革見本のこと:歩馥×日々ノ根

事務局に届く申込書の開封作業は私の役目。
職場から帰ってきた後、珈琲をいれ、適当な果物かパンきれを食べつつ、もくもくならぬ、もぐもぐ開封してゆく。
多くの申込書には様々な工夫そして想いが語られている。
毎月申し込みをしてくれている方の中でも、毎回変化に富んだ申込書をつくって送ってくれている。
10月手創り市選考会前、とある申込書に書かれている内容に私はとても惹かれた。
それは革作家さんの革見本のはなし・・・



「コースターですか?」
「いえいえ、赤ちゃん靴の革見本です。
つま先のところにこうやって合わせると・・・」
お客様とそんなやりとりがある。

革見本というと、四角くカットした革の隅に穴をあけて、そこにリングを通したものをよく見かける。
もしくは、革を貼り付けた台紙が革表紙のファイルに綴じられているもの。
これまで訪れたことのある靴や革小物を扱うお店は、そういったものがほとんどだった。
自分たちが革見本をつくるとなったとき、同じようなものをつくろうという気持ちは起きなかった。
おそらくそのような革見本のつくりは、お客様が革見本から選んだものを豊富な在庫の中からすぐに提供できる環境でこそ、機能が発揮できるものではないかと思う。じゃあ、赤ちゃん靴を持ち込める数に限りのある手創り市という環境で、赤ちゃん靴のセミオーダーを考えるお客様にとってほんとうに必要な革見本ってなんだろうと思い、試作をいくつかして、この革見本に行き着いた。

この四つ葉のクローバーのような革見本は、葉っぱの一枚一枚が赤ちゃん靴のつま先のデザインになっていて、1色につき4パターン、5色で20パターンの中から選ぶことができる。
お客様にそのことを説明すると、「へぇ〜!面白い!」といいながら、ディスプレイしているサンプルの赤ちゃん靴のつま先に重ね合わせて比べたり、お子様連れの方はお子様のつま先に合わせて、履いた姿をイメージされている。

先日参加したイベントに見えたお客様は「こうやって選んでいるだけで楽しい!」と喜ばれ、それをきっかけにたくさんの話ができた。楽しそうに選んでくれる姿を見て、きっと赤ちゃん靴を買ってもらうってことは、こういう楽しい経験を提供することでもあるんだろうなと実感した出来事でもあった。

ディスプレイできる赤ちゃん靴の数が少なくても、お客様がイメージをふくらませやすくする工夫をすること、想像しながら選べるワクワク感を提供すること。自分たちでものをつくり、自分たちの手で渡してゆくつくり手だからこそできることを、手創り市という場でこれからもひとつずつやってゆけたらと思う。

歩馥×日々ノ根 HP http://hibinone.noor.jp/

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「歩馥×日々ノ根」さんの文章と写真からは「工夫×笑顔」 を連想した。
こうした文章をいただける事に感謝しつつ、随分前から開店休業している「コラム:つくること」を再開しようかなと。何気ない人の言葉が背中を後押しする。
ありがとうございました。

※感想などはお気軽に下記mailまでどうぞ。

名倉
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∴ つ づ る 新たな連載「248note」

∴ つ づ る にて新たにはじまる連載記事を担当するのは宮城県仙台市に住む 「248」さん。
248さんは、糸を紡ぎ、草木で染め、染め糸を織り、織り布を縫って仕立てた作品を作っていて、主に手さげバッグの制作をメインとしております。
この連載では、作り手としてのこれまでの歩みからはじまり、震災があり、そこからどうやってまた作ることをはじめたのか?そういった所からの始まりとなります。
先日の9月の手創り市では震災以降ようやっと出展する事ができ、会場でも少しだけ話をさせて頂きましたが、これから力強い一歩を踏み出してゆく気持ちがとても感じられ、かつ今まで以上に穏やかさをたたえながら話をされているのが窺えました。
東北に住まうひとりの作り手として248さんが、震災以降のひとつの窓として在る事を期待しつつも、見守ってゆきたいと思います。

「∴ つ づ る 」にて連載。

タイトル: 248note
著者:248 HP http://homepage3.nifty.com/248/

毎週水曜更新となり、9月28日スタート。ご期待下さい。
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本日より、同じく ∴ つ づ る で新たな連載「琉球折々」がはじまりました。
是非ともご覧ください。
http://tsuzuru-hibi.jugem.jp/?cid=5


名倉
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9月27日

ようやく涼しくなってきたこの頃。これからの挨拶は「暑いですね〜」から「寒いですね〜」に変わってゆく。言葉ひとつとっても季節の変化があるってのは素晴らしい。四季のお陰さま。

10月2日手創り市の参加者発表も終え、はじめての「手創り市のルポ」もそれなりに好評でほっと一息、といきたいところだが、現在は静岡の諸々の準備におわれつつ、かわしつつ、やりすごしている。ひとつだけやりすごせないのは、目の前の作りすぎた看板だ。足りない分にはこれからなんとか作ろう!という闘志が燃えたぎるかなと思うが、なくてもいい看板の前で呆然として立ち尽くし、見なかった事にしよう心に決めたいが、それではまるで望まれない看板のようであまりにも不憫。つらい現実から目をそむけつつも、いつか使うであろうこの子達(看板)に少しだけ期待を寄せる。風にもまけず、雨にもまけず、よい感じの風化に期待しつつ。

