アトリエ訪問インタビュー:近藤康弘

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第十回アトリエ訪問 近藤康弘


話す人:近藤康弘→近

聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ



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名:今回は栃木・益子の近藤康弘さんのアトリエにお邪魔しております。昨晩から、ご飯を頂きお酒を頂き。

近:「みんなで料理したのが、新鮮でした」

名:釣ってきた鯉を食べ(笑)。これからが本番ですね。さっきまで制作をしている所を見せて貰って、写真も撮らせて貰って、男前な姿を撮らせて頂きました。

植:男前でしたね〜。


名:今回のアトリエ訪問でひとまず最後になります。またいつかやるかもしれないけれど。ではよろしくお願いします。

近:「よろしくお願いします」


名:まず、自己紹介からどうぞ。

近:「益子で焼物を作ってます、近藤康弘といいます」

名:出身はどちらですか?

近:「出身は大阪です。今から八年前に益子に来ました」

名:この場所、アトリエですよね? 

近:「はい」

名:この場所をつくったのはいつ頃ですか?覚えてる範囲でどうぞ。

近:「まず最初に益子に移り住んだ時に、一軒家の平屋を自分で探して借りたんですけど、そこは普通の民家って感じだったので、スペースの問題もあって、そこでは仕事は出来ないなと思ってました。修行中は自分のアトリエというか仕事場っていうのを探したりとか、そういう事は一切考えてなくて、卒業したあとに考えようって思ってました。で、修行期間が三年半程だったんですが、三年目の時に友人から空き家の話が入ったんですけど、丁度焼物屋さんが使ってる場所で、その人が益子を離れて自分で家を建てるというので、空くからどうかなって声を掛けて貰いました。実際見に来た時にご覧のように環境がいい、自分のイメージしてた感じで。水を結構使う作業なので、水を使ったり、薪を確保出来て割る場所が欲しかったので、ここを見た時に理想的かなって思いました」

名:作業する音が大丈夫なこと、あとは快適さですか?

近:「音はどうしても出るんで、僕の場合は住宅街とかだと出来ないなと思ってました。焼き物の仕事でも人それぞれスタイルがあって、都会の中でやられる方もいるだろうし。…元々僕は団地で育ったので、団地の中で作ってた時期も少しありました、ものすごい狭い空間で土埃とかを気にしながら。だから物を生み出す環境によって出来るものは違ってくるなとは思ってました」

名:この場所があるからこそ作品を生み出せる。この工房との出会いで気づいた事ですか?

近:「イメージは以前からありましたね。自分のやりたかったことが、出来るだけ機械に頼らないスタイルで、必然的にこういう環境を求めていて、それに適う場所だと思いました」

名:それが丁度、前に働いていた師匠の元を卒業する前のタイミングで。

近:「そうですね、丁度」

名:ここだ!と思って、そのまま。

近:「はい。ただ快適さでいうと、住空間の方がものすごく傷んでたので、手直しはしないといけない」

名:そうだね、確かに。見ると、全然材が違うものありますもんね。

近:「はい。元々あった床とかは、家が山を背負ってるって事があって、湿気でかなりやられてました。でも、この家に移って来て二日目に気付いたのかな? 風呂の配水管が途中で壊れている事に気付いて。風呂入った後、穴あいてた床下を覗いたら、流した水がそのまま床下に溢れてました。ありえない光景でしたね。床下は湿気を嫌うんですけど」

名:自分で自分の家を腐らせてるみたいな?(笑)

近:「ええ。 すぐに、この家のひどい傷みの原因に納得しました」


名:次の質問行きます。製作の場で過ごす一日の様子、流れを教えてください。

近:「基本的には9時〜6時くらいっていう時間を決めてます。で、10時、3時にお茶の時間があって、12時から1時間、昼ご飯を食べる時間で、その時間の決め方っていうのは、修行時代から、益子ではどこもその時間の流れでやっているので自然に身に付いてるんですけど」

名:意外に普通の会社員と変わらない時間ですね。もうちょっと早いかなと思ったけど。

近:「修行時代は9時〜5時でした。あと、それをきっちり守ってるかというとそうでもなくて、仕事がおしてる時は夜中迄やったり、…窯焚きがある時は本当は、ある程度時間のサイクルを自分でコントロールすればいいんですが、そこらへんまだ上手く出来てなくて、徹夜の日が続いたりとかってあります」

名:窯焚きで徹夜してる時って何をしているんですか? ぼーっとしてますか?

近:「うーん、一番やっちゃいけないのが、大事な時間帯の途中で寝てしまうとか。ある程度の緊張感は持ってないといけないので、それまで作業してた細工場の後片付けだったり、釉掛け作業をした片付けなんかをしてますね。

名:それは効率的ですね。年間で一番忙しい時っていつですか?

近:「うーん、まだそこまで自分のスタイルが確立されてないし、仕事も全然安定してないので…。でもやっぱり益子の場合だと春と秋に陶器市があって」

名:「5月と10月?」

近:「5月と11月です。その前月に他のフェアが入ってたり、注文の仕事なんかが入って重なってしまうとバタバタとしてしまいますね。逆に僕の場合は冬場は粘土づくりをしたりしていて、…土は凍らせた方が乾燥が早いんですよ。それで結構冬場の方が」

名:作業がはかどる?

近:「はかどります。こういう場所に住んでると、修行時代に描いてた独立してからの姿とは違って、草刈りだとか木を切ったりだとかで、月の内の結構な時間を取られてしまうんです」

名:それは想いもしなかった?

