って疲れ切ってるんで、汚いまま家に帰るので。まぁ朝来て、きれいに掃き掃除とかして、水洗いしたりして整えてから制作に入って。で、12時迄制作して、その時間になったらちゃんとお昼食べて、つくったりとか」
名:出前取ったりとか?(笑)
前:「出前ー!(笑)取らない。ここに座って一人で食べて、自分の器観ながらとか(笑)」
植:器は友達だもんね(笑)
前:「そうそうそう(笑)で、ちょっと冷静になって観て、あと使ってる器どうかなぁーとか観ながら食べてますね、30分位。そこから皿洗ったりして一時間位かな、昼休み。で、また制作に戻って、ずっーと制作して四時位になったら、一休み。珈琲飲んで、甘いの食べて、珈琲いれたり、お茶いれる作業も息抜きの内って感じで。休憩大事ですね。集中力切れちゃうんで一回休んで、ろくろひく時なんかは集中しないと」
名:集中しないとね・・・
前:「うーん、結構よれよれっていうか、中心が取れなかったりとか、ま、技術が下手なのもあるんですけど、集中力大事だなって思いますね。嫌な事とか考えてたりイライラしてると出来ないですね。なので、落ち着かせる意味でも休憩して、で、また制作に戻って、夜は11時位を基準に、11時か11時半かな?」
名:結構長いね。思った以上に。
前:「うーん、追われてる時とかはそんな感じで」
名:14時間拘束かあ。
前:「後はブログを書いたりとかして制作してますね。ま、他の日がバイト行ってたりするんで、ここに一日居れる時はがっつりやりたいなと思って。午前中バイトして来て、そこから始めたりもするんで、やっぱ終わりはそれ位になるかなぁ。だから家帰った時にはすごい疲れて、放心状態(笑)」
名:ヘトヘト。
前;「ヘトヘト(笑)ご飯食べてこたつで寝ちゃうから、ベットに辿り着くのが3時位。動きが遅くなっちゃう。亀みたい(笑)」
名:亀より遅いと思うよ(笑)。
前:「ホント思いました(笑)」
名:亀も怒るよ(笑)。
前:「集中するって疲れますね、でも」
名:でも気持ちいいよね? 集中した上で休憩をしっかり取るっていうのは。すごくクリアになるっていうか。集中してるときはクリアになるけれど、それが長すぎるとと濁ってくるっていうか、色々な物が混じってきて、疲れちゃって。そこで一回休憩取るっていうのは。
前:「そうですね。あと、ちょっと前迄は休憩の時に、走りに行ってましたね」
名:休憩じゃないね(笑)
前:「それは大会にも出るっていうのもあって、走らなきゃ、てのもありましたけど、それも息抜きでしたね。スッキリする」

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名:次いきます。手創り市に参加したきっかけを教えてください。あと参加してみての感想、手創り市への注文というか、こんなのどうでしょうか? っていう提案でも、是非聞かせてください。
前:「きっかけは、手創り市を知ったのはrojicafeに行ったからかな? 友人がrojicafeさんで展示をしていて、それを観に行ったっていうのが」
名:誰ですか?
前:「ナカウチくん」
名:ナカウチくんかあ!
前:「そこであの白い猫のDMかな? あれを見て、こんなイベントあるんだって思って。私もrojicafeさんで展示をしたいと思って行ったんですけど、今後の予定を聞いたら全部埋まってて、あ、ダメだって」
名:うん、まぁねえ、あそこは貸さないしね。
前:「?」
名:貸してって言われても貸さない。
前:「そうなんだー。ふーん」
名:手創り市は開いてるけれど、まあそういう場だし、でもrojicafeは基本的に自分たちで呼ぶという姿勢です。紹介とかも断るし。
前:「間違って聞いてたな。無料で貸してくれるって」
名:無料では貸してましたけれど・・・
前:「誰でも良い訳ではない?」
名:開放はしないって感じ。はい、話の続きをどうぞ。
前:「はい。それが手創り市を知ったきっかけですね。で、実際に会場を観に行ったのはイチョウが綺麗な時でした。秋でした。その雰囲気観てだったのかな? 出してみようと思ったのかな? それがきっかけですね」
名:で、これまで参加してみての感想。感想っていうと漠然としているから、すごく嬉しかったこと。ちょっと良い話を聞きたいんで(笑)。
前:「良い話?(笑)あーでも最初の頃とかなんか、行きたくないなって思ってた」
一同:「ははははは(笑)」
植:良い話じゃないね(笑)
名:それ良い話だね(笑)いいよいいよ、全然面白い! なんでなんでなんで?
前:「朝早いし、遠いし、寒いしって時もある(笑)」
名:でもまぁ自分で申し込んでるよね?(笑)
前:「確かに(笑)最初は電車で行っていた時もあって、スーツケースに自分で詰めて」
名:それしんどいよね?
前:「階段がすごい大変でしたね」
名:池袋の階段だね。
前:「重いし。池袋から歩いた時もあったかな? まだ何も什器を持っていかず、布だけ敷いて、並べてって、まぁ、しんどいなって思って。そんな時もありましたね。最初はそんなに楽しめてなかったかな?」
名:みんな多分そんな気がする。自分で出てみようと思って申し込んだものの、知ってる人もいないし、それぞれ自分の好きな事をやってて。でも、基本的に親切な作家さんばっかりなんだよね? ホントに何かあれば助けてくれたり、それこそ雨降ったらさ、助けてくれるとかさ、みんなで和気あいあいとしてるんだけど、最初の頃ってそんなに知ってる人がいなかったりすると、自分も不安があったり、どうしたらいいんだろう?とか、あの人の所にお客さんがいっぱいいるなあとか、そういうのを見ちゃうと、まぁ、しんどいっちゃしんどいよね。
前:「そう。最初出した帰りの時なんか、魂抜けてましたね。完全に」
名:もうこんな所来るかっ! って(笑)
前:「もう疲れ果てて、だから本当に手創り市を楽しみにしてるって思えったのは、最近に近いかも。もう出展して三年位になるけど。最近ですね。他の作家さんと関わるようになってからかな? やっぱり知ってる人がいると安心するし」
名:他の作家さんがどんなこと考えているのか? 知る様になると。
前:「うんうん。色んな話とか情報貰ったりとか。お客さんもまた先月来てくれた人が今月来てくれたりとか。毎月観てくれるお客さんもいて。うん、ホントありがたいし、嬉しいし、そこで色んな意見も聞けるし。反応も見れるし、大事ですね、今となっては。制作の変化と共に手創り市で反応貰いつつ、刺激を貰いつつ。だから今があったかな? みたいな」
名:やっぱり外に出てくと手創り市みたいな会場って、一から十まで自分でやらなきゃなんないんじゃん。作品持って来て、並べて、作品の説明して、お金のやり取りも自分でやって、そこで鍛えられるよね?
前:「そうですね」
名:すごくいいお客さんもいて、観てくれるだろうし、「作品観てください」って言っても、プイっていっちゃう人もいるだろうし、両方とも大事な気がするよ。 人の目にさらされてじゃないけど、そういうのを味わうと、何て言うんだろうなぁ、色々工夫してくし、とにかく鍛えられるというか、そんな気がします。
前:「今は丁度いい、心地いい感じで出させて貰ってますね。ギャラリー借りて個展ってなるより、もうちょっと気を楽にして出展出来るのがいいかなって。あとは全部、自分で出来るのもまたいいです。販売も、お金のやり取りも、梱包したりだとか、お客さんの接客とか、全部出来るのは良いです。一番いいスタイルかな。販売していく上で」
名:マニュアルもないしね。こういう風にやらなきゃならないというのもないしね。
前:「プレッシャーもそんなにないかな」
名:注文というか、こんなのどうですか?って。なんかあれば。ホント思い付きでいいんで。
前:「何回か聞かれるんですけど、なんか思い付かないんですよね。それは多分、名倉さん達もある意味、場をつくる作家さんだと思っていて。だからそんなに要求とかはないし、名倉さん達も考えがあってそういう風に手創り市をやっていると思うから、決められた中で私達作家は、そこでどう見せていくかってことを考えているので、周りまで目がいってないっていうのがあって、要望とか考えてみるんですけど思い付かないかな。他の作家さんはみんな要望とか考えているんだろうなとか思って、今迄のアトリエ訪問の山本さんの所、観てみて、まさにこの通り、役割分担って言ってたのかな?」
名:そうですね。
前:「それぞれで全力を尽くす、まさにそんな感じだと思いました。私の言いたいものこんな感じだと思いました。そうだから、お客さんの意見が気になるかな? 名倉さん達と私達は同じ方にいて、お客さん達はこっち。こっちではどう見えているのか? 客観的には気になるかなぁ。だからルポとかでお客さんの取材してていいなと思いました。内側だけでやってもあれだから」
名:そうだね。
前:「周りからどう見えているのか?」
名:お客さんも含めて内側、って考えた方がいいよね? それを意識するかな。
前:「だからなんの文句もないんですよね。静岡の手創り市でも高山さんから「何かないですか?」ってあったんですど、思い付かなかったですね。大満足で、特に静岡は」
名:とりあえず、ついでに静岡のことを聞きますけど(笑)ホントは静岡の事は聞かなくてもいいんだけどね・・・静岡のスタッフも観るから、儀礼上聞いておきます。静岡の会場はどうでしたか? 10月参加してみて。
前:「ホントに良かったですね(笑)」
名:例えば?具体的に言ってやってください(笑)。
前:「具体的にー!」
名:結構遠いよね? 何時間位かかる?
前:「首都高は乗らないで東京から東名に乗って、四・五時間、家から五時間位だったかな。休憩とかもしつつ。帰りはえらい九時間位かかりましたけど」
名:ヘトヘトだよね。
前:「眠くて、顔叩きながら帰りました(笑)。で、会場?」
名:鬼子母神と、静岡の会場・護国神社って全然違うと思うんだよね? 大きさからして全然違うと思うし。
前:「まず、自然が多いなと思って、天気も最高に良かったからすごい会場もキラキラしてて、一周回ったんですけど、ロケーション? すごいいいなと思って」
名:お客さんとか作家さんの様子は?
前:「自分が思ってたよりも、ちょっと少ないなと思ってました」
名:確かにね。静岡の中でも意見分かれるんだけど、僕は正直、10月の静岡はそんな多くなかったかなって。前とかの方が多かったし。その一つの理由として、東京以外の地方っていうのは基本は車社会で駐車場がなければ人は来ない。で、護国神社には来場者専用の駐車場を一切用意してなくて。スタッフ全部で13人いて、順番に会場内外の路上駐車などの対応をしているんだけれど、一回目、二回目、三回目ってやってく内に、車で来る人っていうのが確実に減ってるんだよね。要するに車で来る人が減ってる分の絶対数は減ってるよ。それは大きいだろうなって。でも、お客さんの数は絶対じゃないと思ってるから、それはそれ。自分たちはこの場所でどういう風にやっていきたいかっていうのが、伝わっているといえば伝わってるんだけど、そうは言っても、来場者の数というか、会場にいてお客さんが多いか少ないかって感じる感覚っていうのは大事かな。そこは忘れちゃいけないしね。数えるつもりはないんだけど、ぱっと見とか、その場所にいて少ないなって思うのは良い事じゃない。そこにたくさん人がいるなって思えた方が、みんなが楽しいかな。僕らもそうだし、作家さんもそうだし。ま、お客さんもそうかな? おそらく。
前:「そうですね。でもかなり宣伝活動はされてるなぁーってブログ観ながら思ってて、それは私達出す側も刺激を受ける所だと思います。やっぱりイベントとか、宣伝は大事。だから主催してくれる方が頑張ってやってくれると」
名:来て貰わなきゃしょうがないしね。
前:「そこで自分が出したいなっていうイベントを、割と決めるかも知れないですね」