今回の静岡の開催は一般参加の出展以外にも絵描きによる企画展がふたつある。
清水美紅「ゆらぎ」展 と 勝山八千代・湯本佳奈江EXHIBITION
こちらは、すでに静岡のサイトでお知らせ済み。
今回の企画展の試みは、会場での2日間の展示だけで終わらず、静岡の街へ繋がってゆくような企画となった。護国神社での展示の後は静岡市内のギャラリーやカフェで個展(二人展)。
第3回のARTS&CRAFT静岡までに、このような企画展を自分なりにやっておく事をはじめたばかりの頃からの目標としてきたのでひとまずはクリアー。あとはよりよいものにするべく少しずつ詰めてゆくのみ。

明後日よりはじまるSavon doux TE SHI GO TO/ainaさんによる連載記事「琉球折々」が始まります。是非ともご覧ください!

こちら→ http://tsuzuru-hibi.jugem.jp/?cid=5

∴ つ づ る の新たな連載記事は今後も少しずつですが発表いたします。ご期待下さい。

とある方より様々な種類の佃煮が届き望外の喜び。
これで看板の事は少し忘れる事ができそうです。
ありがとうございます。

名倉
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手創り市のルポ(2011年9月開催)

よいよ始まりました、手創り市のルポ。担当はご存じうえおかさん。
それでは早速お届けいたします。



「手創り市のルポ 2011年9月開催」

何故、手創り市をお寺や神社で行なうのか? 以前、名倉くんはその理由をこんな風に語っていた。
「お寺や神社はもともと、地元の人達が寄り合う、対話の場、情報の発信源だった。そんな風習のあった場所で、つくり手とお客さんの対話の場となる市を始めたかった」
会場を吹き抜ける風の音、什器を組み上げる音、作家さんたちのざわめき、それらが徐々に市をつくり上げていく。
八時四十五分、手創り市開催まで後十五分。受付に駆け込む作家さんたちを横目に見ながら行なった、一番古株のスタッフ、あきたさんへのインタビューで、この「手創り市のルポ」、その第一回目の記事を始めようと思う。
自分の事を「御局ですね」と言いながら笑うあきたさん。手創り市立ち上げの時から今に残る、スタッフの背骨的存在だ。
「立ち上げの時はなんでも辛いですよね? 最初の三年は非常に辛かった。スタッフは、名倉さんと私とプラス1。そのプラス1も辞めてしまい、すごい負担量だった。名倉さんもやることあるから、やる事全部が自分に被って来て。その後、スタッフが増えて来たので、ああ、もういいやと思って、山へ逃亡したんです(笑)。休んで登山。でも実質休んだのは二回。辞める気はなかった。直感があったから。このまま続けていたら自分の人生にプラスになる予感があって。それは正しかった。だから、今はすごく楽しい。スタッフが増えたこともあるし、事前にブースを決めたりするようになって、システムが固まって来た。それによって余裕が出て来た。前は早いもの勝ちだったから、殺伐とした感じですごかった。それが大きな違い」

