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9月20日 限られたなかで。

 

先日の「マグとわたし」の撮影で改めて学んだことがある。

直接、展示会に関係ないことだけど。

私にとっても、どこかの誰かにとっても、大切なこと。たぶん。

 

 

自分で始めたことは自分で何をしようと自由だ。

けれど現実は、選べるものに限りがある。

 

時間やお金。

出来ること。

出来ないこと。

 

すべては相手があることだから。

 

例えば宣伝面。

出せる経費から行き着く、紙の素材や紙の厚み。その形。

 

これらのことを踏まえて、自分が今出来うることを形づくる。

 

 

きっとこれは全てのツクルコトに当てはまるでしょう。

 

 

あんなことをしたい。

こんなことをしたい。

もっとディテールを突き詰めたい。

 

これらも全て、お金と時間によって制限がある。

繰り返すが、仕事の先には必ず相手があるからだ。

 

 

私は自分自身で形あるものを作れないし、つくるつもりも余りない。

そんな、モノをつくれない自分だからこそ、自分自身に3つの約束を課している。

世間の常識や慣習を無視することはあっても…

 

 

「1」自分の考えや感じたことを出来る限り自分なりの言葉で時間をかけて伝える。

伝える言葉がたどたどしくても、かっこよくなくても、そんなことは関係ない。

予め用意された?わかりさも必要もない。

そこにはわかりづらさを解きほぐす他者がいるのだから。

 

「2」自分の分相応をわきまえる。

自分に自信を持つことはいい。自分の欲求を叶えることもいい。

けれど、どんな分野にも自分より優れた人間が幾らでもいる。

というより、専門性を持ったほとんどの人は自分より優れた沢山の何かを持っている。

具体的には専門性に特化した知識。知識と経験を重ねた上での知恵。

 

そして、「1」と「2」を踏まえたうえで。

 

「3」たとえ今は妥協しても自分には次があることを信じる。

次がある確約はない。

けれど、何も一歩を踏み出さないでああだこうだと云ってるほど人生は長くない。

であれば、一歩踏み出してみて自分の正しさと間違いに気づけばいい。

 

 

なにかを始める時。

今この瞬間が自分自身の最高の瞬間であり、そうであって欲しいと願っている。

同時に、なにかを始めた人にはきっと次がある。きっと。

 

 

現実の世界では、目に見えることで判断されるのは当たり前のこと。

それは人であろうとモノであろうと。

世界と自分は異なる存在であり、自分以外は他者なのだから。

けれど。

先に挙げた3つの事柄を自分自身の中の責任と自由で守ってさえいれば、自分が必要とする仲間が不思議と助けてくれる。

これも確約されたものではないけど、あながち間違っていない。

 

 

なにをしてもしなくても100%の約束事がないのが人生。

だとしたら、自分でなにかを選べる人は自分自身を信じつつ、同時に、自分が頼れる目のまえの人に委ねてみたらいい。

 

 

ずっとこのことを考え様々な仕事を作ってきたけれど、以前は心のどこかで慢心をしていた自分もいる。

今でもたまにその顏が見えてしまうこともあるだろう。

そんな自分が徐々に変化し、その変化を言葉に出来るようになったのはここ数年のこと。

牛歩のごとく歩んできた自分だからこそ、今ある周囲の人たちがいる。

 

 

「マグとわたし」にあまり関係ないようですけど、そんなものを見つけました。

展示会はこれから。全てこれから。

 

それではまた。

 

名倉

 

____

 

 

*ご注意下さい*

10月7日の雑司ケ谷手創り市の申込期間は以下の通りとなります。

9月6日消印〜9月18日事務局必着。

会期、申込期間共にイレギュラーとなります。

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 

mail:info@tezukuriichi.com

Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 





9月18日

 

 

先週末のこと。

久しぶりにイーグルへお邪魔した。

メディアやSNSで紹介されることも多いからか、随分とお客さんの層も変わったような気がしたけれど、全ては時代の趨勢。

時間は人の意識などお構いなしに流れてゆくものだし、便利な世の中であれば尚のこと。

 

 

本日、9月18日にて10月の雑司ケ谷手創り市の申込みは締切です。

たくさんのご応募、ありがとうございました。

 

という訳で本日は手短な日記。

ご覧頂きありがとうございます。

 

名倉

 

____

 

 

*ご注意下さい*

10月7日の雑司ケ谷手創り市の申込期間は以下の通りとなります。

9月6日消印〜9月18日事務局必着。

会期、申込期間共にイレギュラーとなります。

 

