8月27日

うちの実家の裏の三浦さんとこからもらってきたひょうたん。三浦さんは私が子供頃からざんばらカットのおじいさんで、戦争の話をよく聞かせてくれました。今も元気で面白いです。

昨日はスタッフたちと共に秩父にあるツグミ工芸舎さんのお店、ひぐらしストアに行って来た。
詳細は&SCENE手創り市のブログをご覧頂くとして、作家さんがお店をはじめ、そこに仲間のつくり手たちの作品があることに希望を感じた。
希望と云うと何処かに希望の反対の絶望があるようだがそんなことではなく、ものを作って並べて話し売り買いがある手創り市のような場所に参加することで、つくり手同士の出会いがある。
当たり前のことと思えばそれまでだけれども、ものづくりをしながらお店を運営してゆくことを選んだ作家さんがあらわれ、その様子を見た時に「これは絶対に今後こうした形が増えてゆくだろうな」と思わせるものを感じた。
そう感じた理由を掘り下げるにはまだまだ時間も他のケースも知らないとならないが、それを楽しみに変えてゆきたいと思う。

つくり手から受けた刺激は、一日経った今だからこそふつふつと沸くものがある。

名倉




手創り市のルポ、最終回


手創り市のルポ 2012年8月19日開催



一年の約束で始めたこのルポも今回で最終回。

最後のルポを行ったこの日は、雑司ヶ谷スタッフのお手伝いも兼ね、朝の早い段階から手創り市にいました。

そういえば、第一回目のルポの時も同様に、朝一で会場入りしたのを覚えています。あの朝はこれから一体何が始まるのか、自分自身何をどんな風に始めるのか? そのイメージもままならないままのスタートでした。

一番初めにインタビューしたのはスタッフの秋田さん。話の途中で数回、どぎついクエスチョンマークを眼差しごと投げられた事を今も覚えています(笑)。

一年経った今、ルポに対し、すごく大まかな型の様な物を自分なりにつくりましたが、それでも毎回、その時その時対応しながらのルポであった様に思います。


作家さん達がブースを形づくるのを横目に見ながら、会場内をくまなく歩きました。GRさんが初めに声を掛けてくれて、「今日で最後のルポですね。楽しく読ませて頂いてました」とお言葉を頂きました。小さな本工房さんからは、これを機に「アトリエ訪問」や「手創り市のルポ」を本として形に残しましょうという、御好意まで頂きました。他、インタビューに協力してくれた作家さん達からも「お疲れ様」の声をたくさん掛けて頂きました。

雑司ヶ谷のスタッフからは、「さようなら」とわざと鼻で笑う様な挨拶を貰い(笑)、最後のルポが始まりました。



この日最初にインタビューしたのは、布物の作品や植物の作品を出展している作家さん、いわもとまきこさんです。


いわもとさんのブース・空間には特徴があると思います。隙間の配置の仕方とか。それはどのように意識されてますか?


「毎回テーマが決まってたりするので、それに合わせて「置く」。この狭いスペースの中で出したい物全部持って来ると、すごくごちゃってなっちゃうんですよね。このスペースの中でいかに自分が置きたい物を置くかという事と、置いてると、「これが余分だな」って作業が、狭ければ狭い程出来るので、良い勉強になります」


毎回テーマがあると言いましたが、今日のテーマは?


「今日は「雑巾」ですね。最後のルポなのにごめんなさい(笑)手創り市に出始めた時って雑巾を良くつくってたんですよ。こういうハギレを合わせて。それを今回やりたくて持ってきたんですけど」


すごくかわいくて、これ雑巾として使っていいのか?って位センスのある雑巾ですよね?(その雑巾は、主に落ち着いた三色のハギレを用い、赤い糸をミシンでパッチワークの様に縫い合わせ出来ている)


「でも、雑巾って汚れた物を拭くけれども、テーブルにいつも置くじゃないですか?キッチンに置くじゃないですか?私、目の見える範囲にあんまり汚い物があるのは好きじゃないんですよね。すっきりした物、いつも綺麗な物が置いてあったらいいと思うので、それがそういうものだったらいいなって思って。だからコースターとして使ったり、お箸置く様にして使ったりしてもいいんです。最後に雑巾として使って貰えればいいなと。花と一緒なんです。その過程がすごく好きなんですよね。色が変わっていったり、匂いが変わっていったり、その変化が自分の中でいとおしいというか、好きなんです。だから雑巾とお花は私の中で根本的に……」


同じもの?


「そうそうそうそう」


次の質問です。いわもとさんが物をつくる動機や喜びは何処にありますか?


「まず形にしたいという欲求。他は全部に言えるんですけど、みんな便利だなって思ってても、遠回りしているような気がするので、便利なものを使おうとして、本質を見失ってるというか。便利な物、便利な物と思って買うじゃないですか?便利な物って保管するのに手間が掛かったり、埃が掛かったり、そういう事があって結局使わなくなったりして、遠回りしている様に思ったんですよ。ホントは最小限の物があれば、人って手があるから生きていけるんだけど、それを、便利な物を使って、時間を短縮している様で、逆にその物に振り回される。そういう事で、自分の大切な時間を使っているんだって事を、気付かない人が多いなって。今まで生きてきた中で、ぺえぺえですけどそう思ったので、それが気付くきっかけになったらいいなと思ったのはひとつありますね」


実際今みたいな話は、手創り市でお客さんとされるんですか?それとも作品を観て貰う中で気付いて貰えばいい?


「不思議な物で、そんなに多く説明しなくてもわかってくれる人もいるんですよね?そういう人は長く観てくださるし、嬉しいなって思います。わかってくれてるって。あと、説明は深くならないようにはしてます」


それは何故ですか? 偏りが生じるからですか?


「そうですね。ぱっと観た時に感じる事って一番だと思うし、こっちが説明し過ぎてもダメだし、説明しなさ過ぎてもダメなんで、難しいですよね?言葉って」


今後手創り市にやって欲しい企画などあれば?