その日僕は、朝6時半の搬入から、この手創り市の場に居た。外目に眺めていると、各スタッフとも、坦々と仕事をこなしているな、というのが僕の印象だった。しかし、よくよく眺めていると、あきたさんが走り回る景色をよく目にした。一人一人のスタッフが、同じ様に仕事が出来るとは僕も思わないが、その活動力の差がありありと見えたことに、僕はあきたさんの手創り市へのコミットの深さ、行動力を見た気がした。
いよいよ市が始まり、作家さんがお客さんに掛ける声がちらほらと聞こえ始めた。まだ準備に取りかかっている作家さんも多く見かけた。
この日は、とある大学から、卒業論文を「手づくり市」にまつわることに選んだ学生の飯田さんが、一日取材を兼ね、スタッフとして加わっていた。卒論のテーマを掘り下げる為に、スタッフとして実際に手創り市を体験しようという飯田さんにも好感が持てたし、それを受ける手創り市側にも、僕は好感を抱いた。
そんな飯田さんに、手創り市の感想、感触を聞いた。
「普段誰もいない神社にこれだけ人が集ること、それがすごいなと思って。スーパーで買い物するのとは訳が違うじゃないですか? それが逆に新鮮で。私は社会学をやってるのですけど、手創り市にまつわる意識が、社会学と関係あるなと思って。消費の意識もあるし、人が来る事で街が活性化するっていう効果もあるのかなっていう」
雑司ヶ谷の手創り市を、お祭りに例えて語る人の声を、今迄多く聞いていた。祭のような賑わい。確かに、手創り市には、普段の鬼子母神、大鳥神社が見せない賑わいを産み出す力があった。その力は、市に集る人々が織り成すものだ。
その賑わいを産み出す重要な役目を果すのは、手創り市に人を惹き付ける作家さんたちだ。
次に僕は、植物を素材にして日常の小物や、仮面などを創作する作家さん、「道草庵」さんに話を聞いた。
「材料が買った製品だと限りがある。人間の考えることには限りがあるから、材料にも限りがある。だけど、自然界には限りがない。自然は考えてないですらね。自分の家の庭さえ、見た事もなかった植物を未だに発見できる」
自然は考えない。故に限りがない。それは今迄の誰の口からも耳にしたことがない考えだった。目の前で植物の縄を綯いながら話を続ける、「道草庵」さんの独特の語りに、僕はどんどん引き込まれていった。
「この市のお客さんは、長く話していく人が多いですね。その中でもショックだったのが、戦争中に大人だった年代の方が、私がこうして縄を綯っていると怒るんですね。それで食べていけなかった人たちなんだと思います。縄綯い一つ取ってみても勉強になりますね。一方若い人たちは、植物、自然素材を、新しい選択肢のひとつだと見てくれてる方が多いですね」
縄を綯いながら坦々と話し続ける道草庵さんに、僕は、何故、この手創り市を選んで出店しているのかを聞いた。
「ブログを見ていても、なんかやろうとしている、その姿勢が伺える。お客さんも、厳しい目で求めてる。この市には根強いファンが居る。そこから更に繋がっていける」
「道草庵」さんを後にし、僕は更に賑わいを増す手創り市に訪れた、二人連れのお客さんに話を聞いた。
「はじめて来ました。本当に楽しかった。それぞれの作品に皆さんの想いが出ている。若い方が頑張っているのはすごく嬉しいしこれからも楽しみながら、応援する気持ちで拝見しました」
「二年来ています。どのお店の人も見ていて説明くださって、違うセンスの人、この人は買わないだろうな、という人にも説明くださったり、申し訳ないぐらい丁寧に説明して貰える。そんなコミュニケーションが本当に楽しい。道端のでこぼこに気をつけてくださいね、と言われながら歩いたり。場所も良いですね。今の感じがいい。更に人が増えると少し寂しい」
このお二方の女性は、本当に嬉しそうにそう語ってくれた。少し照れ臭いが、まるで自分が褒められているかのように、その時上気したのを鮮明に覚えている。
更に他の二人連れにも、手創り市の印象を聞いた。
「十回くらい来ています。個人的に手芸と絵をやっているのですが、作家さんの一貫性、個性が刺激になり、勉強にもなる」
「今の空気感を保って欲しい。居心地いい空間をそのままで」
と、またしても手創り市に好感を抱く話を聞く事が出来た。
僕は、手創り市の企画で、作家さんのアトリエを訪れる、「アトリエ訪問」の時、作家さんから直接的な刺激を受けることが、毎回の楽しみだ。だから、手創り市に出店する作家さんから刺激を受けるという話もすごく頷けたし、そんなコミュニケーションが容易に交わせるこの市に、改めて好感を抱いた。
次に訪れたのは、大鳥神社で出店している「HOME」さん。「場所によっての季節の変化が好き」と語る彼女の前には、五種類のパウンドケーキが並べられていた。そんな彼女に、手創り市の気になる点、問題点を聞いた。
「他の食品が多くてもいいのかな? 焼き菓子になるから差はつけられないと思うんですけど」と「HOME」さんは語ってくれた。
正午過ぎ。人の賑わいは更に高まり続ける。
次に僕は、「前田美絵」さんという陶器の作家さんに話を聞いた。
「手創り市に出始めて二年。手創り市に出るのが大事だなと思います。作品の反応が直で得られるのが大きい。お店に委託していると、どんな人が買ってくれるかはわからないし。手創り市は、静岡の手創り市もそうだし、ホームページの特集が新しく産み出され続ける姿勢もそう、そういう意識を持った市に出れるのは嬉しですね」
前田さんの話にも出たが、手創り市は常に変わり続けようとする意識が高い市であると、僕も感じている。今回僕が担当するこの「手創り市のルポ」もその一環だ。僕は、お客さんや作家さん、スタッフに取材することによって、僕の拾い集めた声が、手創り市にとってなんらかの化学反応を誘発すれば幸いであると思っている。もちろん、そんなに簡単に物ごとは変わるとは思わない。しかし、そのきっかけとなる火種は用意できるのではないか? と。
次に紹介するマルブンさんは、洋服や布小物の作家さんで、手創り市の初期から出店してくれている作家さんでもある。そんなマルブンさんから、手創り市や、このシーンの問題点、個人的にひっかかる点を聞く事が出来た。
「手創り市が寒い時期からの仲間と、ホントに人増えたね、増えちゃったね、と話すことが多いです。増えるのはいいことでもあるのだけれど、はじめからここは手づくりのものを売っている、という点で、つくり手としては生温い環境。手づくりだから、ちょっと歪んでても味があるよねって言葉になったりとか、値段はつくり手からのいい値だったりする訳で。都内でも「手づくり市」が増えたけど、ブームが終わってしまうのが怖い。場があることは嬉しい。しかし、あり過ぎる感がある。つくり手だけが増えていくのでは? と思ってしまう。分母が多くなればランクアップするかと言ったら、必ずそうではなく、かといって同じメンバーだとなぁなぁになっていく気がします」
正直な話、僕はマルブンさんのいうクラフトブームのことをあまり気に掛けていなかった。更に正直な話をすると、もともと僕には物に対する執着がものすごく少ない。そして、買い物も殆どといっていい程、最小限に留めている。そんな僕が変わるきっかけになったのは、手創り市の「アトリエ訪問」のライターを引き受け、作家さんの熱に直に触れ、手づくりのものや、「もの」自体を見直すきっかけがあったからだった。