 


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8月27日 チキンライス

 

炎天下の&SCENE手創り市から一夜明け。

昨晩は早く寝てしまった為、いつもよりずっと早く起床。

顏を洗い、水を飲み、湯を沸かし珈琲を淹れる。

メールの返信や朝のうちにやっておきたい作業をしクリーニング屋へ。

 

帰り道のコンビニで立ち読みをしていたら腹が減ってきたので昼食をとることに。

昼飯はチキンライスにゆるめのスクランブルエッグを投下。

チキンもグリーンピースも見えないのはエッグの下にいるからだ。

真鍮の匙でライスに切れ込み入れつつエッグをまぜまぜ。

思いの外これが旨かったし、食感が良かった。

今度はチャアハンで同様のことを試してみようと思う。

 

今日と明日は延々と作業をしなければいけない。

借りてきたDVDを見る時間はあるのだろうか?

 

明後日からは長野・駒ヶ根行き。

よいよあの人の新たな拠点へ伺える。

トオク / サユー。良い名前だ。

 

彼が書いていたことでふむふむと思えるものがあった。

それは8月23日に書かれていた日記のタイトルは「1ヶ月」。

 

そこで書かれていることをみて感じたのはこんなこと。

未だスマホ非保持者、時代に取り残された人間の戯れ言として読んでもらいたい。

 

昨今では発信する側は猫も杓子もインスタグラムで済ませるようになっている。

これまでブログを書いていた方も今ではインスタが主戦場。

対象とする人々も一日の中でインスタを眺める時間が多いのだろう。

そのことを考えれば当然な事の顛末で、且つ、発信する側の対策だろう。

便利と称して易きに流れるのは時代に関係なく人の常。

便利は新たな文明を生み出すけれど、文化を衰退させることもある。

要は、金目の問題なのだろうか…

他方、同じ頭で変化への寂しさを覚えるのも人の常。

今という場所を起点にして未来と過去を行ったり来たり。

人間とはなんて不思議でユニークな生き物なんだろう。

そんな風に思いつつも、それでいいんじゃねと同時に思う。

生きている以上、後戻りなど出来ないのだから。

 

もとい。

 

長野ではマグカップのメインビジュアル撮影を行い、そのまま駒ヶ根泊。

彼らとの夜の宴がとても楽しみだ。

駒ヶ根からの静岡入り後はヴィレッジの反省会&打ち上げ。

来年にむけての第一歩が始まる。

 

8月も終わりに差し掛かり9月に入れば年の瀬まであっという間のこと。

暑いですね〜という挨拶が寒いですね〜と変わるのもあっという間のこと。

冬、ストーブの上に手をかざし、もみ手するのはいつものこと。

 

 

 

次回の&SCENEは10月28日。

毎年恒例の企画「BOOKS&SCENE」です。

 

工芸クラフト部門。

フード部門。

すべての方を対象としてます。

 

そして。

すべての出展者が参加出来る「みんなの本棚」も作ります。

 

あんど。

本と親和性の高い新たな提案を進めようと思います。

 

なにより。

作家さん店舗さんの一人一人の様々で面白な提案。待ってます。

 

 

 

それではまた。

 

名倉

 

 

____

 

 

 

*キッチンカー:コーヒーショップの公募*CLICK!!

 

 

**10月は開催日、申込期間ともにイレギュラー**

 

 


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8月21日 交差点

 

 

 

8月19日の手創り市・大鳥神社会場は今年で2回目の「カレーな休日」を開催致しました。

 

今年も担当スタッフ加藤さんによって企画され、カレーづくりの教室、カレーにまつわる道具を作るワークショップ、そして、様々なジャンルの作家が集った今回、昨年よりも質量共にパワーアップしたように思いました。

そして、なにより過ごしやすい天候だったこと。7月はなんせ暑かったのでありがたかった。

 

カレーな休日の感想おまとめは担当スタッフに任せるとして、この日見た光景でグッときたものを綴ってみます。

 

 

雑司ケ谷の手創り市は、手創り市の始まりの場として今年の10月で丸12年目を迎える。

20代後半から始まり、30台を手創り市と共に過ごし、来年は四十路を迎えます。

成長しているところが少しでもあればと願うのですが、その感じもないのでやいやいです。

まあ、なんというか、とにかく手創り市を通して様々なことを経験させてもらい、いろんな人に出会えた。ありがたいことです。

 

 

そんな手創り市のはじまりの雑司ケ谷は、私とって”東京らしさ”を常に維持したいと思う会場です。

 

