- アトリエ訪問【ANDADURA】益子編
- 2011.09.10 Saturday | アトリエ訪問 | posted by 手創り市 |
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第七回 アトリエ訪問 ANDADURA
話す人:ANDADURA/山本→山
聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ
名:今回のアトリエ訪問はANDADURAの第二回目になりますね。前回は初めてのインタビューだったのでアトリエのことを重点的に聞いて。今回は二回目ということもあるので、アトリエに関してはもちろん写真でも紹介するんですけど、それと併せて『お財布のように工房を』を参照して貰って、アトリエを中心というよりはそうでない形で。全体的な流れとしては、登戸から益子へ引っ越して、いちからアトリエをつくって、避けられる話じゃないので…震災がやって来ました、震災以降、個展の開催を終えた今、これからANDADURAとしてどうやって活動していこうと思っているか? というのが流れですね。
山:「はい」
名:なので、インタビューってよりも、フリートークな感じで。山本くんからも何かこう、都内に住んでいる僕らとの違いというか、質問とかあれば聞いてもらってそれにこちらも答えてくという感じでやっていきます。じゃ、まず最初に、登戸から益子へ引っ越して、一からアトリエをつくる、引っ越した当初、どんな心境であったか?で、アトリエをつくりながら何を考えていたか?それをお聞かせください。
山:「ここに来たのが一月の二十日頃なんですけど、実際に物件を探しはじめたのが、去年の夏くらいなんですよ。前のアトリエ訪問でも、益子に引っ越したいって言ってて、実際本格的に探し出したのが七月くらいで。ずっーと登戸でやってくと家賃の高さとかもあって、足元の仕事が出来ないという危機感みたいなものは感じてたんですよ。どんどんどんどん、つくって売って、つくって売って、って回していかないと、ずっとは厳しいなっていうのはあって。登戸に住んでて三年くらい経った時に、ずっーとそのペースでやっていくと、多分どっか、やりたくないこともやってそうな気もするし、あまりよくないことだろうなぁと思って」
名:自分が歯車の一部になるという?
山:「そうです。やっぱそこで本当に暮らしてくってことで、なんか改ってというか、足元の仕事って結局あんまりお金にならない仕事じゃないですか? 僕の場合、つくって買ってもらうことで生活しているので。そうじゃなくても今までやって来たことを見直すとか、ゆっくり時間かけてこう、例えば事務とか、管理する仕組みをつくるにしても、そのへんきっちりやろうと思うと、時間をかけて。本当にやりはじめてすぐなので、その辺のことをきっちりしたいなとなると、家賃の安いところに引っ越して、そこでじっくり足元仕事をやりたいなと思って引っ越したんですよ」
名:この益子の物件を見付けるには通いながら?知り合いの所に泊まりながら?
山:「益子に大学の友達がもともと住んでて、で、その友達に物件探して貰って、そうするとこの物件は彼の知り合いがもともと住んでて、でもう空いたからって教えて貰って、それを益子に見に来てすぐ決めたという感じですね」
植:即決?
山:「一応即決というか、彼女がどうするかで一回見て貰おうと思ったんで。僕は気に入ったんで、すぐにとめといてくださいって言って、それで彼女にも見て貰ってオーケーだったんで、すぐに決めました」
名:この建物の第一印象は?
山:「第一印象は、厳しいな、と思う所もあったんですけど、まぁでも、外観も可愛らしいし、全然いいなと思って。ちょっと離れに工房がつくれるなっていう、あの辺も魅力でしたね」
名:生活の場と、工房を分ける。
山:「そうです。前のところは敢えて分けずにやってたんですけど、やっぱ次は分けてやろうかなぁって思って」
名:それもやっぱ足元を整えることに繋がるという?
山:「色々試した試しで良い形になればなとは思うので」
名:それで引っ越して、生活をしながらアトリエをつくって、3月11日の地震、そこから8月の個展に至る迄のことを聞きたいんですけど。ここってものすごく、たかが半年であっても、すごく色んなことがあって、色んなことを考えたと思うし、本当にセンシティブな話なのでざっくり山本さんに全体をどうでしたか?って聞くよりも、こちらから少しずつ質問をしながら話を進めていこうと思います。
山:「はい」
名:いくつか質問事項をあらかじめ考えてきました。それは絞ったり絞り切れなかったりとかたくさんあって。一応、いくつか用意したんですけど、それも全部聞くかといったら、その時の流れでって考えてます。3月11日、地震が起きて、自分が知り得る状況を知って、まず何をしましたか?
山:「『お財布のように工房を』にも書いたんですけど、工房が出来たのが地震の二日前の3月9日で」
名:出来たばっかりですよね。
山:「これからって時だったんですけど、地震が来て。最初は結構揺れたんですけど、そんな大きなことになってないだろうって。あんまりニュースも入って来なかったので」
名:この辺って震度何くらいだったんですか?
山:「震度5強かな?」
名:ああ、そんなに東京と変わらないですね。東京もだいたい5強くらいあるって言われてるから。
山:「それでとりあえず状況とか見てると、なかなか原発のこともあり。ホントに出ようとかなって思ったのも、地震が来てその夜とかにずっと電気が来てなくて、真っ暗だったんですよ」
名:完全に停電して。この辺り一帯ですか?
山:「そうです。この辺り一帯真っ暗で。で、その真っ暗な中でずっと余震が来ていて、常に、余震、余震できてると、今回すごいなんか不吉だったんですよ。嫌な予感がして、何て言うんですかね?個人的に揺さぶりかけられてる、みたいな。一日こう真っ暗な中でずっと余震味わってると、ホントそんな気分になって来て」
名:お前どうすんだ?みたいな・・・
山:「個人的な揺さぶりですよ。ホント、一人一人が向き合わななきゃいけないんだな、という感じの気持ち悪さですね。ホント、嫌な予感があったんで、次の日、ネットが回復した後に、ニュースで原発のこととか見ると、前の日にすごい嫌な予感もあったし、だからこれは厳しいなと思って。それで益子を出ようかなと思いましたね。益子を14日に出たんですよ。三日後ですね」
名:11日の金曜日に地震が起きて、それから三日後。
山:「そうです。その位の時期って」
名:確定申告?
山:「ギリギリぐらいで、金曜日になんとか終わらそうって思ってたんですけど、電気もなくて全然進まなくなって、気分的にもそんなニュース見ながら確定申告なんて」
名:やってらんないですよね・・・(苦笑)
山:「こんな時に、こんなん、やってられっかって感じだったんですよね」
名:ホントにその通りです。
山:せっかくちゃんとやんなきゃなと思って。月曜日になんないと税務署が開かないので、その日迄は帰らないなというのがあったんですよ。でも、税務署はクールじゃないですか? 出さなきゃ出さないで、まぁその辺なんとも言えないなとも思ったので、それを月曜日の朝に出して、帰りましたね。ホントはその前の日に出たかったんですけど、その時結構危機感があって、14日になったらもう出れないかなってなんとなく思ってたんですよ。13日が結構ギリラインかなとか思っていて、電車とかも厳しいし、あまり悠長にしてられないなと思って。確定申告をなんとか嫌々終えて、それですぐに帰りました」
名:益子ってこの町、物づくりがすごく盛んじゃないですか?陶芸のほか色んな人がいると思うんですけど、ここでつくることで生計を立てている人がたくさんいると思うんですよ。もちろん、山本さんの周りにもたくさんいるだろうし、それは規模の大小関わらず、当たり前なんですけど、大きな損傷、損壊があって影響があって、特に陶芸の人たちは、やっぱりその地場で物をつくってっていうのがあって、やっぱりそこから離れられない人って絶対いると思うんですよね? 離れたくても離れられない。つくることと生きることが直結してるから。お金の面でも。その比較じゃないですけど、山本さんは、確定申告を終えて、ひとまず出て行こうって。そこで冷静に、第三者的に、比較とかって何かありました?自分自身と、出て行けない人たちっていう。それは良い悪いじゃなくて、個人が向き合う以外ないっていう前提で。
山:「僕の場合は本当に、予感みたいなものもあったし、実際に被爆とかすると僕は絶対にこう、自分が出なくて被爆しちゃったら、どっかを責めて、誰かに責任を求めるようになるかなって、本当にそれが嫌だったので出たんですけど。まぁ、実際物づくりしてる人とかじゃなくて、近所のみんなは普通で、大丈夫大丈夫って感じで。うーん。何が違うんでしょうね? なんでしょうね?」
植:その時、近所の方とかと、地震や原発のことを話す機会っていうのがあったんですか?
