RSS1.0 | Atom0.3



8月8日 立ち尽くす青年

 

先週末は静岡に滞在。

選考会をしたり、宴会をしたり、用宗の拠点になってない拠点?を掃除にしに行ったり、墓参りに行ったりと、それなりな毎日を過ごしていた。

A&C静岡の選考会はスムーズにいってたかと思えば、途中、休憩を取り過ぎて、最後の最後はしょり気味?だったように思う。

ふだん、飯を喰う以外に休憩と仕事の境目のない、だらしのない生活を送っているが故、休憩をうまい具合にとることが出来ない自分に改めて気づいた。

かといって、それを直そうとは思わないほどに当たり前過ぎる毎日はどうにかならないか?ならないだろう。絶対に。

静岡では、諸々のやるべきことを終えた翌朝に海へ行く。

先日、雨風が強かった後なので流木やらなんやらがそこら中に転がっていた。

こういう日の宝探しはドキドキする。

海辺の宝探しでは、毎度その時々で拾っていいモノのルールをつくって出かける。

あくまで、テーマではなくルールであることは大事なポイントだ。

今回で云えば、形状のいい感じの枝もの。それだけ。

形状がいい感じの枝ものは、とても詩的で繊細な印象を受ける。

それをなんだか今っぽいと云えばそれまでだが…随分と潮で洗い流されているものもあれば、そうじゃなかったり。そのどれもが心地いい。

海辺での宝探しから実家へ戻ると大抵の場合、またゴミを拾ってきたのか?と父親、または母親に云われる。

こういった所、変に理解を示すことのない態度がかえって心地よい。それはきっと肉親だからだろう。

だってそうじゃないか?いい年こいて、両親が息子に気をつかうのは馬鹿らしいし、息子が両親にいらぬ気遣いも馬鹿らしい。

そもそも宝探しと思って出かけるのは四十路を手前の息子で、端から見ればそんなものはゴミでしかない。

静岡より東京に戻る直前、近所の旨い鰻屋でご馳走をし、ご馳走をしたらもう用がないのか、両親に急いで駅まで車で送られた。

まあそれはそれでいいと思ったが、そんなに急ぐこともないとも思った。

東京へ戻る高速バスの時間まで少し時間があったので駅中の商業施設をぶらぶらする。

大手のお洒落で安物を扱う眼鏡屋さんで気になっていた商品があったので探しにいってみたが見つからなかった。

バスの時間まであと少しの所でコンビニへ寄りビールを購入。探していたスナック菓子がなかったので諦めた。

高速バスがやってきたので荷物をトランクに入れようとすると、バスの側面でぼうっと突っ立っている若者がいたので「バスが出発しますよ」と声をかけてみたら「トランクに荷物を預けたいんですけど…」と不思議なことを云う。

こういった場合、トランクは自動的に開かないし、荷物がロボットになりトランクを開けてくれる訳でも勝手に入ってくれる訳でも、ましてや、バスはトーマスやパーシーやゴードンではないのだから、むこうから声をかけてくれることも行動を起こすこともない。

たまに見かける、車掌が「トランク開けましょうか?」と声かけないと黙って突っ立っている阿呆の姿、ここにあり。だ。

もしくは、トランクを開けて欲しいことに気がつかない車掌にむかってぞんざいで横柄な態度をとるアレ。どういう真剣をしていれば、ああいった態度を取れるのだろう?最低限、自分から声をかけそこで横柄な態度を取られたらどんな態度をとろうと勝手だと思うけれど…

たまに見かけるその光景を見て、ふと考えることがある。もしかしたら、この日本国の法律により、乗客は勝手にトランクを開けてはいけない。そういった制度があるのでは?と。

もしそういったものがあるのであれば、車掌が積極的に声をかけるなり、勝手に開けることが出来ないように鍵をかけておくべきだと思うが、どうもそんな法律を耳にしたこともなければ、バスでかかる電子機器音声案内全て女性でも聞いたことはない。

やっぱり、誰も声をかけてくれないのであれば自分で開ければいい。もしくは、車内にいて気づかない車掌に声をかければいい。

面倒くさくていい加減な車掌もいるだろうけど、高速バスの常連さんである私の知る限り、そういった車掌はほぼいない。もしいたら、なんらかの抗議をするなり叱ったあげればいいのだ。阿呆に年齢等関係ないのだから。