私の考える東京らしさ。

 

それは、ヒトもマチもあらゆる場所から集まり、定着してゆくものもあれば過ぎてゆくものも、また、戻ってくるものもあり、常にヒトもモノも留まることなく動くことによってマチが循環し活き活きとしている。

それをせわしない、もしくは刹那と見るむきあるけれど、その様はまるで人の体内をめぐる血液そのもの。

 

東京らしさとは人間の営みの善し悪し含めてまるっと飲み込み吐き出され、新陳代謝してゆくこと。私はその様子を交差点に例え、そんな交差点の有様が嫌いになれない。

いや、はっきり云おう。そんな街が好きだし、そんな東京は気分が落ち着く。

 

 

8月19日の大鳥神社で見た光景は、まさに人間の交差点として存在していたように感じた。

 

始まりの頃からずうっと出展してくれている作家さん。

ここ数年出展することがなかったけど、ここ最近また顔を出すようになった作家さん。

出展し始めたばかりの作家さん。初めて出展した作家さん。

その様子は本当にさまざま。

 

スタッフは?というと、、

 

雑司ケ谷のスタッフから始まり、&SCENEのスタッフ、静岡のスタッフもそこにいた。

スタッフではないけれども、写真部もいた。

スタッフの中にも近況は色々で、転職して間もない人もいれば、新たなスタートをきろうとしているスタッフもいる。

当たり前のことだけど、やっぱり様々。

年齢も育った環境も、今活きる場所も違う人たちが、そこらとここらで和気あいあいとしている様子があった。嬉しいこと。

 

 

話は変わり?私の思う、心地よくて風通しがいいと思える場は、あらゆる考え方や生き方、それが交わる部分もあれば交わらない部分もあり、出来ることなら相互理解を願うけどそうもいかない時もある。お互いの考え方をぶつけあうこともあり、ゆえの別れもあれば、元の鞘に戻ることもある。けれど、最後の最後の砦として、面とむかう人、むかってくれた人を心底嫌いにならない。そういう場であり、そういう人たちが集まる場所だ。

 

 

話はうまくまとまりませんし、まとめるつもりもないので、ただここで吐き出しおしまいにしようと思います。

 

 

先日の大鳥神社は、私の思う風通しが良くて心地いいと思える時間の流れと光景を感じることができた場で、その様子を眺め、ふいに「手創り市をやってて良かったな…」と、おセンチな気分になりました。

 

 

その日の閉幕後、片付けを終え、久しぶりにレッツ・ホルモン!ということで男性スタッフ2名を伴い晩餐。

いつもであれば、延々と為にならず身にもならず記憶にも残らない故に何度でも出来るくだらない話をしますが、その日はそんな気分にもならず、スタッフを見送りいつもより早く解散。

ぼんやりアイスを食べながら家路につき、帰宅後はとっととシャワーを浴び、すぐに寝た。理由はおセンチな気分を引きずっていると身体に悪いから。

 

以上。

 

 

今日はいつもの立ち食い寿司に行こうと思う。

あそこの立ち喰いはおじいさん達がやってて居心地がいいから。

 

それではまた。

 

名倉

 

____

 

 

**10月は開催日、申込み期間共にイレギュラー**

 

 


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8月8日 立ち尽くす青年

 