「先月にあった、ハギレ市のようなものをもっとやって欲しいと思います。あの空間で、やってる人を観てたんですけど、その姿がすごく良かったです。ああやって交流できるのはいい事だし、お客さんが作家さんとお話してみたいとかいう声が上がって、ああいう形で出来るのはいいと思います」


インタビューが終わるといわもとさんは、毎回出展ごとにつくっているという、名刺の四分の一サイズのカードを僕にくれました。

そこには小さなローマ字で組まれたメッセージが。

それは、言葉は人がつくり出す作品のひとつであると思う、というもの。


「うえおかさんの書くもの、ルポもそうですけど、作品ですよね?」


と言って渡してくださったその御好意とカード、大切にします。

ありがとう、いわもとさん。


言葉は作品である。


それは、このルポを通して感じた僕の感覚を、まるで代弁するみたいな言葉との出会いでした。


今でも思い出すのは、僕のインタビューの姿勢が大きく変わる転換となった、ある作家さんとの出会いです。その作家さんは、ご自身であまりしゃべるのが得意ではない、と前置きをし、それでもゆっくりと自分の言葉を懸命に探し、それを僕に伝えるという事をしてくださいました。そこで出会った作家さんの言葉に、


「あ、この言葉は、この方だけの言葉だ」


という気付きがあり、それ以降、そんな言葉により多く出会える様にと、それをインタビューの心構えとしたのです。

僕と、インタビューをする相手との間で交わされる、宙に生まれる言葉。その形のない作品を、ルポという形に落とし込む、それが僕の仕事であると。



次にお話しを聞いたのは、demimikachi(デミミカチ)さんという主にアクセサリーを出展している作家さん。


お客さんとの対話で気を使っているポイント等あれば?


「お客さんと会話を楽しむ様に。別に買って頂かなくても、お客様に興味を持って頂けるようにはしています」


素材はどの様な物を?


「使ってる素材は身近にある物とか、手に触れて自然なもの、木とか糸とか石とか、その中でも上質な物を使って。木はそこら辺にあるもの、漆でコーティングしてあげるとか、シルクの糸で巻いてあげるとか。それだけでも木がすごく生きる。アクセサリーも細かい作業なんですけど、ワイヤーひとつをどこまで細かく手を加えれば上品に見えたりとか、そういうのを追求してやってます」


簪が目を引きますが、その素材は?


「家の裏庭にある杉の木、檜、桜です」


裏庭にあるものを拾って来て?


「最初お箸で簪をやってて、でもお箸でやったら人の真似になるじゃないですか?

で、身体にやさしいものでつくりたいと思った時に、裏にあったんで、これ使えばいいじゃんって(笑)シルクの糸も手芸屋さん行けば何処ででも手に入るじゃないですか?ホントに大した素材は使ってないんですけど、それで何処まで人に興味を持って頂ける作品に出来上がるか?っていうのをすごく考えてます」


物を作る動機や喜びは何処にありますか?


「楽しいですね、すごい楽しいです!自分を表現できるもの。一つずつがあまり見ない形なんで、自分の個性が作品に出てて、それを表現できる場所だと思ってます」


身近にあるものを素材にして、それを何処まで作品として映える物に変えるか? そこに創作のポイントを置くデミミカチさん。

子供の頃、身の周りの廃品を利用して作っていた工作を僕は思い出す。

あの頃は確か、お中元のお菓子の空き箱が特別な物に思えたものだ。

同時にこうも思う。手創り市に参加する作家さん達が、いつ頃から、何故つくる事を始めたのか? に焦点を当てる取材をあまりしてこなかった事に今更に気付いたと。

僕の予想として、つくる事の原体験は多くの人が通過する事だし、その原体験が何処かで今につながっているのはやはり多くの作家さんに言える事だと思う。当たり前だけど。その原体験的記憶をどこまで自分の中に強く位置付けるかは、個人差はあれど。



午前10時、大鳥神社の受付に、いつもより多くの椅子が並べられた。

今から、10月28日に開催開始する谷中、千駄木・養源寺の手創り市「&SCENE」のスタッフ面接が行われるのだ。

僕が見た所、新しいスタッフ候補が二人、椅子に腰掛け、名倉くんと話していた。

そんな風景を横目に見ながら、すぐ隣のブースで出展している、しまこうさんという木の板に絵を焼き付ける、焼き絵の作家さんに声を掛けた。

このしまこうさんに声を掛けたのは、その木目が作り出す風景の活かし方に気を魅かれたからだ。


板にどういう風に絵を書いてるんですか?


「一枚板を色んな所から見付けて来ます。木から削ったり、父親が木工をやってまして余った木や端材でもなんでもなんですけど。木の木目を見るのが好きで、木の木目ってすべて木の種類にもよるし、部分にもよって全然違うので、それを見ながら、何かに見えるかな? という感じでそれをきっかけにして絵を考えて焼き付けていくんですが、電気の熱で焼きながら手書きでちょっとずつ一発勝負でやってます。下書きもなく」


木目がお好きだって言われたように、木目と絵の調和が良いなと思って。


「それが目的で、むしろ自分の絵よりも、木目が何かを表現してると思うんですが、それがもっと出せたらなと、自分の手によって、木の深さとかが出たらなと思って描いてます。だから色は一切使わずに、敢えて木の色と質感を大事に描いてます」


物をつくる動機や喜びは何処にありますか?


「もちろん物も大事なんですけど、物を通じてのコミュニケーション。人との出会いっていうのが大事なので。今の制作は木が主役なので、だからって木の模様は自分では選べないので、まずは木との出会いから始まるのかなと。木と出会って、つくって、そして今度お客様との出会いというので、そういう出会いを大切に」


二段階の出会いですね。


「そうです」


まで出会われたお客様とのエピソード等あれば?


「僕の作品を買って頂いて、それを胡桃油で磨かれているお客様がいて、大分経ってから持って来てくださって。で、ものすごく輝いていたんですね。その時にはもう、僕の作品じゃなくてお客様の作品になってる。僕の手から完全に離れている。その時は本当に感動しました。大事にして頂いたという出会いと共に」


最後に手創り市に対して気になる事などあれば?


「鬼子母神は各作家さんのブースの場所が決まっているのに、大鳥は決めないのは何故か? 並んだ順番もいいんですけど、場所を決めて貰ってもいいのかな?と思います」



次にお話を聞いたのはカップルのお客さんだ。


「以前来てみたら、ひとつひとつのブースのクオリティも高いし、自分の好きなテイストの作品に出会える確率も高いので、間違いない感じがしているので、いつも楽しみにしています」


どんなテイストの物がお好きなんですか?