近:「予想外というか、思ってた以上でした! あんまり忙しいとさぼったりするんですけど、休日とか近所から、草刈りの音が聞こえて来て、急かされるように『お前もやれよ』とワンワン機械が鳴ってるんで」

ユ:今日も朝から鳴ってましたね?

近:「そうですね。窯焚きの最中、仮眠取ってる時とかに、そういう音が聞こえてくるとたまらないですね」


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名:次の質問です。つくる事を意識的に始めたのはいつ頃ですか?またそのきっかけは? この辺りって『健康より』にあったと思うんですけど、改めて。

近:「焼き物と出会ったきっかけってのは、『健康より』にも書いてなかったんですけど」

名:ではそれを。

近:「高校時代までは全く陶芸の『と』の字も知らない様な人間で全然興味もなかった。ただ小学校時代に、焼物に興味のある女の先生だったんですが、授業に古墳を見に行くという郊外学習を盛り込んでくれまして。で、その時に、取ったらいけない土器の欠片を先生が取って、こっそり僕にくれた」

名:先生の名前は?(笑)

近:「名前はピーーーなんですけど、その先生が図工の時間に土器をつくる授業を設けてくれてってのがあって、それが最初のきっかけですね」

名:何で先生はくれたかね?

近:「お前、好きだろう? みたいな(笑)俺だけですよね、貰ったのは。他の生徒が見てない時に袋に入れたやつをこっそり渡される感じで。その先生は二年前に大阪で展示の機会があったんですけど、その時に手紙を出して見に来て貰いました」

植:いい話だー(笑)

近:「やっぱりこうなったか! みたいな事を言われて。自分じゃ意識してなくても、そういう素質っていうか、素養っていうか」

名:先生はそれを感じてたんだろうね。

近:「感じてたのかもしれない」

名:普段の康弘を見て。

近:「はい。で、その後はスポーツばっかりする様な少年時代を過ごして、高校卒業してからの進路を決める時に、さて大学受験するか、専門学校にいって手に職をつけるか? あっ、手に職をつける前に僕は男一人の長男なんですけど、うちの親父が一人で自営業をしてまして、それを継がなあかんという空気感がどんどん歳を重ねるごとに自分の中に出て来まして…。その頃、決められたレールっていうのが嫌で嫌で、ほんでそこから逃げ出したいって所がまずあって、大学受験するか、専門学校にいくかって迷ってました。何がしたかったかとか、特になかったんですけど、ホント縁って言ったら縁なんですけど、リクルートブックってあるじゃないですか? 太い本。わかります?」

植:リクルートブック?

近:「色んな学校がズラーッと載ってる分厚い本で、それをイライラしていた時に放り投げたら、たまたま開いたページが焼物の学校だったっていう、ふざけた話なんですけど」

名:その中からあの時の土器が姿を・・・(笑)

近:「顔をのぞかせた(笑) で、その時にこんなんで決めていいのかなって気もあったので、焼物の学校と一応硝子の学校を取り寄せたんですけど、何故か硝子の学校の資料は届かなくて。で、体験入学してみたら面白いなって思ったんですよ。でまぁ、二年の学校なんですけど、入学して一年経った時に考えまして…。うちの親父は跡を継いで欲しいのに自分は同じ物づくりだけれど、違うジャンルに行こうとしてる。それなのに高い学費を払って貰うっていうのが」

名:耐え切れなかったと。

近:「…そうですね。それで一年で辞める事にしたんですよ。もし本気でやりたい時が来たら自分で学費を払って学校にいき、仕事にするんだったらその後そうしようって」

名:今言ってた陶芸だったり硝子だったり、どちらも工芸じゃないですか? 工芸って頭は最初からあったんですか?

近:「いや」

名:絵をやりたいとか?

近:「絵をやりたいってのはなかったですね」

名:役者になりたいとか?

近:「全く。あんまり人の前に立ったりとか目立った事するのが苦手っていうか、でも完全に日陰の存在っていうのも嫌で。小学校時代から親父の仕事を手伝うんじゃないですけど、小学校が休みの日とかに、一緒に行って掃除の手伝いとかをしてたんですよね。親父のやってた仕事っていうのが金型業なんですけど、機械で鉄を削る、油まみれになりながらという仕事だったんですが、そういう音とか匂いだとかは子供時代から自分に染み付いてた、嫌な記憶としてあるんですよ。なんでかっていうと、すぐ工場の裏手にドブ川があるんですけど、その川の色が在り得ない色をしていて、黄土色とヘドロが赤茶けたような色で、そこに図鑑に載ってない様な生物が泳いでるんです、オタマジャクシの様な。小さな頃から虫を取ったり釣りをしたりするのが好きな子供だったんですが、そのドブ川の奇妙な生物に、子供心に常に疑問に思ってて、気持ち悪いなって。それが跡を継ぎたくなかった大きな所かもしれないですね」

名:その疑問っていうのは、おかしいだろ、ってこと?