それをだま〜って立ち尽くしているあの感じ。私にはやっぱりまったく理解出来ない。

例えば、好きな子に声をかけられない…といった事情であれば、とっても理解出来るしそのフレッシュで甘い想いに微糖の缶コーヒーでも奢ってあげたい。

仮にだ。他人様をこんな風に想定することは失礼なことかもしれないが、敢えて言わせてもらおう。

もし何らかの事情で腕を骨折し自由が利かなく開けれないのであれば、車掌に声をかけるか、周囲にいるふつうの心をもった市民に声をかければいい。誰も彼もこぞって開けてくれるだろう。そこで小銭稼ぎをするほど日本国民はあらゆる意味でたくましくはないし、悪しき市民など通常いないのだから。

または…こんなことを云ったら駄目なのかもしれないけど、仮に声を発生できないのであれば、やはり、車掌なり傍にいた私なりにジェスチャーを送ってくれたらいい。そうしたら、そのことに気がつかなかった私や車掌は内心、「いや、気がつかずに申し訳ない…」と思いつつ、「ああ、もちろんです。」と、きっと己への恥ずかしさもあって前のめりになってトランクを開けるだろう。なんだったら荷物をトランクへ突っ込むだろう。日本人が昔からもつ美徳、恥をかくことへの罪悪感ゆえに。

けれど、その彼はおそらく肉体的にも精神的にも大きな問題を抱えていないように見受けられた。でも、ただただ立ち尽くしていた。

こうした人間のことを理解するつもりはないけれど、やっぱりなぜ?と考えてしまう。時間の無駄とわかっていても尚。

座席に座り、彼のことをビール呑みつつ改めて数分考えてみてたら、もしかしたらこんなこともあるかもしれないと思った。

彼はアラブの王子様かそれに近い位の高い方で、生まれてこのかたドアというドアを自分で開けたこともなければ、ドアノブのまわし方など知らなくてもいい人生を送ってきたのかもしれない?ということを。

けれど、その考えはあり得なく、だって彼はどう見ても私とおんなじ黄色人種だし、もちろんアラブの王子様風でもなく、ふつうの家庭でふつうに育った風のふつうの人間風だから。だから、やっぱりおかしいと思うし、いつかの元都知事が「最近の若者はどこまで脆弱に成り下がる!?」と怒りまじりに云うのもわからなくはない。彼の都知事は都知事で発言の度が過ぎることはあったろうけれど。

もとい。なので、ただただ不憫でならないと結論づけ、その場を立ち去り乗車し着席し、北方謙三の小説、血涙を読むことにした。

楊業亡くなった後、残った六郎と七郎が再び一族の誇りかけて敵味方に立ちむかう姿に感動を覚えワクワクする毎日です。

それではまた。

 

名倉

 

追伸。

次回のブログ更新は今年の「あおのファッションスナップ」結果発表を致します。

 

____

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 

 





8月3日 マグカップ。

 

明後日、8月5日は秋のA&C静岡の選考会です。

どうなることやら…ですね。

 

 

話はかわり、11月の下旬より「マグカップ」をテーマに巡回展をします。

会場は秋田(11月)〜長野(12月)〜東京(1月)と3つの店舗を巡回する予定。

 

秋田はここ数年お世話になっているあのお店。

長野はつい最近オープンしたばかりのあの作家のあのお店。

東京は古くからお付き合いのある東京の尊敬するお店。

 

参加作家は15名を予定している。

 

 

マグカップというワンテーマでも、会場ごとに異なる提案、アプローチをしていただくことになっている。

なぜか?その理由は簡単で、同じことを同じようにどこでもやっていたら阿呆丸出しだから。

もう少し丁寧に言うと、、ワンテーマであっても、会場によって異なる展示が出来たらきっと新鮮だろうし、その新鮮な景色を店舗さんとお客さんとで作家の作品を介して共有したいからだ。

更に正直に云えば、自分がそのことを楽しみたいし、期待している。

そして今思いついたけど、今回の試みが成功したら、更に様々な場所で巡回したいし、その土地土地の店舗さんや作家さんとも関わってみたいと思った。

(プラスα。各地で地元の美味しい居酒屋さんにも行ける。これ、とても大切なこと。)

 

 

 

…そんな訳で、マグカップ。

 

マグカップとわたしを繋ぐもの。それは愛着。

私にとってボールは友達でも知り合いでもないが、マグカップは連れ。

そう断言出来るから。

 

 

最後に。

東京の諸々では以前より考えていたことを今回、試してみたい。

それはまた別の機会に書きますね。

 

それではまた。

 

名倉

 

____

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 

 





8月1日 コミュニケーション。

 

7年ぶりに「五味五感」を開催することになった。

手創り市をはじめて5年に初回を。

その後も5年ごと…そのように考えてきたが、いつの間にか7年経ってしまった。

今回は11月より始まり、年をまたいで静岡〜東京〜栃木と巡回することになっている。

その土地土地で、お店で、食事会をすることにもなっている。

全てが楽しみだ。詳細はまた後日。

 