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名:じゃ、次の質問にいきます。これからつくる事、つくる事を始める人や、アトリエを持つ事を考えている方へ何かアドバイスなり、何かあれば。
前:「アドバイス……」
名:おこがましいでしょうけど(笑)
前:「アドバイス……」
名:自分が気を付けていること。
前:「動くって事かな?」
名:「動くとは?」
前:「思ったら動く。動かないと何も始まらないし。やりたいなっていってるけど、動かない人を見ると、動けばいいじゃんって思いますね。動いて動いてやってけばいいんじゃないかなぁ。動くって大事だな?」
植:動き方のパターンっていうか、小さな事から大きな事へ膨らましていくとか、そういうのってありますか? それとも今ある事に敏感に反応してって動いていく事が多いとか?
前:「動くってのは、また自分は無意識じゃないけど、本能?」
植:「本能」
前:「本能のままに動くとか、強く思った方向に動いていくのが一番いいなって思いますね」
名:それは結果を出すとか出さないとか、結果は関係なく、自分の思い入れのある方に動く。
前:「そうですね」
植:衝動に従う?
前:「そうですね。あとイメージかなぁ。イメージが強く出来る方向」
植:自分の中の……。
前:「膨らむイメージ(笑)」
名:インスピレーション?
前:「だから陶芸に進んだのも、イメージが沸いた。自分が就職して会社に入ってるイメージは全く沸かなくて、陶芸での作家でのイメージが沸いたから、そっちに行ったって感じですね。だから、考えて進むっていうよりは、動くってことかな。本能のままに」
植:無意識っていうキーワードが何回か出てますけど、それを僕は何だろうなって考えた時に、前田さんの自然さなのかな? って思って。そういう事に置き換わるのかなって思ったんですけど。ホント自然にやってる感じがあって。
前:「そうですね。作陶も多分そうですね。自然、自然にっていうか、やんなきゃって思ってやるんじゃなくって、生活のひとつの内に入っている。自然に入っている。ご飯食べるみたいに。とかかなぁ。なんですかね? 感覚みたいなことを言葉にするのって難しいですね」
植:直感に従っていくっていうのはあるんですよね?
前:「そうですね。直感、直感ですね」
植:あと流れを滞らせない為に動くっていうのもありますよね?
前:「うんうん。そうそう」
植:そんな感じを受けますね。
前:「うん」
ユ:恐れはないんですか?
前:「恐れ……」
ユ:不安。
名:不安だよね。
前:「ないー」
一同:ははははは(笑)
前:「周りの方が不安に思ってるかもしれないですね?(笑)」
名:あの子大丈夫かなって(笑)
前:「家族とかね?」
名:確かに不安はないよね? ユキくんは不安はあるの?
ユ:直感に鈍感な人もいると思うんですよ。直感がこっちだなって思ってても、色んな条件だったり、環境だったり、こっちの方が得なんじゃないとか、そういう雑念とか、本当にうまくいくのだろうか? という不安とかあるのかなって。
名:そういう意味で言ったらあるね。
植:ある。
ユ:それを振り切れるかどうかとか。前田さん見てると気持ちいいですよね」
前:「なんとかなるんじゃないかって、なんくるないさですね(笑)。食いっぱぐれたら南に行けばなんとかなるって思ってます。南の人に失礼ですけどね。うーんまぁでも、実家があるってこともあるんでしょうね。食いっぱぐれる事はない。だから周りの人に支えて貰ってるって事ですね。不安がないっていうのは。一人でやってる訳じゃないって感じですね」
名:でもそれは、つくってる時にはそれは考えないよね? きっと。
前:「考えないですね」
名:考えたらいいものはできない。それこそ雑念の更に雑念というかさ。誰かのおかげで今の自分がある、みたいな思いでやってると、多分ろくな物つくれないっていうか、そんなん大きなお世話だって思うよね? つくりたいものつくれよって思う。
前:「うんうんうんうん」
名:メリハリがあるのかな? きっと。
前:「メリハリ?」
名:考え込まないし、かといって考えない訳じゃないし、動く事を選べるっていうか。きっと無意識って言ってても全く無意識じゃないと思うんだよね? それは多分考えてるし、行動が伴わないって事はないんだろう前田さんはきっと。やっぱり最初に動くってことを決めるっていうかさ、考えて考えて考えて、考えるだけではないというか
ユ:運動神経がいいみたいですね。
名:そうだね。反射神経。頭の中と身体がつながってるっていうか。じゃまぁ、動けば良い事あるかもしれないってことで。
前:「そうですね」

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名:最後の質問ですね。今後の目標を。みんなに聞いてるんですけど、短期的でも、中期的でも、長期、老後でも、なんでもいいです。
前:「前から思ってるんですけど、最近またはっきりして、自分の空間で見せたい。というのは、箱があって、器があって、器に盛る料理があって、全部トータルで」
名:前田美絵(笑)
前:「ははは(笑)前田美絵を見て欲しい、みたいな(笑)」
名:お店って事?
前:「そういう事になるのかなぁ。そうじゃないかもしれないですけど。全体で、空間も含めて全部表現」
名:そういう事をしたい。
前:「面白い事出来たらいいなぁって思って」
名:それが出来ました。じゃぁ、その後、どうしましょう?
前:「その後ねー? あんまり先の事は考えないタイプなので」
名:だろうなとは思ったけど(笑)
前:「そう(笑)その後か?」
名:もっと先でもいい。遥か彼方の。
前:「え、生きてるかな?(笑)。うーん。自然の多い所で暮らしたいかな」
植:この蓮田よりも、もっともっと?
前:「うんうん。那須の方とかね? 普通に生活。畑やったりね」
植:その時もやっぱりつくってるイメージは?
前:「うん。つくるのはずっとやりたいですね。お婆さんになってもね。また自分の作品が変わって来るのも楽しみかな。どんなものつくってるかなぁーみたいな。今つくってる時点でこれ以上いつも変わらないだろうと思ってるんだけど、でも変わってるから、じゃあこの先もの変わっていくのかなっていうのと、どんな物つくるか楽しみですね。ルーシー・リーも手を震えながらろくろひいてるけど、あんな感じ迄やりたいですね。だから陶芸は続けていくのかな? 多分。そこに色々加えていきたいかな? 陶芸と他の物と。料理かな?
名:料理も(お店で)自分でやるんですか?
前:「できれば。色の組み合わせを考えるには……やっぱり全部自分でやりたい。でもたまに他の人に委ねてやって貰いたいってのもありですね。だから、今も展示とかで他の人に盛って貰って、観て貰いたいっていうのもありますね。どんな風にして盛るのかなっていうのも楽しみですね。どう使うとか?
名:やっぱ使って欲しいよね? 並べるだけじゃなくて。並べて綺麗に見えるのもいいけど、並べるだけだと在庫に見えちゃうよね?
前:「うんうんそう。だから渡す時に、販売する時に、がつがつ使ってくださいっていいますね。また使っていく変化もあるし、器の。それも楽しんで貰えたらとも思うし。そうですね、買って帰って、家で料理盛って使って貰って、ああいいね! って思って貰えたら最高ですね。使って貰えた時にまた何か感じて貰えたら嬉しいですね」
名:じゃ、まぁ、自分の場所をつくるってことで。
前:「何十年後になるかわからないですけど」
名:結構近いかもしれないしね?
前:「どうかなぁー。今はまだ、器色々とやりたいなって、実験したいし、まだホント試行錯誤ですね。中途半端になっちゃってもダメだしね」
植:その手掛かりとして、ブログに「アトリエ展」ってあったんですけど、それも空間を見せるってあると思うんですけど。
前:「あ、そっかそっか。ちょっと熱は冷めちゃったんですけど(笑)。でも、自分の空間で観て貰いたいってのがあって、アトリエ展もいいかなって思ったんですけど。でも最近、今のここの空間じゃないかな?。って思って来て。また別な所をイメージしていて。場所ははっきりしてないですけど。ここじゃないなっていうのは、最近思いました」
植:それも直感的なもので、別のアトリエに移った時に、降りて来るように、「ああここでやろう」って思うんでしょうね。
前:「多分次動く時は、それをやることも踏まえて探すかもしれないですね」
名:その時が来るのは待つということで。
前:「待っててください。それまで色々試行錯誤させて頂きます。イベントに出しながら」


ユ:ひとつだけいいですか? ちょっと話が戻るんですけど、前の教室で焼いてた窯からこっちに変わった時に、全然狙った色が出なくてっておっしゃってたじゃないですか? そういう道具、焼く時に使ったり、色んな道具があると思うんですけど、そういう道具で制限される事があって、それの中で試行錯誤をして近付いて行くのだと思うんですけど。僕も曲をつくってる時とか、道具はいくらでもあるし、お金出せば良い物はいくらでも買えると思うんですけど、制限がある中でやっていく面白さとかありますか? というか、今の設備にある不満とか、そこでやってみようと思う事とか、どうですか?
前:「制限、というので言えば、最後焼く瞬間は、窯釜に委ねるので、ホント色味が毎回違ったり、毎回でもないけど、思い通りに出なかったり、そこが迷い所かもしれないですね。特に注文品なんかは同じ物をつくらないといけない時もあるから、ちょっと迷いますね」
ユ:また高いやつにすれば出るって訳でも……。
前:「ないですね。でもまたそれが、すごい面白い所でもあるなとは思ってるんですけど。前もブログで書いたんですけど、緑っていうのが、夏に出た時の緑と違くって、最近出る緑が。気温の違いで窯の冷めるスピードが変わって、そこで色味も変わってくるんですが。ああ、季節によって違うのは面白いなって思ったり、自分の意図してないところだけど、違って出るのはまた楽しいかなって」
ユ:今は今で満足してある中でやっていこうっていう。
前:「そうですね」
ユ:じゃぁ、完成形じゃないけど、とりあえずの整った状態。
前:「そうですね。道具にそんなにこだわりはないのかな。とりあえず、自分の身の丈にあったもの、釜だったり、その中で色々出来る事やってこうかなーみたいな。ホームページも今、そんな感じですね。なんか、無料のなんですけど。ま、身の丈にあった」
ユ:必要な時に必要な物が出て来たら……。
前:「そうですね。広告宣伝は入っちゃってますけど、それはまだ自分の作品に納得してない所もあるから、作品にも納得したら、そこはしっかり見せたいな。そしたらホームページも変わるかな。まだホント、まだまだ実験中ですね。色んな事が。まぁ楽しいですけど」
ユ:それを楽しんでるのはすごいですね。ありがとうございます。