「焼き物を買います。手が出やすい価格帯で面白いデザインの物があるなって。アクセサリーも面白い物が多いですし」


今後手創り市でやって欲しい企画等あれば?


「フィールドワークみたいな形でここ(入口)を出発点にして、会場を周って、その感想から何か作るとか」


ツアーですよね?!


「で、同時にいくつかのツアーが行われている」


それ面白いですね。


「鬼子母神から飛び出していく感じがいいですよね?」



「ツアー手創り市」。ルポ最終回にして初めて耳にするそのアイディアに期待を覚えつつ、更に違うカップルのお客さんに話しを聞いた。


「初めて来ました。楽しかった。手づくり感があって」

「マグネット屋さんと話しました。リクエストあればマグネット作って来ますけどって言って貰えて。型を作って流し込んでというつくり方の行程も教えてくれて。男性はなかなか来ないからと言って喜ばれました。男性用に今度つくっておきますって」


手創り市で今後やって欲しい企画などあれば?


「ライブが見たいですね。こういう所で簡単な手づくりのステージつくって」



次にお話を伺ったのは、206番地さんという硝子を素材にした作品を出展する作家さんだ。


206番地の屋号は何処から?


「自宅の住所が206番地、そのままです(笑)とても気に入っている場所のなので、その名前を残したくて付けました。ずっとここにはいないかもしれないなという思いを込めて。すごく気に入っているけれども、ずっとはいられないだろうから、その名前を持ってどんどん移動して行きたいという想いを込めて」


鬼子母神に出展されて、感想など?


「木が多いのでここへ来ると普段の疲れも取れて、リフレッシュされます。

すごく大きな木があるので。触れられない様な木が、ぼーんぼーんと」


お客さんとの対話で気を使っている点は?


「あまりしゃべり過ぎない。説明はその都度しますけれども、静かに観てもらうのも大事かなと」


物をつくる動機や喜びは何処にありますか?


「没頭できる。普段の事とは離れて、つくる事だけを考えられるというのが一番の利点だと思います」


素材はどうやって仕入れているのですか?


「私達は工房をレンタルしてつくっているので、色とか細かい物に関しては自分で揃えますが、大本の溶けた硝子自体は、工房からお借りして、工房のレンタル代をお支払いしてという感じでつくってます」


工房をレンタル?どういう料金体系ですか?


「時間でいくらっていうのがあって、それを一月分払います。本当は工房を持ちたいのですけど、火を一年中使うのでなかなか街中とかでは難しい思います。でもいずれは、206番地の名前を持って、どこか自分達の気に入った場所でやりたいと思っています」


206番地という名前に込めれたら想いは、物事の刹那というか、そういった物を感じさせてくれる。その刹那が今回のルポ最終回と重なる部分も何処かであるのかもしれないと、ふと思う。

僕は、今回のルポで手に入れたものを次の場所に上手くつなげる事、それを大切にしようと。


次にお話しを伺ったのは女性のお客さんだ。


「今日参加している作家さんを違うイベントで知って、彼女のブログで今日手創り市にに出る事を知って来ました。彼女の作品を観に来たら、私の欲しかった物は売り切れていて、その代わり、他の作家さんの物で掘り出し物をたくさん見付けました」


掘り出し物とは?


「陶器や硝子の物を買いました。206番地さんで買いました。知り合いの誕生日プレゼントを探していたので、すごくいい物が見付かりました」


手創り市に来てみての感想は?


「毎回違う作品が観れるのであれば。あと新作もあるでしょうし。また来たいです」


ご自身でも何かつくられていますか?


「定期的にはしていませんが、時々絵を描いているので、ここでアイディアを貰ってアレンジはしています。出品出来る程はつくってないので、あくまで自分で楽しむ程度ですが。すごくアイディアが抱負なので、それを盗みに来てる感じもあります」


どういうポイントからヒント得ていますか?


「材料を良く見ます。どういう物を使っているのかなって。形はみんなそれぞれ一緒でも素材が違うと見え方が変わって来るので、どういうポイントで材料を使っているのかなって観たりとか。あと、どういう染色しているのかわからなかったりしたものを聞いちゃったりします。何で染めてるんですか? 何処で買ったんですか? って聞くと、意外と東急ハンズで買ったとかで、じゃ後で買いに行きますとか。そういうのはありますね」


御自身の創作の種として手創り市の作家さん達から色々な物を取り入れる。特に素材の使い方に着目している辺りが印象に残りました。二つとして同じ素材がないなら、その素材を良く見詰める事に多くのバリエーション・可能性へのヒントがあるのではないでしょうか?



次は「手創り市のルポ」最後の作家さん。健康コンビです。

健康コンビとは? 手創り市のウェブマガジン「∴つづる」で以前連載を持っていた、金属を使ったカラトリーやアクセサリーの作家さんyuta・須原健夫さんの「健」と、焼き物屋の近藤康弘さんの「康」をつなげたコンビ名。連載「健康より」は、高校から付き合いのある二人が、後に物づくりの道に入り、互いに切磋琢磨しながら進んでいく様を、互いの言葉でつづった連載でした。

長い馴染みの二人がお互いを意識しながら投げ合う文章は、時に笑いあり、時にきびしさありと、二人の関係性を眺める様な、そんな生々しさを持っていました。

そんな二人に、今回、インタビューを行いました。


(yuta・須原健夫→健 近藤康弘→康)


まず、近藤さん。雑司ヶ谷手創り市に出ようと思ったきっかけは?


康「前から出たかったんですけど、什器の関係で、静岡にはお世話になってたんですけど、鬼子母神に来るには自分の什器だと大き過ぎて、今まで見送ってたんですけど、今回什器をコンパクトに作って、応募させて頂きました」


雑司ヶ谷用に作られたんですか? ARTS&CRAFT静岡とは規格が違いますよね?雑司ヶ谷で工夫した点は?