近:「これは何かおかしいぞと。頭ではわからないけど、安全なことじゃないなっていうのがあって、物づくりを仕事にしたいなって気持ちはずっとあったんですけど、機械を使うものは嫌だなってのはありましたね」

名:機械を使って、結果、自然にダメージを与える事。そうじゃない物づくりをしたかったし、だから陶芸だったり硝子の方にいきたいって。

近:「そうですね」

名:自分に対する違和感。それが焼き物だな、硝子だなって事を考えた。

近:「はい、でもその頃は陶芸の世界の事を何も知らなくて。学校に行く中で、この業界のことを知っていくんですが話を聞けば聞く程、仕事には出来ないな、難しいなと思いました」

名:それで食べていく事は難しいなあと。

近:「難しいなと思いましたね。選ばれた人じゃないと出来ないなと思って、で、学校辞めてからは普通に荷物を運ぶ仕事をしてたんですが、その職場のすぐ近くに古本屋さんがあって、そこが美術書とかのセレクトがなかなか良い古本屋さんで。休憩時間にそこで焼物関係の本を買っては読んだりしてて、趣味ですね。んっ、趣味じゃないな? でも仕事にしようとかじゃなくて」

植:ライフワークって事ですか?

名:ライフワークじゃないでしょう。いわゆる趣味だよね。

近:「趣味です」

名:でも、陶芸ってものは頭から離れなかったんだよね? 仕事の休憩中に行くくらいだから、休めばいいのに。

近:「そうですね〜。」

名:その時買った物は、ここにもたくさんありますか?

近:「結構多いですね。三分の一位ですね。で、きっかけの話でしたよね?」

名:陶芸の学校を一年で辞めました。荷物を運ぶ仕事をしています。古本屋に通って本を買ってます。読んでます。頭から離れません。その後にそうだ益子に行こう、っていう期間は?

近:「その時にきっかけとして、高校からの付き合い、幼馴染みの手創り市でお世話になってるyutaこと、須原なんですけど。あいつが柳宗理さんの講演がある民藝夏季学校っていうのに応募して行ったって話を聞いたんです。で、その時に感想文を書いて、その感想文が『民藝』って雑誌に載るって話を聞いたんですよ。載るんだったら俺もその本見てみたいなって。聞いた事ない本だったんで大阪で一番大きな本屋さんに行って、『こういう本ありますか?』って聞いたんですけど、でも見つからなくて…。大阪で一番大きな本屋さんにないって事はどういう事だろうって、『ここだったらあるんじゃないか?』って聞いたのが大阪の民芸館。行ったら置いててそれを読んだんです」

名:読んで、どんな印象を?

近:「それまで民藝というものに興味もないし、ほとんど自分には縁がないものだったんですよ。で、その冊子の一番後ろに全国の民芸館の営業時間なり開館日が書いてあるページがあるんですけど、京都の民芸資料館っていうのがあって、そこが月に一日しか開かない、ってなってたんです。で、月に一日しか開かないって事はおかしいなって思って、逆に興味をそそられて足を運んでみようかと。で、開館日に行ってみました。行ってみたら、民藝に関する面白い話を聞いたりしたんですけど、その場で民藝協会に勧誘される羽目になって、その場で申し込んでしまったんですよ」

名:民藝協会って何するところ?

近:「民藝を普及させる会なんですよね。全国に支部があって。そこから民藝運動を始めた柳宗悦と河井寛次郎に興味を持って、古本屋で買ってきては、調べたり想いをはせたり、という事をしていたら、どんどんどんどん自分の中で、この世界に興味が沸いて来まして。何よりも特別な才能がなくても、平凡な人間でも美しい物がつくれるという教えがあって。

名:そこから今までに止まってた陶芸に対する想いが、自分の中でくすぶっていたものがより明確になって来たんですね。

近:「明確になって来ました。で、まとまった休みを取っては産地を自分の目で見てみたいなと思って、色々周ってみたんですね。そこから『健康より』にも書いていると思うんですけど、焼物の仕事は小刀ひとつあれば全て成り立つ、という言葉を聞いて、『あ、ロマンチックだな』って思って、これを仕事にしてみたいなって思いが自分の中でどんどん強まっていったんですね。そうなって来ると、一から修行だなって思い立って、仕事を辞めて、頭を丸めて、どこか知らない土地で一から修行しようと思いました。益子を選んだ理由っていうのは、東京に住んでた須原の家に遊びに行った時に、日帰りで益子に行けるから行ってみないかって誘われて行ったんですけど、全然土地勘とかもなかったんですが、まず最初の濱田庄司が住んでいた益子参考館に行きました。そこで、一人のお爺さんと出会ったんですけど、そのお爺さんに話を聞いてみると、濱田さんの元で60年以上に渡って職人さんをやっていたお爺さんで、その時でお歳が76歳だったんですよね。職人さんとして働くには無理がある年齢になったので、去年から一人で仕事をする様になったと。良かったら工房に遊びに来ないか? って誘ってもらって。喜んでお邪魔させてもらいますって行ったら、そこで見た器にしろ聞いた話にしろ、面白いもので、湯飲みをひとつ買って帰ったんです」

名:産地としての益子に一番魅かれた部分は?

近:「その旅の途中で見た町の雰囲気っていうのが、僕が古本屋で買って見てた本っていうのが30年も40年も前の本で、自分のイメージしてた益子とあまりにもかけ離れてたんですよね。正直、来た時に町並みにはがっくりした部分があって、ただそこで出会ったお爺さんと器は本物だなって思いました。で、帰ってからその器を眺めてたんですけど、まず素直に温もりを感じました。その器の内側を覗き込んだ時に、外から見た時よりも内側の方が大きく見えたんですよね。中全体が広がってる感じで、大袈裟な言い方をすると宇宙の様に広がってる様に見えたんですよね。これは本物だなって思って、いよいよ仕事にしようかなと。それまで弟子入りっていっても、特にこの人、この産地っていうのはなかったんですけど、この人のところに弟子入りしようかなって思って行きました。

名:実際訪ねてですか?