 

とある媒体の取材を受け、届いた原稿を見返し感じたことがある。

 

手創り市においてのコミュニケーションについて。

あくまで私個人の意見であり、べき論ではないけれど…

 

 

コミュニケーション。

それをひと言で「会話」と捉えたら、言わずもがな大切で必要なことだと思うことに余地はない。けれど、なにより優先するものか?と言われれば、そんなことはないと思ってる。

 

手創り市という場は作った人が自ら展示し販売をするのが原則だ。

目の前にいるのは作家さんであり、お菓子屋さんであれば店主さん。

 

つくった人とその場で直接話が出来ることは手っ取り早い反面、話さなければ…と思うと一気にハードルがあがる。

これは出展者とお客さん双方に云えることではないだろうか。

 

おはようございます。

こんにちは。

あついですね。

さむいですね。

ありがとうございます。

またきますね。

 

こういった、挨拶の類いに入るものであれば、誰もが切り出しやすいし、そこに抵抗がある人はいないだろう。

ここに抵抗があるとなれば、それは単に変わってる人で済ませていいと思う。

 

けれど、その先にある「作品(商品)や素材のこと」「制作のこと」を話しかけたり聞いたりとなると、大事なことはタイミング。求めているかどうか?を気にかける必要がある。(これは主に出展者側の話ですね…)

 

私は基本、モノから入るので作品を見て気になった時に声をかけたりするし、その時々によってばらばらだ。はっきりいえば、気分。そんなものだろう。

少なくとも、作品を見たからといって必ず声をかけよう。そんな風には思わない。目が合えば会釈程度はするけれど…

 

(逆に、作品がいいなあと思って話しかけ、そこからお互いの共通の話題や趣味?などに繋がってゆくと「いやあ、場所変えて酒でも酌み交しながら話しませんか?」もしくは「あなた、いいですね。友達になりましょう。」という気分になる。初コンタクトの人に間違ってもそんなことは言えないが。それこそ変わった人になるのでね。)

 

 

届いた原稿を眺め改めて思った。

 

コミュニケーションをとることが、べき論であったり約束事のようであったりしたら、それはそれでそもそものコミュニケーションの質が下がるのではないか?ということを。

コミュニケーションの義務やマニュアル化。そんなの不要。

自分がどうしたいか。相手の様子を見ながらその時々。それでいいでしょ。

手創り市において、モノから入ることの方が無理がなく自然で居心地が良いのでは?とも。

 

出展する方々にもお客さんにも願うことだけど、会場に来たからには作品を見たからには話さなきゃいけない。そんな風に思って欲しくはない。

 

話しかけてみよう!と力が入ること、話をするのが大好きだ!これもけっこうなことで、誰にとやかく言われる筋合いはない。けれど、誰もがリラックスした状態でその場にいられることの方が、個人が守られているような気がする。個でいることを認められている気がする。

 

べき論で語るのは挨拶のみ。

そう思います。

 

 

 

 

それではまた。名倉

 

 

____

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 

 

 

 





7月30日 お鍋。

 

鍋が好きだ。

季節を問わず鍋は美味しい。

 

子どもの頃から今に至るまで年中鍋。

これを慣習と言わずになんといおう。

 

鍋ほど野菜を食べることが出来る料理はないと思う。

とりあえずサラダ…と片付けられる軟派な食べ物では満足できない。

サラダに罪はない。頼む側の意識の問題だ。偉そうにごめんなさい…

 

そんな私の得意鍋は鴨鍋とネギマ鍋。

近しい人は「他にないのか?」と思うほど出している。。

 

 

2018年の終わりに差し掛かる頃。

様々な展示会を抱えている。

 

「やれんのか!?」と問われれば、やれるでしょう。全ては神の思し召し。

そう答える以外に選択肢は御座いません。

 

 

ハードボイルド上等ピカレスク上等を貫く小説にこんな言葉がありました。

 

「人は様々な岐路で選択肢を求めてしまうが、実は選択肢など存在しない。」

「今いるここから過去に戻ることは出来ないし、未来を案じることは無意味だ。」

「現実を見ろ。現実から目を背けるな。他に何もない。」

 

小説で描かれている、徹底したダークな世界を平然と生きる、現実主義をつらぬく人々。

行為の善悪は置いておき、描かれている世界観にうなづくほかはない。

 

 

話は戻り、お鍋のこと。

 