康「持ってくる物量が少ないから全ての工程が短い時間で出来るかなと思ってたんですけど、本でいう所のARTS&CRAFT静岡の方が長編小説だとしたら、雑司ヶ谷の方は短編小説みたいな感じで、無駄を削ぎ落とした様な印象を受けました。ただ単に物が少ないんじゃなくて」


物をつくる動機や喜びは何処にありますか?


康「単純に自分で原料を取ってきて、自分でこうだと思う形をつくって、それをお客さんに観て頂いて使って頂けるというのは、何物にも変えられないつくり手としての喜びかと思っています」


yutaさんはどう思われてますか?


健「元々は、自分で完結出来るのが良かったというのがあったんですよ。10年前位の事ですけど。自分で頑張ったら頑張った分だけ、結果につながっていくという。コンビでやっている物は片方が頑張ってても、片方が怠けてたら全く実にならなかったりするんで、そういうよりも一人の仕事に魅かれたというのはあったと思います。今となっては、昔々の人が、野菜や稲取って生きてたとか、狩猟して生きてたとかそういう物に近い所が僕の感覚にあるというか、物を生産してそれが食べる物と直接結び付いていく、自然な生き方というか」


動機とかではなく、ライフスタイルとしてそれがある?


健「そうですね、自然と離れた所で生きたくない、自然と近い所で生きていたいというのがあって、そうやってやってる部分も今は出て来ているのかなって。僕昔々に、証券会社のコールセンターで働いてた時があって、株価を案内したりとか、投資信託の説明をしたりとかしてた事があって、そういうのに違和感を感じつつやってたんです。そんな単純な話ではないのかもしれないですけど、お金を単純に食べ物だと考えた時に、何にも生産してない状態からお金が生まれていく、株式にしろ、投資信託にしろ、債券にしろ、そういう所に疑問を持つ所があって、複雑なシステムがあって、それはつくってるのが関係しているっていうのもあると思うんですけど、それだけじゃないでしょう? 儲ける為に。米育ててないのに米生まれて来たみたいな。でもまあ別に僕も掘っ立て小屋に住んで電気のない生活してる訳じゃないんですけど、つくって売るっていう単純な生活が自然に近いという感じがする」


近藤さんは、今の自然と近い形でっていう言葉をどう思われましたか?


康「自分の言いたい事を上手くまとめて貰えたなと。あんまり難しい言い方は苦手なんで須原の言葉を聞いて納得してます」


近藤さん、手創り市に何か望む事があれば?


康「要望があるとしたら、長い目で見た時にずっと続けて頂けたらなと思います。というのは、つくり手というのは必然的に腕も上がって来るし、作風も変わったりしていくんですけど、そういう変化をお客さんにもずっと見せて貰いたいし、見て貰いたい時にそういう場がなくなったら、寂しいかなと思うので。手創り市さんを畑とすれば、僕らは作物ですかね。立派な花咲かせますんでこれからもよろしくお願いします」


一同爆笑。


連載「健康より」の裏話があれば?


健「ちょっとやり合いみたいな時になった時に、原稿がアップされた次の日か、次の次の日位に、ちょっと心配になって電話するんです(笑)」


お互い?(笑)


健「ちょっと本気で怒ってる時、何回かありました(笑)」



yutaさんが投げて近藤さんが怒ってるって事ですか?


健「お互いありました。それ自分言う必要あったん?ってのがあって」


康「僕の方から言えるのは、最初の頃は大阪の方の友人からわざわざ電話が掛かって来て、「須原の勝ちやな」みたいな言葉が届いて。それが悔しくて悔しくて。だんだんだんだん感情が入っていきました」


最後に僕のルポの感想を聞かせてください。


健「手創り市にとって刺激なった気がします。うえおかさんがグルグルグルってかき回したみたいな。ルポが始まってから新しい事も時期的に重なってたと思うんで。すごい一石投じたというか、水面に波紋を浮き立てたというか、そういう感じがします」


康「回を重ねるごとに、うえおかさんの聞き方が上手くなっていくのを感じました」


健「いやらしくなっていった(笑)」


康「自分は口下手な方なので、自分から率先して他の作家さんに話し掛ける事もそんなに出来ないんで、他のつくり手さんがどんな事を考えてるとか、自分で直接触れ合わないお客さんがどういう事を考えてるとか、色々、多方面に渡って知る事が出来て、すごい良かったなと思います。お疲れ様でした」


健「お疲れ様でした」


ありがとうございました。


丁度一年前に「健康より」の連載を二人に依頼する為、益子の近藤さん宅にお邪魔する名倉くんに同行したのが、そもそもの二人との出会いでした。そして健康コンビとの交流が始まり、益子からの帰りの車で本格的にルポの依頼を頂き、このルポも始まり、手創り市へのコミットもより増し、あっと言う間に一年が過ぎたのです。

ルポを始めてから思ったのは、開催から次の開催迄の一ヶ月が、とても長く感じられたこと。それだけ、毎月、濃い時間を過ごしていたのだと思います。

でも一年という尺度で過去を振り返ると、ただ過ぎた時の経過に驚くばかりです。



そして、最後に話しを聞いたのは、手創り市の名倉くんです。


ルポが始まって何かが変わりましたか?


「変わりました。ルポ=うえおかさんなんで、うえおかさんていう異分子が、手創り市に入る事によって、スタッフの意識も変わってきたでしょう。作家さんの声って言うのが、直接的に貰える声もあれば間接的に貰える声もあるので、そうした両方の声の捉え方がルポ以前・以降では違うよね。ルポ開始以降は直接的も間接的にも以前より作家さんから声を貰える事になったし、僕も会場で作家さんと話すことを意識的にしてゆこうとしたところもあります。ルポの機能、ルポ=スイッチになっていたんだろうなって。ルポにゴールはなくって、続けてゆけるけれど1年の経過と共に終わる。そんなルポの一年だったかなって思います」


さらに続きます。


「ルポは一年でスパッとやめます。何故か? ルポの継続っていうのは、手創り市を開催している以上終わらない事で、その中で会場に訪れる人、作家さんのストーリーっていうのは、開催する度にその積み重ねの中でずっと続く事なので、どこかで終わりを設定するって事は僕の中ですごく大事な事。継続する事、同時に断つ事だって大切だから。いずれにしても一年という約束。例えば、二年、三年続ける事も可能なんだけど、果たしてそれに意味があるだろうか?テンションを保てるだろうか?って考えた時に色んな声があれど、一年できっかりやめる、そういう態度をはっきりしたかった。だからこそうえおかさんはそこに対して、時にしんどい思いをしながらも続けたんだろうなって。多分これが二年も三年もやっていくって前提であれば絶対だれる。なぁなぁになるかもしれないし。だからルポはもうおしまい。さようならって事で(笑)終わりです」


ありがとうございました(笑)



と、ここで名倉くんが僕のボイスレコーダーを手に取り、僕に逆インタビューを始めます。


ちょっとそれ貸してみて。

インタビュアー名倉が聞きます。ルポを一年やってみてどうでしたか?