近:「はい。とりあえず一週間土下座してお願いしようかなくらいの勢いで来たんですけど、早々にお爺さんは、余生を楽しむ為に焼物をやりたいし、お金なんか払う余裕も全くないし、ホントに仕事でしたかったら、まずは窯元に勤めた方がいいと言われたんですよね。それで、まぁ、諦め切れない部分と、どんだけお願いしても無理だなって事がわかったのであきらめて。その時は路頭に迷いましたよね。さぁどうしようかなって。大阪の地元の連中には行くっていってきたし」

名:俺は焼物で行くぜ!と。

近:「焼物で行くぜって、送別会までして貰って。行って来ますって言った手前、早々で『無理でした』っていうのは、帰るところもないなって思ってて。

名:それはみっともないね。

近:「さぁ困ったぞ、って思いながら、ふらふらと町を歩いてたんですよね」

名:野良犬のように。

近:「野良犬のように」

名:行き場もなく。

近:「行き場もなく…。何も調べずに、その時は益子に来たんですけど、寝床は山の中でテント張ってたんですけど」

名:あの展望台?

近:「いやいや展望台じゃなくて林の中で。で、僕が来て三日目にたまたま益子が春の陶器市に入ったんですよね。やけに観光客は多いし、売り手の人もお客さんも忙しそうで、とても仕事の話して貰える様な雰囲気じゃなくて…。それと売られてる物が自分の中で益子にイメージしてた焼物とあまりにもかけ離れてたんですよね」

名:そこに宇宙はなかった、と。

近:「宇宙はなかったです、はい。その頃の僕の頭の中は民藝の事で頭がいっぱいになってたんですね。正直、何百とテントがあっても、一通りぱぱっと見たんですけど、自分が心魅かれるものが全然なかった。柳宗悦が言うところの、器が病に侵されてるなと。そんな感じでふらふらしている時に、たまたまなんですけど、目に止まった器が、飛びカンナの器が店先に置いてあったんですよね。で、そこでお店の中を覗いたら、自分のイメージしてた益子らしい焼物がそこにあったんですよ。そこが弟子入りする事になった榎田窯だったんですけど、ここだなと! 二回目なんですけど、自分の中でドクンとくるものがあって。

名:その場で?

近:「いや、その時は一応店を出たんですけど、一晩考えて、ここしかないなと」

名:考えたのはベースキャンプ?

近:「ベースキャンプで(笑)ここしかないなと気持ちを高めて、翌日アタックしたんですね。で、『健康より』にも書いてあるんですど、断られて、でもお願いして、みたいな感じでなんとか置いて頂ける事になって」

名:そこから益子での生活と。

近:「いよいよ始まりましたね」

名:独立への第一歩だよね?

近:「はい」

名:榎田窯で働き出して、素朴な疑問だけれど、仕事っていうのは教えてくれるものなの?見て覚えろって感じ?

近:「最初は雑用ばっかりでしたね。掃除が一番基本にあって、俺は全く予定にない人員で」

名:人という名の空気だね?

近:「ホントに空気です。だから最初は窯場のペンキ塗りから始まって、色んな傷んだ壁を直したりとか、大工仕事なり、仕事の半分くらい畑仕事があるんで、雑草抜きから始まって、半年くらい雑用やってましたね。で、仕事が5時までなんですけど、5時以降は好きに練習していいぞ、好きに使っていいぞって言って貰ってたんで、毎日、5時から9時くらいまでそこで練習をしました」

名:いいね、そういうの。好きにやれってのがさ。

近:「ありがたい事に夜食まで出してくれて」

名:それは雑用もはかどるよね。

近:「はかどります。雑用も経験したことない事ばっかりだったんで、毎日が楽しくて」

名:近藤さんの今の様子を見てるとそんな感じがするし、絵が浮かんでくるよ。

近:「その時は休日、最初の一年は週休二日だったんで窯屋さんで窯づくりのバイトをしてたんです。だから修行先での一日も楽しいし、休日は休日で焼物に対する新たな発見があったり、窯の事を色々勉強出来るので、焼物づくしの修行期間でしたね」

名:どっぷり。

近:「どっぷりですね。家帰っては焼物の本を開けては、深く勉強する訳でもないんですけど、ぼっーと眺めるだけで。焼物三昧の日々だったんですけど。自分にとってはその日々が、生まれて一番輝いているというか、毎日毎日が充実感で満たされてましたね」

名:生きてる感触があるってこと?

近:「ありました、本当は仕事はこれからの独立の事とか考えなきゃいけないけど、毎日が楽しいんで先の事じゃなく」

名:今この時が。

近:「今! 明日死んじゃってもいいかなくらいな感じで過ごしてました」

名:それって今思えば、なんでそこまで?20代前半? 

近:「25歳でしたね」

名:そしたらやっぱり休みは遊びに行きたいとか、デートしたいとかあるだろうに。でもそうじゃなくて、どっぷり焼物の事で。それは単純に好きだからって事もあるかもしれないれど、でもそうじゃない、益子までに至る間の時間、無意味な時間、失礼、悶々とした時間があって、その時と、修行の始まった時、まるで違う。

近:「ええ、違いました。僕はただ焼物の仕事を覚えるつもりで入ったんですけど、実際には日々暮らすという事を学んだというのがあって、焼物の技術の方は自然に身に付いていった感じでした。楽しかったってのは、仕事中でも大きなお鍋で料理をつくったりとか、窯でピザを焼いたりとか、そういう事とかもたまにやったりして、暮らしと仕事が一つだったんですよね。雨が降ったら細工場で仕事して、晴れだったら外で畑仕事したり、それこそ自分の思い描いてた理想の焼物のスタイル。高校でて、学校に行ってた時は焼物って言葉を使わずに、陶芸だったんですね、自分の中で。でも益子で暮らしてからは陶芸って言葉を自分から使わなくなりました」

名:芸じゃない?