先週末は静岡に滞在。

選考会をしたり、宴会をしたり、用宗の拠点になってない拠点?を掃除にしに行ったり、墓参りに行ったりと、それなりな毎日を過ごしていた。

A&C静岡の選考会はスムーズにいってたかと思えば、途中、休憩を取り過ぎて、最後の最後はしょり気味?だったように思う。

ふだん、飯を喰う以外に休憩と仕事の境目のない、だらしのない生活を送っているが故、休憩をうまい具合にとることが出来ない自分に改めて気づいた。

かといって、それを直そうとは思わないほどに当たり前過ぎる毎日はどうにかならないか?ならないだろう。絶対に。

静岡では、諸々のやるべきことを終えた翌朝に海へ行く。

先日、雨風が強かった後なので流木やらなんやらがそこら中に転がっていた。

こういう日の宝探しはドキドキする。

海辺の宝探しでは、毎度その時々で拾っていいモノのルールをつくって出かける。

あくまで、テーマではなくルールであることは大事なポイントだ。

今回で云えば、形状のいい感じの枝もの。それだけ。

形状がいい感じの枝ものは、とても詩的で繊細な印象を受ける。

それをなんだか今っぽいと云えばそれまでだが…随分と潮で洗い流されているものもあれば、そうじゃなかったり。そのどれもが心地いい。

海辺での宝探しから実家へ戻ると大抵の場合、またゴミを拾ってきたのか?と父親、または母親に云われる。

こういった所、変に理解を示すことのない態度がかえって心地よい。それはきっと肉親だからだろう。

だってそうじゃないか?いい年こいて、両親が息子に気をつかうのは馬鹿らしいし、息子が両親にいらぬ気遣いも馬鹿らしい。

そもそも宝探しと思って出かけるのは四十路を手前の息子で、端から見ればそんなものはゴミでしかない。

静岡より東京に戻る直前、近所の旨い鰻屋でご馳走をし、ご馳走をしたらもう用がないのか、両親に急いで駅まで車で送られた。

まあそれはそれでいいと思ったが、そんなに急ぐこともないとも思った。

東京へ戻る高速バスの時間まで少し時間があったので駅中の商業施設をぶらぶらする。

大手のお洒落で安物を扱う眼鏡屋さんで気になっていた商品があったので探しにいってみたが見つからなかった。

バスの時間まであと少しの所でコンビニへ寄りビールを購入。探していたスナック菓子がなかったので諦めた。

高速バスがやってきたので荷物をトランクに入れようとすると、バスの側面でぼうっと突っ立っている若者がいたので「バスが出発しますよ」と声をかけてみたら「トランクに荷物を預けたいんですけど…」と不思議なことを云う。

こういった場合、トランクは自動的に開かないし、荷物がロボットになりトランクを開けてくれる訳でも勝手に入ってくれる訳でも、ましてや、バスはトーマスやパーシーやゴードンではないのだから、むこうから声をかけてくれることも行動を起こすこともない。

たまに見かける、車掌が「トランク開けましょうか?」と声かけないと黙って突っ立っている阿呆の姿、ここにあり。だ。

もしくは、トランクを開けて欲しいことに気がつかない車掌にむかってぞんざいで横柄な態度をとるアレ。どういう真剣をしていれば、ああいった態度を取れるのだろう?最低限、自分から声をかけそこで横柄な態度を取られたらどんな態度をとろうと勝手だと思うけれど…

たまに見かけるその光景を見て、ふと考えることがある。もしかしたら、この日本国の法律により、乗客は勝手にトランクを開けてはいけない。そういった制度があるのでは?と。

もしそういったものがあるのであれば、車掌が積極的に声をかけるなり、勝手に開けることが出来ないように鍵をかけておくべきだと思うが、どうもそんな法律を耳にしたこともなければ、バスでかかる電子機器音声案内全て女性でも聞いたことはない。

やっぱり、誰も声をかけてくれないのであれば自分で開ければいい。もしくは、車内にいて気づかない車掌に声をかければいい。

面倒くさくていい加減な車掌もいるだろうけど、高速バスの常連さんである私の知る限り、そういった車掌はほぼいない。もしいたら、なんらかの抗議をするなり叱ったあげればいいのだ。阿呆に年齢等関係ないのだから。

それをだま〜って立ち尽くしているあの感じ。私にはやっぱりまったく理解出来ない。

例えば、好きな子に声をかけられない…といった事情であれば、とっても理解出来るしそのフレッシュで甘い想いに微糖の缶コーヒーでも奢ってあげたい。

仮にだ。他人様をこんな風に想定することは失礼なことかもしれないが、敢えて言わせてもらおう。

もし何らかの事情で腕を骨折し自由が利かなく開けれないのであれば、車掌に声をかけるか、周囲にいるふつうの心をもった市民に声をかければいい。誰も彼もこぞって開けてくれるだろう。そこで小銭稼ぎをするほど日本国民はあらゆる意味でたくましくはないし、悪しき市民など通常いないのだから。

または…こんなことを云ったら駄目なのかもしれないけど、仮に声を発生できないのであれば、やはり、車掌なり傍にいた私なりにジェスチャーを送ってくれたらいい。そうしたら、そのことに気がつかなかった私や車掌は内心、「いや、気がつかずに申し訳ない…」と思いつつ、「ああ、もちろんです。」と、きっと己への恥ずかしさもあって前のめりになってトランクを開けるだろう。なんだったら荷物をトランクへ突っ込むだろう。日本人が昔からもつ美徳、恥をかくことへの罪悪感ゆえに。