山:「ありますよ。地震が起きてすぐにみんな外に出て、大変だねとか言って。瓦も結構ひどいことになってたりして、そんな感じで話してたりとか。その日に珈琲つくって持って来てくれたりとか。そんな中でみんな、どうするこうするは話したんですけど、その時くらいで、地元に帰るとか、出るとかは全然聞いてなくて、みんな、そんなに大きなことになってるって感じもしていなくて。その時、物つくってる人とかでも連絡して、出る人とか何人かいたりして。もうやばいから出るよって言って。そうですね、僕は広島に生まれて、原発や放射能とかに対する危機感が強いのかなぁっとも思いますけどね。
名:原発のこととか放射能のこととか、広島だと小さな頃からそういう話を聞くものですか?
山:「聞きますね。原爆資料館に行くとなかなか。遠足とかで行ったりもするし」
名:修学旅行って行ったりもしますよね?
山:「行きますね。バスとか乗ってると、横のおじいちゃんとか、戦争の話とかしてくるんですよ。あーだった、こーだったとか。そんな中にいると、その辺の意識は高いというか、昔から考えてたことなんで、その辺の危機感はありましたね」
名:3月14日に確定申告を終えて、一時避難ですよね?
山:「そうです。一時避難で名古屋に行きました。彼女の実家に行って、十日間名古屋に居ましたね」
名:その十日間でどんなことを考えてましたか?地震が起きる二日くらい前に、アトリエがようやく完成して、さぁこれからだって言う時に地震が起きて、出て行こうって決めて。それって、人に何言ったところでわかって貰えない葛藤とか苦悶とかすごくあると思うんですよ。それは天災、原発のことに関しては天災じゃないんだろうけど、まぁそれはもうどうしようもないし、この十日間で色んなことを考えたんだろうなぁっていうのは。
山:「とりあえず、ずっとニュースを見てましたね。出たときは五日くらいで戻れる様になるかなって感じで出たんですよ。一応、もしかしたら戻れなくなるかもしれないな、とも思いながら、家の中で持って帰ってくるものを持って帰って、戻れないかもなって感じで出たんですけど、でもどっかで希望的には、五日くらいで戻りたいなっていうのはあって。なんとか状況良くならないかなぁって、ずっーとニュースを見てて。この十日間はホントになかなか長くて、きつかった感じもしますね。特に仕事のことで、あれやろう、これやろうというそんなアイディア出したりとか、そんな感じでもないんですよね。
名:それはそうですよね?
山:「ホント、またいちからだなぁって、ずーっと思ってました」
名:いちからというか、ゼロからですよね。
山:「またまっさらになったって感じでしたね,。これから色々やろうとしてることも多分出来ないかなぁと思ったり、実際ホントそれが厳しくなった時に、自分自身のやり方もどうなんだろうなぁって思いましたね」
名:丁度僕らその頃って、3月18日に手創り市があったんですよ。で、地震が起きて、まぁ一週間後、十日経ってないですよね? で、開催するのかどうかっていう色んな問い合わせがあったり。その時点では開催しますってことにしてあって、ただ状況によっては当然変わるっていう。絶対開催じゃなくて、変わることも充分あり得る、という表向きに話というか、ホームページ上にはそう書いて。手創り市に出てる作家さんというのは、やっぱり好きでやってるとか、今は仕事をしているけど、これからはつくること一本で食べていこうとか、たくさんいると思うので、僕らが何言おうが、最終的には自分で決めることだと思うんですよね?仮に僕らが何がなんでも開催ってなったとしても、そんなことありえないですけど、でもそれは自分で選ぶものだと思うんですよ。出るか、出ないかっていうのは。それを僕がこうして言っちゃうと、それは違うんじゃないか?って言われるのは当然思うけど、でも自分で向き合うしかないと思うんですよね。自分でやってる以上は。つくることとか。これからのこと含めて。そういう意味で、都内のイベントとか、都内じゃなくても、遠い関西とか、東海地方とか、そういうとこのイベントでも地震があった瞬間にすぐ次の日には中止にしますっていうようになってて。それって、僕個人的には違和感があって。何でかっていうと、怒られるのを承知で言うと、何も考えないじゃないですか?中止ってなった瞬間に思考回路が停止するっていうか。そりゃ中止に決まってるとも言えますよ、誰もわかんない事だから。だから判断がまずいんじゃなくて…具体的に何が違うのかって違和感はうまく説明できないけど、考える時間っていうのは絶対必要だなって思ったんですよね。それは何でかって言ったら最初に戻るけど、自分自身が最終的に答えを出すことだから。一応、3月18日の開催二日前に、リミットを決めて、ここで決めますって、出展する人には、個人個人にメール送ったり電話したり。そこで、その時点で、もう出ませんって人もいたし、考えますっていう。その中でこう、中には僕自身が考えてたこと、僕のワガママだと思うんですけれど、各自みんなそれぞれ考えようよっていう、そこをわかってくれてる意識がとてもあって、それぞれ住んでる場所が違って、普段の生活が違う、やってることも違う、けど手創り市の場に出てるってことは一緒で、だから事務局の人は事務局の人で本当に考えて欲しいし、私たちは私たちで本当に沢山の事を考えなくちゃいけないなという。そういうやり取りがあったんですよね。それは本当、鳥肌が立つくらい嬉しかったですよね。嬉しいって言っちゃいけないかもしれないですけど、そこでのやりとりはほんとに忘れられません。結果的に中止になって、ま、それは別に、自分の中ではこう結果論というか、結果が出ただけで、その過程がすごく大事だったなって、それは今も思うし、そんなことを考えてました。
山:「ホント、じっくり考えられたらそれはどっちでもいいって思いますよね?考えて、やる、出るにする、やらないにしろ、考えて出した結論だったら、どっちでも同じっていうか。まぁ納得はみんないくかなぁとは思いますね」
名:植岡さんはその時、何をしていましたか?
植:「震災アンケート」って手創り市がやったんですよね。以前、それに答えさせて頂いて、今日はそれ見ながら答えさせて頂きたいんですけど。震災後すぐに、体調がめちゃめちゃ悪くなってしまって、ストレス障害だと思われるんですけど。それがあったのと、原発の件が起こった時に、普段からメディアを信じていないというのもあったんですけど、内的にパニックにもなってしまって、もうどうしようもない状態になってしまったんですよね。そんな状態にありながらも、自分に何が出来るかを、強迫観念的に考える状態になっていって、それでまず、自分のブログに、震災のまとめサイトのリンクと、募金のまとめサイトのリンクを載せたんですね。実行力のある情報が載せたくて。それが微力ながらも出来る事じゃないかと思って。その頃には、自分の小説/作品に何が出来るか?とか、自分の作品がどんな力を持つのかを考え始めていて。僕の作品って、以前山本さんにも少し読んで貰ったんですけど、現実と向こう側の世界の繋がりだとか、向こう側の世界に行ってどうこうとか、そういう話が多いんですけど、それって、自分が簡単に死なないっていう前提がどこかにあって、そういうところがあったから、書けたんだなっていうことに気付く瞬間があって。
名:それは甘え?