「体力が付きました」


それはどういう?


「人間としての体力、精神力・身体力もそうですし、社会に対するタフネスさ」


今まで弱かったんだね?


「弱かったですね(笑)いや、弱いとは言いませんけど(笑)最近そういう物が欠けていたのでそれを取り戻した事はあります」


社会って言ったら大袈裟だけど、人を介して改めて、作家さんから貰える声を汲み取る事によってそこで得るものが大きかったと。


「はい。そうですね、作家さん、お客さん、スタッフさん、特に作家さんがつくり手の方なので、僕も個人的にものをつくっているので、そこで考えさせられる事が多かったのと、あと個人的なスタンスとして、自分が人が好きなんだって事を再認識させられた、というのが大きかったですね」


人のどういう側面が好きなんですか?


「人と話していて、その人なりの言葉と出会えた時に、とても喜びを感じます」


それはネガティブな事でも?


「ネガティブな事でもそうかもしれないですね。その人なりの言葉、その人の心に出会ったという事になるので、それがつながりという事や共感という感覚になると思うので、そういう事が僕は好きなんだという事が改めてわかりました」


この一年で改めてそういう事を感じ、体験出来た。


「体験できました」


はい。1年間お疲れさまでした。ありがとね。



これで8月開催、最後のルポを終わります。

この一年間ルポを通じて出会ったたくさんの作家さん、お客さん、そして雑司ヶ谷のスタッフさん、そしてこのルポを読んでくれていた皆さん、本当にありがとうございました。

正直に告白すると、GW辺りに、僕はこの雑司ヶ谷のルポが終わる事を寂しく思っていました。

勿論、一年の約束で始めた事や、これ以上ルポを続ける事による問題等を考え、ルポの延長を申し出るという選択肢はなかったのですが、長い期間、毎月雑司ヶ谷に通い、手創り市の空気の中にいて、スタッフと冗談を交わし、顔見知りになった作家さんと談話し、顔馴染みのお客さんまで出来てしまうと、もう雑司ヶ谷手創り市が身体に馴染んでしまって。

そこでふと思い付いたのは、手創り市のスタッフになる事でした。

毎月お客さんとして顔を出すなら、スタッフのみんなと共に仕事がしたい。

でも現在、スタッフの数は一杯だしなぁ。

そんな事を薄々考えていた時、名倉くんから、今年の10月から開催される「&SCENE」のスタッフにならないか?という誘いがありました。

数日、返事は待って貰いましたが、手創り市との関係を強くつなげていたいという思いと、「&SCENE」の会場がギャラリースペースや、ライブなどが出来るスペースがあるという事、新しい手創り市のスタッフとして参加させて貰う事を決めました。

ですから、ここでお別れ!という訳ではございません。

手創り市のライターの仕事も、並行して行えるものは行う予定です。

ですから書く事から離れるのではなく、書く事も含め、スタッフとしてやっていくつもりです。

今後ともどうぞよろしくお願いします。



うえおかゆうじ



追伸 

今回のラストルポで、この一年間のルポとしての総括を僕は行いませんでした。健康コンビや、名倉くんがその役目を担ってくれたというのも多少ありますが、それは理由ではなく、僕がこの一年間書き、このブログ上に収められたそのルポの中に、それは生の形で残っているからです。同時に、今ある手創り市がその総括の答えの様な物だと思うからです。

一年という時間は足早に過ぎましたが、僕は、手創り市開催の一年間(正確には11回)を形に残す事が出来ました。

インターネット・ブログ、時代の流れは速いし、僕も健忘が激しい方なので、次から次へと景色は流れていきます。

中学生の時のクラスメイトが、卒業文集でこんな事を書きました。

「忘れないで欲しいけど、そんなの絶対無理だとわかってる」。

今でもその言葉を僕は良く思い出すし、今もその女の子の事をよく覚えています。

僕のルポが何らかの形で皆さんの心に残る事を願います。<了> 



手創り市のルポへのご意見ご感想は下記mailまでお寄せ下さい。
1年間お付き合い頂き有り難う御座いました。


手創り市
名倉哲





アトリエ訪問:こばやしゆう 後記


こばやしゆう アトリエ訪問 編集後記


ゆうさんとの対話を通して気付いたことがある。

それは僕の言葉が、どこか街の匂いがするということ。

僕の言葉はどこか区画されたプールに似ていると。

ゆうさんの言葉と比較するとそれは実感としてわかるのだけど、彼女の言葉の背景には広い場所を感じさせるものが宿っていると僕は感じる。

初めてゆうさんに会ったその後、僕は海から帰って来たみたいな感覚を覚えた。そんな感覚を覚えさせるものがゆうさんの言葉には宿っていると。

片や僕の言葉といえば、東京の、府中の、北山町的なものがあるのだなと言うことに気付いた。

何かを考えること。それは思考の旅のようなものだ。ならば僕の思考は、僕という25メートルプールを懸命に往復しながら、距離を稼いでいるだけなのではないか?