けれど、その彼はおそらく肉体的にも精神的にも大きな問題を抱えていないように見受けられた。でも、ただただ立ち尽くしていた。

こうした人間のことを理解するつもりはないけれど、やっぱりなぜ?と考えてしまう。時間の無駄とわかっていても尚。

座席に座り、彼のことをビール呑みつつ改めて数分考えてみてたら、もしかしたらこんなこともあるかもしれないと思った。

彼はアラブの王子様かそれに近い位の高い方で、生まれてこのかたドアというドアを自分で開けたこともなければ、ドアノブのまわし方など知らなくてもいい人生を送ってきたのかもしれない?ということを。

けれど、その考えはあり得なく、だって彼はどう見ても私とおんなじ黄色人種だし、もちろんアラブの王子様風でもなく、ふつうの家庭でふつうに育った風のふつうの人間風だから。だから、やっぱりおかしいと思うし、いつかの元都知事が「最近の若者はどこまで脆弱に成り下がる!?」と怒りまじりに云うのもわからなくはない。彼の都知事は都知事で発言の度が過ぎることはあったろうけれど。

もとい。なので、ただただ不憫でならないと結論づけ、その場を立ち去り乗車し着席し、北方謙三の小説、血涙を読むことにした。

楊業亡くなった後、残った六郎と七郎が再び一族の誇りかけて敵味方に立ちむかう姿に感動を覚えワクワクする毎日です。

それではまた。

 

名倉

 

追伸。

次回のブログ更新は今年の「あおのファッションスナップ」結果発表を致します。

 

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8月3日 マグカップ。

 

明後日、8月5日は秋のA&C静岡の選考会です。

どうなることやら…ですね。

 

 

話はかわり、11月の下旬より「マグカップ」をテーマに巡回展をします。

会場は秋田(11月)〜長野(12月)〜東京(1月)と3つの店舗を巡回する予定。

 

秋田はここ数年お世話になっているあのお店。

長野はつい最近オープンしたばかりのあの作家のあのお店。

東京は古くからお付き合いのある東京の尊敬するお店。

 

参加作家は15名を予定している。

 

 

マグカップというワンテーマでも、会場ごとに異なる提案、アプローチをしていただくことになっている。

なぜか?その理由は簡単で、同じことを同じようにどこでもやっていたら阿呆丸出しだから。

もう少し丁寧に言うと、、ワンテーマであっても、会場によって異なる展示が出来たらきっと新鮮だろうし、その新鮮な景色を店舗さんとお客さんとで作家の作品を介して共有したいからだ。

更に正直に云えば、自分がそのことを楽しみたいし、期待している。

そして今思いついたけど、今回の試みが成功したら、更に様々な場所で巡回したいし、その土地土地の店舗さんや作家さんとも関わってみたいと思った。

(プラスα。各地で地元の美味しい居酒屋さんにも行ける。これ、とても大切なこと。)

 

 

 

…そんな訳で、マグカップ。

 

マグカップとわたしを繋ぐもの。それは愛着。

私にとってボールは友達でも知り合いでもないが、マグカップは連れ。

そう断言出来るから。

 

 

最後に。

東京の諸々では以前より考えていたことを今回、試してみたい。

それはまた別の機会に書きますね。

 

それではまた。

 

名倉

 

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8月1日 コミュニケーション。

 

7年ぶりに「五味五感」を開催することになった。

手創り市をはじめて5年に初回を。

その後も5年ごと…そのように考えてきたが、いつの間にか7年経ってしまった。

今回は11月より始まり、年をまたいで静岡〜東京〜栃木と巡回することになっている。

その土地土地で、お店で、食事会をすることにもなっている。

全てが楽しみだ。詳細はまた後日。

 

 

とある媒体の取材を受け、届いた原稿を見返し感じたことがある。

 

手創り市においてのコミュニケーションについて。

あくまで私個人の意見であり、べき論ではないけれど…

 

 

コミュニケーション。

それをひと言で「会話」と捉えたら、言わずもがな大切で必要なことだと思うことに余地はない。けれど、なにより優先するものか?と言われれば、そんなことはないと思ってる。

 

手創り市という場は作った人が自ら展示し販売をするのが原則だ。

目の前にいるのは作家さんであり、お菓子屋さんであれば店主さん。

 

つくった人とその場で直接話が出来ることは手っ取り早い反面、話さなければ…と思うと一気にハードルがあがる。

これは出展者とお客さん双方に云えることではないだろうか。

 

おはようございます。

こんにちは。

あついですね。

さむいですね。

ありがとうございます。

またきますね。

 

こういった、挨拶の類いに入るものであれば、誰もが切り出しやすいし、そこに抵抗がある人はいないだろう。

ここに抵抗があるとなれば、それは単に変わってる人で済ませていいと思う。

 