名:身の丈って言葉は良いなって思った。
前:「身の丈」
名:身の丈、大事だよね。僕は本当に身の丈って大事だと思う。身の丈をベースにして諦めるものは諦めろって思うかな。望むものは望んだっていいし。なんかね、それはね、具体的じゃないけど、諦めたってそれで終わりじゃないじゃん。今はこれでいいってことだからさ。それ以上のものを望めば、それはある意味、なんだろうな、仮に自分に合わない、高価で機能性が良くて、もの凄くでかいエンジンを積んでるもの、仮に使ったとしても、自分が使えないんだったら意味がない。却ってそれで悪くなる一方だと思うんだよね? 身の丈っていうのはすごく大事なものなんだと思う。そうじゃないとただ表層をなぞった様な、かっこだけの物になっちゃうかな。
ユ:身の丈を少しずつ伸ばしていくような。
名:その為には時に諦める事も必要。まだ必要ないなっていう。仮にそれがすごく自分にとって必要かもしれないとか、と思ったとしても、かもしれないならなくっていいじゃんって。そこで出来る事があるんだから。と思うね。
前:「だからまだ自分はがっつり観て貰いたいって所迄行ってないですよね? だから売り込みも最近はしてないですし、ちょっと前迄は色々やってたんですけど売り込みも。今じゃないなと思って、今は止めてるんですけど、試行錯誤中だってのがあって、自らはあまり行かないかな。だけど、色んな人に声掛けて貰いながら、試させて貰ったりとかしながら、してますね」
名:はい、という事でまとめますか。
前:「今すごいいい状態で制作してます」
名:はい。という事で以上でアトリエ訪問、前田美絵さんのインタビューを終了します。お疲れ様でした。
一同:お疲れ様でした。ありがとうございます。


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ライターうえおかさんによる「アトリエ訪問後記」も御座いますので宜しければご覧下さい。

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※今回のアトリエ訪問へのご感想は下記mailまでお気軽にどうぞ!


手創り市
info@tezukuriichi.com





前田美絵さんのアトリエへ


埼玉・蓮田で作陶をされている前田美絵さんのアトリエにお邪魔してきました。
昨年の今頃、前田さんには一度アトリエ訪問を打診していましたが、その時はちょっと・・・ということになり、約1年後念願叶ってのアトリエ訪問ということで、あれから彼女自身の作品や制作にも大きな変化が見られたように思う。
その内容はアトリエ訪問インタビューでご覧頂くとして、彼女は無意識という言葉をよく使うと思ったが、話を聞くとそれはまったく無意識なんかじゃなく、動くこと、行動が常にあって、それが自然であるが故に当人からすれば無意識的、という感覚なんだと感じた。
とにもかくにも、今年最後のアトリエ訪問は終わってみればとても爽快な出来事であったように思う。記事となるのは、年明け第2週の週末頃になるかと。お楽しみに!





名倉







アトリエ訪問【ANDADURA】益子編

第七回 アトリエ訪問 ANDADURA

話す人:ANDADURA/山本→山
聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ

名:今回のアトリエ訪問はANDADURAの第二回目になりますね。前回は初めてのインタビューだったのでアトリエのことを重点的に聞いて。今回は二回目ということもあるので、アトリエに関してはもちろん写真でも紹介するんですけど、それと併せて『お財布のように工房を』を参照して貰って、アトリエを中心というよりはそうでない形で。全体的な流れとしては、登戸から益子へ引っ越して、いちからアトリエをつくって、避けられる話じゃないので…震災がやって来ました、震災以降、個展の開催を終えた今、これからANDADURAとしてどうやって活動していこうと思っているか? というのが流れですね。
山:「はい」
名:なので、インタビューってよりも、フリートークな感じで。山本くんからも何かこう、都内に住んでいる僕らとの違いというか、質問とかあれば聞いてもらってそれにこちらも答えてくという感じでやっていきます。じゃ、まず最初に、登戸から益子へ引っ越して、一からアトリエをつくる、引っ越した当初、どんな心境であったか?で、アトリエをつくりながら何を考えていたか?それをお聞かせください。
山:「ここに来たのが一月の二十日頃なんですけど、実際に物件を探しはじめたのが、去年の夏くらいなんですよ。前のアトリエ訪問でも、益子に引っ越したいって言ってて、実際本格的に探し出したのが七月くらいで。ずっーと登戸でやってくと家賃の高さとかもあって、足元の仕事が出来ないという危機感みたいなものは感じてたんですよ。どんどんどんどん、つくって売って、つくって売って、って回していかないと、ずっとは厳しいなっていうのはあって。登戸に住んでて三年くらい経った時に、ずっーとそのペースでやっていくと、多分どっか、やりたくないこともやってそうな気もするし、あまりよくないことだろうなぁと思って」
名:自分が歯車の一部になるという?
山:「そうです。やっぱそこで本当に暮らしてくってことで、なんか改ってというか、足元の仕事って結局あんまりお金にならない仕事じゃないですか? 僕の場合、つくって買ってもらうことで生活しているので。そうじゃなくても今までやって来たことを見直すとか、ゆっくり時間かけてこう、例えば事務とか、管理する仕組みをつくるにしても、そのへんきっちりやろうと思うと、時間をかけて。本当にやりはじめてすぐなので、その辺のことをきっちりしたいなとなると、家賃の安いところに引っ越して、そこでじっくり足元仕事をやりたいなと思って引っ越したんですよ」
名:この益子の物件を見付けるには通いながら?知り合いの所に泊まりながら?
山:「益子に大学の友達がもともと住んでて、で、その友達に物件探して貰って、そうするとこの物件は彼の知り合いがもともと住んでて、でもう空いたからって教えて貰って、それを益子に見に来てすぐ決めたという感じですね」
植:即決?
山:「一応即決というか、彼女がどうするかで一回見て貰おうと思ったんで。僕は気に入ったんで、すぐにとめといてくださいって言って、それで彼女にも見て貰ってオーケーだったんで、すぐに決めました」
名:この建物の第一印象は?
山:「第一印象は、厳しいな、と思う所もあったんですけど、まぁでも、外観も可愛らしいし、全然いいなと思って。ちょっと離れに工房がつくれるなっていう、あの辺も魅力でしたね」
名:生活の場と、工房を分ける。
山:「そうです。前のところは敢えて分けずにやってたんですけど、やっぱ次は分けてやろうかなぁって思って」
名:それもやっぱ足元を整えることに繋がるという?
山:「色々試した試しで良い形になればなとは思うので」
名:それで引っ越して、生活をしながらアトリエをつくって、3月11日の地震、そこから8月の個展に至る迄のことを聞きたいんですけど。ここってものすごく、たかが半年であっても、すごく色んなことがあって、色んなことを考えたと思うし、本当にセンシティブな話なのでざっくり山本さんに全体をどうでしたか?って聞くよりも、こちらから少しずつ質問をしながら話を進めていこうと思います。
山:「はい」
名:いくつか質問事項をあらかじめ考えてきました。それは絞ったり絞り切れなかったりとかたくさんあって。一応、いくつか用意したんですけど、それも全部聞くかといったら、その時の流れでって考えてます。3月11日、地震が起きて、自分が知り得る状況を知って、まず何をしましたか?
山:「『お財布のように工房を』にも書いたんですけど、工房が出来たのが地震の二日前の3月9日で」
名:出来たばっかりですよね。
山:「これからって時だったんですけど、地震が来て。最初は結構揺れたんですけど、そんな大きなことになってないだろうって。あんまりニュースも入って来なかったので」
名:この辺って震度何くらいだったんですか?
山:「震度5強かな?」
名:ああ、そんなに東京と変わらないですね。東京もだいたい5強くらいあるって言われてるから。
山:「それでとりあえず状況とか見てると、なかなか原発のこともあり。ホントに出ようとかなって思ったのも、地震が来てその夜とかにずっと電気が来てなくて、真っ暗だったんですよ」
名:完全に停電して。この辺り一帯ですか?
山:「そうです。この辺り一帯真っ暗で。で、その真っ暗な中でずっと余震が来ていて、常に、余震、余震できてると、今回すごいなんか不吉だったんですよ。嫌な予感がして、何て言うんですかね?個人的に揺さぶりかけられてる、みたいな。一日こう真っ暗な中でずっと余震味わってると、ホントそんな気分になって来て」
名:お前どうすんだ?みたいな・・・
山:「個人的な揺さぶりですよ。ホント、一人一人が向き合わななきゃいけないんだな、という感じの気持ち悪さですね。ホント、嫌な予感があったんで、次の日、ネットが回復した後に、ニュースで原発のこととか見ると、前の日にすごい嫌な予感もあったし、だからこれは厳しいなと思って。それで益子を出ようかなと思いましたね。益子を14日に出たんですよ。三日後ですね」
名:11日の金曜日に地震が起きて、それから三日後。
山:「そうです。その位の時期って」
名:確定申告?
山:「ギリギリぐらいで、金曜日になんとか終わらそうって思ってたんですけど、電気もなくて全然進まなくなって、気分的にもそんなニュース見ながら確定申告なんて」
名:やってらんないですよね・・・(苦笑)
山:「こんな時に、こんなん、やってられっかって感じだったんですよね」
名:ホントにその通りです。
山:せっかくちゃんとやんなきゃなと思って。月曜日になんないと税務署が開かないので、その日迄は帰らないなというのがあったんですよ。でも、税務署はクールじゃないですか? 出さなきゃ出さないで、まぁその辺なんとも言えないなとも思ったので、それを月曜日の朝に出して、帰りましたね。ホントはその前の日に出たかったんですけど、その時結構危機感があって、14日になったらもう出れないかなってなんとなく思ってたんですよ。13日が結構ギリラインかなとか思っていて、電車とかも厳しいし、あまり悠長にしてられないなと思って。確定申告をなんとか嫌々終えて、それですぐに帰りました」