例え3キロ泳いだとしても、それはやはり区画されたプールでの事なのだ、と今に思う。

僕の思考にはどこか枠があったと。


ゆうさんが言う。

ものをつくっているとパターン化して来る。例えば器なら、窪みのあるもの、真っ平らなものなど、ある程度の限定が出来ていると。でも、海に来て、一回として同じ波はないんだからと考える時に、自分の器はこうあるべきだっていう枠が外れていく。そんな風に海は枠外しの達人だと思うと。


ゆうさんとの対話は実に動的なものだった。海が、同じ波を二つと作らないように、ゆうさんは二つと同じ言葉をルーティン的に語らなかった。

言葉が生きているとか、よく言われるけど、ゆうさんの場合は、心がまず活き活きと生きているのだ。

それは『毎日ひとつ新しい事をする』とか『細胞が活性化する感覚を大切にしている』と語るゆうさんの、そんな生活の仕方が、生きた言葉を、枠を感じさせない言葉を発する源となっているからかもしれない。

そしてその対話は実に型のないものになったと思う。それが今までのアトリエ訪問とは違う点の様に感じた。ゆうさんらしいインタビュー記事になったと思う。

そんな対話を通じて、僕の枠も少し外れたかなと思う今日この頃である。


うえおかゆうじ



※こばやしゆうさんのアトリエ訪問インタビューは「こちら」をご覧下さい。



手創り市

info@tezukuriichi.com


 




第九回アトリエ訪問 こばやしゆう

第九回アトリエ訪問 こばやしゆう
 
話す人:こばやしゆう→ゆ
聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ


今回のアトリエ訪問インタビューは、アトリエ撮影後、こばやしゆうさん宅からすぐ近くに
ある松林で涼みながら行いました。
始めは何気なくも色の濃い雑談から。
そして徐々に質問の方へと入っていきます。


kobayashiyuu-3.jpg
 
 
ゆ:「朝、明るさでひゅっーて目が覚める。でも朝のうちが一番仕事出来るかな」
名:そうなんですよ。朝飯前?
ゆ:「朝飯前というか、私一日一食位しか食べないから、夕方三時過ぎになるとお腹空くかな、
  やっぱり。朝、珈琲二杯くらい飲むでしょ。レーズンを一口食べるでしょう。で、割と
  ガッーと仕事しちゃうから」
名:僕もそうですね。一食って事はないけど、くだものをひと口ふた口食べて。お昼過ぎに
  腹へってきたらちゃんと食べる。
ゆ:「そう、お腹グーって言ったら食べる感じかな、私も。誰が三回って決めたの?
  でもその時間しか食べられない人はしょうがないですね」