植:甘えというか、本当の死に向き合ってなかったというか。実際、リアルな死が間近に迫った時に、余震が毎日あったりとか、そういう時に本当にきつかったんですね。で、数日緊張状態で過ごした後に、リラックスできる瞬間があったんです。それはFMラジオから流れた古いジャズを聞いている時だったんですけど、それまでは音楽は聞けなくて、それが切り替わって、すごく楽になれた。僕は金銭的にも体調的にもボラティアに行く事は出来ないし、募金も微々たるものだけど、僕のブログを見てくれている人や周りに人には、リラックスの素となるようなものは、提供できるんじゃないかって思って、ブログに、「アロハハワイ」って言うかわいい感じの詩を載せたりとか、穏やかな小説を載せたりしたんですね。それは書く事によって、僕自身も救われたかったのだと思うし、反響もあって嬉しかったんですけど。その後に、様々な不幸、例えば家族が病気を患ってしまって、とか、その時点でキャパシティオーバーになってしまった、という流れです。で、今回、名倉くんとアトリエ訪問に来る、震災の話は避けられないという話をしていて。
名:避けないのが普通だよね。
植:で、そこをやっていこうという話になったじゃない? そこで僕はどれだけ、向き合えるんだろう、というか、向き合う為にここに来たというのがすごくあるんですね。シャットダウンしていた情報とか、そういったものとかも、徐々に取り入れ始めていた時期だし、体調も安定して来ていたので、山本さんのリアルが知りたかったっていうのもあって、そこで突き詰めて、僕がまた自分を見詰め直す時間を持てるんじゃないか? と思ってここに来たというのが今の流れですね。
名:カウンセリングにやって来ましたと(笑)
植:(笑)
名:まぁでもあれだよね?ちゃんと人と向き合うっていうのは、それこそ自分にちゃんと向き合うってことだから、それはその通りだと思うかな。
植:うん。
山:「帰ってきつかったのは、あれですね。彼女が福島に住んでるんですけど、福島から名古屋に出ようってなって、それで彼女の実家に行ったんですけど、三日位した時に、「もう、村に戻る」って言うんですね。彼女も彼女で決心して出たんですけど、やっぱり自分一人が逃げたみたいな意識が働いて、危ない状況だけど戻りたいっていう、罪悪感みたいなものを感じていて。僕は戻らない方がいいからって説得するんですけど、何言っても伝わらないし、わからないし、なんて言うんですかね? そういうのってある程度までは場の声じゃないですか?自分で罪悪感持ってるように思えても、場から出た声を自分で感じて、自分で思うみたいな。で、毎回毎回会うたびに、戻る、戻らない方がいいじゃん、って。結局それ、自分で考えてるように思うけど、場の声ってゆうのも少なからず作用しているし、出たんなら出たんでその責任でもないですけど、出たら出たなりにある程度納得しなきゃ帰んないじゃんとか。僕はある程度落ち着く迄は、何日かは戻らないようにしようと思ってました。何日かすると彼女も急いで戻りたいっていうのも落ち着いてきたんですけど、それでも、出たことに対して、いろんなものを置いて来たという罪悪感も感じてたりして、そういう罪悪感ってどこからきてるんだろうって思うんですよね。感じ方というか、感じてる様に思わされてるのかもしれないですね。」
植:そういう回路がつくられてるっていうか?
山:「僕はその辺の罪悪感をなるべく感じまいとしていましたね。なかなかタフな十日間でした。あれは。友達とかにも会うんですけど、名古屋位になると、言ってもみんな地震のこととかの危機感もないし、そういうのがありがたかったり、ちょっと腹立たしかったり、でも一時的にでも離れられたのは良かったと思いますね。結局、腹立ちながらもすごい救われた部分も大きかったし、ずっと居たらどうなってたんだろうとは思いましたけどね。自分について言ったら、ホントにちょっと、ゼロからというか、ホントに厳しいだろうなぁって思いましたね。物とかも売れなくなるのかもしれないし、食っていけるのかなぁって。色々思いましたね。そういう時に、個人商店とかによく行ってたんですよ。大きいとことか名古屋に行ってもそんなに少ないんですけど、気分転換ってなるとちっちゃい個人でやってる個人商店とかに、ものすごい行きたかったんですよね。そういう所に行って、その人が選んだものとか見てると、なんかちょっと落ち着いたりして、そういうのって、その人のまともさっていうか、一人で考えられるところで一人でやってる所ってすごい落ち着くなって思ったんですよ。だからその時色々、あっそっか、こういう状況になって、もし自分が厳しくなるんだったら、お店とかやるのもいいな、とか思いましたね。そういう状況でもホントありがたかったので」
名:僕の知ってる手創り市に出てた作家さん、珈琲屋さんなんですけど、その方は地震があって、一時は休んでたのかもしれないんですけど、ま、再開して、それ以降手創り市には出ないようになったんですよね。これは、当人から、ちょっと時間が経ってから聞いたんですけど、自分の中で考えたのが、その人たちの中でたぶん、震災があって、みんなどこに行く訳でもなく、家に居て、テレビ見て、表出て。たぶん、普段来ない人がお店に来たんだと思うんですよね? 珈琲屋さんやってて、今迄は通り過ぎて、何だろう?って位だったのに、やっとその時に扉を開けて入って来た。それってお店の人にとったらすごく人の役に立ってるっていうか、嬉しいというか、そういうのがあったと思うんですよ。でまぁ、ある時、違う別件で話をしにいって、で、そういう話を僕自身思ってたんでその人にしたら、今迄は色んなイベント出たり、呼ばれればひょいと行ったり、すごいフットワーク軽くやってて、お店とイベントが、半々じゃないにしても、イベントも色んな意味で無視出来ないところがあったと思うんですよ。地震があって、お客さんが来てくれるようになって、お店の中で出来る事、自分のお店なんで、そこでやれることってたくさんあると思うんですよね? そういうのを今迄頭の中ではわかっているけど、本当に自分でやった訳じゃなかったから、その一週間とか十日間とかで、その人はホントにこう、お店でやることってことを本当に考えたって言ってましたね。
山:「ホントになんか、そう考えると、個人でやることに希望はあるなって僕も考えてましたね。そこに行ってそれだけ、安心感でもないんですけど、一人がこうやってまともなことってなかなか、行って安心するし、すごいいいなぁって思って。最初の質問はこれなんでしたっけ? 地震が起きてから、個展を開く迄の流れなんですけど、その時に考えたことをその後も結構やってるんですよ。話し飛びますけど、6月位に、仕様を一時期見直してたんですよ。一回自分の中で素材を改めて見直して。一年間やってると、良い素材だなっていうのはサンプル帳とか取ってて、この素材いいかもなぁ、このファスナーいいかもなぁとか取ってたんですけど、新作つくるって、簡単? っていうか、つくったら出せばいいじゃないですか? でも素材見直すってなると、今迄やってたこと全部覆すことになるし、店舗さん側も変更しなくちゃいけないし、全く違う物になるから、素材の見直しってサンプルとか取りながら良くなるかもな、ってのがあっても、やっぱちょっと置いといた部分があるんですよ。糸変えるとか、結構がっつりな変更になるので、なかなか良くなるかもなというのがあってもなかなか踏み出せずに居たんですけど、震災の時に、自分も再構築が必要になるなってすごく感じたんですよね」
名:それは自分が欲しいと思っている材料が買えなくなるとか?