そのような背景もあって、僕は、クラフトブームから遠いところにいる、が、しかし、手創り市というひとつの市からは近い場所にいるライターなのだ。そして、僕の今の実感としては、クラフトブームと呼ばれるものは確かにあるのかも知れないと思う。いや、確かにあるのだろう。しかし、手創り市が有機的に変わり続けようとするなら、そんなブームとは違う流れに、留まり続けることが出来るとも、僕は考えている。
次にお話を聞いたのは、248(nishiya)さんという、織物の作家さんだ。
「正しいか悪いかはわからないですけど、一番最初に出た時、選考が始まる前で、出てる方々、良い意味でも悪い意味でも楽しんでやってる、自分たちさえ楽しければいいや的なスタンスの方がいたのでは? と感じました。もちろんそれは、私が勝手に思っていただけだし、各個人の自由なんで。でも私たちも、自分たちが楽しむことは前提なんですけど、お客さんに楽しんで欲しいというのが一番にある。見せ方も時間帯によって変えたり、何回もものを置き換えたりして。そこから、選考制度が始まって、二回三回と出させて頂き、生業としてやっていきたい、真剣に工夫して見せ方をやっているという作家さんが増えたように感じた。それは良い変化だと思う。もちろん、ただ自分たちが楽しいからやるというスタンスもあってもいいとも思うけど」
そんな選考制度が導入された後、何度か選考にかからず、今年の七月に初めて手創り市に出店した作家さんに話を聞いた。布小物を主に制作する「プリエール ドゥ アッシュ」さんだ。
「女性って年齢に問わず、可愛らしい物が大好きなので、可愛らしいものを見ると、自然と顔がほころぶ。そんな笑顔が見られるようにと、ひと針、ひと針想いを込めてつくっています。七月、選考が通って、手創り市に出るという夢が叶った。手創り市のお客様は、手づくりのものを求めるお客様。そこがすごくいいと思います」
手創り市に出ることを「夢」という言葉で表現した「プリエール ドゥ アッシュ」さんの目の輝きは強く僕の印象に残った。
アッシュさんの店を後にし、一人のお客さんに声を掛けた。はじめて手創り市に来たと言う男性だ。
「ここに来た理由? チラシが決定打でした。デザインがいい。そこから広がる世界が見えて、来てみたらまさしくそうだったし、想像以上というか、大満足です。立ち止まった所に関しては、ほぼ対話しています。挨拶から自然に会話が広がる。ちょっとの会話でも、つくり手さんの思いやりがすごく見えて来て、少ない時間ながらも愛着が生まれます。色んなものに目移りしちゃうけど買ってしまう。ただ残念な点を敢えてひとつ上げるなら、ここに来る前に、母親にチラシを見せたけど、読み辛いと言っていた。色んな年齢層に、親切じゃないな? と思った。年齢層が偏ってる催しものであればあれでいいのだけど。そこを意識したチラシづくりが出来ると、もうちょっと変わるのかもしれないなと」
これには僕も同感だった。正確に僕は、手創り市のチラシがどこに置かれているのかをすべて把握している訳ではないが、このチラシの多くの情報は、作家さんのための決めごとが主なので、作家さん向けではない、来場者向けの、もっと軽いテイストのチラシをつくり、それを街の商店街にある、魚屋さんや、八百屋さん、豆腐屋さんなどで、年配の方が手に取ってみたら……。なんて、一人想像してしまう。これは一個人の発想でしかないけれど。
次に話を聞いたのは、「2020製陶所」さんという陶器の作家さんだ。
「手創り市に出る様になって、自分は変ったし成長したと思います。手創り市で、お客さんと直接コミュニケーションを取ることによって、お客さんの求めているものがわかって来る。例えば、この器の縁の色が、こんな色だったら?   
とか、この形の器でもうひと回り小さいサイズがあったら? など、お客さんに声に合わせて、色やサイズを作り直すこともたびたびです。今の手創り市の印象? これは偉そうに聞こえてしまうかもしれませんけど、僕が成長したように、手創り市も成長していると思います。以前とは、人の数が違う。出店者のレベルも上がってる気がします」
お客さんと直接対話し、そこからヒントを得て、作品に変化を与える。これは、市ならではのコミュニケーションから生まれる良質なポイントだと、僕も思う。
それは、僕自身にしてもそうだ。手創り市の仕事を通じて、より読者を念頭に置いて文章を書くようになったし、より開かれた文章が、前よりも少し書けるようになっていったから。
市は夕方に差し掛かったが、まだ人の波はそれほど衰えない。鬼子母神には、太鼓の音が響き、やがてお経の声が聞こえる。
そんな中、僕は再びお客さんに話を聞いた。
「面白い物がないかな? と思ってここに来る。同じような系統じゃなくてね。主催者側の方も同じような系統のものは少しずつ整理して、常に新しく新しくということをやっているのかなと思うね。ここは変な物、アーティステックなものでも売れる。それは手創り市のブランド力だと思う。手づくり作品は、自己満足ではなく、お客さんの生活にとけ込んで、はじめて成立する訳だから、使い勝手も大切。生活の中に新しい風が吹く様に、アートが生活に入り込んでいるのがいいね。お互いが活性化されていく。良い文化」
僕はその話を聞いて、ある作家さんから頂いた器のことを思った。それは、静岡の手創り市にも出ている作家さんで、最近、ひょんないきさつから付き合いがはじまり、その際、彼がつくった湯飲みを僕にプレゼントしてくれたのだった。
その湯飲みは、確実に、僕の生活に新しい風を吹き込んだ。僕は、あらゆる飲み物を飲む時、その器を使う事にしている。それほど、手に馴染むし、有機的な色気がその湯飲みにはあった。そんな一品が生活の色を変えてくれた。
それを実感していた後だっただけに、このお客さんの言葉は、強く印象に残った。
インタビューのラストは、「橘家具製作所」さんだ。
「手創り市に出始めて今度の十二月で丸二年。出る前に、手創り市に対するイメージは全然なかった。出店する一月前に、初めて手創り市に行った。作家さんが自分の作品をどういう風に並べているのか? 果たして、自分の作品は売れるのだろうか? などを思いながら市を見た。そして手創り市当日、僕の作品を買ってくれた方がいたので嬉しかった。手創り市の変化? 一年前位からお客さんの数が格段に増えた。それは、メディアに取り上げられたからなのかなとは思うんですけど……。それが一つと、仕掛けるという部分に関しては、常に色々と考えているのだなと、常に同じではなく、これでいいというスタンスではない」
こうして僕の第一回目の取材は終わった。はじめてのルポということもあり、一日の流れを添う形で記事にまとめた。長い一日である。一日中、手創り市にいたのは、初めてのことだった。身体に手創り市が染み付いたような、僕自身が手創り市の一部になったかのような感覚が強く残った。
今月から始まった「手創り市のルポ」。手創り市が常に、積極的に良いものになろうと変り続けるように、僕のこのルポも、時を経るごとにに、よりよいものに変化していけたらと強く思うのです。最後に、取材に協力してくれた皆様、そして手創り市という肉体を成す、この日手創り市にいたすべての方々に感謝します。