ゆ:「今、農業始める人達も多くて、出来たものをどういう場所でいかに売るかっていう事を
  最近二人位に聞かれた。その方はもともとデザイナーなんだけど、すごく対極な仕事
  でしょう。忙しくて、クライアントがいて、その要求に合わせて仕事をするっていう
  追われる仕事と、この自然に実るものと、自分ととっても平等な関係でいくのが農業みた
  いなんだって熱く語ってる人がいたけど、大変だよね?代々農業の人でないと大抵どこか、
  途中で辞めたくなる人達も多くないですか?」
名:兼業とか? 今のシステムになると戦後六十年とかそういう風になると思うんですけど、
  そうじゃなれけばものすごく長い時間をかけて積み重ねだから、その中で今新しく始めよ
  うと思ったら、既存のルールとかシステムは頭の片隅に置いておいて、あとは自分で流れ
  をつくり出さないとたぶん続けられない。本当に代々何百年ってやってればそうじゃない
  んでしょうけど。
ゆ:「そうですね。それで出荷するとなると自給自足の為にやるのとは、
  同じ農業かと思う位、本当に差があるものね」
名:確かに全然違うものですよね。
植:ゆうさん、送って頂いたエッセイにあったテトラポット、あそこですよね?
ゆ:「テトラが出てた? 最近は絵日記を書いてるからエッセイは書いてないけど、エッセイ
  の頃は、毎日起きてすぐ、一個ずつ書いてました」
植:エッセイだったら、書こうと思う事って、毎回どういう風に決めていっているんですか?ゆ:「事実と自分のやった事、経験。例えばまず自分のやった事を書く。朝だから昨日の事
  でもいいのだけど。そこから始めるんですよ。一番最初の一行はそれ。結局きれいな言葉
  で書くことはいくらでも出来るし、でも本当に気持ちを打つ言葉っていうのは、その人の
  言葉でしかなくて、その言葉っていうのは、自分のやって来た、やった、自信のある言葉
  でしかないでしょ?やった事だから、自信があるから、パン!と言える訳ですよね?
  それが一番なんですけど」
植:僕は以前ファンタジー小説も書いたりしていたんですけど、最近、リアルな物を書く頻度
  が増えて来ていて、自分がやった事とか、体験した事を織り交ぜる様になってから、より
  肉感が出る様になってきた様には思いますけど。
ゆ:「なるほどね」
植:書き易いし、ちょっとした事でもいいんですよね。
ゆ:「ものすごいちっちゃな事」
植:そうですね。その小さな波に面白味があるというか。それはすごく感じますね。
ゆ:「だって、普通の人達が暮らしているのって、普通なんだから、その普通の部分に共鳴
  出来なければ、なんか、この人毎日すごい事ばっかり起こってるんだなって、自然ぽく
  ないですよね?」
植:はい。
ゆ:「そのちっちゃな事。最終的には気づき。気づく事でしょう? 書くことによって気づく
  部分があって、話してても気付く部分があって、ちっちゃな気づきを独り作業をして
  書いていく。ファンタジーって難しいですよね?」
植:はい(笑)
ゆ:「いわゆる日本人が思う、ファンタスティクなファンタジー。何か夢的な、そういうもの
  じゃなくって。本当のファンタジーってむちゃくちゃ深いでしょう?下手をすると帰って
  来れなくなる位の、難しい部分ですよね?村上春樹が書いてる現実と、今は現実だけど
  実はこれこそが彼の小説だっていう、アバターじゃないけど、ジェームス・キャメロンの
  作品みたいに、現実だけれども、超リアルな部分とそうでない部分を、すごい交差させて
  るじゃないですか?そういう物はすごく大好きですよ。そんなに私は本を読んでないけれ
  ど。あれ、さっきの話題なんでしたっけ?」
名:気づき、ですね。気づきについては僕よく考えますよ。
  普段なんでもない事とか、それこそ最近の事だったら。
植:キツネ?
名:そうそう。職場の亡くなった社長の息子が夏休みでさ、毎日邪魔しに来るんですよね。
  遊びに来るんです。で、仕事しながら遊んでて、その時、子供の遊びで、手でつくる影絵
  あるじゃないですか?定番のキツネ。キツネって、影絵でやってキツネってわかり
  ますよね?それがお約束みたいなとこですけど。でも、本当のキツネの影はキツネとは
  わからないですよね?影絵のキツネはキツネとわかるのに、本物のキツネの影は影だけ
  見てもキツネとはわからない。それって何だろう?って思ってさ。
ゆ:「でもこれはキツネって決まってる訳でしょう?(右手でキツネの影絵をつくる)」
名:そうそう。でもそれもその子との些細なやり取りの中で見過ごせば見過ごすし、見付けた
  所で何がある訳でもないけれども、そういう事をふとつかめた瞬間っていいなと思うし、
  そこで何故だろう?って考えるから、それが面白いなというか。
ゆ:「特に子供はね、ちょっとしたおしゃべりって面白いかも。何の作為もなくポロっと出る
  言葉だから。考えてはいるんでしょうけどね。少ないボキャブラリの中で話しするから
  わかりやすいんだよね。大人でもホントに頭のいい人は、すごく相手をみて、その人の
  レベルに合わせてちゃんと噛み砕いて話してくれる人がいるんですけど。
  私が会った人はね、禅の人だったんですね。三年前に出会って、禅というものを改めて……  言葉は知ってても本当の事は知らないでしょう。その時に、座禅の合宿があるって言う
  から私が『やってみたい』って言ったら、『あなたは禅の世界に入らない方がよろしい』
  ってきっぱりと言われたのね。『なんで!? 』って言って。思い上がりとかそうじゃなく
  て、その人の事をよく知っているなら止めた方がいいよって言えるでしょう。
  でも知り合って間もない時にそう言ったから、『あ! すごい人なんだ』って思って。
  何故かっていうと、後で自分でよく考えてみたんだけど、私はこういうつくる仕事をして
  て、それはどこでモノが生まれてくるかっていうと、あ、なんかこのフォルム嫌い、やだ、
  こっちの方が好きかも。説明は出来ないけど、自分がいい形、なんとなくしっくり来ると
  か、気持ちいい形とか。好きか嫌いで決める訳でしょう?禅はそれはダメなんです。
  とにかく無になること。ゼロになる事なんです。限りなくゼロに近づく事。だから好きとか
  嫌いとか分けちゃダメなんです。
  こういう仕事をしているから、禅を追求していこうと思うと、グラグラになって土台から
  崩れちゃうから、自分の今までの価値観はなんだったんだって。結構私、二ヶ月位グラグラ
  してたなぁ。それは自分の中で咀嚼しようと思ってしてた事で、『好きとか嫌いとか
  言えないんだったらどうするのこれ!?』っていう感じになったんですけど(笑)。
  そういう世界なんです。ああいう人に人生の中でもっと早く出会ってたらすごい違って
  ただろうなって。
  (話は飛び)
  『場の空気を読めよ』ってこれ、とっっても日本人的でしょう?」
植:わかりますよ。一時期KYって言葉も流行りましたよね?
ゆ:「私、この言葉不思議って思ったの。空気を読めよってわかるんだけど、日本人の感覚と
  して和を大事にする日本人の文化としてわかるんだけど、じゃ、個人、個人はどうなるの
  って思うんです。どうなるの?」
植:どうなるの?あぁ、禅問答みたいになって来ましたね(笑)
ゆ:「あっはははは」
植:大丈夫、大丈夫、今のは冗談です(笑)えーと個人個人。
ゆ:「個人ってどんなんですか? 植岡さんにとって」
植:どんなんですか?個人ってどんなんですか? 自分にとって個人とはどんなものですか
  って事ですよね?
ゆ:「はい。私はそれ子供の頃からずっと考えてるんですけど」
名:僕は好きか嫌いか。あと、自由。それだけですかね。
植:好きか嫌いか。自由。それが個人。
名:それが相対する人にとっても、自分にとってもそうだし。それで成り立ってるものかな?
植:僕はなんか、好きとか嫌いとかそういう言葉に置き換わる前の感覚の固まりみたいなもの
  って自分を捉えてますね。それが個人かな。
ゆ:「個人主義って言葉があって、みなさんは違うと思うんですけど、一般的な個人主義の
  イメージは、すごいいいイメージじゃないかもしれないでしょ? もしかして」
名:一般的に使われる文法上では、ですよね?
ゆ:「エゴイストじゃないんだけど、全然。どちらかというとそっちの方向ですよね?」
名:蛸壺みたいな感じですよね?みんなそれぞればらばら。この言葉を使う時は。
ゆ:「使う時はね。ほら、名倉さんはすごい中立の人だから、そうやって使うけれども。
  そうじゃない、すごーく普通の人達が使う場合って言うのは、個人主義っていうのは
  苦手的な言い方でしょ?私がどうして個人の事を子供頃から考えたかというと、例えば
  左利きで、左で物を持っていると、席の位置によって、隣の人に腕が当たるんですよ。
  で、隣の子といつも喧嘩になるのね、腕が当たるから。黒板に字を書くでしょう?
  その時、すごい仲良しの子が左手だからって笑ったんですよ。すごい笑ったのね。
  何かそういうのって、劣等感じゃないですけれども、たったそれだけの事で人と違うみた
  いな、ハンディキャップの人達の気持ちがわかるんですけど、そういうので、人との違い
  ってものをすごくすごく思ったのね。何かにつけ。
  それで旅をする、特に西アフリカなんですけど、やっぱり差別がある訳ですよ。
  肌の色が違う。白が一番、優性であって、黒い人達は劣性。黄色い人もダメなんですよね。  そういう差別主義的な事も自分の経験としてすごく感じるのね。ちっちゃな事なんだけど。  そういう所で、私にとっての個人は、個人主義っていうのは、「すごくあなたを尊敬しま
  すよ、あなたを尊重しますよ」っていう、個人主義なんです。
  で、みんなそれぞれお互いを尊重し合いましょうっていう個人の主義なんです。
  だからその、身勝手な個人主義とは違うんですね。
  それを大人数の前で言った時に、『私は個人主義です』っていうとすごく語弊がある。    色んな考え方の人達がいるのだから。で、質問の中にあるつくる事に繋がって来る話し
  なんですけど、どうしてそれをつくり始めたかっていうのは、ネガティブじゃないんです
  よ。選択して選択して行った結果、これしか残らなかったっていうのがまず一つと、これ
  なら出来るというのが一つあります。
  水の怖い人、海の怖い人が、潜水士になれないのと同じで、苦手なものはみんな敢えて仕事
  にはしない訳で。自分の能力をわかってる訳じゃないの全然。わかってないけれどもそれ
  しかなかったって言うか、楽観的かもしれないけれど、そこの場所にいる事が一番自分の
  ポジションだなっていう」
名:はい。私でいられるって事ですよね?
ゆ:「そう。一番自分的な。そういう場所っていうのにいつ気づいたんだろう?
  ふふふ。そういうのがありますね。
  だから、出来るって核心はないですけど、それでもやっぱりこれしかないんだろうなって
  始めたのはこれかな」
植:それが自分の中で始まったとか、その居場所が自分の中で明確になった瞬間って、すごく
  生き易くなったっていうのはあるんじゃないですかね?
ゆ:「たぶん」
植:僕の場合なんですけど、僕は揺れてる時期が長かったんですけど。
ゆ:「私もだよ」
植:小説を書き始めて、これでやって行こうって思った時に、すごく生きるのが楽になったん
  ですよ。ゆうさんはその辺は?
ゆ:「楽になったってその境はないかもしれない。比較の対象ですよね?
  自分のステージじゃない所にいつもいたんだなって言うのは後になってわかるんだけど、   ここは私のステージじゃない、ここも違う、そういうのがあって、あ!ここだ!っていう
  のを見つけた訳でしょう。楽になったっていう言い方かぁ。うーん。そんなに苦しんだ
  かな私?」
植:自然に流れて行った?
名:流れの中でああじゃないか?こうじゃないか?考えてくうちに、ここだなっていう。
植:辿り着いた?
名:辿り着いたっていうか、そこにいた。チェンジじゃないんじゃない?
植:ああ!チェンジじゃない。
ゆ:「ああ。それはそうなんですよ。私は就職した事ないし。確かにそうなんです。
  でも今から別の仕事をするとなると、すごく方向性考えますね。これ、これ、これって。   今は好きでこれって思ってるからそんな気持ちはないですけど、今から、好きな仕事から
  別の仕事にってなったら、ホントにチェンジですけど。
  好きな事してると、全然、暑くないんですよ。朝涼しいでしょ? で、昼になるにつれて
  だんだん暑くなっていくじゃない。でも入り込んでいるからどの位汗が出てもわからない
  んですよ。それと同じじゃない?どんなに暑くても気が付いてないんですよ。
  あとになって、喉からから、へとへとどうしようっていう感じだけど。
  例えば、人の苦労話を聞きたい御年配の方とか、思いやってそう言うんでしょうけど、    とても大変なご苦労があったんでしょうねって言う人もいるでしょう。世の中には。
  でもホントに好きな事やってるし、全然苦労って思わないでしょう?ホントに好きだっ
  たら」
植:はい。それはわかりますね。書いてる瞬間とか。
ゆ:「そうそう。振り返ってみたら大変な事をしてるかもしれないけど、本人何も思ってない
  と思うんですよ。私思ってなかったもん。
  運が良かっただけですって今はそう思うし、ふふふ。
  つくる事の話しってそれはもうこれだけって言えないですよね?」