鍋の魅了とは?と問われた時、整理整頓された均一な美しさではなく、まさに人間世界のように、避けようのない混沌とした世界が広がり、その先にある広がりに旨味や滋味を感じることだ。そして。〆の雑炊の時、混沌とした鍋世界は消えてなくなり、整ってしまうあの奇跡。人間の為す果てのない業もいつかは等しく消えて亡くなってしまう儚さにも繋がるあの感じ。

それが鍋の魅力かもしれない。考え過ぎでしょうか…

 

 

家の黒猫は今日もひっくり返り腹だし寝そべっている。

そろそろ1歳を迎えるようです。

 

彼女にとってハードボイルもピカレスクも、人間世界の混沌も、すべて関係なく世界がまわっている。

彼女が望む唯一絶対的な関係は世話をしてくれる人。その他に求めるものはない。

そんな達観した?彼女は神か仏か、はたまた… ただの黒猫だ。

 

 

それではまた。名倉

 

____

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 

 

 

 

 





7月28日 嘲笑。

 

写真は高円寺にある喫茶店、CITYさん

足繁く通う居酒屋の帰り道、意を決して入店。

私好みのお店でした。

 

 

随分前のこと。

知人との会話でこんな話があがった。

 

 

「手創り市が主催するイベントはなぜ行政の支援や後援をつけないのか?」

 

この点に関しては時折聞かれることなので、決まり文句のようにこう答える。

 

「手創り市はその場所を管理する方、団体と約束事を決め、開催をする。基本、いわゆる公園や広場などの市民に開放された公共施設を使わないので、街が市民の為に必要と判断し、その認め印となるような箔は不要。要するに、市町村の後援をつけてもらう必要がないし、誰にお伺いを立てる必要もない。場所を管理する方々との約束事さえ守れていればオッケー。反面、公共施設を使うイベントは、街(役所を端緒とする市民含め)へのお伺いをたてる必要がある。当たり前のことだけど、使いたい空間は本来、イベントの為の場所ではなく、市民の為の場所だから。税金で場所を管理し運営されている以上、煩雑だろうが何だろうがあらゆる報告義務が生まれるのは絶対に必要なことだし、そこを疎かにすることは社会の仕組みの中であり得ないでしょ。」

 

いつどんな時も、どんな方にもほぼ同じ回答をしているが、その知人はさらに面白い、現実的で正味なことも聞いてきた。

 

「例えば、市町村や地元企業などがスポンサーにつくことで運営が楽になることだってあるだろうし、もっと云えば、イベント自体に予めの信用というか、信頼度は増すんじゃないか。いや、きっと増すでしょう。何故そうしてゆかないの?」

 

それについて、こんな風な回答をする。

 

「スポンサーというのが、金銭の援助なのか、なんだかよくわからない信用や信頼を得る為の単なる名前貸しなのか、それはいろいろとあると思うけど、なんらかの援助を受けた場合、開催前や開催後の報告義務があるでしょ。その全てが煩わしいんだよね。とっても。」

 

さらに阿呆のような、云わなくてもいいことをついつい…

 

「あとさ、単なる名前貸しは単純にその姿勢がダサいじゃん。俺だったらそんな人間と知り合いたくないもん。30分お茶するのもやだね。金銭の援助を求めるのも似たようなもんだけど、お金を下さいってゆうよりも、援助してくれるだろう心ある人が『勝手に使ってください』って家のドアの前にお金を置いといてくれたらいいよね。道で拾ったら交番に届ける必要あるけど、家の前に置いといてくれれば問題ないし、見返りを求められず煩わしさもないしさ。」

 

それに対してこう返ってきた。

 

「ああ〜それいいね。それはいいや。けど、あんまり外でそういうこと云わない方がいいよ。云うんだろうけどさ…」

 

さらに畳み掛けるようなこんな質問もやってきた。

 

「まあでも、いつか街や企業とかの支援を受ける必要性が出てくるかもしれないから考えた方がいいし、その時どうする?」

 

あくまで例え話だからこんなもんでいいだろうと答えた。

 

「その時がきたら考えるけど、単なる名前貸しはやだね。これは説明不要でしょ。ダサいから。」

「金銭の援助については、お金は実際的な道具になり得るからちゃんと考えないといけないよね。お金を支払う受け取るって信頼そのものだから、信頼を軽々と受けるって俺は怖いよ。」

 

さらに、こんなことも加えてみた。

 

「完全に思いつきだけど、いろんなところから支援や協力を受けてさ、それでうまくいかなったら言い訳出来なくなるよね。言い訳するつもりはないけど、やっぱお酒呑みつつ、クダまくって気持ちいいじゃん。なんでうまくいかないんだ〜!?世の中の糞野郎!この世に神も仏もいないのか〜!ってゆうのがそもそも出来なくなるよ。世の中から支援受け取ったら、あんたは黙りなさい。でしょ。やっぱさ、基本は自主独立でやってる方がシンプルそのものだし、終わった後の言い訳という名の宴会も出来るし楽しいよ。こういう考え方は駄目かね?」