うえおかゆうじ
・・・・・

ご覧いただきありがとうございました。
まだはじまったばかりの「手創り市のルポ」は毎月変化を見せつつも、実直に会場での取材をしてゆきますので是非ともご協力ください。
それでは次回は10月2日、どうぞ宜しくお願いいたします。

※感想などは下記mailまでお気軽にどうぞ。

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飯田周さんより

先日開催された9月手創り市では、とある大学の学生さんである飯田周(あまね)さんが手創り市へのインタビューを兼ねて、スタッフとして一日参加していました。
その時に感じたことをメッセージとして頂きましたのでご紹介いたします。

・・・・・
2011年9月18日 手創り市 インタビューとスタッフ参加の感想
飯田周(いいだあまね)

卒業論文執筆のために、この夏休みの2か月間はいくつかの手づくり市を回り、主催者の方にインタビューをしたり、作家さんとお話しさせていただいてきました。そして、この雑司が谷手創り市でのスタッフ参加とインタビューが、卒論のデータとして用いる調査の中では最後に行ったものでした(今後もまだまだ訪れたことのない手づくり市に足を運びたいとは思っていますが)。
しかし最後の調査とは言っても、手創り市当日に鬼子母神に向かう時はとても緊張していました。というのも、雑司が谷手創り市は、そもそも卒論のテーマ設定のきっかけを私に与えてくれた市であるということ、また東京都内の数多くの手づくり市の草分け的存在であるということが頭の中にあり、スタッフ参加およびインタビューを通していろいろと感じ取りたい、知りたいという思いが強かったからだと思います。

実際にスタッフとして一日の流れを体験してみて、手創り市自体が「手づくり」のものであることを実感しました。普段は何もない閑静な鬼子母神ですが、スタッフや作家さんが早朝から集まって来て、除々に市の空間や雰囲気が「つくられていく」のだなと思いました。特に、作家さん一人一人が什器や自身の作品を使ってブースを思い思いに準備している様子を影から拝見させていただいて、そこに「こだわり」を感じました。また、一人一人の「こだわり」ブースの集まりであるにも関わらず、出来上がった手創り市全体の空間は統一感があり、それは恐らくスタッフの方々が、全体の出展者のブース配置や境内の使い方を「つくっている」結果なのだと思います。