けれど、その先にある「作品(商品)や素材のこと」「制作のこと」を話しかけたり聞いたりとなると、大事なことはタイミング。求めているかどうか?を気にかける必要がある。(これは主に出展者側の話ですね…)

 

私は基本、モノから入るので作品を見て気になった時に声をかけたりするし、その時々によってばらばらだ。はっきりいえば、気分。そんなものだろう。

少なくとも、作品を見たからといって必ず声をかけよう。そんな風には思わない。目が合えば会釈程度はするけれど…

 

(逆に、作品がいいなあと思って話しかけ、そこからお互いの共通の話題や趣味?などに繋がってゆくと「いやあ、場所変えて酒でも酌み交しながら話しませんか?」もしくは「あなた、いいですね。友達になりましょう。」という気分になる。初コンタクトの人に間違ってもそんなことは言えないが。それこそ変わった人になるのでね。)

 

 

届いた原稿を眺め改めて思った。

 

コミュニケーションをとることが、べき論であったり約束事のようであったりしたら、それはそれでそもそものコミュニケーションの質が下がるのではないか?ということを。

コミュニケーションの義務やマニュアル化。そんなの不要。

自分がどうしたいか。相手の様子を見ながらその時々。それでいいでしょ。

手創り市において、モノから入ることの方が無理がなく自然で居心地が良いのでは?とも。

 

出展する方々にもお客さんにも願うことだけど、会場に来たからには作品を見たからには話さなきゃいけない。そんな風に思って欲しくはない。

 

話しかけてみよう!と力が入ること、話をするのが大好きだ!これもけっこうなことで、誰にとやかく言われる筋合いはない。けれど、誰もがリラックスした状態でその場にいられることの方が、個人が守られているような気がする。個でいることを認められている気がする。

 

べき論で語るのは挨拶のみ。

そう思います。

 

 

 

 

それではまた。名倉

 

 

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7月30日 お鍋。

 

鍋が好きだ。

季節を問わず鍋は美味しい。

 

子どもの頃から今に至るまで年中鍋。

これを慣習と言わずになんといおう。

 

鍋ほど野菜を食べることが出来る料理はないと思う。

とりあえずサラダ…と片付けられる軟派な食べ物では満足できない。

サラダに罪はない。頼む側の意識の問題だ。偉そうにごめんなさい…

 

そんな私の得意鍋は鴨鍋とネギマ鍋。

近しい人は「他にないのか?」と思うほど出している。。

 

 

2018年の終わりに差し掛かる頃。

様々な展示会を抱えている。

 

「やれんのか!?」と問われれば、やれるでしょう。全ては神の思し召し。

そう答える以外に選択肢は御座いません。

 

 

ハードボイルド上等ピカレスク上等を貫く小説にこんな言葉がありました。

 

「人は様々な岐路で選択肢を求めてしまうが、実は選択肢など存在しない。」

「今いるここから過去に戻ることは出来ないし、未来を案じることは無意味だ。」

「現実を見ろ。現実から目を背けるな。他に何もない。」

 

小説で描かれている、徹底したダークな世界を平然と生きる、現実主義をつらぬく人々。

行為の善悪は置いておき、描かれている世界観にうなづくほかはない。

 

 

話は戻り、お鍋のこと。

 

鍋の魅了とは?と問われた時、整理整頓された均一な美しさではなく、まさに人間世界のように、避けようのない混沌とした世界が広がり、その先にある広がりに旨味や滋味を感じることだ。そして。〆の雑炊の時、混沌とした鍋世界は消えてなくなり、整ってしまうあの奇跡。人間の為す果てのない業もいつかは等しく消えて亡くなってしまう儚さにも繋がるあの感じ。

それが鍋の魅力かもしれない。考え過ぎでしょうか…

 

 

家の黒猫は今日もひっくり返り腹だし寝そべっている。

そろそろ1歳を迎えるようです。

 

彼女にとってハードボイルもピカレスクも、人間世界の混沌も、すべて関係なく世界がまわっている。

彼女が望む唯一絶対的な関係は世話をしてくれる人。その他に求めるものはない。

そんな達観した?彼女は神か仏か、はたまた… ただの黒猫だ。

 

 

それではまた。名倉

 

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7月28日 嘲笑。

 

写真は高円寺にある喫茶店、CITYさん

足繁く通う居酒屋の帰り道、意を決して入店。

私好みのお店でした。

 

 