 

その後も2人のやりとりは続くのだが、たいして学ぶべきことも無いので割愛。

 

 

それは3年前のことでした。

 

とある方からの導きにより、静岡の三島のとある公園でイベントをしないか?と声をかけられはじまったイベント。

 

イベント会場となる公園は四季をとても感じることの出来る場所で、静岡県東部で生まれ育った人であれば、想い出の場所。

ここでやってみたいな・・・と思い始めたイベントも今年で3回目を終え、現在、戦後処理の真っ最中である。

 

イベントの名をVillage mishima rakujuenという。

 

行政からのいくばくかの支援(金銭)を受けるが故、開催後の報告義務を背負い、苦手なことをやっている。

 

人間というのは各々異なる得意分野と苦手分野を持つのだが、私の苦手分野はいわゆる事務作業そのもの。

苦手なものはいつまでもどこまでも苦手であり、それは回数を重ねれば出来るようになる、それとは別次元のものであり、出来るようになっても苦手意識は消えないもの。私がそうである。

 

3年前の会話で偉そうに愉快そうに気持ちよく答えていた自分は今、まさにその偉そうの対局に座り、自分を嘲笑い呪詛を唱えながら報告書をつくっている。

 

 

窓の外を眺めると、めっぽう強い風と雨がふいている。

明日には晴れるようだが、私の心も晴れるといいなと神頼み。

 

 

それではまた。

 

名倉

 

____

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 





7月23日 無駄話の続き…

 

昨日のブログの続き。

 

手創り市の前日は男性スタッフ2名が事務局に前泊をしている。

彼らとはたいてい、土曜の夕方に隣街の駅前で落ちあい夕飯という名の宴に繰り出す。

店の名前は入れなくなると困るので明かせないが、やきとんの店だ。

夕飯時は焼き物の訓練校に通っている彼の、先月も聞いた似たような話を聞くことになるが、話している当人は先月とはまるで違った話をしているつもりなので、こっちも仕方なくのってみる。のってみるとわかることだが、たしかに先月とは内容も心持ちも幾らか変化しているよう。学校で得ることよりも、街で暮らす作家さんの手伝いで得ることがとても多いことがわかる。

彼は作品づくりにおいて、どう見てもほとばしる才能があるように思えないし、ましてや奇をてらったことをするような人間ではない。けれど、周囲の人に恵まれているともいうのか、偶然の出会いを引き寄せ、そこに加わることで自分の道を少しづつ歩み始めている。偶然の連続とはいえ、これもひとつの才能。才能と云わずして何と云う。というより、良き出会いを自分に引き寄せ、自分ごとに活かせることはちょっとした幸せだと思うし、それは行く先の人生を明るくする。つまり、彼自身が小さな行動を重ね、飛び込むことを恐れなかったからだろう。実力とはなにも目に見えるものばかりではない。年齢など関係なく、そんな彼に刺激を受ける。

まあでも。仕事中はムカッとすることもある、つねったりしたくなる時もある、それもまた愛嬌だろうか…

夕飯を終え、商店街のコンビニで買い物をし、事務局に到着した後は順々にシャワーを浴びる。

その後、コンビニで購入したスナック菓子と酒で宴第2ラウンドが始まる。

第2ラウンドになると落ち着いて話すこともない。ということもなく、何故かここでも延々とどうでもいいしょーもないことを話す。

もうひとりの仕事の出来る彼がいうにはこんな感じ。こちら。

私は真面目な話もどうでもよくてしょーもない話も全ては輪廻の中で繋がっていると思っているので、まじめでどうでもよくてしょーもな話をするのがとても好き。というか、それが生き甲斐であると言っても差し支えがない。

私の尊敬する関西の芸人さん、既に引退されたがその方は言っていた。いくらかアバウトな記憶だが、ご勘弁願いたい。

芸人の世界というのは、人の不幸を蜜の味と思ってしゃべくる親切な人らの集まりだ。そんな世界を見て、なんてこの人たちは優しいんだろうと思った。

私も全く同じように感じるし、人間なんてのはそんなもんだろうと常々思ってる。偉そうにしているのはいいけれど、ほんとに偉いと思っちゃいけない。その程度の生き物だと。

ガンジーだって結果を出したから尊敬されるけど、過程はどんなもんかわかんないし、結果を出せなかったらただのヤバい人。云い過ぎか…ガンジーを良く知らないのに偉そうにスミマセン。