さらに、代表の名倉さんにはインタビューにご協力いただき、市を始めた動機、開催に至るまでの経緯、現状、今後の展望などについてお話を伺いました。一番強く印象に残っているのは、「常に、しかし徐々に、手創り市をより良いものに変えていきたい」という意思を語っていただいたことです。私自身、日本全国で手づくり市が増えてきて、何かブームのようなものなのだろうという思いもあって、ある程度手づくり市のあるべき姿というのを勝手に想定して決めつけていた部分がありました。もちろん手づくり品を見せて売る市という形態である以上、どの市も似たような特徴を持つようになることは避けられないと思います。しかし、今ある手創り市の姿を絶対とは思わず、変化を前提としているという名倉さんのお話を聞いて、「そうだよな。手づくり市がこうあるべきだという決まりはどこにもないし、作家さんや来場者の意向や主催者の目的に合わせて変わっていかなければ、本当に単なるブームで終わってしまう」と改めて気づきました。私自身、卒論の中では、今後手づくり市がどうなっていくかも考えていきたいと考えていたため、この気づきは意味のあるものだったと思います。ただ、数多くあるすべて手づくり市が変わろうとする意志を持つ必要もないとも感じました。主催者の手づくり市開催への動機や思いには、それこそ「絶対」はなく、変化の必要性や変化の方向性というのも市ごとに違うと思うためです。それぞれの市の主催者が、その市に集まる出展者、来場者とともに、思い思いのスタイルを見出していくことができるというのが手づくり市ということでしょうか…。

スタッフとして参加した感想と、名倉さんへのインタビューから考えたことを簡単に書かせていただきましたが、今後卒論を執筆しながら手づくり市の社会での位置づけや自分なりの考え方を示していければと思っています。
今回、雑司が谷手創り市のスタッフの方々、インタビューに協力してくださったり作品を見せてくださった作家さんにはとても感謝しています。厳しい残暑の中での開催でしたが、境内に溢れるたくさんのお客さんが来ていることに圧倒され、手創り市に少しでも関われたことが素直に楽しかったです。本当にありがとうございました。

・・・・・

今回の飯田さんのような方が今後も時々いたら面白いだろうな、と思ってます。
毎月一回?半年に一回?の手創り市新聞みたいなもの・・・
自分たちで作らないにしてもいつかそうした機会を持てたらいいなあと今回の飯田さんと過ごした時間でそう思いました。

10月2日手創り市の参加者発表は明日(9月26日)を予定しております。
どうぞ宜しくお願いいたします。

名倉
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たち吞み屋夕顔@事務局=rojicafe ato

台風一過の東京地方。ものすごい雨風が過ぎまして、ほっと一息。
22日23日と事務局=rojicafe atoにて五味五感でお世話になった夕顔さんによる「たち吞み屋夕顔」が催されるようですのでご紹介いたします。下記夕顔さんのHPより転載。


今年二月に行った、「たち呑み屋 夕顔」がひと月に一度、
rojicafe atoにて開店の運びとなりました!

お魚のおつまみや、季節野菜のお惣菜、〆のごはんもの、個性ある純米酒、
果実酒、おビールとご用意いたします。
(ノンアルコールもすこし揃えます)

小さな店内ではありますが、粋にぐいっと愉しんで頂けましたら幸いです。

お惣菜 ひと品 300円から
お酒各種 500円から

「日時と場所」
9月22(木)23(金・祝)
10月21(金)22(土)
(11月以降の日取りは追っておしらせ致します)
各日17:00 - 22:00(L.O 21:30)

rojicafe ato
東京都板橋区弥生町68−1
03(3956)2254

※地図・クリックでおおきくなります
・・・
たち呑み屋、わたし自身もたのしみなのです。
賑やかで、お気軽、まちに馴染む昔ながらの定食屋さんのようでありたい。

定食屋、たまにふらりと 一人でゆくのですが、妙にほっとするのは何故でしょう。
相席なんのその!
仕事帰りのおじさま方、昼間から酒を呑んでいそうなおじいさま方にまじって
テーブルを囲みます。

本を読むふりをしながら、矢継ぎ早にくる 注文を全部覚えてみたり、定食屋の
おばちゃんとお客さんの会話を盗み聞いたり、、
(ほのぼのした掛け合いで それはもう面白い)
と、書いていたら また行きたくなってしまいました。

ひと月に一度、rojicafe atoにてみなさまのお越しをおまち致しております。
お気軽にどうぞ!

○二月の「たち呑み屋 夕顔」の様子はこちら

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名倉
info@tezukuriichi.com 
https://twitter.com/#!/kishimojinotori





9月19日、ほっとひといき


事務局に転がっていたドライの花。花は生の状態からドライになると新たに生まれ変わる。

昨日の手創り市はみちくさ市さんも同時開催であったからか、終日人の出も多く、なかなか良い一日だった。そして、終日残暑厳しい中での参加して下さった出展者の皆様に感謝、おつかれさまでした。

先日よりお知らせしていた「手創り市のルポ」も今月から始まり、担当のうえおかさんは一日中会場内、そして鬼子母神と大鳥神社の両会場を行ったり来たりしていた。
ルポに関しては丸投げとはいかないまでにも基本はお任せで、話を聞かせて頂く作家さんの選定についてもお任せ。ただ、彼はほんとまじめなので(時に過ぎる位に・・・)、あんまり最初から飛ばしすぎないようにね、とだけ伝えてあった。
こちらの僅かばかりの心配をよそに、彼は最初からあきらかに飛ばしているようであったし、目が輝いていたし、わかりやすくいえばノリノリであった。こうなると外野がなにを言ったところで駄目である。
アドレナリンという目には見えない体内の活性化によってルポのマシーンとし化したうおえかさんは、私たちスタッフと何度もすれ違いながら時に目もくれず、時にやあ〜なんて軽く手をあげながら満面の笑顔をまきちらしフル回転。ほうっておくのが最良である。
開催終了後に話を聞いてみると、初回から充実しまくっていたようだし、指針にあるような手創り市を良しとしない人の設定はないかもしれないとも言っていた。とはいえ、これからルポの取材のテープ起こしを冷静になった始めた時こそ違った景色がやってくるだろうし、その時にようやくうえおかさんによる「手創り市のルポ」がはじまるのだと思っている。
ルポの取材に協力して下さった出展者の皆さま、来場者の皆さま、ありがとうございました。
はじまったばかりの「手創り市のルポ」はこれから酸いも甘いも善し悪しまとめて波風を自作してゆくことになりますので是非ともご協力下さい。