随分前のこと。

知人との会話でこんな話があがった。

 

 

「手創り市が主催するイベントはなぜ行政の支援や後援をつけないのか?」

 

この点に関しては時折聞かれることなので、決まり文句のようにこう答える。

 

「手創り市はその場所を管理する方、団体と約束事を決め、開催をする。基本、いわゆる公園や広場などの市民に開放された公共施設を使わないので、街が市民の為に必要と判断し、その認め印となるような箔は不要。要するに、市町村の後援をつけてもらう必要がないし、誰にお伺いを立てる必要もない。場所を管理する方々との約束事さえ守れていればオッケー。反面、公共施設を使うイベントは、街(役所を端緒とする市民含め)へのお伺いをたてる必要がある。当たり前のことだけど、使いたい空間は本来、イベントの為の場所ではなく、市民の為の場所だから。税金で場所を管理し運営されている以上、煩雑だろうが何だろうがあらゆる報告義務が生まれるのは絶対に必要なことだし、そこを疎かにすることは社会の仕組みの中であり得ないでしょ。」

 

いつどんな時も、どんな方にもほぼ同じ回答をしているが、その知人はさらに面白い、現実的で正味なことも聞いてきた。

 

「例えば、市町村や地元企業などがスポンサーにつくことで運営が楽になることだってあるだろうし、もっと云えば、イベント自体に予めの信用というか、信頼度は増すんじゃないか。いや、きっと増すでしょう。何故そうしてゆかないの?」

 

それについて、こんな風な回答をする。

 

「スポンサーというのが、金銭の援助なのか、なんだかよくわからない信用や信頼を得る為の単なる名前貸しなのか、それはいろいろとあると思うけど、なんらかの援助を受けた場合、開催前や開催後の報告義務があるでしょ。その全てが煩わしいんだよね。とっても。」

 

さらに阿呆のような、云わなくてもいいことをついつい…

 

「あとさ、単なる名前貸しは単純にその姿勢がダサいじゃん。俺だったらそんな人間と知り合いたくないもん。30分お茶するのもやだね。金銭の援助を求めるのも似たようなもんだけど、お金を下さいってゆうよりも、援助してくれるだろう心ある人が『勝手に使ってください』って家のドアの前にお金を置いといてくれたらいいよね。道で拾ったら交番に届ける必要あるけど、家の前に置いといてくれれば問題ないし、見返りを求められず煩わしさもないしさ。」

 

それに対してこう返ってきた。

 

「ああ〜それいいね。それはいいや。けど、あんまり外でそういうこと云わない方がいいよ。云うんだろうけどさ…」

 

さらに畳み掛けるようなこんな質問もやってきた。

 

「まあでも、いつか街や企業とかの支援を受ける必要性が出てくるかもしれないから考えた方がいいし、その時どうする?」

 

あくまで例え話だからこんなもんでいいだろうと答えた。

 

「その時がきたら考えるけど、単なる名前貸しはやだね。これは説明不要でしょ。ダサいから。」

「金銭の援助については、お金は実際的な道具になり得るからちゃんと考えないといけないよね。お金を支払う受け取るって信頼そのものだから、信頼を軽々と受けるって俺は怖いよ。」

 

さらに、こんなことも加えてみた。

 

「完全に思いつきだけど、いろんなところから支援や協力を受けてさ、それでうまくいかなったら言い訳出来なくなるよね。言い訳するつもりはないけど、やっぱお酒呑みつつ、クダまくって気持ちいいじゃん。なんでうまくいかないんだ〜!?世の中の糞野郎!この世に神も仏もいないのか〜!ってゆうのがそもそも出来なくなるよ。世の中から支援受け取ったら、あんたは黙りなさい。でしょ。やっぱさ、基本は自主独立でやってる方がシンプルそのものだし、終わった後の言い訳という名の宴会も出来るし楽しいよ。こういう考え方は駄目かね?」

 

その後も2人のやりとりは続くのだが、たいして学ぶべきことも無いので割愛。

 

 

それは3年前のことでした。

 

とある方からの導きにより、静岡の三島のとある公園でイベントをしないか?と声をかけられはじまったイベント。

 

イベント会場となる公園は四季をとても感じることの出来る場所で、静岡県東部で生まれ育った人であれば、想い出の場所。

ここでやってみたいな・・・と思い始めたイベントも今年で3回目を終え、現在、戦後処理の真っ最中である。

 

イベントの名をVillage mishima rakujuenという。

 

行政からのいくばくかの支援(金銭)を受けるが故、開催後の報告義務を背負い、苦手なことをやっている。

 