話はだいぶ戻るが、事務局での第2ラウンドはおおよそ日付を越えて更に進み、寝ればいいのになんだか延々と一生懸命話をしている。どうでもいいしょーもな話なのに酔わないのは何故だろう?話はころころ変わり、ぐるぐると行ったり来たり、終わったかと思えば元に戻り、繋がらない話が繋がったりする。要するに、酔っていらんない。そゆうことだろう。

2人へ。来月の前夜祭は隣街に出来た友人の店に繰り出そうと思ってる。そのつもりでどうぞよろしく。

 

 

 

8月19日は大鳥神社会場で「カレーな休日」を開催。

  出展者発表は7月25日。けっこう豪華なラインナップだと思います。

  乞うご期待。

 

名倉

 

____

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 





7月22日 無駄話

 

ヴィレッジと雑司ケ谷のあおを終え、秋にむけての時計の針が再び動き出した今日この頃。

このまま片時も休むことなくお盆休みがやってくるのを待つばかり。

お盆休みはいつも通り静岡で過ごすことになる。

ガラケーのわたしはPCのない環境では一切仕事が出来なくなるのでちょうどいい。

確実に断絶出来る。前向きに。明るい未来にむけて。

 

 

連休明けの1週間はほぼ事務局に籠り、淡々と作業をこなす毎日。

朝に寝て昼前に起床。

その後、水浴びをし、一杯の珈琲を淹れそのまま夕方まで作業作業。

時折、地べたに寝転び昼寝する訳でもなく、ただ横になる。

そのまま寝ることはほぼない。

地べたに寝転ぶのはひんやりして気持ちがいいから。

家の猫も同じことをやってるが理由を聞いたことはない。

ひんやりついでに忘れていたことを思い出すこともある。

ひんやりはみらくるにつながる妙。ものは考えよう。

作業を続けていると時々気分が塞ぐこともあるので、その時はオアシスへ行く。

オアシスは不良音楽家のことではなく、最寄り駅のコーヒーショップのこと。

コーヒーショップの帰り道はたいていブックオフで物色。

つい最近の買い物はもう何度も繰り返し読んでいる恩田陸の光の帝国。

何冊も家にあるのに、実家にもあるのに、ついつい文庫を買ってしまう。

人生のなぜはそこらじゅうにあるので考えても仕方ない。

ブックオフの帰り道、コンビニへ寄り晩酌の為の水や炭酸水を買う。

家路の途中、玄関を開け放ちジャズを大音量でながす洒落たおじさんの家の前を通る。

いつか話しかけてみたいと思うけど、いつまでも話しかけることはないだろう。

最近はおっきな犬を見ないが死んでしまったのだろうか。

夕飯はけっこう遅めで、家でとることもあれば、外で食べることもある。

外食はあくまで気分転換。

昔から両親祖父共に外食が好きなので私も似てしまった。

外食はお金がかかるから無駄遣いといえば無駄遣いだ。

けれど、消えてなくなる無駄遣いはせこくなくていい。言い訳がましさは皆無。

ギャンブルのような依存もないので尚更。都合良過ぎだろうか。

開催日や打合わせなどで外へ出ない限り、基本、一日一食の毎日を送っている。

なにかを考えてのことではないけれど、腹が減ったら食べる。それがちょうどいい。

一日一食のそれが夕飯というだけのこと。

子どもの頃からずっと不思議だった。

一日三食っておかしくないか?誰が勝手に決めた。

子どもの頃はそんなことを両親に言えなかったので黙っていたが今は実行するだけ。

夕飯を終えるとたいてい、私が洗い物をする。気分がむかない時はしない。

洗い物は段取りそのもの。要領の良さが如実に出るもの。それとモノの扱いも。

目の前にある器の形状とサイズ、その日の献立、それらによって洗い方が決まる。

夕飯を終えたら、その後は昼間と同様、いや、晩酌をしつつ残りの作業を延々とする。

作業を延々とすると書いたが、夜中にする作業はだらだらとやるだけだ。

余程のことは4月と10月にやってくる。その時はがんばる。ばんがる。

日付が変わってちょっとした頃、余裕がある時は借りてきたDVDを見ることが多い。

新作は7泊8日になったら借りるが、旧作は同じものを何度も借りてしまう。

あとは昔収録されたラジオをYOUTUBEで何度も聴き直している。なぜと聞かないで欲しい。

話はちょっと戻るけど、一日一食の中にお菓子は含まれない。ズルだろうか。

大人になってもスナック菓子が好きなので夜中に食べることが多い。

周辺の人たちは私がスナック菓子が大好きだというと意外という。

もっと身体にいいものを食べていると思っているんだろうか。

身体にいいものを食べようと心がけたことは一度もない。

口にするものは安かろうが何だろうが美味しいと思えるもの。