名:益子ってこの町、物づくりがすごく盛んじゃないですか?陶芸のほか色んな人がいると思うんですけど、ここでつくることで生計を立てている人がたくさんいると思うんですよ。もちろん、山本さんの周りにもたくさんいるだろうし、それは規模の大小関わらず、当たり前なんですけど、大きな損傷、損壊があって影響があって、特に陶芸の人たちは、やっぱりその地場で物をつくってっていうのがあって、やっぱりそこから離れられない人って絶対いると思うんですよね? 離れたくても離れられない。つくることと生きることが直結してるから。お金の面でも。その比較じゃないですけど、山本さんは、確定申告を終えて、ひとまず出て行こうって。そこで冷静に、第三者的に、比較とかって何かありました?自分自身と、出て行けない人たちっていう。それは良い悪いじゃなくて、個人が向き合う以外ないっていう前提で。
山:「僕の場合は本当に、予感みたいなものもあったし、実際に被爆とかすると僕は絶対にこう、自分が出なくて被爆しちゃったら、どっかを責めて、誰かに責任を求めるようになるかなって、本当にそれが嫌だったので出たんですけど。まぁ、実際物づくりしてる人とかじゃなくて、近所のみんなは普通で、大丈夫大丈夫って感じで。うーん。何が違うんでしょうね? なんでしょうね?」
植:その時、近所の方とかと、地震や原発のことを話す機会っていうのがあったんですか?
山:「ありますよ。地震が起きてすぐにみんな外に出て、大変だねとか言って。瓦も結構ひどいことになってたりして、そんな感じで話してたりとか。その日に珈琲つくって持って来てくれたりとか。そんな中でみんな、どうするこうするは話したんですけど、その時くらいで、地元に帰るとか、出るとかは全然聞いてなくて、みんな、そんなに大きなことになってるって感じもしていなくて。その時、物つくってる人とかでも連絡して、出る人とか何人かいたりして。もうやばいから出るよって言って。そうですね、僕は広島に生まれて、原発や放射能とかに対する危機感が強いのかなぁっとも思いますけどね。
名:原発のこととか放射能のこととか、広島だと小さな頃からそういう話を聞くものですか?
山:「聞きますね。原爆資料館に行くとなかなか。遠足とかで行ったりもするし」
名:修学旅行って行ったりもしますよね?
山:「行きますね。バスとか乗ってると、横のおじいちゃんとか、戦争の話とかしてくるんですよ。あーだった、こーだったとか。そんな中にいると、その辺の意識は高いというか、昔から考えてたことなんで、その辺の危機感はありましたね」
名:3月14日に確定申告を終えて、一時避難ですよね?
山:「そうです。一時避難で名古屋に行きました。彼女の実家に行って、十日間名古屋に居ましたね」
名:その十日間でどんなことを考えてましたか?地震が起きる二日くらい前に、アトリエがようやく完成して、さぁこれからだって言う時に地震が起きて、出て行こうって決めて。それって、人に何言ったところでわかって貰えない葛藤とか苦悶とかすごくあると思うんですよ。それは天災、原発のことに関しては天災じゃないんだろうけど、まぁそれはもうどうしようもないし、この十日間で色んなことを考えたんだろうなぁっていうのは。
山:「とりあえず、ずっとニュースを見てましたね。出たときは五日くらいで戻れる様になるかなって感じで出たんですよ。一応、もしかしたら戻れなくなるかもしれないな、とも思いながら、家の中で持って帰ってくるものを持って帰って、戻れないかもなって感じで出たんですけど、でもどっかで希望的には、五日くらいで戻りたいなっていうのはあって。なんとか状況良くならないかなぁって、ずっーとニュースを見てて。この十日間はホントになかなか長くて、きつかった感じもしますね。特に仕事のことで、あれやろう、これやろうというそんなアイディア出したりとか、そんな感じでもないんですよね。
名:それはそうですよね?
山:「ホント、またいちからだなぁって、ずーっと思ってました」
名:いちからというか、ゼロからですよね。
山:「またまっさらになったって感じでしたね,。これから色々やろうとしてることも多分出来ないかなぁと思ったり、実際ホントそれが厳しくなった時に、自分自身のやり方もどうなんだろうなぁって思いましたね」





名:丁度僕らその頃って、3月18日に手創り市があったんですよ。で、地震が起きて、まぁ一週間後、十日経ってないですよね? で、開催するのかどうかっていう色んな問い合わせがあったり。その時点では開催しますってことにしてあって、ただ状況によっては当然変わるっていう。絶対開催じゃなくて、変わることも充分あり得る、という表向きに話というか、ホームページ上にはそう書いて。手創り市に出てる作家さんというのは、やっぱり好きでやってるとか、今は仕事をしているけど、これからはつくること一本で食べていこうとか、たくさんいると思うので、僕らが何言おうが、最終的には自分で決めることだと思うんですよね?仮に僕らが何がなんでも開催ってなったとしても、そんなことありえないですけど、でもそれは自分で選ぶものだと思うんですよ。出るか、出ないかっていうのは。それを僕がこうして言っちゃうと、それは違うんじゃないか?って言われるのは当然思うけど、でも自分で向き合うしかないと思うんですよね。自分でやってる以上は。つくることとか。これからのこと含めて。そういう意味で、都内のイベントとか、都内じゃなくても、遠い関西とか、東海地方とか、そういうとこのイベントでも地震があった瞬間にすぐ次の日には中止にしますっていうようになってて。それって、僕個人的には違和感があって。何でかっていうと、怒られるのを承知で言うと、何も考えないじゃないですか?中止ってなった瞬間に思考回路が停止するっていうか。そりゃ中止に決まってるとも言えますよ、誰もわかんない事だから。だから判断がまずいんじゃなくて…具体的に何が違うのかって違和感はうまく説明できないけど、考える時間っていうのは絶対必要だなって思ったんですよね。それは何でかって言ったら最初に戻るけど、自分自身が最終的に答えを出すことだから。一応、3月18日の開催二日前に、リミットを決めて、ここで決めますって、出展する人には、個人個人にメール送ったり電話したり。そこで、その時点で、もう出ませんって人もいたし、考えますっていう。その中でこう、中には僕自身が考えてたこと、僕のワガママだと思うんですけれど、各自みんなそれぞれ考えようよっていう、そこをわかってくれてる意識がとてもあって、それぞれ住んでる場所が違って、普段の生活が違う、やってることも違う、けど手創り市の場に出てるってことは一緒で、だから事務局の人は事務局の人で本当に考えて欲しいし、私たちは私たちで本当に沢山の事を考えなくちゃいけないなという。そういうやり取りがあったんですよね。それは本当、鳥肌が立つくらい嬉しかったですよね。嬉しいって言っちゃいけないかもしれないですけど、そこでのやりとりはほんとに忘れられません。結果的に中止になって、ま、それは別に、自分の中ではこう結果論というか、結果が出ただけで、その過程がすごく大事だったなって、それは今も思うし、そんなことを考えてました。
山:「ホント、じっくり考えられたらそれはどっちでもいいって思いますよね?考えて、やる、出るにする、やらないにしろ、考えて出した結論だったら、どっちでも同じっていうか。まぁ納得はみんないくかなぁとは思いますね」
名:植岡さんはその時、何をしていましたか?
植:「震災アンケート」って手創り市がやったんですよね。以前、それに答えさせて頂いて、今日はそれ見ながら答えさせて頂きたいんですけど。震災後すぐに、体調がめちゃめちゃ悪くなってしまって、ストレス障害だと思われるんですけど。それがあったのと、原発の件が起こった時に、普段からメディアを信じていないというのもあったんですけど、内的にパニックにもなってしまって、もうどうしようもない状態になってしまったんですよね。そんな状態にありながらも、自分に何が出来るかを、強迫観念的に考える状態になっていって、それでまず、自分のブログに、震災のまとめサイトのリンクと、募金のまとめサイトのリンクを載せたんですね。実行力のある情報が載せたくて。それが微力ながらも出来る事じゃないかと思って。その頃には、自分の小説/作品に何が出来るか?とか、自分の作品がどんな力を持つのかを考え始めていて。僕の作品って、以前山本さんにも少し読んで貰ったんですけど、現実と向こう側の世界の繋がりだとか、向こう側の世界に行ってどうこうとか、そういう話が多いんですけど、それって、自分が簡単に死なないっていう前提がどこかにあって、そういうところがあったから、書けたんだなっていうことに気付く瞬間があって。
名:それは甘え?
植:甘えというか、本当の死に向き合ってなかったというか。実際、リアルな死が間近に迫った時に、余震が毎日あったりとか、そういう時に本当にきつかったんですね。で、数日緊張状態で過ごした後に、リラックスできる瞬間があったんです。それはFMラジオから流れた古いジャズを聞いている時だったんですけど、それまでは音楽は聞けなくて、それが切り替わって、すごく楽になれた。僕は金銭的にも体調的にもボラティアに行く事は出来ないし、募金も微々たるものだけど、僕のブログを見てくれている人や周りに人には、リラックスの素となるようなものは、提供できるんじゃないかって思って、ブログに、「アロハハワイ」って言うかわいい感じの詩を載せたりとか、穏やかな小説を載せたりしたんですね。それは書く事によって、僕自身も救われたかったのだと思うし、反響もあって嬉しかったんですけど。その後に、様々な不幸、例えば家族が病気を患ってしまって、とか、その時点でキャパシティオーバーになってしまった、という流れです。で、今回、名倉くんとアトリエ訪問に来る、震災の話は避けられないという話をしていて。
名:避けないのが普通だよね。
植:で、そこをやっていこうという話になったじゃない? そこで僕はどれだけ、向き合えるんだろう、というか、向き合う為にここに来たというのがすごくあるんですね。シャットダウンしていた情報とか、そういったものとかも、徐々に取り入れ始めていた時期だし、体調も安定して来ていたので、山本さんのリアルが知りたかったっていうのもあって、そこで突き詰めて、僕がまた自分を見詰め直す時間を持てるんじゃないか? と思ってここに来たというのが今の流れですね。
名:カウンセリングにやって来ましたと(笑)
植:(笑)
名:まぁでもあれだよね?ちゃんと人と向き合うっていうのは、それこそ自分にちゃんと向き合うってことだから、それはその通りだと思うかな。
植:うん。
山:「帰ってきつかったのは、あれですね。彼女が福島に住んでるんですけど、福島から名古屋に出ようってなって、それで彼女の実家に行ったんですけど、三日位した時に、「もう、村に戻る」って言うんですね。彼女も彼女で決心して出たんですけど、やっぱり自分一人が逃げたみたいな意識が働いて、危ない状況だけど戻りたいっていう、罪悪感みたいなものを感じていて。僕は戻らない方がいいからって説得するんですけど、何言っても伝わらないし、わからないし、なんて言うんですかね? そういうのってある程度までは場の声じゃないですか?自分で罪悪感持ってるように思えても、場から出た声を自分で感じて、自分で思うみたいな。で、毎回毎回会うたびに、戻る、戻らない方がいいじゃん、って。結局それ、自分で考えてるように思うけど、場の声ってゆうのも少なからず作用しているし、出たんなら出たんでその責任でもないですけど、出たら出たなりにある程度納得しなきゃ帰んないじゃんとか。僕はある程度落ち着く迄は、何日かは戻らないようにしようと思ってました。何日かすると彼女も急いで戻りたいっていうのも落ち着いてきたんですけど、それでも、出たことに対して、いろんなものを置いて来たという罪悪感も感じてたりして、そういう罪悪感ってどこからきてるんだろうって思うんですよね。感じ方というか、感じてる様に思わされてるのかもしれないですね。」
植:そういう回路がつくられてるっていうか?
山:「僕はその辺の罪悪感をなるべく感じまいとしていましたね。なかなかタフな十日間でした。あれは。友達とかにも会うんですけど、名古屋位になると、言ってもみんな地震のこととかの危機感もないし、そういうのがありがたかったり、ちょっと腹立たしかったり、でも一時的にでも離れられたのは良かったと思いますね。結局、腹立ちながらもすごい救われた部分も大きかったし、ずっと居たらどうなってたんだろうとは思いましたけどね。自分について言ったら、ホントにちょっと、ゼロからというか、ホントに厳しいだろうなぁって思いましたね。物とかも売れなくなるのかもしれないし、食っていけるのかなぁって。色々思いましたね。そういう時に、個人商店とかによく行ってたんですよ。大きいとことか名古屋に行ってもそんなに少ないんですけど、気分転換ってなるとちっちゃい個人でやってる個人商店とかに、ものすごい行きたかったんですよね。そういう所に行って、その人が選んだものとか見てると、なんかちょっと落ち着いたりして、そういうのって、その人のまともさっていうか、一人で考えられるところで一人でやってる所ってすごい落ち着くなって思ったんですよ。だからその時色々、あっそっか、こういう状況になって、もし自分が厳しくなるんだったら、お店とかやるのもいいな、とか思いましたね。そういう状況でもホントありがたかったので」