近:「芸じゃないなって。暮らしかな」

名:暮らしと生きる事に直結してる。それで焼物かあ。

近:「はい。暮らしの理想はどんどんと膨らんでったんですけど、でもそれと焼物で独立して自分でやってくって事は全く別物だなっていうのを、そのあと独立準備期間にしろ、独立してから今に至るまで、痛感しました」

名:今も尚?

近:「はい(笑)」

名:でも痛感してるっていうのは、修行先でただ器をつくるだけじゃない、色々な事を学んだから、尚更それを痛感しているんだろうね。修業先で今までやって来た事がある。そこで学んだ事っていうのはただ焼物を焼いてればいいって事じゃなくて、器をつくる事と暮らしがセットになってくる、というのを学び体験して、知ってしまった。

近:「知ってしまった」

名:それが修行先での体験でいざそこから独立した時に、今はまだ、ちょっと前に修行先で味わった所に自分は辿り着けて、ない?

近:「うーん、そうですね。自分でそうなる様にとはもって来てるつもりだし、ひとつひとつ階段を上る様にはしてるんですけど。まぁそれ以前に独立してぶつかった壁っていうのは、値段を付ける事とか、器のデザインの事であったりです。…売れない事には明日生きていく為のお金が入って来ない訳だから」

名:それは独立したからこそ味わった壁だよね?それを含めて自分でやらなきゃ独立とは言えないし。

近:「はい」


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名:ちょっと話変わりますけど、益子の同業仲間とはどんな関係ですか?お互いどういう風に影響をし合ってる。影響を受けてます?

近:「そうですね。時々なんですけど一品持ち寄りで、誰かの家に集まって飲む機会っていうのがあって、そういう時にまぁ、焼物の話をする訳じゃなく、世間話をしたりするんですが。陶器市とかで他の連中の仕事を見た時に、新しい仕事を始めてたり、釉薬が若干変わったりしていると、その飲み会の場で、あまりに気になった事は話に紛れ込ませてこっそり聞いたりします。教えてくれたりくれなかったり、その場では笑ってるんですけど。その場で笑う事が出来るのは、普段、切磋琢磨して頑張ってるからだなと思います。だから刺激になりますよね。丁度同じ歳ごろで、僕より2、3年の先輩連中がほとんどなんで。その場を大切にする為に皆頑張ってる。

名:集まった時に、常に器の話をする訳じゃないけど。

近:「ほとんどしないですね」

名:でも、普段器と向き合って、それぞれやってるからこそ、集まった時に器の話じゃなくても、色んな話が出来る。時々器の話をしたりとか。かわされたりとか。同志に近いよね?

近:「同志ですね」

名:仲良しこよしではなくて。

近:「はい」


名:次の質問です。制作する時、どんな事を考えてますか?これみんなに聞くと、あまり何も考えてないですって言われると思うんですけど。

近:「僕も何も考えてないかな。ほとんど無意識なんですけど、つくってる物のラインだったりとかは気にしたりします、でも頭の中は何も考えてないですかね。むしろ、悩み事とかあったらそれを考えてたりとか。手はもう、別に全然動いてるので。むしろ、考えて仕事をすると物が鈍るっていうか、そういうのもやっぱり、土は柔らかい物なので、ダイレクトに出ちゃいますよね。いじり過ぎても悪くなるってのもあるんで」

名:ギクシャクするって事?ものを考えながらやってて。

近:「そうですね。考えながらつくったものは、出来あがった時に迷ってる感が出るんですよね。それは自分ではわかります」

名:そうすると、物とひたすら向き合って、頭で考えてるっていうよりも手で考えてる、それと無意識に反応して?

近:「そうですね。物づくりやってる人、結構みんな同じじゃないかなって思います。ちらっと本で読んだんですけど、イタリアの職人さんの工房では、独り言が飛び交ってるみたいで、全然仕事の事とは関係ないような。僕もぼそっと独り言を言ったりとかってあるんですが、独り言が多くなっていったら一丁前かなみたいな部分が自分の中であります」

名:その独り言っていうのは器と関係ない事。

近:「関係ない事です。周りの人にとっちゃあ迷惑な話なんですけど。考える時っていうのは、作ってる時じゃないですね。例えば、草刈りしてる時だったり、車を運転している時だったり、外食で出会った料理とかをみてどういう器が似合うかなとか? 日常生活にアンテナを張ってるような気がします。」

名:器をつくる時に器の事を考えてるんじゃなくて、普段の生活の中で考えてる。

近:「例えば、テレビ見てても小道具として使われている器だったり、映画の中で後ろの方に小さく映ってる器だったりとかを、すごく意識して見ちゃいますね」

名:あれいいな、とか。俺の方がいいぞ! とか(笑)

近:「ははは(笑)でも、自分のつくりたい物の希望としては、人よりも優れた物をつくりたいなっていうのはそんなにないんですよ。人と違った事をしたいとか、自分を出したいとか、そういうのはほとんどなくて。ただ自分の育ってきた様な、一般家庭の何気ない日常使いの食器が、器の事に全然興味ない家庭で使われてる食器とかが、…それってだいたい大量生産の物じゃないですか? そういうところを変えていけたらなって思ってます」

名:ものすごい器が好きで集めてるコレクターで、そういう人に使われるって事よりも?