安くて美味しいもの、そうすると自然と旬のものに落ち着く。ただそれだけ。

身体にいいから。どこどこで採れたものだから。

そういう情報を気にしていた時期もあったけど、今ではどうでもいい。

とまあ、こんな風に言うと語弊もあるけど、人は人。私は私。賛否じゃない。

夜の深まりも一転すると朝にむけて行進してゆく。

朝にむけて突破口を開くのは新聞配達の往来。

私は中学生くらいまで太陽と月が別のものとは思わなかった。

明るい日中だから太陽と呼び、暗い夜中は月と呼ぶ。そう思ってた。

もとい。新聞配達は毎日のことだから受け取る側からすれば当たり前のモノ。

そんな当たり前のモノを雨の日に届けるのは気をつかうだろうなあと思う。

相手は毎月お金を自動的に支払っているし、届いてふつうだし。

たいして気をつかってないものほど何か起きれば大事になる。人はする。

けれど、みんなが寝ている時に誰に褒められることもなく配達するお兄さん。

お姉さんの場合もあるだろうが、ここはお兄さんで通したい。

このことはけっこう褒められるべきことだと思うけどな。

新聞とってないけど。洗剤はもらうけど。

夜も明け5時を過ぎた頃。ようやっと寝る支度を始める。

就寝前は歯を磨き、水をがぶがぶ飲み、眼鏡を所定の位置へ置く。

床につく時、ふと思うことがある。

うつ伏せと仰向けの違いってどっちがどうだっけ?

とっさの時に左右がわからなくなる。あれと似たもの。

私はとっさの時でも左右がわからなくなることは一切ありませんが。

 

 

10代の終わりから17年間ほど早朝起床の生活を送ってきたけれど、それが数年前に終わってからというもの、その2日後には夜型人間になった私は根っからの夜型なんだろうと思う。

深夜に作業をしているとたまに思い出す。一年に満たないほどだが自分なりに一生懸命働いたコンビニの夜勤。夜の清掃の時間、休憩の時間、外の空気を吸う時に夜空を見上げ、自分は何をやってるんだろう…そんなことを思ったことがある。

職業に貴賤はない。その通りだと思うけれど、自分はなにをやってるんだろう…と思ってしまったあの頃に戻ることがないよう、戻れない所まで自分の好きなことにむかって延々と延々と歩き続けよう。来た道がわからないくらいに。

自分はそんなことを考え今がある。どこまで延々と歩いても意外と来た道を思い出せるのは記憶の為せる技。記憶を遡れなくなってしまった時、自分自身への恐怖を感じるのだろうか。壊れてしまったと…壊れた自分は壊れたことすらわからないのかな。

 

 

今日は日曜日。カレンダーの終わりが日曜なのと、始まりが日曜なのとあるが、皆さんはどちらが好きですか?私は曜日など関係ない生活を送っておりますが、それでも始まりが日曜なんて冗談じゃねえって思います。どうでもいいことですね。はい。

 

 

8月19日の手創り市出展者発表は7月25日です。

もう少々お待ち下さいね。

 

それではまた。名倉

 

____

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 





7月7日 七夕

 

 

 

 

週明けの月曜から2018年の「あお」の出展者紹介まとめ更新します。

 

 

ろーれん・まざけいん・こなー。

 

笑うことはあまりないけれど、

泣いたり、ささやいたり。

静かに叫んでみたり。

 

私の敬愛するギタリスト。

 

 

もひとつどうでもいいことを。

 

近所のコンビニで見かけた

国産のクラフトジンなるものを購入しました。

 

香り高く、

香りの中にも特有の粘りもあって、

ロックに炭酸割りに毎晩楽しんでおります。

 

ひとつ難点があるとすると…

ブラックニッカクリアーより半分の量で、

且つ、値段は25%増しなところ。

 

 

それではまた。

 

名倉

 

 

____

 

 

**7月15日・出展者リスト**CLICK!!

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 

 





7月5日 才能とか

 

 

 

 

若くて

才能もあって

君は苦労するだろうね。

かわいそうに…。

 

初対面にも関わらず

口にしてしまうそのひと言。

 

褒め言葉でも

けなす言葉でもなく

そのままのありのまま。

 

この言葉は

私なりの

ある一定の事実と

道理を混ぜこぜに

予言してるつもりだが

大抵の場合それは

阿呆が冗談言っている

と思われるだけだが

そんな周囲は放っておく。

 

けれど。

 

当の本人には

伝わっているんじゃないかな?