人間というのは各々異なる得意分野と苦手分野を持つのだが、私の苦手分野はいわゆる事務作業そのもの。

苦手なものはいつまでもどこまでも苦手であり、それは回数を重ねれば出来るようになる、それとは別次元のものであり、出来るようになっても苦手意識は消えないもの。私がそうである。

 

3年前の会話で偉そうに愉快そうに気持ちよく答えていた自分は今、まさにその偉そうの対局に座り、自分を嘲笑い呪詛を唱えながら報告書をつくっている。

 

 

窓の外を眺めると、めっぽう強い風と雨がふいている。

明日には晴れるようだが、私の心も晴れるといいなと神頼み。

 

 

それではまた。

 

名倉

 

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7月23日 無駄話の続き…

 

昨日のブログの続き。

 

手創り市の前日は男性スタッフ2名が事務局に前泊をしている。

彼らとはたいてい、土曜の夕方に隣街の駅前で落ちあい夕飯という名の宴に繰り出す。

店の名前は入れなくなると困るので明かせないが、やきとんの店だ。

夕飯時は焼き物の訓練校に通っている彼の、先月も聞いた似たような話を聞くことになるが、話している当人は先月とはまるで違った話をしているつもりなので、こっちも仕方なくのってみる。のってみるとわかることだが、たしかに先月とは内容も心持ちも幾らか変化しているよう。学校で得ることよりも、街で暮らす作家さんの手伝いで得ることがとても多いことがわかる。

彼は作品づくりにおいて、どう見てもほとばしる才能があるように思えないし、ましてや奇をてらったことをするような人間ではない。けれど、周囲の人に恵まれているともいうのか、偶然の出会いを引き寄せ、そこに加わることで自分の道を少しづつ歩み始めている。偶然の連続とはいえ、これもひとつの才能。才能と云わずして何と云う。というより、良き出会いを自分に引き寄せ、自分ごとに活かせることはちょっとした幸せだと思うし、それは行く先の人生を明るくする。つまり、彼自身が小さな行動を重ね、飛び込むことを恐れなかったからだろう。実力とはなにも目に見えるものばかりではない。年齢など関係なく、そんな彼に刺激を受ける。

まあでも。仕事中はムカッとすることもある、つねったりしたくなる時もある、それもまた愛嬌だろうか…

夕飯を終え、商店街のコンビニで買い物をし、事務局に到着した後は順々にシャワーを浴びる。

その後、コンビニで購入したスナック菓子と酒で宴第2ラウンドが始まる。

第2ラウンドになると落ち着いて話すこともない。ということもなく、何故かここでも延々とどうでもいいしょーもないことを話す。

もうひとりの仕事の出来る彼がいうにはこんな感じ。こちら。

私は真面目な話もどうでもよくてしょーもない話も全ては輪廻の中で繋がっていると思っているので、まじめでどうでもよくてしょーもな話をするのがとても好き。というか、それが生き甲斐であると言っても差し支えがない。

私の尊敬する関西の芸人さん、既に引退されたがその方は言っていた。いくらかアバウトな記憶だが、ご勘弁願いたい。

芸人の世界というのは、人の不幸を蜜の味と思ってしゃべくる親切な人らの集まりだ。そんな世界を見て、なんてこの人たちは優しいんだろうと思った。

私も全く同じように感じるし、人間なんてのはそんなもんだろうと常々思ってる。偉そうにしているのはいいけれど、ほんとに偉いと思っちゃいけない。その程度の生き物だと。

ガンジーだって結果を出したから尊敬されるけど、過程はどんなもんかわかんないし、結果を出せなかったらただのヤバい人。云い過ぎか…ガンジーを良く知らないのに偉そうにスミマセン。

話はだいぶ戻るが、事務局での第2ラウンドはおおよそ日付を越えて更に進み、寝ればいいのになんだか延々と一生懸命話をしている。どうでもいいしょーもな話なのに酔わないのは何故だろう?話はころころ変わり、ぐるぐると行ったり来たり、終わったかと思えば元に戻り、繋がらない話が繋がったりする。要するに、酔っていらんない。そゆうことだろう。

2人へ。来月の前夜祭は隣街に出来た友人の店に繰り出そうと思ってる。そのつもりでどうぞよろしく。

 

 

 

8月19日は大鳥神社会場で「カレーな休日」を開催。

  出展者発表は7月25日。けっこう豪華なラインナップだと思います。

  乞うご期待。

 

名倉

 

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