山:「その危機感もすごいありましたね。まぁ、それとは別にやっぱ、まともさでもないんですけど、きちんとやって、結局自分も自分に何が出来る? って言った時に、まともに? まともに、まともにですかね。ホント、きちんと伝わる形にしなきゃなってのはありましたね。だからそれまで、なかなか踏み出せなかったですけど、その辺も一回、時間をかけてたっぷりやろうって。それをずっーとやってたんですけど、結局戻ったのが、24日に戻ったんですよ。一回名古屋に出て、24日に戻って、ホント、結構二ヶ月くらい止まってたって感じですね。注文が来てつくるだけで、新しいことは全くせずに、何となくニュースを見たりとか、なかなか不安定な中でそんなに前に行けずに、二ヶ月くらいやって、そこから何するかってなって、じゃ再構築するかって思って。一回素材も集め直して、新しくしたって感じですかね。で、個展っていうのも、一回新しくしたものを見て貰う場所って感じで、一連の流れと言えばそういう流れがあるような気もするんですけどね。その流れがなかったら、結構頭の中では、全然違う事をしようと思ってたんですよ。帰ってから、今迄の定番じゃなく、もっとツアー的に楽しい見方が出来るような、展示会を日本で、点々とやりたいなって思ってて、その辺も、やっぱこれはいいやって思って、全く別の方向に、新しく見直すってやって、ホント今年に入ってから、新しいこと全然やってないなと思うんですよね。ホントずっーと足元のことばかりやって、ようやくそれも一段落ついたかなって辺りが、展示会が終わった辺りですかね」
名:でも、仮に震災があったとしても、自分自身足元を整理しようと思ったことは、しっかりやれてる訳ですよね? ちゃんと自分の考えに従ってというか。
山:「そうですね。一年やったら、三ヶ月位は足元を見る時間をつくりたいと思いますね。どんどん忙しくなってくると、そんなにまとめて時間は取れないと思うんですけど、曜日でもいいですし、ここは、足元のことを見直す時間ってあった方がいいと。一回やり直してみるとそう思いますね。そういう時間って本当に必要だなって。僕自身も長くやりたいってのがあるんで、足元をきちんとしたいと思うんですけど、とりあえずは十年やりたいなというのがあるので。益子に引っ越して来た理由もそれですしね。足元のことをすごく固めたいって感じてたんで。最初の目標では、最初の三年間は足元の土台をしっかり固めようって決めてたんで」
名:話変わりますけど、八月の個展は、どうでしたか? ざっくり聞きますけど。色んなお客さんとか、色んな声とか。個展って初めて?
山:「初めてです。初めてなんです。今迄イマイチ個展が落ち着かなくて、箱一個借りてその中が全部自分の世界観どーんみたいな感じがあんまり落ち着かなくて。なんか抵抗あったんですけど」
名:そんな個展をやるきっかけなんですけど、お店さんから声掛けて貰ったんですか?
山:「ずっーとこう、やりましょうやりましょうっていう風に言って貰ってて。それで僕もタイミング的に、六月の頭くらいかな、向こうの84(はちよん)ってお店なんですけど、8月4日オープンだったんですよ。で、僕8月7日生まれなんですよ。そのお互いの誕生日から誕生日の間になんかやったら面白いなって、単純に。僕自身も新しく素材を見直したりして、生まれ変わるじゃないですか? そのタイミングでやるのは貴重だなと思って。で、僕もこんないい時期があるんで、一緒に出来ないですか? って言って。曜日もドンピシャだったんですよ。水曜日が定休日なんですけど、木曜日から、日曜日なんですよ。そういうのがあって、ああもうやんなきゃなって。そんなゴールデンタイムここしかないぞ! で、そういうのもあったら乗って来るじゃないですか? 自分で勝手に見出して、そこがなんか楽しくなって。三日間お店に居たんですよ。個展ていうのはやるのもいいですね。たまには」
名:直接お客さんと会って、話が出来るし。
山:「そうですね。結構がっつりいって色んな話も出来たし。意外に広島が、地元なんですけど、展示会に行って広島も面白いなって思いましたね」
名:それまで面白くないと思ってた?
山:「いや、面白くないっていうか、単純に知らなかったですね(笑)色んな人が居て。大学から大阪に出ていたので、その位離れるともう地元の人のこととかも殆どわからなかったので、今回帰って本当に面白かったですね。個展もそうですし、このお休みは色んな人に会って、色々話して、なかなか良かったです」
植:その中で特に印象に残ってる話って? ぱっと思い付く限りでいいんですけど。
山:「うーん。印象ですね。やっぱ自分がこう、つくってても買ってくれてる人がどんな人なんだろうってあるし、そういうとこ込みで全体的に見れるのがいいですね。あと、きちんと伝わってるんだっていうのが思えて、それが一番いいかなと。手創り市とかに出してもそうなんですけど、あぁ、やっぱ伝わってるとこにはちゃんと伝わってるんだなって。そこが一番ありがたいですね」
植:「ANDADURA」、「歩く」という屋号と共につくり続けて来てですね、今改めて、山本さんにとって「歩く」という言葉はどんな意味を持っていますか?
名:でかいねー。でかい質問ですね。
山:「うーん。「歩く」は多分、僕の場合、「つくる」に置き換えていいと思うんですけど、まだ早いと思うんですけど、肩の力が抜けて来てますね」
名:ホントに早いですね!(笑)
山:「やっぱ早いと思うんですけど、抜けて来てますね。早くも」
名:でもそれ、自分で言いながらも早いって思ってるのって面白いですよね。
山:「いや、早いと思いますね。友達にも大阪で会った時も言われましたしね。どんどんどんどんつくり込んでいって、最近はホント、力抜けて来たよねって言われるんですけど、確かにそれは感じますね。肩の力が抜けてあんまり意識しなくなったなっていうか」
植:意識しなくなったって言うのは?
山:「つくることとかも、そんなにすごいかしこまってこうだ! みたいのはあまりこう感じずに、何かもっとすーっとした感じになって来たと思いますね」
名:そうですね。それこそさっき、つくってるところを写真撮らして貰って見たけど、ホントに、写真撮ってる前提でつくるんで、見やすくとか、撮りやすくって普通考えるでしょう? ぎこちなくなるのが普通かなと思ったんですけど、全然、自然な感じでつくってましたよね?
山:「その分、写真撮りにくかったと思うんですけど(笑)」
名:ちょっと手ぇどかせ!とかね(笑)思いましたけど、それは言ってもね、写真に写らないことの方がいい事って多いからね。
植:一連の創作の流れの無駄のなさというか。「∴つづる」の方にも書いてあったんですけど、つくるなら効率を求めたいっておしゃってるじゃないですか? それをすごく感じたんですよね。
山:「サクサクつくれた方が気持ちいいですし、サクサクつくれた方が、時間かけたい所に時間かけられますからね。なるべく気持ちよく作業したいっていうのも、すごいありますしね。ある程度迄は、自分で考えて効率化するんだったら、いいことだと思いますけどね。ホントに全部が全部がってやると、違う物になると思うんですけど、どこを効率化して、どこをしないか?っていうのは、きちんと考えてやれば、なかなか、気持ちよくつくれると思います」
植:吉本隆明さんの仕事論、あったじゃないですか? 美味しいお茶の飲める綺麗な職場がいいんじゃないか?って。で、山本さんもそういう工房を目指したいということをブログでおっしゃってましたけど、その辺ではすごく気持ち良く作業出来てるなって僕は感じたんですけど、それは自分では、満点が来るかどうかはわかりませんけど、いい感じに収まっているんですか?
山:「全然文句なしですよ。大分先まではとりあえず文句はないと思います。たぶん小物つくるだけにはすごく立派過ぎる位の工房だと思うんですよね。机が二個あったりとか。小物だったら机一個で、もうちょっと小さい机でも出来るじゃんとか思うんですけど、あそこまであると、この先じゃぁ、鞄やってとか、色んな素材扱っても、変えなくても出来る位、なかなか懐のでかい工房だと思います」
植:おおー!
名:言いますね(笑)
山:「(笑)」
名:自分で言っちゃいましたね(笑)
山:「(笑)」
名:あ、帆布で気になったんですけど、僕、帆布を期待してるんですけど、いつ完成ですか?