意外とね…

 

彼ら彼女らが持つ才能は

周囲の理解を肯定しつつ

時に距離を測りながら

生きる為の知恵をつけ

形あるものをつくり

生業として

糧として

世をサヴィブ。

 

生きながらえるか

のたれ死にするか

才能ある者の姿は

そのいずれか。

そんな気がしている。

 

 

上の写真は、

東京雑司ケ谷で手にいれた

木工を介して作品づくりする

只木芳明さんのもの。

 

彼が出品する

京都のギャラリーで

三人展が近々あるようで、

展示会のタイトルも含め

すこぶる気になっている。

 

けれど、

よりによって

会期の頭がヴィレッジと被り、

その事実に発狂し、

夕餉の卓をひっくり返したが、

あくまでそれは比喩であり、

そんなことはしないし

出来る訳もない。

 

行きたいな…

行けるかな…

行けなくもない…

行けるんじゃね…

 

そんなどうどう巡りをしてたら、

夢の中まで土足であがりこんできて、

夢の中で耳にした

「梅御殿の一室が京都に繋がっている」

という噂。

それが真実であれば

誰に迷惑をかけることもなく

行けちゃうのだが…

といってもそれは

夢の中でのことなので、

誰に確認しようもなく、

確認しようものなら

「まずは病院へ行け」

と提案されるは必定。

 

 

 

テノナル工藝百職

「文体練習」

7月14日〜7月22日

只木芳明(木工)

前田美絵(陶磁)

森屋和輝(硝子)

 

 

 

どうにか行ける方策を検討中…

なにはともあれ先ずはヴィレッジです。

 

名倉

 

____

 

 

**7月15日・出展者リスト**CLICK!!

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori





7月3日 クリームソーダ。

 

明るいうちに出かけることのない私は、日中たまに出かけると外が眩しくて仕方がない。

外は明るい。そんな当たり前を知る。

 

20日ほど早い梅雨明けの7月あたま。所用あって明るいうちから出かけた。

突き刺すような日差しに笑いがこみあげてくるよな灼熱。

コンクリートじゃんぐるの東京は暴力的なまでに熱を放っている。

 

ぐるぐると街を歩きまわり、くたくたになった私はくるくると目眩がしてきたので街中にある喫茶店へ入った。

 

街中の喫茶店ではクリームソーダを注文するという法律に基づき、けれどメニューを見ないのも失礼だな…という理由から流し見でメニューを見るフリをする。

数分たって大学生風な女性店員がグラスに入った水とおしぼりと共にやってきた。

その景色を見て、水に入ったグラスを持ってきたら面白のにね、と傍らに声かけたかったが見知らぬ新聞を読むおじさんなので止しておいた。

もとい。潤いを欲している私はすぐさま、けれどがっついた雰囲気を出さぬよう女性店員に怪訝な目で見られることがないよう、そっと優しく「クリームソーダ」とひと言注文。

店員さんは「はい」と応え、店奥に向かった。

 

おしぼりの袋を音をたてぬよう破り、がっつくように顔をふきふき、その後手を拭いた。

喫茶店のおしぼりで顔を拭きたくなる。というか必ず拭く。これは季節を問わず行うことで、法律とは云わないまでにも行政指導的な位置づけだ。

夕飯は麻婆豆腐ということもあり、そのことを想像しながら、楽しみにしながらクリームソーダをいただいた。

 

その後、山手線の駅にむかい乗車すると、学校あがりの大学生風の男女がわいわいがやがやと乗り込んできた。

彼ら彼女らは共に汗をかいているが何故かキラキラと輝いているように見えた反面、その隣に佇む迷惑顔が板についたサラリーマン風のお父さんは汗でギラついていた。

そんな景色がいいね。そんなことを思いながら、どこかで見た小説の一節を思い出した。

 

素敵であれば優しくなくていい。

 

この言葉は学生風の若人達にぴったりだと思った。

と同時に、サラリーマン風のお父さんにはこの言葉をプレゼントしたい。

 

優しくあれば素敵でなくていい。

 

家の最寄り駅に到着し、近所のTSUTAYAで小一時間ほど陳列されたDVDを眺め選んだ映画作品はザック・スナイダー監督のドーン・オブ・ザ・デッド。

優しい気持ちに浸りながら血みどろの映画を楽しもうと思う。

 

それではまた。

 

名倉

 

____

 

 

**7月15日・出展者リスト**CLICK!!

 

 


HP:http://www.tezukuriichi.com/ 
mail:info@tezukuriichi.com
Twitter:https://twitter.com/kishimojinotori

 









Profile
twitter
New Entries
Archives
Category