名:僕の知ってる手創り市に出てた作家さん、珈琲屋さんなんですけど、その方は地震があって、一時は休んでたのかもしれないんですけど、ま、再開して、それ以降手創り市には出ないようになったんですよね。これは、当人から、ちょっと時間が経ってから聞いたんですけど、自分の中で考えたのが、その人たちの中でたぶん、震災があって、みんなどこに行く訳でもなく、家に居て、テレビ見て、表出て。たぶん、普段来ない人がお店に来たんだと思うんですよね? 珈琲屋さんやってて、今迄は通り過ぎて、何だろう?って位だったのに、やっとその時に扉を開けて入って来た。それってお店の人にとったらすごく人の役に立ってるっていうか、嬉しいというか、そういうのがあったと思うんですよ。でまぁ、ある時、違う別件で話をしにいって、で、そういう話を僕自身思ってたんでその人にしたら、今迄は色んなイベント出たり、呼ばれればひょいと行ったり、すごいフットワーク軽くやってて、お店とイベントが、半々じゃないにしても、イベントも色んな意味で無視出来ないところがあったと思うんですよ。地震があって、お客さんが来てくれるようになって、お店の中で出来る事、自分のお店なんで、そこでやれることってたくさんあると思うんですよね? そういうのを今迄頭の中ではわかっているけど、本当に自分でやった訳じゃなかったから、その一週間とか十日間とかで、その人はホントにこう、お店でやることってことを本当に考えたって言ってましたね。
山:「ホントになんか、そう考えると、個人でやることに希望はあるなって僕も考えてましたね。そこに行ってそれだけ、安心感でもないんですけど、一人がこうやってまともなことってなかなか、行って安心するし、すごいいいなぁって思って。最初の質問はこれなんでしたっけ? 地震が起きてから、個展を開く迄の流れなんですけど、その時に考えたことをその後も結構やってるんですよ。話し飛びますけど、6月位に、仕様を一時期見直してたんですよ。一回自分の中で素材を改めて見直して。一年間やってると、良い素材だなっていうのはサンプル帳とか取ってて、この素材いいかもなぁ、このファスナーいいかもなぁとか取ってたんですけど、新作つくるって、簡単? っていうか、つくったら出せばいいじゃないですか? でも素材見直すってなると、今迄やってたこと全部覆すことになるし、店舗さん側も変更しなくちゃいけないし、全く違う物になるから、素材の見直しってサンプルとか取りながら良くなるかもな、ってのがあっても、やっぱちょっと置いといた部分があるんですよ。糸変えるとか、結構がっつりな変更になるので、なかなか良くなるかもなというのがあってもなかなか踏み出せずに居たんですけど、震災の時に、自分も再構築が必要になるなってすごく感じたんですよね」
名:それは自分が欲しいと思っている材料が買えなくなるとか?
山:「その危機感もすごいありましたね。まぁ、それとは別にやっぱ、まともさでもないんですけど、きちんとやって、結局自分も自分に何が出来る? って言った時に、まともに? まともに、まともにですかね。ホント、きちんと伝わる形にしなきゃなってのはありましたね。だからそれまで、なかなか踏み出せなかったですけど、その辺も一回、時間をかけてたっぷりやろうって。それをずっーとやってたんですけど、結局戻ったのが、24日に戻ったんですよ。一回名古屋に出て、24日に戻って、ホント、結構二ヶ月くらい止まってたって感じですね。注文が来てつくるだけで、新しいことは全くせずに、何となくニュースを見たりとか、なかなか不安定な中でそんなに前に行けずに、二ヶ月くらいやって、そこから何するかってなって、じゃ再構築するかって思って。一回素材も集め直して、新しくしたって感じですかね。で、個展っていうのも、一回新しくしたものを見て貰う場所って感じで、一連の流れと言えばそういう流れがあるような気もするんですけどね。その流れがなかったら、結構頭の中では、全然違う事をしようと思ってたんですよ。帰ってから、今迄の定番じゃなく、もっとツアー的に楽しい見方が出来るような、展示会を日本で、点々とやりたいなって思ってて、その辺も、やっぱこれはいいやって思って、全く別の方向に、新しく見直すってやって、ホント今年に入ってから、新しいこと全然やってないなと思うんですよね。ホントずっーと足元のことばかりやって、ようやくそれも一段落ついたかなって辺りが、展示会が終わった辺りですかね」
名:でも、仮に震災があったとしても、自分自身足元を整理しようと思ったことは、しっかりやれてる訳ですよね? ちゃんと自分の考えに従ってというか。
山:「そうですね。一年やったら、三ヶ月位は足元を見る時間をつくりたいと思いますね。どんどん忙しくなってくると、そんなにまとめて時間は取れないと思うんですけど、曜日でもいいですし、ここは、足元のことを見直す時間ってあった方がいいと。一回やり直してみるとそう思いますね。そういう時間って本当に必要だなって。僕自身も長くやりたいってのがあるんで、足元をきちんとしたいと思うんですけど、とりあえずは十年やりたいなというのがあるので。益子に引っ越して来た理由もそれですしね。足元のことをすごく固めたいって感じてたんで。最初の目標では、最初の三年間は足元の土台をしっかり固めようって決めてたんで」
名:話変わりますけど、八月の個展は、どうでしたか? ざっくり聞きますけど。色んなお客さんとか、色んな声とか。個展って初めて?
山:「初めてです。初めてなんです。今迄イマイチ個展が落ち着かなくて、箱一個借りてその中が全部自分の世界観どーんみたいな感じがあんまり落ち着かなくて。なんか抵抗あったんですけど」
名:そんな個展をやるきっかけなんですけど、お店さんから声掛けて貰ったんですか?
山:「ずっーとこう、やりましょうやりましょうっていう風に言って貰ってて。それで僕もタイミング的に、六月の頭くらいかな、向こうの84(はちよん)ってお店なんですけど、8月4日オープンだったんですよ。で、僕8月7日生まれなんですよ。そのお互いの誕生日から誕生日の間になんかやったら面白いなって、単純に。僕自身も新しく素材を見直したりして、生まれ変わるじゃないですか? そのタイミングでやるのは貴重だなと思って。で、僕もこんないい時期があるんで、一緒に出来ないですか? って言って。曜日もドンピシャだったんですよ。水曜日が定休日なんですけど、木曜日から、日曜日なんですよ。そういうのがあって、ああもうやんなきゃなって。そんなゴールデンタイムここしかないぞ! で、そういうのもあったら乗って来るじゃないですか? 自分で勝手に見出して、そこがなんか楽しくなって。三日間お店に居たんですよ。個展ていうのはやるのもいいですね。たまには」
名:直接お客さんと会って、話が出来るし。
山:「そうですね。結構がっつりいって色んな話も出来たし。意外に広島が、地元なんですけど、展示会に行って広島も面白いなって思いましたね」
名:それまで面白くないと思ってた?
山:「いや、面白くないっていうか、単純に知らなかったですね(笑)色んな人が居て。大学から大阪に出ていたので、その位離れるともう地元の人のこととかも殆どわからなかったので、今回帰って本当に面白かったですね。個展もそうですし、このお休みは色んな人に会って、色々話して、なかなか良かったです」
植:その中で特に印象に残ってる話って? ぱっと思い付く限りでいいんですけど。
山:「うーん。印象ですね。やっぱ自分がこう、つくってても買ってくれてる人がどんな人なんだろうってあるし、そういうとこ込みで全体的に見れるのがいいですね。あと、きちんと伝わってるんだっていうのが思えて、それが一番いいかなと。手創り市とかに出してもそうなんですけど、あぁ、やっぱ伝わってるとこにはちゃんと伝わってるんだなって。そこが一番ありがたいですね」



植:「ANDADURA」、「歩く」という屋号と共につくり続けて来てですね、今改めて、山本さんにとって「歩く」という言葉はどんな意味を持っていますか?
名:でかいねー。でかい質問ですね。
山:「うーん。「歩く」は多分、僕の場合、「つくる」に置き換えていいと思うんですけど、まだ早いと思うんですけど、肩の力が抜けて来てますね」
名:ホントに早いですね!(笑)
山:「やっぱ早いと思うんですけど、抜けて来てますね。早くも」
名:でもそれ、自分で言いながらも早いって思ってるのって面白いですよね。
山:「いや、早いと思いますね。友達にも大阪で会った時も言われましたしね。どんどんどんどんつくり込んでいって、最近はホント、力抜けて来たよねって言われるんですけど、確かにそれは感じますね。肩の力が抜けてあんまり意識しなくなったなっていうか」
植:意識しなくなったって言うのは?
山:「つくることとかも、そんなにすごいかしこまってこうだ! みたいのはあまりこう感じずに、何かもっとすーっとした感じになって来たと思いますね」
名:そうですね。それこそさっき、つくってるところを写真撮らして貰って見たけど、ホントに、写真撮ってる前提でつくるんで、見やすくとか、撮りやすくって普通考えるでしょう? ぎこちなくなるのが普通かなと思ったんですけど、全然、自然な感じでつくってましたよね?
山:「その分、写真撮りにくかったと思うんですけど(笑)」
名:ちょっと手ぇどかせ!とかね(笑)思いましたけど、それは言ってもね、写真に写らないことの方がいい事って多いからね。
植:一連の創作の流れの無駄のなさというか。「∴つづる」の方にも書いてあったんですけど、つくるなら効率を求めたいっておしゃってるじゃないですか? それをすごく感じたんですよね。
山:「サクサクつくれた方が気持ちいいですし、サクサクつくれた方が、時間かけたい所に時間かけられますからね。なるべく気持ちよく作業したいっていうのも、すごいありますしね。ある程度迄は、自分で考えて効率化するんだったら、いいことだと思いますけどね。ホントに全部が全部がってやると、違う物になると思うんですけど、どこを効率化して、どこをしないか?っていうのは、きちんと考えてやれば、なかなか、気持ちよくつくれると思います」
植:吉本隆明さんの仕事論、あったじゃないですか? 美味しいお茶の飲める綺麗な職場がいいんじゃないか?って。で、山本さんもそういう工房を目指したいということをブログでおっしゃってましたけど、その辺ではすごく気持ち良く作業出来てるなって僕は感じたんですけど、それは自分では、満点が来るかどうかはわかりませんけど、いい感じに収まっているんですか?
山:「全然文句なしですよ。大分先まではとりあえず文句はないと思います。たぶん小物つくるだけにはすごく立派過ぎる位の工房だと思うんですよね。机が二個あったりとか。小物だったら机一個で、もうちょっと小さい机でも出来るじゃんとか思うんですけど、あそこまであると、この先じゃぁ、鞄やってとか、色んな素材扱っても、変えなくても出来る位、なかなか懐のでかい工房だと思います」
植:おおー!
名:言いますね(笑)
山:「(笑)」
名:自分で言っちゃいましたね(笑)
山:「(笑)」
名:あ、帆布で気になったんですけど、僕、帆布を期待してるんですけど、いつ完成ですか?
山:「僕も早くやりたいなと思うんですけど、今年の一月くらいから、やる、やる、って言ってたんですけど、まぁでもその辺の順序を変えて、先に、今迄の見直しやろうで、それを後回しにしてったこともあるんですよ。そうですね、早くつくりたいですね、帆布。ちょっと時間が掛かりそうですね。11月の頭くらいまで色々とあって、その合間にできれば良いと思うんですけど」
名:そこは急がない、と。
山:「まぁ気長に、気長にですね。頭の中でつくれるGOサインは出てるんですけど、つくっていいよっていう? そっからどんどん時間経っちゃうと、どんどん自分が飽きてくるんですよね。GOサイン出て、丁度新鮮な良い時なんですけど、どんどん発酵しちゃって、変な感じになって来て」
名:違うGOサインになっちゃう。
山:「でも、早くつくった方がいいなというのは感じてるんですけど。あんまり完璧完璧にスケジュールは、思い通りに行かないですけどね」
名:うん。その通りですね
山:「まぁ、その位が丁度いいかなと思いますね。あ、ユキさんなんか、うんうん言って何もしゃべらないじゃないですか?」
ユ:そういう、役割なんです。
山:「(笑)」
ユ:勉強してるんです。
山:「勉強してるんですか?」
ユ:はい。