山:「僕も早くやりたいなと思うんですけど、今年の一月くらいから、やる、やる、って言ってたんですけど、まぁでもその辺の順序を変えて、先に、今迄の見直しやろうで、それを後回しにしてったこともあるんですよ。そうですね、早くつくりたいですね、帆布。ちょっと時間が掛かりそうですね。11月の頭くらいまで色々とあって、その合間にできれば良いと思うんですけど」
名:そこは急がない、と。
山:「まぁ気長に、気長にですね。頭の中でつくれるGOサインは出てるんですけど、つくっていいよっていう? そっからどんどん時間経っちゃうと、どんどん自分が飽きてくるんですよね。GOサイン出て、丁度新鮮な良い時なんですけど、どんどん発酵しちゃって、変な感じになって来て」
名:違うGOサインになっちゃう。
山:「でも、早くつくった方がいいなというのは感じてるんですけど。あんまり完璧完璧にスケジュールは、思い通りに行かないですけどね」
名:うん。その通りですね。
山:「まぁ、その位が丁度いいかなと思いますね。あ、ユキさんなんか、うんうん言って何もしゃべらないじゃないですか?」
ユ:そういう、役割なんです。
山:「(笑)」
ユ:勉強してるんです。
山:「勉強してるんですか?」
ユ:はい。
植:じゃ、山本さんに質問で、「工房の力」って言葉がありますよね? それについて聞きたい。
山:「うーん、なんでしょうね。なんでしょうね。「工房の力」ですね。工房は……。結構ざっくりしてますよね?」
植:ああ質問の切り口がですか? あの、ブログを引用させて頂くと、「24日に益子に戻り、工房にただ身を置くことで、少しずつ日常が戻って来た。それは「工房の力」だと思う。」という風に書かれたんですよね。その時の、そこにあった「工房の力」。例えば、工房ってつくる場所じゃないですか? 自分の分身を産み出すみたいな場所的な意味もあるんで、そういう、特別な落ち着きだったりとか、身体を動かすんであれば、身体を動かしている時の無心になる感じだったりとか、そういうものがありますよね? そんな切り口でいいんですけど。
名:事情聴取ですね。ブログに対しての。
山:「そうですね。単純にこう、やることも、やれる内容も気持ち良く出来るんで、あまり色んなことを考えなくても作業ができるってことはあると思いますね。もともと多分、工房つくる時に自分が、こんな感じでやりたいって希望を持ってつくるじゃないですか?だから単純にその工房に寄り添うと、なんかそういう自分の希望に寄り添うのと同じというか。そんな気分だと思います」
植:はい。希望に寄り添う。
山:「もともとつくった時の、気持ちをちょっとなぞれば。地震の後戻って、自分、前、どんな感じだったかな? とか、いつも通りってどんな感じだったけな?ってすごい思って、どんなこと考えてたっけなって、ブログとかもそうなんですけど、いつも通りに書こうとか思っても、いつも通りってどんなんだったけなって、前みたいに全然書けないなっていうのもあって。「お財布のように工房を」は多分、地震の前までに書いてるんですよ、最後の数回以外。また後で書くと全然違うし、あんな感じには書かなかっただろうなと思うんですよね」
名:それ面白いですよね?あそこに居る自分、「お財布のように〜」に居た自分と、今って環境を含め変化してるから。
山:「ちょっと時間が経ってからのアップが、逆に面白かったです」
名:ただ単に僕のアップが遅かっただけですけどね(笑)
山:「なんとなくそういうの見ながら、そっかそっかこんなんだったなとか。でも、こんなんだったなとか思いつつも、やっぱでも大きく変わったなって気はしますね。二歳位、年取った気がしますね。一気に。最近良く、老けた老けたって言われるんで。あの十日間で二、三歳年を取らされた感じはしますけどね。だから記事は結構、半分人ごとみたいな感じで見てましたね。
植:ありがとうございました。次の質問も、ブログからの引用なんですけど、「カルヴィーノ文学講座。イカロ・カルヴィーノ」。図書館時代(図書館に通い詰めていた時期)に、山本さんが読んだと思うんですけど、最近買いましたよね?
山:「買いましたね」
植:「私がしてきたことの多くの場合、重さからの離脱であった。」というのがあって、「この本に書かれている五つの視点、軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性。ことあるごとに自分も色々なことに当てはめていたなぁ」と言っていて、文学の話だけど、関係なくしっくりくる。という部分と、軽さの重要さ、という所をご自身の物づくりに絡めて聞いてみたいなと思ったんですね。
名:今言った事って、そのまま工房でやってることだよね?
植:それを目の当たりにしたというか。
名:軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性。多様性っていうのは帆布をこれからつくるってこともだろうけど。
山:「この五項目はなかなかすごいと思いますね。今とかだったら、「速さ」とかが若干どうなん?って見方されてるじゃないですか?でもそれは今の流れであって、よりもっと俯瞰から見たら、「速さ」かなぁって。すごい抽象的ですけど。
名:これはカルヴィーノ関係ないね。山本さんの話だね。ANDADURAは、そういうことですっていう。それに近い気がするけどね。
山:「そうですね。僕はホントに「軽さ」ですね。ホントに重たくなりたくないっていうのがありますね。ほっとけばどんどん色んな物溜まって来て、どんどん重たくなるじゃないですか? ほっといても。いかに軽く出来るか? そうですね。僕も、もともと逆から攻めるみたいのが好きなんですよ。
名:逆とは?
山:「最初に入った会社とかもそうなんですけど、すごい大手に行ったんですね。大手の設計会社とかにいて、その時とかも一番面白くないことしようって思って入ってるんですよ。結構それまでの二十何年間、大学の時に、今迄すごい面白かったなって思ったんですね。何もしてないですけど、好き勝手やって、すごい楽しかったなって。じゃ、こっからどう更に面白くしていくかって考えて、面白くして行く時に、自分が好きな個人事務所とか入ってると、たかが知れてるなぁと思うんですよ。それだったら、一回面白くないこと経験したら、また面白いことが見えるんじゃない?って思ったんですね。で、一番面白くなさそうな所に行って。そういう風に逆をしちゃうんですよ。それとかもそうだし、前の会社の工房とかも、個人でやりたいって思ってて、その時に決めたルールは「自分のことはしない」って決めてやってたんですよ。その会社の中でやって、自分のことはしないでおこうって。だいたい個人でやろうと思って工房に入る人って、自分の新作つくって、自分がその次にやる時ようのことやるじゃないですか? それ止めようと思ったんですね。その時は、養老孟司の言葉で、「一人で出来る人はみんなと出来なくちゃいけない。みんなとやれる人は、一人で出来なくちゃいけない」ってあって、多分、みんなと出来ないなと思ったんですよね。入った時は。みんなとやるのは無理だから、一人でやるんだったら、それで言うと逆じゃないですか? 一人でやるためにみんなとやるんだったら、みんなとやろうって思って。事務やったり、必要なことっていうか、誰もやりたがらないことをやってましたね。みんなそういう所行くと、自分でやろうって思うと、新しい物、新作つくろうってなると思うんで。結構ことあるごとにやることって、逆のことしてるなって気がしますね」
植:うーん。面白いですね。
ユ:慎重に考えて、ひとつの考え方だけで、ひとつの見方だけでいっちゃうんじゃなくて、やっぱり逆から考えるっていうのは、こういう考えもあるってことだから、そっちをまずやってみるというか。
山:「慎重っていうか、言ってみたらバランス論ですよね? 結局全部のことは矛盾してるじゃないですか?色んな人が、それ矛盾してるよって言うのは、その矛盾がわかりやすかったから、私はその矛盾に気付いたってことじゃないですか? その中で矛盾抱えつつ、ホント、カルヴィーノの言葉もそうですよね? 重さとかもあるけど、軽さにいく。立ち位置の問題じゃないですか? 軽さっていうのを認めてるんじゃなくて、重さの中で軽さを見出すことで、結局、これも軽さ論ってバランス論だと思うんですけど、なんだかんだで、なんかそうやってバランス取ってるんだろうなって思います」
植:片一方だけに振れる振り子にはなりたくないし、水平でいて、その振り子の長さが長くなればなぁっていう。幅を持たせたいっていう。どうなんですかね?