近:「自分の育ってきたような家庭で使われたいな、という思いで作ってますね。それ以外でも例えばオリンピックやってますけど、メダルとるような選手の食卓風景が映った時に、そこで使われてる器が同じ様な工業製品、よくわからないプリントされた物とか、アメリカの国旗が入っているマグカップだったり。そういうのを見た時に、俺頑張らないとって思って。こういう所を変えていけたらなというのがありますね」

名:それが理想だし、近藤さんの物づくりのあるべき姿。

植:『健康より』の中で、健康な物づくりを通して国を変えていきたいってありましたけど、それが今の?

近:「はい、それがそうですね。大きな事を書いてしまったなと思ってるんですけど。自分は、面白い物を探しによくリサイクルショップに行くんですけど、そのリサイクルショップに置かれている器が、さっき言ってた大量生産、工業製品で、9割9分がつまらないものなんですよね、自分にとってなんですけど。それが結局は世間の現状かみたいなことを感じますね」

名:あ、それわかるわあ。リサイクルショップという終着駅でね。

近:「行く先々で僕はいつも燃え立ちますね。だから器好きな人とか、物が好きな人とかこだわってる方に使って貰えるのは嬉しいんですけど、リサイクルショップにある物こそ、今の世間の現状かなって。だから、そういうところの流れを少しでも変えていけたらなとは思っていますね。最近はCMとか見てても、意外と作家さんの器が使われてたり、すごい雰囲気のいい器が使われてたりで、すこしずつここ数年で変わってきたのかな?」

名:それはメディア全体でしょ?

近:「はい」

植:ちなみに、奥さんとも今みたいな話はするんですか?

近:「うちの嫁さんはそんなに器に興味ない人間ですけど、話はしますね」

植:近藤さんが焼物の世界に入っていって、彼女にも影響ってあると思うんですよね?

近:「もともと全然興味なかった人間に、わかってもらおうと価値観を無理やりおしつけるようにしてました。嫌じゃないですか?強制されるっていうのは? 修行時代とかまさにそれで、電話越しに器の話とかばかり言ったりしてたんですけど、自分の理想だとか」

名:あれまあ、そんな話が聞きたい訳じゃないのにね(笑)

近:「向こうがどんどん目に見えて器が嫌いになっていくのがわかりました。でも、今は結婚して二年になるんですけど、手創り市に出展させて貰う様になってからは、販売の手伝いに来てもらってます。その中で他のつくり手の人とコミュニケーションを取ったり、作られた物だけじゃなくて、作った作家さんと接する機会が増えてから、興味を持ち出したなって思います。最近は手伝ってくれている合間に、時間が空いた時には、喜んで買物しに行ったりして、俺よりも楽しんでるなって。自分で買うと物にも愛着が沸くし、作った人にも興味が沸いて」

名:それは奥さんの立場で考えると、器だけじゃなくて、色んな人が出てるから楽しいんだろうね。器だけだったら、自分がつくる側じゃない故に、専門過ぎて門外漢な感じを受けてしまう。そうするとなかなか入っていき辛いし、よくわからないし。手創り市だったら色んな人がいるからね。

近:「そうですね」

名:そういう奥さんを見て、逆に近藤さんが影響される事って?ありますか?

近:「…影響ってよりも、ホントは自分の生活で使う物とかは、自分好みの物を買い揃えたいっていうのがあって。あっ、ストレスが溜まったりすると買物しちゃったりするんですよね。OL気質があるっていうか。OLの方に失礼ですけど」

名:近藤さんがですよね。

近:「はい。それが最近は俺が選ぶよりも早く、向こうが買ってきたりするんで(笑)こっちの購買意欲が削がれるというか」

名:それ、いい話じゃないなぁ。大丈夫かなこんな話を聞いちゃって。でもまあ、面白いから。

近:「ま、でもお互い買ってきた物を自慢し合ったりして、器に関しては、この人のこういうところがいいね、使いやすいね、とか。あと、器があると料理するのにも身が入ってくるというか、それに合うような料理を作ってくれたりするようになってきたかな」

名:それこそ、自分が目指す先はそれだよね?それで変わってくる。ちょっとした事かもしれないけれど。

近:「そうですね、まず、身近なところから第一歩です。実感として少しずつ変わってきたなっていうのがあります」

名:まず嫁さんから。

近:「まず嫁さんから(笑) 嫁さんの友人連中も嫁さんと一緒で、あんまり器に興味のない人が多いんですけど、旦那がこんな仕事してるっていうんで、買ってくれたりとか、こういうのが欲しいって言ってくれたりとかする事があるんです。そうして貰ってるうちに周りの人も徐々に興味を持ってくれて、裾野が広がっていってる感じがありますね」

名:それは、近藤さんが凄く特別な事を目指してる訳ではないし、照準を置いてないから、元々作家さんがつくる器に興味のない人でも感じてくれたりするんじゃないのかね?

近:「…だからそういう一般家庭で使って貰いたいなって。で、大量生産の工業製品と何かが違うぞって感じて貰いたいので、より手作り感が伝わるように自然の原料を使う様にしてますね」

名:多分、近藤さんの伝えたい事っていうのは、思想じゃなくて、もっと平易な言葉で興味のない人達にもわかる様な事で伝えていってると思うんだよね?それっていうのは、器見てください、はいどうぞ、ってだけじゃわからないと思うんだよね。物があって、その後に自分の言葉があって。と、伝える作業は意識してますか?例えば展示会とか、自分と器が一緒に出て行く時に、そういう自分の物づくりについて話をしたりするかどうか?

