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9月20日 限られたなかで。

 

先日の「マグとわたし」の撮影で改めて学んだことがある。

直接、展示会に関係ないことだけど。

私にとっても、どこかの誰かにとっても、大切なこと。たぶん。

 

 

自分で始めたことは自分で何をしようと自由だ。

けれど現実は、選べるものに限りがある。

 

時間やお金。

出来ること。

出来ないこと。

 

すべては相手があることだから。

 

例えば宣伝面。

出せる経費から行き着く、紙の素材や紙の厚み。その形。

 

これらのことを踏まえて、自分が今出来うることを形づくる。

 

 

きっとこれは全てのツクルコトに当てはまるでしょう。

 

 

あんなことをしたい。

こんなことをしたい。

もっとディテールを突き詰めたい。

 

これらも全て、お金と時間によって制限がある。

繰り返すが、仕事の先には必ず相手があるからだ。

 

 

私は自分自身で形あるものを作れないし、つくるつもりも余りない。

そんな、モノをつくれない自分だからこそ、自分自身に3つの約束を課している。

世間の常識や慣習を無視することはあっても…

 

 

「1」自分の考えや感じたことを出来る限り自分なりの言葉で時間をかけて伝える。

伝える言葉がたどたどしくても、かっこよくなくても、そんなことは関係ない。

予め用意された?わかりさも必要もない。

そこにはわかりづらさを解きほぐす他者がいるのだから。

 

「2」自分の分相応をわきまえる。

自分に自信を持つことはいい。自分の欲求を叶えることもいい。

けれど、どんな分野にも自分より優れた人間が幾らでもいる。

というより、専門性を持ったほとんどの人は自分より優れた沢山の何かを持っている。

具体的には専門性に特化した知識。知識と経験を重ねた上での知恵。

 

そして、「1」と「2」を踏まえたうえで。

 

「3」たとえ今は妥協しても自分には次があることを信じる。

次がある確約はない。

けれど、何も一歩を踏み出さないでああだこうだと云ってるほど人生は長くない。

であれば、一歩踏み出してみて自分の正しさと間違いに気づけばいい。

 

 

なにかを始める時。

今この瞬間が自分自身の最高の瞬間であり、そうであって欲しいと願っている。

同時に、なにかを始めた人にはきっと次がある。きっと。

 

 

現実の世界では、目に見えることで判断されるのは当たり前のこと。

それは人であろうとモノであろうと。

世界と自分は異なる存在であり、自分以外は他者なのだから。

けれど。

先に挙げた3つの事柄を自分自身の中の責任と自由で守ってさえいれば、自分が必要とする仲間が不思議と助けてくれる。

これも確約されたものではないけど、あながち間違っていない。

 

 

なにをしてもしなくても100%の約束事がないのが人生。

だとしたら、自分でなにかを選べる人は自分自身を信じつつ、同時に、自分が頼れる目のまえの人に委ねてみたらいい。

 

 

ずっとこのことを考え様々な仕事を作ってきたけれど、以前は心のどこかで慢心をしていた自分もいる。

今でもたまにその顏が見えてしまうこともあるだろう。

そんな自分が徐々に変化し、その変化を言葉に出来るようになったのはここ数年のこと。

牛歩のごとく歩んできた自分だからこそ、今ある周囲の人たちがいる。

 

 

「マグとわたし」にあまり関係ないようですけど、そんなものを見つけました。

展示会はこれから。全てこれから。

 

それではまた。

 

名倉

 

____

 

 

*ご注意下さい*

10月7日の雑司ケ谷手創り市の申込期間は以下の通りとなります。

9月6日消印〜9月18日事務局必着。

会期、申込期間共にイレギュラーとなります。

 

 


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