植:じゃ、山本さんに質問で、「工房の力」って言葉がありますよね? それについて聞きたい。
山:「うーん、なんでしょうね。なんでしょうね。「工房の力」ですね。工房は……。結構ざっくりしてますよね?」
植:ああ質問の切り口がですか? あの、ブログを引用させて頂くと、「24日に益子に戻り、工房にただ身を置くことで、少しずつ日常が戻って来た。それは「工房の力」だと思う。」という風に書かれたんですよね。その時の、そこにあった「工房の力」。例えば、工房ってつくる場所じゃないですか? 自分の分身を産み出すみたいな場所的な意味もあるんで、そういう、特別な落ち着きだったりとか、身体を動かすんであれば、身体を動かしている時の無心になる感じだったりとか、そういうものがありますよね? そんな切り口でいいんですけど。
名:事情聴取ですね。ブログに対しての。
山:「そうですね。単純にこう、やることも、やれる内容も気持ち良く出来るんで、あまり色んなことを考えなくても作業ができるってことはあると思いますね。もともと多分、工房つくる時に自分が、こんな感じでやりたいって希望を持ってつくるじゃないですか?だから単純にその工房に寄り添うと、なんかそういう自分の希望に寄り添うのと同じというか。そんな気分だと思います」
植:はい。希望に寄り添う。
山:「もともとつくった時の、気持ちをちょっとなぞれば。地震の後戻って、自分、前、どんな感じだったかな? とか、いつも通りってどんな感じだったけな?ってすごい思って、どんなこと考えてたっけなって、ブログとかもそうなんですけど、いつも通りに書こうとか思っても、いつも通りってどんなんだったけなって、前みたいに全然書けないなっていうのもあって。「お財布のように工房を」は多分、地震の前までに書いてるんですよ、最後の数回以外。また後で書くと全然違うし、あんな感じには書かなかっただろうなと思うんですよね」
名:それ面白いですよね?あそこに居る自分、「お財布のように〜」に居た自分と、今って環境を含め変化してるから。
山:「ちょっと時間が経ってからのアップが、逆に面白かったです」
名:ただ単に僕のアップが遅かっただけですけどね(笑)
山:「なんとなくそういうの見ながら、そっかそっかこんなんだったなとか。でも、こんなんだったなとか思いつつも、やっぱでも大きく変わったなって気はしますね。二歳位、年取った気がしますね。一気に。最近良く、老けた老けたって言われるんで。あの十日間で二、三歳年を取らされた感じはしますけどね。だから記事は結構、半分人ごとみたいな感じで見てましたね。
植:ありがとうございました。次の質問も、ブログからの引用なんですけど、「カルヴィーノ文学講座。イカロ・カルヴィーノ」。図書館時代(図書館に通い詰めていた時期)に、山本さんが読んだと思うんですけど、最近買いましたよね?
山:「買いましたね」
植:「私がしてきたことの多くの場合、重さからの離脱であった。」というのがあって、「この本に書かれている五つの視点、軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性。ことあるごとに自分も色々なことに当てはめていたなぁ」と言っていて、文学の話だけど、関係なくしっくりくる。という部分と、軽さの重要さ、という所をご自身の物づくりに絡めて聞いてみたいなと思ったんですね。
名:今言った事って、そのまま工房でやってることだよね?
植:それを目の当たりにしたというか。
名:軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性。多様性っていうのは帆布をこれからつくるってこともだろうけど。
山:「この五項目はなかなかすごいと思いますね。今とかだったら、「速さ」とかが若干どうなん?って見方されてるじゃないですか?でもそれは今の流れであって、よりもっと俯瞰から見たら、「速さ」かなぁって。すごい抽象的ですけど。
名:これはカルヴィーノ関係ないね。山本さんの話だね。ANDADURAは、そういうことですっていう。それに近い気がするけどね。
山:「そうですね。僕はホントに「軽さ」ですね。ホントに重たくなりたくないっていうのがありますね。ほっとけばどんどん色んな物溜まって来て、どんどん重たくなるじゃないですか? ほっといても。いかに軽く出来るか? そうですね。僕も、もともと逆から攻めるみたいのが好きなんですよ。
名:逆とは?
山:「最初に入った会社とかもそうなんですけど、すごい大手に行ったんですね。大手の設計会社とかにいて、その時とかも一番面白くないことしようって思って入ってるんですよ。結構それまでの二十何年間、大学の時に、今迄すごい面白かったなって思ったんですね。何もしてないですけど、好き勝手やって、すごい楽しかったなって。じゃ、こっからどう更に面白くしていくかって考えて、面白くして行く時に、自分が好きな個人事務所とか入ってると、たかが知れてるなぁと思うんですよ。それだったら、一回面白くないこと経験したら、また面白いことが見えるんじゃない?って思ったんですね。で、一番面白くなさそうな所に行って。そういう風に逆をしちゃうんですよ。それとかもそうだし、前の会社の工房とかも、個人でやりたいって思ってて、その時に決めたルールは「自分のことはしない」って決めてやってたんですよ。その会社の中でやって、自分のことはしないでおこうって。だいたい個人でやろうと思って工房に入る人って、自分の新作つくって、自分がその次にやる時ようのことやるじゃないですか? それ止めようと思ったんですね。その時は、養老孟司の言葉で、「一人で出来る人はみんなと出来なくちゃいけない。みんなとやれる人は、一人で出来なくちゃいけない」ってあって、多分、みんなと出来ないなと思ったんですよね。入った時は。みんなとやるのは無理だから、一人でやるんだったら、それで言うと逆じゃないですか? 一人でやるためにみんなとやるんだったら、みんなとやろうって思って。事務やったり、必要なことっていうか、誰もやりたがらないことをやってましたね。みんなそういう所行くと、自分でやろうって思うと、新しい物、新作つくろうってなると思うんで。結構ことあるごとにやることって、逆のことしてるなって気がしますね」
植:うーん。面白いですね。
ユ:慎重に考えて、ひとつの考え方だけで、ひとつの見方だけでいっちゃうんじゃなくて、やっぱり逆から考えるっていうのは、こういう考えもあるってことだから、そっちをまずやってみるというか。
山:「慎重っていうか、言ってみたらバランス論ですよね? 結局全部のことは矛盾してるじゃないですか?色んな人が、それ矛盾してるよって言うのは、その矛盾がわかりやすかったから、私はその矛盾に気付いたってことじゃないですか? その中で矛盾抱えつつ、ホント、カルヴィーノの言葉もそうですよね? 重さとかもあるけど、軽さにいく。立ち位置の問題じゃないですか? 軽さっていうのを認めてるんじゃなくて、重さの中で軽さを見出すことで、結局、これも軽さ論ってバランス論だと思うんですけど、なんだかんだで、なんかそうやってバランス取ってるんだろうなって思います」
植:片一方だけに振れる振り子にはなりたくないし、水平でいて、その振り子の長さが長くなればなぁっていう。幅を持たせたいっていう。どうなんですかね?
山:「いやーでも、結構楽なんですかね?一から、会社とかも楽しい会社に入って、より新しい楽しさ見出すのって、すごく難しい気がします。楽しいことやってながら、更に楽しさを見出すことって、どうなんだろう?できるのかなって気がしますね。結構、やることとかにそれは言える気がしますね。自分が感覚的なものをつくりたくなる程、合理的になっていくというか。感覚的に物つくろうって思って、自分がホントに感覚的になっちゃうと、絶対感覚的に物つくれないなって思うんですよね。逆からこういくと、なんかそれもいけるんじゃない? みたいなこともありますね。確かに目的はそっちなんですけど、逆のことの方が武器になる気がするんです。
植:感覚的に物をつくろうと思ったら、効率よくシステム的に作業しなきゃいけない。
山:「うーん。多分逆するって、自分自身の持ってる物の逆をするんですよ。もともとすごく感覚的なところがあると思うんですよ。だから感覚的な所はほっといとけば良いという位、何かつくる時も感覚的にならずに、実際的なことばかり考えてたらつくれるんじゃない? っていう。もともと、備わってるものだから。これは僕のやり方なんでわからないですけど、僕は常にそうやってる気がしますね。逆のことして」
名:それがバランスを取ってるってことですよね?
山:「うーん」
ユ:上手く伝わるかわからないんですけど、自分の感覚的な部分が心みたいなものだとして、逆の部分というのが身体的なこととか、時間的な制約とか、会社に入るとか、そういうことだとして、身体の部分を拘束するというか、ある程度制限を与えることによって、でも心は心であって、色々負荷をかけることで、強くなったり、我慢強くなったり、忍耐強くなったり、ちょっと楽しいことでもより楽しく感じられたりっていうのがあるんですかね? 心の部分をより感じやすくできるというか。
山:「なんでしょうね? すごい楽な感じもありますけどね。心とかに関して考え過ぎてても仕方ないなっていうのもあるんですよね。そうですね……。ちょっと質問の意図がわからなかったんですけど(笑)」
ユ:(笑)
山:「なんとなくはわかるんですけど、微妙過ぎるあれですよね?」
ユ:そうですね。