山:「いやーでも、結構楽なんですかね?一から、会社とかも楽しい会社に入って、より新しい楽しさ見出すのって、すごく難しい気がします。楽しいことやってながら、更に楽しさを見出すことって、どうなんだろう?できるのかなって気がしますね。結構、やることとかにそれは言える気がしますね。自分が感覚的なものをつくりたくなる程、合理的になっていくというか。感覚的に物つくろうって思って、自分がホントに感覚的になっちゃうと、絶対感覚的に物つくれないなって思うんですよね。逆からこういくと、なんかそれもいけるんじゃない? みたいなこともありますね。確かに目的はそっちなんですけど、逆のことの方が武器になる気がするんです。
植:感覚的に物をつくろうと思ったら、効率よくシステム的に作業しなきゃいけない。
山:「うーん。多分逆するって、自分自身の持ってる物の逆をするんですよ。もともとすごく感覚的なところがあると思うんですよ。だから感覚的な所はほっといとけば良いという位、何かつくる時も感覚的にならずに、実際的なことばかり考えてたらつくれるんじゃない? っていう。もともと、備わってるものだから。これは僕のやり方なんでわからないですけど、僕は常にそうやってる気がしますね。逆のことして」
名:それがバランスを取ってるってことですよね?
山:「うーん」
ユ:上手く伝わるかわからないんですけど、自分の感覚的な部分が心みたいなものだとして、逆の部分というのが身体的なこととか、時間的な制約とか、会社に入るとか、そういうことだとして、身体の部分を拘束するというか、ある程度制限を与えることによって、でも心は心であって、色々負荷をかけることで、強くなったり、我慢強くなったり、忍耐強くなったり、ちょっと楽しいことでもより楽しく感じられたりっていうのがあるんですかね? 心の部分をより感じやすくできるというか。
山:「なんでしょうね? すごい楽な感じもありますけどね。心とかに関して考え過ぎてても仕方ないなっていうのもあるんですよね。そうですね……。ちょっと質問の意図がわからなかったんですけど(笑)」
ユ:(笑)
山:「なんとなくはわかるんですけど、微妙過ぎるあれですよね?」
ユ:そうですね。
名:とりあえず、話の終着点がないってことで、次いきますね。先日個展を終了して今、29歳になりました。30手前ですね?
山:「30手前です」
名:これからANDADURAの永きに渡る展望というか、ま、ざっくりにね。当面何をしましょう?
山:「今は足元のこともしつつ、新しいこともやっていきたいなと思ってますね。まだなんか、走る時期ではないと思いますね」
名:走ったらね。「歩く」だらかね。走っちゃまずいよね。
山:「なんだかんだ言ってまだまだ、ちょっと過ぎてみるとぶれてるなぁって思うので。そんなこと言ったら本当に、足元のことばっかりやりそうで怖いんですけどね」
名:お爺さんみたいですよね?足元〜気を付けて〜みたいな。
山:「ずっとこう、過去にあったことをいじりながら」
名:それ嫌ですね。暗いですね。
山:「嫌なんで、ちょっと嫌かなとも思っているんですけど」
名:でも嫌だと思ってる人はそんなこと絶対しないと思うから大丈夫ですよ。
山:「いやでも、エイヤー! である程度見切り付けないと、なかなか先に……。ずっーと見てると、何かしらが先に気になるので、どっかで区切りつくらないとなぁって思いますね。とりあえず、最初の目標地点はあるんですよ。最初にはじめた時からあるんですけど、今定番が13型になったんですけど、26個迄つくろうと思ってる。最初からずっと思ってたんですよ。そこ迄は今のつくり方っていうか、今結構、ぱちぱちって、詰めてネジ締め作業みたいな感じでつくってるんですよ。肩の力抜いてってよりも、詰めて詰めて詰めてつくるっていうつくり方してて。なんとなくズッーと先に行くとその辺のつくり方も飽きそうな気がするんですよね。飽きるっていうか、ずっーとやってるとそのつくり方に執着したみたいになりそうで。とりあえず、26がアルファベットの数なんですけど、結局、個々の物つくりながら、全体でつくってる気がするんですよ。ANDADURDとして一個一個のものもつくるけど、全体を見て欲しいというのがすごくあって、そういう時に、アルファベットってそうじゃないですか? AとかBとかだけだと意味ないけど、それが組み合わさって意味が出来ていくじゃないですか?全体的なもので、そういう風な見え方になるので、ま、単純に縛りですけどね、26個で定着させるっていうのが。そこまでやる迄は、ネジ締めて締めてつくって、その時に「26」とかいう展示会をやって、使ってくれる人は個々の物を見て一個じゃないですか? そこは確かに外せない所だと思うんですけど、そうは言いながらも全体としては見て欲しいというのはあるので、それをやる迄はそこに向かって行こうかなって思ってますね。26個迄はネジ締めて」
名:アルファベットの26個っていうのは、言われた瞬間頭に入っちゃいますよね?
山:「なんとなく全体を見てくださいねっていう見せ方も出来るし。はじめた当初に三年後にその位のことができるかなと思ってたんですよ。で、今一年半なんで、あと一年半なんですけど、もっとかかるなぁって気がしますね。こっからキャンバスの鞄をはじめて、キャンバス小物もはじめようと思って、でもそれだけだと多分足りないし、皮の鞄をつくりたいっていうのもあるので、その辺まで含めてたぶん26個になると思うんですけど」
名:そうしたら幅広いですよね?
山:「定番の数にしたらそんなに多くないと思うんですよ」
名:多くないですか?
山:「定番数にしたらそんなに多くないですよ」
名:一人でやれる範囲で?
山:「はい。多くないと思いますね。その辺迄やろうと思うと、この位立派な工房があると、そこまでだったら全然変えなくてもいけると思いますね。そこに行く迄は」
名:今ある工房は、定番26個サイズ?
山:「もっといけるかもしれないですけどね。そこに向かう迄は全然、あまり大掛かりなことをしなくても、きちんとやっていけるなという工房だと思います。僕も早くそこに辿り着きたいなって気持ちもあるんですけど、なかなかまぁ、ゆっくりゆっくりやって、実際のところ革鞄とか言っても、全く見えてないですからね。まだ。どんなのがつくりたいのかって。今の感じで革の鞄つくると、多分重くなるんですよ。結構がっちりした感じで、きちんとつくり込んでっていうと、多分、自分は使わないだろうなっていう鞄になるんですよ。自分はいつもぺらぺらな鞄持ってるじゃないですか。普段はそっちなんで、革鞄つくる時は、自分でつくる必然性でもないんですけど、そういう物が全く見えないので、自分が革鞄つくっていうのが全く見えないんですよね。最初からずっとどんなのにするか考えてるんですけど、今の所小物しかつくれてなくて、そっからキャンバスに入るのは、そこに向かう為の準備期間っていうのもあって。キャンバズは好きですごくやりたいっていうのはあるんですけど、なんとなくキャンバスをやってる間に、革鞄のつくりたいものは、自然に見えて来るかなって思うんですよね」
名:逆算ですね。
山:「見えなかったらちょっとウケますね。笑えますね(笑)」
名:見えませんでした。26個だけど、21個しかございませんって(笑)。
山:「一応、向かうべき場所があるってことが意味あるので、それが実際にこう着地してってよりも、とりあえずそこに向かって行こうっていうのがあるので、楽ちんですね。あとはまぁ、それが実際に出来たら出来たでラッキーだし、出来なくても一応旗として機能してる意味あることじゃないですか?できなかったらできなかったでなんとか、それでもいい方向に行ってると思います。そっから先のことになると全く見えてないですね。どういう風につくっていくかってことが。つくり方として、つくる前にその方法論みたいなものをつくるんですよ。鞄つくるんだったらその方針みたいなものが面白くないと」
名:のれない?