来月10月の手創り市は第1日曜日の10月2日です。
開催日程がイレギュラーな形となりますがご注意ください。
出展申し込みは9月21日消印郵送分までとなります。

名倉
info@tezukuriichi.com 
https://twitter.com/#!/kishimojinotori





本日開催手創り市(9月18日)

 本日手創り市は開催いたします。
鬼子母神・大鳥神社と同時開催となりますので宜しくお願い致します。

本日も蒸し暑そうです。暑さ対策は万全に。
出展者の皆さまは水分補給はこまめにおこなってくださいね。

皆さまのご来場をお待ちしております!

【9月手創り市出展者のお知らせ】

<鬼子母神会場よりお知らせ>clicks!!

「出展者の方へ」
ご出展の際にはご自身の連絡先がわかる名刺やショップカードなどをご用意ください。

「ご来場者の方へお願い」
最近会場周辺に自転車の駐輪が目立ちます。
会場周辺は近隣住民の方の生活道路となっておりますので会場内および周辺への駐輪はご遠慮ください。自転車でお越しの際にはJRまたは地下鉄に隣接する駐輪場をご利用くださいますようお願い申し上げます。 

手創り市
info@tezukuriichi.com




明日は手創り市

明日9月18日は手創り市開催日。
先月の中止のうっ憤を晴らすべく、そして連休二日目を思う存分楽しむために。
皆さまのお越しをお待ちしております!

そして今日はこれから静岡へ日帰り、とんぼ帰り。
とある廃校での、とある企画の為の撮影。
どんなことになるのやら・・・いざ静岡へ。

それではまた。

※本日終日事務局不在です。ご了承ください。

名倉
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ANDADURA・アトリエ訪問後記 

ANDADURA山本さんのアトリエ訪問後記が担当のうえおかさんより届きましたのでご紹介。
今回の後記だけでなく、基本的に私は人が書く文章についてはお任せでいる。というかなるべくそうしようと思っている。それは、自分がこんな風に書いてください、と言われても書けないから。
今回のアトリエ訪問後記ではそこを見事につかれた気がする。
そして先に言ってしまうが、前半部分は削除願おうと思った。けれども、前半部分がないと後半が完結しないような記事。見事にやられた感がある。自分じゃ絶対こんな事書かないし、内輪すぎる話はダメだろと思うけれど、うえおかさんへの厳重注意+一度きりって事でご紹介いたします。
穴があったらはいりたい・・・