近:「まぁ、聞かれると今言った様な事を断片的に話したりはするんですけど、結構話も長くなってしまうし、自分の器の特徴とかだけ簡潔に伝える様には心掛けてますね。ホントは作り手は、器をつくるばっかりしてて、売るのはお店の人に任せるのが本来のあり方かもしれないですけど、伝えたい部分とかもあるんで。手創り市とか、クラフトフェアとか、陶器市とかで、お客さんと接する場を持つ事はこれから先もやっていきたいなって思ってます」

名:その方が伝わると思う。なんでかゆうとつくる人が伝える方がわかりやすい、とは違う、言われて腑に落ちるのかね。目の前に器があって、器をつくってるのはこの人で、更に作品を見た時に振り返るでしょう?すると聞いてる方っていうのは、器だったりそういう物に興味があってそこに行くのだから、つながりやすい。そうすると腑に落ちる。それが伝えるって事かなって。

近:「そうですね」


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名:ちょっとその辺の流れから別の質問ですけど、静岡の護国神社で開催されているARTS&CRAFT静岡に参加したきっかけと、参加してみて、お客さんと会話する、それを含めての感想を教えてください。

近:「きっかけは須原に誘われたんですよね。手創り市の事もほとんど知らなかったし。で、独立してちょうど一年くらい経った時、合同展示?企画展示?」

名:一番最初の開催で、こちらの方から作家さんに二区画お願いする、という話で、その中で自分で二区画、幅が6メートル、奥行きが3メートルを使って貰う。その区画を一人で使ってもいいし、自分で他の作家さんを連れて来て二人で使うのもいいですよっていう事で多分お願いしたと思うんですけど」

近:「ええ。あんまり具体的な事は須原からは聞いてないんですけど、一緒に静岡でこういうフェアがあるから出してみいへんか?って感じで誘われて。面白そうだなって思って」

名:その時の感想、エピソードなどありますか?

近:「その時に、さっきしゃべってた様な、自分とお客さんとの会話する事の大切さみたいなのを、初めてやってみて思いましたね。それまではやっぱ、作る事しか考えてなかったなっていう部分があって。まだ独立して間がない頃だったんで、値段の事にしろ、展示の仕方にしろ、初めての事づくしだったんですよね。単純にお客さんとコミュニケーションする大切さを知ったし、自分で空間を見せるという事…」

名:トータルで見せることを?

近:「トータルで見せるって事の難しさだったり、什器一つとっても運びやすさにしろ、お客さんの見やすい高さとか、そういう事の発見の連続でしたね。でも何よりも護国神社の境内が初めて見た時に凄く気に入って。その境内に向かって店舗が連なってる景色っていうのが、もう、すごくいいなって思いました。その一部分を自分が担ってるっていうのがまた。全くそういう事は予期してなかったので」

名:僕らとしてはそういう意識を作家さんが持ってくれるって事が嬉しいよね。あの会場のつくりだったり、それこそ正面の鳥居から入っていって、ずっーと真っ直ぐ行くと本殿があって、その中のひとつに自分がいて、その場所は自分が担っている、という意識があるのはすごく嬉しい。僕らとしてはそういう意識が作家さんの中にあるっていうのは、常に持っておきたい部分かなって。今の話を聞いてて思いました」

近:「やっぱり雰囲気っていうのも大切ですよね? 他のフェアもどうかなって思うんですけど、とりあえず気に入った場所で毎回毎回、違う部分を試行錯誤していったり、お客さんの変化を見たりするのが今は楽しいって思います益子でも売る事に関しては陶器市があってテントを出すんですけど、焼物ばっかりじゃないですか? 手創り市だと、違うジャンルの人がいると自ずと見せ方も変わってたりして、刺激される部分はあります。センスのいい人がすごく多いなって。良いところは盗もうって思ってるんですけど」

名:その流れで言うとさ、作家さんっていうは3メートル×3メートルの中で簡易的な仮設かもしれないけど、自分のお店をつくるって事と一緒な訳でしょう?

近:「店ですね」

名:ということはその人のオンリーショップだよね?その延長には、個人の本当のリアルなお店が、きっとあるはずだと思うし、実際、手創り市に出た事のある人の話だけど、それこそ、山口に引越したhimaar(ヒマール)さんだったり、埼玉・秩父にいるツグミ工芸舎さんとかは、個人の作家さんであり、自分のお店を開いてやってるんだよね。そういう流れが今あるなと思って、作家さんからすると、そこに希望があるからこそお店を開いて、お金をかけて責任を持ってやってる。作家さんが作家活動だけじゃないお店の活動もする事によって、もっと気づける事。自分達も作家さんがお店をやって、その活動によって、僕らみたいな野外のイベントを企画してる人達が気づく事もたくさんあると思うんだよね。そういうのを、個人的にも、イベントを主催する身としても、単に知りたいし、応援していきたいかなって最近思ってます。ちなみにhimaarさんはお知り合いですか?