山:「鞄とかも色々考えたんですよね。どうやってつくると面白いものができるかなって、考えるんですけど。アニメとか、ナウシカとか手塚治虫の漫画に出て来る鞄って2Dじゃないですか? 平面。ああいう人たちが書く鞄って丸みとかもすごくいいんですよ。でも細かく書き込んでないから、つくりもわからないし、でも普通の構造とかでつくろうと思ったら無理なんですよ。そういう無理なものを目指して、なんとかそれをつくって、とか、面白そうだなって思うんですよ。2D見て、構造とかってないんですけど、2Dで出来ない物をつくるのに、つくってみるみたいなつくり方とか、面白そうだなとか思うんですけど、やっぱ今は本当に素直につくろうかなぁって思ってます。布鞄は本当に素直につくろうと思いますね。小物とかは構造とか凝ったりしてるんですけど、そういうのはとりあえず置いておいて、鞄は素直につくろうと思ってます」
植:次の質問です。また震災絡みの話に戻るんですけど、戻って来て益子でやっていく訳じゃないですか? 今は工房も家もあるって状況があるから益子でやっているのか? 益子という土地に山本さん前から思入れがあるって言ってたじゃないですか? それがあって、益子を今でも離れたくなくて、原発や放射能の色々な状況があっても離れたくないと決めたのか? その辺はどうなのですかね?
山:「まぁでも両方だと思いますけどね。新しい場所に行くと新しいことが一個できるというか。なんかそんな気がするんですよね。この場所にいて、何か新しいこと一個して、自分は何となくそう思ってその場所に居て、益子とかでもこっちでやりたいなと思ってたことが全然出来てないし、そこはちょっとやっていきたいなと思うんですよね?益子にいて、その展示会までのことはここでやりたいなと思うんですよね。全部詰めてつくって、26個つくるまで。頭の中ではその位のことまではしたいなって思ってますね。完全に場所に執着するっていうのは特にないんですけど。とりあえず、まだ残ってていうのは……。そういう自分の気持ちもありますしね。自分がここでやりたかったことをまだやれてないってのがあるから、出られないっていうのもあるし、結構色んな要因があるなって思いますね」
植:はい。ありがとうございます。で、更にこれは、僕個人が聞きたいことでもあるんですけど、前回の月日さんのアトリエ訪問の時に、月日さんが、「物をつくることは継続することが大切。つくるのだったら、自分がいかに続けられるか、その方法を考えるのが大切だ」って言っていたんですね。山本さんの場合は、物づくりを継続させる、自分なりのやり方、どういうポイントを押さえてますか?
山:「ポイントですね?案外そういうのって一番やり方に出る気がしますけどね」
植:やり方に出る?
山:「気持ちも大切ですが、僕だったら定番のラインナップをつくってやるとか、そんなやり方やり方な気がしますね。自分の嫌なやり方だったら本当に続かないですしね。一個一個のやり方をきちんと自分がいいなっていう、腑に落ちたやり方していくと」
植:自然と続く。
山「はい。続く形になると思いますね」
植:はい。ありがとうございました。僕からは以上です。
山:「上手いこと、今後の連載の話に繋げてください(笑)」
植:まだオフレコなの?
名:そんなことないよ。
山:「ユキさんなんかありますか?」
ユ:ちょっとひとつだけ聞きたいんですけど、ちょっと話し戻るんですけど、さっき山本さんが、まだまだぶれてるっておっしゃってたじゃないですか?その「ブレる」というのは山本さんにとって、どういうことなのかなと思って。いいことなのか? 確か、細野晴臣とかの本にも「いつも僕はブレてる」みたいなことが書いてあって。
山:「『分福茶釜』ですね?」
ユ:そうかもしれないです。そのブレてる間に見付けることって色々あると思うんですけど、そのブレを許しつつ、でもそのブレてるのがやだなって気持ちもあるんですか?
山:「あーそっかー。どうなんでしょうね? 僕はぶれはすごいいいし、許容していきたいんですけど、自分がいざ形にして、形にしたものにそういうのが出ると、それはその時のあれだからっていう風にはならないんですよ。そこで、じゃ直そうとか、もっと先の所から見て、その時のそれが気に入らないんだったら、やっぱ直そうって思うんですよね。ブレ自身はいいんですけど、そこから生まれてくる物のブレは、まだ許容できないんですよね」
ユ:完成されたものは、やっぱりブレちゃいけないってことですよね?
山:「ブレてちゃいけないっていうかなぁ……。今の所のつくり方がネジ締めのつくり方じゃないですか? そういう風な所でつくってると、多分そう思うんだと思います。行く行くその先にどういうつくり方してるのかわからないんですけど、そういうブレもいいんじゃんって思って、そういうのが反影しても、それはそれだよってなるのか? その辺はわからないですね」
ユ:手づくり感みたいなことですか? ネジ締めてるっていうのは?
山:「ネジ締めては、一個一個の形をきちんと出して、サイズとかもそうだし、収まりとか、そういうのをきちんきちんとつくっていくっていう。なかなかブレてる方が楽しいですけどね。不思議ですね。そう言うけど、いざ出来上がったものがぶれてると嫌っていうのは。ま、その辺の矛盾している所はいっぱいありますよ。だって僕、自分の物とかつくる時って、結構アバウトにつくってますからね。自分が使う物ってなると、なんかアバウトになるんですよ。
ユ:自分からの視線で見るか? お客さんからの視線で見るか?
山:「うん。その辺もなんとなくまだ腑には落ちてないんですよね。その辺のバランスのあれが。その辺も行く行く考えててかなきゃならない所でもあるし」
ユ:はい。わかりました。ありがとうございました。
山:「わかりましたとかそういうあれでもないですけど(笑)」
ユ:「(笑)」
山:「最後の質問いいですか? ユキさんに花屋の今後の展望を聞いて、締めてもいいですか?」
ユ:「今後の展望ですか?まだ、それこそ3月7日に花屋をはじめて、まだ半年経たない位なんで、やっと花屋として一通り仕事をして、これから続けていかれるかな、という感じなんで。展望というよりまず、安定していけたらな、というのがまずあるんですけど」
山:「今迄花屋やってなくて、いきなり花屋さんはじめたんですか?」
ユ:もともと別の花屋でバイトやってたり、色々な仕事を掛け持ちしたりしながらやってたんですけど、うちの母親が何年か前に花屋をやってて、葬儀屋もやってて、場所だけ、葬儀の道具とか置いてる関係でずっと借りっぱなしで、箱だけあるような状態で、設備とか残ってたんで。別の花屋でバイトしてもいいかなってのもあったんですけど、でもチャンスがあってお試しじゃないですけど、やってみようかなという流れがあって、ちょっと今やってみてる所なんです。そんなに、覚悟があってやってる訳でもなくて、でもやるからにはちゃんとやらなきゃいけないなって。人に使われてやっているよりは、全然自分で全部やらなきゃならない分、勉強する所はいっぱいあって、すごい面白いなぁって思いながら働いてる所です」
山:「名倉さんとちょっと同業者じゃないですか?青果と花屋さん」
名:あー。
山:「そんなに近くないんですか?」
名:どうなんだろう?
ユ:でも花屋と青果、同時にやってる店ありますよね?(笑)
名:青果が花を仕入れて売ってる。要するに値段の付け方が、花屋と青果じゃ全然違うから、だから、青果やってる人がが花を売ろうと思うと、花屋より絶対安くなるっていう。
山:「へー」
ユ:それはそうですよね。
名:それはそうなんですよねっていうシステムなんです。
山:「花屋さん頑張ってください」
ユ:ありがとうございます。そうやって、自分で何かやってる人のお話を色々聞けてそれがすごい糧になります。心強いです。はい。
名:インタビューに関してはこの位で。これから改めて「∴つづる」の連載記事をお願いしたいと思ってます。前から話してますけど、どんなことしていきましょうかね? 今話してて思ったのは、キーワードに「ぶれる」とかつくることも含めて、あと仕事って何だろうとか?お金って何だろうとか?そういう視点。完全に一個テーマを絞るんじゃなくて、その時その時、あったことをテーマに取り上げて、ポンと書いてみる。それが、一回、二回、三回、四回に分かれてもいいし。また再放送みたいな感じでもいいし。前は、工房をつくるっていうテーマがあって、それを見て貰ったけど、これから長い期間、連載をして貰うんだったら、もっと山本さんの視点というか、頭の中を覗くというか、そういう連載をお願いしたいかなって今思ってますね。それは時に、単純に山本さんがこんなこと考えてます、お金ってこういうことですよね? 仕事ってこういう事ですよね? という時もあるだろうし。逆に聞く。僕今こんなことを思っているんですけど、どうなんですかね?みたいな。という、時にキャチボールがあってもいいのかな? っていう。そういう連載をお願いしたいかなって思いました。
山:「単純にここに住んでるんで、色んな人に話して、インタビューしてもいいかなと。それも面白そうだなと思いましたね」
名:そうですね。
山:「自分一人で書くってより、つくることって大きいテーマじゃないですか? お金とかもその中での話になるし、近くにいっぱいいるから、そういう広がりがあってもいいかなと」
名:そうですね。面白いですね。
山:「ちょっと気合いを入れて、F/style論を書きます。いいですか?」
名:もちろん。むこうがよろしければ。
山:「一応いいですよって言って貰ったので、多分送る前に一回見て貰って、送ります」
名:そうですね。
山:「自分がはじめた時に、丁度、はじめてちょっと位のタイミングで一緒に出来て、すごい学んだ部分が大きいなと思うんですよね。そうなって来ると自分の事書くってよりも、結構ベースになってるなって思うんで、つくること書くんだったらF/style論を書こうって、すごく素直に思えるんですよ。でもちょっと、難しいですよね?