アトリエ訪問後記
うえおかゆうじ

名倉くんのブラックジャックは、みんなの心を裸にする。
益子のANDADURA・山本さん宅に、アトリエ訪問と称してお邪魔し、夜中に差し掛かった頃、名倉くん恒例のトランプ大会「ブラックジャック」が開催された。(名倉くんと行く旅は、名倉くんの「ブラックジャック」と、僕の質問ゲーム(質問を場のひとりが考え、それをみんなで答える、というターンを延々回していく思考のゲーム)の二つの地獄がセットになることがある)
名倉くんのブラックジャックは、場にいるみんながカードを五枚まで、好きな枚数引いていって、その合計数が21から一番遠い人が負けというものだ。(五枚とって21以内の人はアガリ、名倉補足)
そして一番負けた人は、一口おちょこサイズのお酒を、動画の早送り感覚で飲み干すというもの。
今回、悪ふざけに拍車がかかったみんなは、そのお酒(ビール)に、アンチョビ、焼き肉のたれ、ゆずポン、胡椒、プチトマトなどを、カクテルの材料に用いるという展開に―自ら進んで地獄落ちる様に―持ち込んでいった。(もちろん一滴も無駄にはしない)
みんな、「うわー!やだよ、そんなの飲めないよー!」というカクテルがつくられる程に燃えるし(注・みんながみんなマゾという訳ではない)、負けたら負けたでその美味しいカクテルが飲める。そして負けた人が、新しいカクテルをつくるチャンスが与えられるというものなのだ。
その晩、数々の益子カクテル(と書くと、益子に住んでる方に失礼かもしれないが、ここはあえて)一番、胃の中に取り込んでみせたのは、僕だった。
僕がトイレに立つ。トイレから帰ってくると、当たり前のようにトランプが一枚僕の足元に落ちている。いつものように名倉くんが、僕をハメにかかったのだ。僕はそのトランプをこっそり隣のマメちゃんの方に移動させる。そして、ゲーム進行数ターン後、「この中に、ズルしてまで勝ちたいと思ってる奴がいる!」と名倉くんが、唐突に演説を始め、「うえおかさん、女の子にズルしたカードをなすりつけるなんて、男のすることか?!」という展開に持ち込み、みんなが洗脳された群衆のごとく、「そうだ!そうだ!」と場を盛り上げ、しまいに僕が、早送りで益子カクテルを飲むはめになる。毎度のお約束だ。
そんなショーがあると、場のみんなも更に盛り上がり、ワッショイ!ワッショイ!ラッセ、ラッセ、ラッセラー!カクテルの調合も更にゴージャスになっていく。みんなが心からはしゃぎ、子供に返っているのがありありとわかる時間。
そんなバカ騒ぎをしたのが良かったのか、翌日のアトリエ訪問インタビューに参加したみんなは、文字通り自らの心を裸にし、真摯に、様々なことを素直に語り合えた、というのは誇張した前フリでしたが、実際みんな、心をありのまま語ったと思う。
今回は、震災二日前に益子の工房を完成させた山本さんが、震災を経験し、益子を一度離れ、そして再び益子に戻り、足元を見直すような創作活動に入り、「Re –Birth-Day」というタイトルの個展を開き、そして今、何を感じ、何を考えているか、という話を軸にしたインタビューとなった。
そして、話の「重さ」は避けられないなと、インタビュー前に、個人的に思っていたし、それは覚悟で臨んだインタビューだったが、いざ、山本さんにお話を伺ってみると、その「重さ」は、普段僕が感じるような感触の「重さ」とは違っていた。
それについて少し語りたいと思う。
インタビュー記事にも書いたが、山本さんは自身が名付けた「図書館時代(図書館にだけ通い詰めていた時期)」に、イタロ・カルヴィーノという文学者の、文学講座的な本を手にする。そしてそこに書かれていた、「私がしてきたことの多くの場合、重さからの離脱であった」という言葉に、共感を得る。
山本さんは言う。
「そうですね。僕はホントに「軽さ」ですね。ホントに重たくなりたくないっていうのがありますね。ほっとけばどんどん色んな物溜まって来て、どんどん重たくなるじゃないですか? ほっといても。いかに軽く出来るか? 軽さ論は、バランス論的な感じですね」と。
そんな山本さん語り口には、いつも、重い話の重量も、しなやかに軽減させる何かがあった。それは、思考の速度、正確さ、客観性、そしてユーモアセンスからくるものだろうと僕は感じた。彼の回転の速さ、そしてひとつの物ごとを多角的に捉える姿勢には、僕自身、すごく感銘を受けた。
その知的さが、「重い」物ごとの重量を軽減させるかのように語る、あくまでフラットにこちらに響かせる秘密のようなものかと、僕自身勝手ながら考えた。しかし、それは物の一面でしかないことに、今回、インタビュー記事のテープを起こしてみて、気付いた。
もちろん震災の話を「重い」「軽い」という安易な言葉で片付ける気はさらさらない。いや、震災の話は「重い」「軽い」というそんな括りの言葉では括れない、と僕は今回のインタビュ−を通じ、テープを起こしてみて、改めて思ったのです。
「重い」「軽い」ではない。そこにある真剣さ、その真剣さが持つ、人としての、心の伝達性。自分の、相手の心を強く打たずにはいられない伝わり方とでも言おうか、それが今回のインタビューには多く含まれていたと思う。
それは、山本さんや名倉くん、ユキくんが持つ、生きる事に対する向き合い方から来ていると思う。
真剣に、生きる事や震災に向き合う彼らだからこそ、そこに「重さ」や「軽さ」という言葉では括れない、言葉の質感があった。
それは生きることを望む熱でもあり、真摯に、死を受け入れている命に対する当たり前の覚悟(これはすごく大袈裟に聞こえてしまうと思うけど)の様なものでもあり、それら、生きる事に向き合う真剣さ、まともさが、つくり出す質感であると僕は感じた。
それが、今回の記事で言葉に、活字になっている、と僕は思う。それが今回のインタビューで僕が欲した「今」の感覚だったのではないか?と。そのことがとても価値あることだと、自画自賛的になってしまうが、そう思うのです。
インタビュー記事で活字にもなっていましたが、僕は、今回インタビューに参加したみんなよりも全然、生きる事に真剣に向き合っていないなと感じている節があった。しかしこのインタビューはそんな自分を変えるきっかけになり得ると、僕自身肌で感じ、今に至っています。
アトリエ訪問のライターに加え、今月から、雑司ヶ谷の手創り市のルポもはじめます。そこで出会う、様々な人の人生の欠片、といっては大袈裟かもしれないけど、その時間という欠片を丁寧に拾い集めながら、ルポを完成させたいと思います。
アトリエ訪問しかり、手創り市のルポしかり、人の話を伺えるということの貴重さ、贅沢さを感じつつ、やっていけたらと思います。
・・・・・

ご覧いただき有難うございます。
アトリエ訪問後記担当のうえおかさんには今月の手創り市より会場ルポをお願いしております。
出展者の皆さま、ご来場者の皆さま、是非ともご協力ください。

長々とお付き合い頂き有難うございました。

名倉
info@tezukuriichi.com 
https://twitter.com/#!/kishimojinotori









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