近:「手創り市で出会いました」

名:単純に作家やってて、お店を始められて、すごい事だと思うんですよ。

近:「すごい事ですよね。隅々まで自分でこだわって店をつくっていかれたじゃないですか? 僕の自分の仕事場も自分でつくったんですけど、プロの大工さんにやって貰った綺麗さだったり、仕上げの上手さだったりそういうのはないんですけど、隅々までこだわれたかなって…。何が言いたいかというと、例えばテーブルにしてもたった1センチの高さの違いで、変わってくるじゃないですか?」

名:テーブル一枚の厚みであったり、高さであったり、それこそ1センチ単位の事を考えて選択して決める事に、そうしたところにいちつくり手として、責任を果たせる事が嬉しい、気持ちよい事ですよね。

近:「単純に一つ一つの選択が、時間は掛かるんですけど、出来上がったものは何よりもつくり手の人のこだわりにしろ、考えにしろ出るんで。もちろん大変です、思ってるよりも100倍大変だったとかってよく聞くんですけど、でも出来上がってみるとその分、隅々までこだわりが行き届く」

名:達成感?

近:「達成感もあるし…」

名:質問の角度を変えますけど、himaarさんの様に個人の作家活動もして、お店も始めました。ジャンルは違えどいちつくり手として、近藤さんは自分のつくる場所、見せる場所、売る場所、そのトータルで完結した形の場所をつくりたいと思いますか? 

近:「自分の修行先が窯元なんですけど、販売所があって。希望としてはいずれはそういった形で、自分でも店舗を構えてみたいなってのはあります。工房の横にお店みたいな」

名:そう考えると、焼き物の場合は窯元っていう、つくる場所、見せる場所、売る場所ってよりも、何も珍しい事じゃなくて当たり前の様にあるから。

近:「そうですね」

名:小さな窯元みたいなもの。

近:「そうですね。窯元になりたいんかな、俺は」

名:そういうものが増えていったら面白いですね。

近:「増えたら面白いですね」

名:今、オンライン上でも売買出来る場所ってたくさんあるでしょう?その中に個人の作家さんが作品を提供していて、売り買いが出来ますよって状態。オンライン上だから、その人には会えないし、伝え切れない。でもそれと同じ様に、個人個人で小さな場所でもつくっていく事が出来れば、オンライン上がもっとリアルになってきて、そうするともっとこう、オンライン上も意味があるし、もちろん、リアルなものに対する意味ってもっと大きいし深いけど、よりつながってくるなって思うんだよね。だからこう、himaarさんだったりツグミ工芸舎さんの様な人が増えたら楽しいだろうなって。同じこと言ってるけれどさ。

近:「楽しいでしょうね」

名:大変だろうけど。

近:「そのお店に行く事によって、そのお店を訪れる楽しみであったりもあるけど、そこから自分の住んでるところとは違った地域性を知る事が出来るじゃないですか? 全国にそういったお店が、何にもない様な場所でも作り手さんが住んで、小さなお店でもいいからあれば、その地域にもいいですよね、知って貰う為に。だから、山口には近い内に行きたいなとは思ってます」

名:観光の仕方も変わるだろうね。そうなると。

近:「観光ガイドには載ってないような自分なりの観光ができますね」


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名:何か植岡さん、聞きたい事はありますか?

植:『健康より』にも出てくるキーワードですけど、『健康的な物づくり』ってあるじゃないですか? そこの話を今一度、近藤さんの言葉で聞きたいなと思って。それはどういうもので、近藤さんはそれに対してどう思っていて、どう大切にしているか?

近:「いい質問ですね(笑)それは安心出来る物」

植:安心出来る物?

近:「使ってる材料なり、自分ですべて把握出来る物を使って、それが仕事と暮らしと密着している物。それが僕の考える『健康的な物づくり』だと思います。というのは、自分で仕事してて、原料なんかも、色んな種類が売ってて買ってきたりする事もあるんですけど、安全かどうかよくわからない物が売ってるんですね。それをそのまま飲み込むと毒物だったり。そういうのを使って綺麗な色とか出せたりはするんですけど、どうしても制作してる途中で釉薬の残りなんか捨てないといけない時があって、捨てるってなった時に、そんな得体の知れない物を捨てると、環境に一体どんな影響があるかわからないじゃないですか? だから自然に還る事が出来る物を使っていきたいなと思ってます。話大きくなってしまいますけど、例えば原発、あれなんかそれこそ処分出来ない物を産み出してしまうじゃないですか?」

名:自分でどうにか出来ない事はしない。それはどんなに便利であっても駄目ってゆうこと?

近:「便利さって言葉を最近よく意識するんですけど、便利の裏側には何かが必ず犠牲になってる。その犠牲になってる部分を最近気にする様にしているんです」

名:便利や効率的なものを目指す故に犠牲にするところを救いあげていく。

近:「そうですね。犠牲にしてしまったところを救いあげていく。そういう道を選んでいったら、自ずと自分で取って来たりする事になるのかな。気持ちが安心出来るかどうかって部分が大きいですね、デザインの魅力とかよりも。捨てれる物、捨てても安心な物づくり」


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名:最後の質問です。今後の目標を教えてください。短・中・長期で関係なく。

近:「今は一歩ずつ階段を上ってる感じですね。自分の作ってるラインナップがある程度固まってきたので、そこから一つ一つをより良い物になるように発展させていったり、釉薬なんかもより自分の求める雰囲気になる様に変化させていったらいいなって思ってます。目の前にある事をホント一歩一歩やっていくしかないなって思います。そして結果作った物がたくさん売れてくれたらベストなんですけどね!締めに商売の話になりましたね。これは端折るかな(笑)」

名:器をつくる人間として当たり前の事を当たり前にやってく。

近:「そうですね。そして理想とする暮らし、長々としゃべって来たんですけど、その暮らしに近付くように一歩ずつ、やっていくしかないなって思ってます、はい」

名:以上?

近:「以上です!ありがとうございました」

名:ではこれで御終いです。

一同:お疲れ様でした。


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手創り市

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