名:とりあえず、話の終着点がないってことで、次いきますね。先日個展を終了して今、29歳になりました。30手前ですね?
山:「30手前です」
名:これからANDADURAの永きに渡る展望というか、ま、ざっくりにね。当面何をしましょう?
山:「今は足元のこともしつつ、新しいこともやっていきたいなと思ってますね。まだなんか、走る時期ではないと思いますね」
名:走ったらね。「歩く」だらかね。走っちゃまずいよね。
山:「なんだかんだ言ってまだまだ、ちょっと過ぎてみるとぶれてるなぁって思うので。そんなこと言ったら本当に、足元のことばっかりやりそうで怖いんですけどね」
名:お爺さんみたいですよね?足元〜気を付けて〜みたいな。
山:「ずっとこう、過去にあったことをいじりながら」
名:それ嫌ですね。暗いですね。
山:「嫌なんで、ちょっと嫌かなとも思っているんですけど」
名:でも嫌だと思ってる人はそんなこと絶対しないと思うから大丈夫ですよ。
山:「いやでも、エイヤー! である程度見切り付けないと、なかなか先に……。ずっーと見てると、何かしらが先に気になるので、どっかで区切りつくらないとなぁって思いますね。とりあえず、最初の目標地点はあるんですよ。最初にはじめた時からあるんですけど、今定番が13型になったんですけど、26個迄つくろうと思ってる。最初からずっと思ってたんですよ。そこ迄は今のつくり方っていうか、今結構、ぱちぱちって、詰めてネジ締め作業みたいな感じでつくってるんですよ。肩の力抜いてってよりも、詰めて詰めて詰めてつくるっていうつくり方してて。なんとなくズッーと先に行くとその辺のつくり方も飽きそうな気がするんですよね。飽きるっていうか、ずっーとやってるとそのつくり方に執着したみたいになりそうで。とりあえず、26がアルファベットの数なんですけど、結局、個々の物つくりながら、全体でつくってる気がするんですよ。ANDADURDとして一個一個のものもつくるけど、全体を見て欲しいというのがすごくあって、そういう時に、アルファベットってそうじゃないですか? AとかBとかだけだと意味ないけど、それが組み合わさって意味が出来ていくじゃないですか?全体的なもので、そういう風な見え方になるので、ま、単純に縛りですけどね、26個で定着させるっていうのが。そこまでやる迄は、ネジ締めて締めてつくって、その時に「26」とかいう展示会をやって、使ってくれる人は個々の物を見て一個じゃないですか? そこは確かに外せない所だと思うんですけど、そうは言いながらも全体としては見て欲しいというのはあるので、それをやる迄はそこに向かって行こうかなって思ってますね。26個迄はネジ締めて」
名:アルファベットの26個っていうのは、言われた瞬間頭に入っちゃいますよね? 
山:「なんとなく全体を見てくださいねっていう見せ方も出来るし。はじめた当初に三年後にその位のことができるかなと思ってたんですよ。で、今一年半なんで、あと一年半なんですけど、もっとかかるなぁって気がしますね。こっからキャンバスの鞄をはじめて、キャンバス小物もはじめようと思って、でもそれだけだと多分足りないし、皮の鞄をつくりたいっていうのもあるので、その辺まで含めてたぶん26個になると思うんですけど」
名:そうしたら幅広いですよね?
山:「定番の数にしたらそんなに多くないと思うんですよ」
名:多くないですか?
山:「定番数にしたらそんなに多くないですよ」
名:一人でやれる範囲で?
山:「はい。多くないと思いますね。その辺迄やろうと思うと、この位立派な工房があると、そこまでだったら全然変えなくてもいけると思いますね。そこに行く迄は」
名:今ある工房は、定番26個サイズ?
山:「もっといけるかもしれないですけどね。そこに向かう迄は全然、あまり大掛かりなことをしなくても、きちんとやっていけるなという工房だと思います。僕も早くそこに辿り着きたいなって気持ちもあるんですけど、なかなかまぁ、ゆっくりゆっくりやって、実際のところ革鞄とか言っても、全く見えてないですからね。まだ。どんなのがつくりたいのかって。今の感じで革の鞄つくると、多分重くなるんですよ。結構がっちりした感じで、きちんとつくり込んでっていうと、多分、自分は使わないだろうなっていう鞄になるんですよ。自分はいつもぺらぺらな鞄持ってるじゃないですか。普段はそっちなんで、革鞄つくる時は、自分でつくる必然性でもないんですけど、そういう物が全く見えないので、自分が革鞄つくっていうのが全く見えないんですよね。最初からずっとどんなのにするか考えてるんですけど、今の所小物しかつくれてなくて、そっからキャンバスに入るのは、そこに向かう為の準備期間っていうのもあって。キャンバズは好きですごくやりたいっていうのはあるんですけど、なんとなくキャンバスをやってる間に、革鞄のつくりたいものは、自然に見えて来るかなって思うんですよね」
名:逆算ですね。
山:「見えなかったらちょっとウケますね。笑えますね(笑)」
名:見えませんでした。26個だけど、21個しかございませんって(笑)。
山:「一応、向かうべき場所があるってことが意味あるので、それが実際にこう着地してってよりも、とりあえずそこに向かって行こうっていうのがあるので、楽ちんですね。あとはまぁ、それが実際に出来たら出来たでラッキーだし、出来なくても一応旗として機能してる意味あることじゃないですか?できなかったらできなかったでなんとか、それでもいい方向に行ってると思います。そっから先のことになると全く見えてないですね。どういう風につくっていくかってことが。つくり方として、つくる前にその方法論みたいなものをつくるんですよ。鞄つくるんだったらその方針みたいなものが面白くないと」
名:のれない?
山:「鞄とかも色々考えたんですよね。どうやってつくると面白いものができるかなって、考えるんですけど。アニメとか、ナウシカとか手塚治虫の漫画に出て来る鞄って2Dじゃないですか? 平面。ああいう人たちが書く鞄って丸みとかもすごくいいんですよ。でも細かく書き込んでないから、つくりもわからないし、でも普通の構造とかでつくろうと思ったら無理なんですよ。そういう無理なものを目指して、なんとかそれをつくって、とか、面白そうだなって思うんですよ。2D見て、構造とかってないんですけど、2Dで出来ない物をつくるのに、つくってみるみたいなつくり方とか、面白そうだなとか思うんですけど、やっぱ今は本当に素直につくろうかなぁって思ってます。布鞄は本当に素直につくろうと思いますね。小物とかは構造とか凝ったりしてるんですけど、そういうのはとりあえず置いておいて、鞄は素直につくろうと思ってます」



植:次の質問です。また震災絡みの話に戻るんですけど、戻って来て益子でやっていく訳じゃないですか? 今は工房も家もあるって状況があるから益子でやっているのか? 益子という土地に山本さん前から思入れがあるって言ってたじゃないですか? それがあって、益子を今でも離れたくなくて、原発や放射能の色々な状況があっても離れたくないと決めたのか? その辺はどうなのですかね?
山:「まぁでも両方だと思いますけどね。新しい場所に行くと新しいことが一個できるというか。なんかそんな気がするんですよね。この場所にいて、何か新しいこと一個して、自分は何となくそう思ってその場所に居て、益子とかでもこっちでやりたいなと思ってたことが全然出来てないし、そこはちょっとやっていきたいなと思うんですよね?益子にいて、その展示会までのことはここでやりたいなと思うんですよね。全部詰めてつくって、26個つくるまで。頭の中ではその位のことまではしたいなって思ってますね。完全に場所に執着するっていうのは特にないんですけど。とりあえず、まだ残ってていうのは……。そういう自分の気持ちもありますしね。自分がここでやりたかったことをまだやれてないってのがあるから、出られないっていうのもあるし、結構色んな要因があるなって思いますね」
植:はい。ありがとうございます。で、更にこれは、僕個人が聞きたいことでもあるんですけど、前回の月日さんのアトリエ訪問の時に、月日さんが、「物をつくることは継続することが大切。つくるのだったら、自分がいかに続けられるか、その方法を考えるのが大切だ」って言っていたんですね。山本さんの場合は、物づくりを継続させる、自分なりのやり方、どういうポイントを押さえてますか?
山:「ポイントですね?案外そういうのって一番やり方に出る気がしますけどね」
植:やり方に出る?
山:「気持ちも大切ですが、僕だったら定番のラインナップをつくってやるとか、そんなやり方やり方な気がしますね。自分の嫌なやり方だったら本当に続かないですしね。一個一個のやり方をきちんと自分がいいなっていう、腑に落ちたやり方していくと」
植:自然と続く。
山「はい。続く形になると思いますね」
植:はい。ありがとうございました。僕からは以上です。
山:「上手いこと、今後の連載の話に繋げてください(笑)」
植:まだオフレコなの?
名:そんなことないよ。
山:「ユキさんなんかありますか?」
ユ:ちょっとひとつだけ聞きたいんですけど、ちょっと話し戻るんですけど、さっき山本さんが、まだまだぶれてるっておっしゃってたじゃないですか?その「ブレる」というのは山本さんにとって、どういうことなのかなと思って。いいことなのか? 確か、細野晴臣とかの本にも「いつも僕はブレてる」みたいなことが書いてあって。
山:「『分福茶釜』ですね?」
ユ:そうかもしれないです。そのブレてる間に見付けることって色々あると思うんですけど、そのブレを許しつつ、でもそのブレてるのがやだなって気持ちもあるんですか?
山:「あーそっかー。どうなんでしょうね? 僕はぶれはすごいいいし、許容していきたいんですけど、自分がいざ形にして、形にしたものにそういうのが出ると、それはその時のあれだからっていう風にはならないんですよ。そこで、じゃ直そうとか、もっと先の所から見て、その時のそれが気に入らないんだったら、やっぱ直そうって思うんですよね。ブレ自身はいいんですけど、そこから生まれてくる物のブレは、まだ許容できないんですよね」
ユ:完成されたものは、やっぱりブレちゃいけないってことですよね?
山:「ブレてちゃいけないっていうかなぁ……。今の所のつくり方がネジ締めのつくり方じゃないですか? そういう風な所でつくってると、多分そう思うんだと思います。行く行くその先にどういうつくり方してるのかわからないんですけど、そういうブレもいいんじゃんって思って、そういうのが反影しても、それはそれだよってなるのか? その辺はわからないですね」
ユ:手づくり感みたいなことですか? ネジ締めてるっていうのは?
山:「ネジ締めては、一個一個の形をきちんと出して、サイズとかもそうだし、収まりとか、そういうのをきちんきちんとつくっていくっていう。なかなかブレてる方が楽しいですけどね。不思議ですね。そう言うけど、いざ出来上がったものがぶれてると嫌っていうのは。ま、その辺の矛盾している所はいっぱいありますよ。だって僕、自分の物とかつくる時って、結構アバウトにつくってますからね。自分が使う物ってなると、なんかアバウトになるんですよ。
ユ:自分からの視線で見るか? お客さんからの視線で見るか?
山:「うん。その辺もなんとなくまだ腑には落ちてないんですよね。その辺のバランスのあれが。その辺も行く行く考えててかなきゃならない所でもあるし」
ユ:はい。わかりました。ありがとうございました。
山:「わかりましたとかそういうあれでもないですけど(笑)」
ユ:「(笑)」