名:難しいですよね。
山:「書きがいはあると思います。何気に今迄あまり見たことないですもんね、F/style論って」
名:それを僕が書いちゃおうと。
山:「そうです。書きたいなぁーと思って。エフさんは十年やってて、理解されてる様に思うんですけど、一緒にやってみると、まだまだだなぁって僕思うんですよね。僕自身もやるまで気付かなかった事でもあるし、結局紹介される時も「地場産業の」って言われるじゃないですか? あれだって一番表面のことしか言われてないなって。地場って結局方法論でもないけど、やり方の一個じゃないですか? その辺でざっくり語るのって、違和感があるんですよね、語る時ってそこがメインに取り上げられて語られるから」
名:まぁ、一番まとめやすいですよね?
山:「わかりやすいですから。でも、気持ちであったり、そこにあるものがすごいと思うんですよね。何かその辺のことをすごく書きたいなーと思います。でも、物づくりに対するものすごいヒントがあると思いますよ。ま、そこまで真摯にものをつくってる人はなかなかいないので。尚かつまだ、地場産業の枠だけでしか見られてないのが……。そうじゃないと思う人もいると思うんですけど、そこで括られるのに僕は少し違和感があって。じゃ、何て言えばいいの? って言われるとわからないんですけど」
名:あと、聞きたいことがあるんですけど、手創り市に注文ないですか?
山:「注文ですか?」
名:注文付けてください。山本さんは、静岡の方にも、雑司ヶ谷の方にも出てくれたんで、やっぱ両方知ってると思うんですけど。僕らも毎月やってて、感じることもあるし、静岡も半年に一回の準備の中で、考えて、実際に行動して、少しずつ変化して、自分たちから見える視点はすごくある。まだまだ静岡のベースがどうのこうのまでは足りないけど・・・だけど、出てる人から見て、どういう風に見えているのかっていうのをすごく知りたい。まぁみんなに注文付けて貰いたい訳じゃないですけどね。みんなにああだこうだ言われるとそっぽ向いちゃいますから(笑)
山:「そうですね。でも、そんなに僕は注文という注文は……。言ってもお互い役割分担でもないですけど、一緒に面白い市にしましょうっていう所で、運営とあれをやってくださいねー、じゃ、出すのはしっかりやりますからってあるじゃないですか? お互いにそこの所をきっちりやればいいなと思うので、そんなにすごい求めるってよりも自分はじゃぁこれやりますから、そっちをきちんとやってくださいねっていうスタンスだったと思うんですよね? そうはいいつつも名倉さんとか常に変化しつつ、新しいこともやりつつじゃないですか?」
名:変化しないとね。進化とか、進んだり深くなったりっていうのは、もうどうでもいいっていうか、そんなのわかんねえよっていうのがあるから。でも変化するっていうのは、自分でもわかるし、周りからも見えることだから、変化するのが本当に大事というか、変化しなきゃしょうがねえかなって。もちろん変化しないことがあってこそなんだけど。そのきっかけって、作家さんに教えて貰うことが多いんで、自分を見詰めて、それこそ昨晩の話じゃないけど、正座してポンと生まれる訳じゃなくて、日々やってて、作家さんのちょっとした言葉だったり仕草だったり、ちょっとしたブログから見る変化だったり、そこからすごく教えられるから、それがあるから変化できるというのはありますよね。
山:「僕も名倉さんにこれからもぶれながら、色々新しいことをやってくださいと思いますね。まぁでも、僕も結構勇気付けられるでもないですけど、すごい色んな所に行かれるじゃないですか? お店とかも書いてたり、すごい熱意だなと思うと、僕も益子に離れると、静岡すごい遠いじゃないですか? どうしようかなぁーと思う時もあるんですけど、やっぱブログとか見ててそういう、すごい熱意でやってるな、ああ出よう! って思うんですよね。だから、作家さんも具体的に何を求めるとかなくても、面白い場所に居たいってあるじゃないですか? そういうベースが、なんとなくの所だと思うんですけど、ブログとか見ててそういうの感じ取れるじゃないですか? だから、そういう場である限り僕は出たいなと思います」
名:はい。ありがとうございます……。どうやって締めようかな?
山:「今後のユキさんの音楽の展望を(笑)」
名:ユキくんにもサントラつくって貰うしね。これは僕らもやんなきゃいけないことだし。やりたいなと思ってることだし。その為には、物づくりの現場というか、つくってる人はどんな人か?とか、つくってる人はどんな所に住んでるのか?とか、ていうのを、ユキくんにも現場に行って貰わないと。多分行かなくてもユキくん器用なんでつくれちゃうと思うけど、多分それ故に一番葛藤するっていうか、また面倒臭いこと言い出すから、素直に作ってもらいたいから、手っとり早く連れて行った方がいいなと思って。
山:「そうですね。さらっとつくりそうですね」
ユ:いやーそんなことないです。
山:「そんなことないですか?なんか訪問してあれしてますけど、ユキさんもつくってる側じゃないですか?」
ユ:実際に物をつくる訳じゃないですけど、なんか、共感するところはいっぱいあるんですよ。花屋やりながら音楽つくってていう風に、二つやるってすごい贅沢なことだと思うし、どっちもやりたいことですし、どっちもお金にならないことではあるんですけど、お金にならないことを二つ合わせて生きて行けたらなと思って(笑)そういうテーマが自分の中にあって、やりたくないことできないし。だから、それをやるには、丁寧に仕事してかなかきゃいけないなと思いますよね。
山:「いいじゃないですか。締まりましたよ。丁寧に」
名:丁寧に。
ユ:(笑)
一同:「ありがとうございましたー(笑)」
名:多分記事は、よくわからないものになるかな?と思うんですけど…
山:「そうですね」
名:でも、今の空気が伝わればいいと思った。
山:「適度によくわからないものになるんじゃないですかね?」
名:そんな感じでみんなに見て貰えたらと思いつつ〜終了です。
一同:「お疲れ様でした」
ANDADURA HP http://www.andadura.net/
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今回のANDADURA山本さんのアトリエ訪問はのぼりとのアトリエに続いて2度目。
手創り市のウェブマガジン「∴ つ づ る」の連載「お財布のように工房を」のやり取りをしながらも益子に移り住んでからの現在までの山本さんのゆらぎのようなものを垣間見てきて、私自身今回のアトリエ訪問ではアトリエ以外に事に重点を置きインタビューをさせてもらいました。
インタビューの前日に益子入りし、食事をしながら、会話をしながらインタビュー前の助走を行うことができたので3月11日の震災の事にもよく触れることができ、また山本さんご自身もこちらに対してしっかり投げ返してくれた事に感謝。
今日から一週間後にうえおかさんによるアトリエ訪問後記をご紹介いたしますのでそちらも是非ご覧ください。
お付き合いいただき誠にありがとうございました。
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名倉
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