山:「最後の質問いいですか? ユキさんに花屋の今後の展望を聞いて、締めてもいいですか?」
ユ:「今後の展望ですか?まだ、それこそ3月7日に花屋をはじめて、まだ半年経たない位なんで、やっと花屋として一通り仕事をして、これから続けていかれるかな、という感じなんで。展望というよりまず、安定していけたらな、というのがまずあるんですけど」
山:「今迄花屋やってなくて、いきなり花屋さんはじめたんですか?」
ユ:もともと別の花屋でバイトやってたり、色々な仕事を掛け持ちしたりしながらやってたんですけど、うちの母親が何年か前に花屋をやってて、葬儀屋もやってて、場所だけ、葬儀の道具とか置いてる関係でずっと借りっぱなしで、箱だけあるような状態で、設備とか残ってたんで。別の花屋でバイトしてもいいかなってのもあったんですけど、でもチャンスがあってお試しじゃないですけど、やってみようかなという流れがあって、ちょっと今やってみてる所なんです。そんなに、覚悟があってやってる訳でもなくて、でもやるからにはちゃんとやらなきゃいけないなって。人に使われてやっているよりは、全然自分で全部やらなきゃならない分、勉強する所はいっぱいあって、すごい面白いなぁって思いながら働いてる所です」
山:「名倉さんとちょっと同業者じゃないですか?青果と花屋さん」
名:あー。
山:「そんなに近くないんですか?」
名:どうなんだろう?
ユ:でも花屋と青果、同時にやってる店ありますよね?(笑)
名:青果が花を仕入れて売ってる。要するに値段の付け方が、花屋と青果じゃ全然違うから、だから、青果やってる人がが花を売ろうと思うと、花屋より絶対安くなるっていう。
山:「へー」
ユ:それはそうですよね。
名:それはそうなんですよねっていうシステムなんです。
山:「花屋さん頑張ってください」
ユ:ありがとうございます。そうやって、自分で何かやってる人のお話を色々聞けてそれがすごい糧になります。心強いです。はい。



名:インタビューに関してはこの位で。これから改めて「∴つづる」の連載記事をお願いしたいと思ってます。前から話してますけど、どんなことしていきましょうかね? 今話してて思ったのは、キーワードに「ぶれる」とかつくることも含めて、あと仕事って何だろうとか?お金って何だろうとか?そういう視点。完全に一個テーマを絞るんじゃなくて、その時その時、あったことをテーマに取り上げて、ポンと書いてみる。それが、一回、二回、三回、四回に分かれてもいいし。また再放送みたいな感じでもいいし。前は、工房をつくるっていうテーマがあって、それを見て貰ったけど、これから長い期間、連載をして貰うんだったら、もっと山本さんの視点というか、頭の中を覗くというか、そういう連載をお願いしたいかなって今思ってますね。それは時に、単純に山本さんがこんなこと考えてます、お金ってこういうことですよね? 仕事ってこういう事ですよね? という時もあるだろうし。逆に聞く。僕今こんなことを思っているんですけど、どうなんですかね?みたいな。という、時にキャチボールがあってもいいのかな? っていう。そういう連載をお願いしたいかなって思いました。
山:「単純にここに住んでるんで、色んな人に話して、インタビューしてもいいかなと。それも面白そうだなと思いましたね」
名:そうですね。
山:「自分一人で書くってより、つくることって大きいテーマじゃないですか? お金とかもその中での話になるし、近くにいっぱいいるから、そういう広がりがあってもいいかなと」
名:そうですね。面白いですね。
山:「ちょっと気合いを入れて、F/style論を書きます。いいですか?」
名:もちろん。むこうがよろしければ。
山:「一応いいですよって言って貰ったので、多分送る前に一回見て貰って、送ります」
名:そうですね。
山:「自分がはじめた時に、丁度、はじめてちょっと位のタイミングで一緒に出来て、すごい学んだ部分が大きいなと思うんですよね。そうなって来ると自分の事書くってよりも、結構ベースになってるなって思うんで、つくること書くんだったらF/style論を書こうって、すごく素直に思えるんですよ。でもちょっと、難しいですよね? 
名:難しいですよね。
山:「書きがいはあると思います。何気に今迄あまり見たことないですもんね、F/style論って」
名:それを僕が書いちゃおうと。
山:「そうです。書きたいなぁーと思って。エフさんは十年やってて、理解されてる様に思うんですけど、一緒にやってみると、まだまだだなぁって僕思うんですよね。僕自身もやるまで気付かなかった事でもあるし、結局紹介される時も「地場産業の」って言われるじゃないですか? あれだって一番表面のことしか言われてないなって。地場って結局方法論でもないけど、やり方の一個じゃないですか? その辺でざっくり語るのって、違和感があるんですよね、語る時ってそこがメインに取り上げられて語られるから」
名:まぁ、一番まとめやすいですよね?  
山:「わかりやすいですから。でも、気持ちであったり、そこにあるものがすごいと思うんですよね。何かその辺のことをすごく書きたいなーと思います。でも、物づくりに対するものすごいヒントがあると思いますよ。ま、そこまで真摯にものをつくってる人はなかなかいないので。尚かつまだ、地場産業の枠だけでしか見られてないのが……。そうじゃないと思う人もいると思うんですけど、そこで括られるのに僕は少し違和感があって。じゃ、何て言えばいいの? って言われるとわからないんですけど」

名:あと、聞きたいことがあるんですけど、手創り市に注文ないですか?
山:「注文ですか?」
名:注文付けてください。山本さんは、静岡の方にも、雑司ヶ谷の方にも出てくれたんで、やっぱ両方知ってると思うんですけど。僕らも毎月やってて、感じることもあるし、静岡も半年に一回の準備の中で、考えて、実際に行動して、少しずつ変化して、自分たちから見える視点はすごくある。まだまだ静岡のベースがどうのこうのまでは足りないけど・・・だけど、出てる人から見て、どういう風に見えているのかっていうのをすごく知りたい。まぁみんなに注文付けて貰いたい訳じゃないですけどね。みんなにああだこうだ言われるとそっぽ向いちゃいますから(笑)
山:「そうですね。でも、そんなに僕は注文という注文は……。言ってもお互い役割分担でもないですけど、一緒に面白い市にしましょうっていう所で、運営とあれをやってくださいねー、じゃ、出すのはしっかりやりますからってあるじゃないですか? お互いにそこの所をきっちりやればいいなと思うので、そんなにすごい求めるってよりも自分はじゃぁこれやりますから、そっちをきちんとやってくださいねっていうスタンスだったと思うんですよね? そうはいいつつも名倉さんとか常に変化しつつ、新しいこともやりつつじゃないですか?」
名:変化しないとね。進化とか、進んだり深くなったりっていうのは、もうどうでもいいっていうか、そんなのわかんねえよっていうのがあるから。でも変化するっていうのは、自分でもわかるし、周りからも見えることだから、変化するのが本当に大事というか、変化しなきゃしょうがねえかなって。もちろん変化しないことがあってこそなんだけど。そのきっかけって、作家さんに教えて貰うことが多いんで、自分を見詰めて、それこそ昨晩の話じゃないけど、正座してポンと生まれる訳じゃなくて、日々やってて、作家さんのちょっとした言葉だったり仕草だったり、ちょっとしたブログから見る変化だったり、そこからすごく教えられるから、それがあるから変化できるというのはありますよね。
山:「僕も名倉さんにこれからもぶれながら、色々新しいことをやってくださいと思いますね。まぁでも、僕も結構勇気付けられるでもないですけど、すごい色んな所に行かれるじゃないですか? お店とかも書いてたり、すごい熱意だなと思うと、僕も益子に離れると、静岡すごい遠いじゃないですか? どうしようかなぁーと思う時もあるんですけど、やっぱブログとか見ててそういう、すごい熱意でやってるな、ああ出よう! って思うんですよね。だから、作家さんも具体的に何を求めるとかなくても、面白い場所に居たいってあるじゃないですか? そういうベースが、なんとなくの所だと思うんですけど、ブログとか見ててそういうの感じ取れるじゃないですか? だから、そういう場である限り僕は出たいなと思います」
名:はい。ありがとうございます……。どうやって締めようかな?
山:「今後のユキさんの音楽の展望を(笑)」
名:ユキくんにもサントラつくって貰うしね。これは僕らもやんなきゃいけないことだし。やりたいなと思ってることだし。その為には、物づくりの現場というか、つくってる人はどんな人か?とか、つくってる人はどんな所に住んでるのか?とか、ていうのを、ユキくんにも現場に行って貰わないと。多分行かなくてもユキくん器用なんでつくれちゃうと思うけど、多分それ故に一番葛藤するっていうか、また面倒臭いこと言い出すから、素直に作ってもらいたいから、手っとり早く連れて行った方がいいなと思って。
山:「そうですね。さらっとつくりそうですね」
ユ:いやーそんなことないです。
山:「そんなことないですか?なんか訪問してあれしてますけど、ユキさんもつくってる側じゃないですか?」
ユ:実際に物をつくる訳じゃないですけど、なんか、共感するところはいっぱいあるんですよ。花屋やりながら音楽つくってていう風に、二つやるってすごい贅沢なことだと思うし、どっちもやりたいことですし、どっちもお金にならないことではあるんですけど、お金にならないことを二つ合わせて生きて行けたらなと思って(笑)そういうテーマが自分の中にあって、やりたくないことできないし。だから、それをやるには、丁寧に仕事してかなかきゃいけないなと思いますよね。
山:「いいじゃないですか。締まりましたよ。丁寧に」
名:丁寧に。
ユ:(笑)
一同:「ありがとうございましたー(笑)」
名:多分記事は、よくわからないものになるかな?と思うんですけど…
山:「そうですね」
名:でも、今の空気が伝わればいいと思った。
山:「適度によくわからないものになるんじゃないですかね?」
名:そんな感じでみんなに見て貰えたらと思いつつ〜終了です。
一同:「お疲れ様でした」


ANDADURA HP http://www.andadura.net/
・・・・・

今回のANDADURA山本さんのアトリエ訪問はのぼりとのアトリエに続いて2度目。
手創り市のウェブマガジン「∴ つ づ る」の連載「お財布のように工房を」のやり取りをしながらも益子に移り住んでからの現在までの山本さんのゆらぎのようなものを垣間見てきて、私自身今回のアトリエ訪問ではアトリエ以外に事に重点を置きインタビューをさせてもらいました。
インタビューの前日に益子入りし、食事をしながら、会話をしながらインタビュー前の助走を行うことができたので3月11日の震災の事にもよく触れることができ、また山本さんご自身もこちらに対してしっかり投げ返してくれた事に感謝。
今日から一週間後にうえおかさんによるアトリエ訪問後記をご紹介いたしますのでそちらも是非ご覧ください。
お付き合いいただき誠にありがとうございました。

※感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。

名倉
info@tezukuriichi.com 
https://twitter.com/#!/kishimojinotori









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