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名:じゃ、質問始めます。
ゆ:「始めてください」
名:アトリエ訪問ですけど、これは趣味なので。好きでやってるだけです(笑) なので、
  何かそこに目指すものとかはなくやっています。まず最初にお聞きしたいのが、この場所
  をつくったのはいつ頃ですか?
ゆ:「2001年でした」
植:何月ですか?
ゆ:「春。冬の間につくってねって決めて、一ヶ月でつくって貰って、だから四月にはここに
  入りました」
名:何故この場所を?どういう風に見付けたのですか?
ゆ:「前段階がすごい長いんですけど、日本地図を広げて、上は日立の辺りから」
名:茨城。
ゆ:「太平洋側をすべてトレースして、下の紀伊半島迄。バイクとか車で全部見て。
  何年も掛けて。役場に全部手紙を書いて、空き家とか、今はアーティスト村とかあるけど、
  最終的に静岡が一番住みたかった場所だけど、最後に決まったのがここだった。
  何故私一番に来なかったのかなって思った。自分の中で静岡ってすごくリゾート的な、
  まだ物理的にもお金がなくて高くて住めないわって思っていた所があって。
  で、全部探して、最後の最後に一番住みたい所、ここから5キロ位の山の中に住む事に
  したんですけど。
  その前は愛知県に住んでいて、窯を持って仕事を始めた頃だったんですけどね。
  で、その頃に友達が、ブギーボードやってて、私もサーフボードを譲って貰って、
  サーフィンを始めて。こからだと二時間以上掛かるんですね。
  で、どこで住んでも良いんだっていうのがあって、もっと海の近くに越そうと思って」
名:それでこの場所を見付けて?
ゆ:「最終的には、千葉も候補でいい所があったんですけどね、最後にここだったんですね」植:ここに初めて来られた時ってどんな事を感じられました?
ゆ:「前住んでた山の家に住んでた時、毎日ここにサーフィンに来てたんです。
  とりあえず静岡に住んで、その後海辺に住もうっていうのは最初からあった事だったんです
  けどね。で、山の家って言うのは茶畑の中なんですけど、来た時にここが駐車場になってて
  砂利が敷いてあって、あ!ここ!って思って。バリケードがあって、そこに建設会社の
  名前が入っていて。それがそこのすぐ角だったんですよ。その足で、(タンクトップと
  短パンとビーサン履いて)社長はいつも居ないのに偶然にいて、話しを聞いてくれて、
  『あそこだったら貸してあげるよ、隣の人が持ち主だから話ししてあげるよ』って言って。  そしてここ貸してくださいって言って。
  で、お金がないからまず山の家をなんとかしないといけなくなって、山の家を買ってくれ
  る人がいたもんですから、こっちに越すことが出来たんですよね。
  とても大変な色々な事がありましたけど。
  まず静岡にじわじわと近付いて来て、今はもっと崖の端にある様な場所に住みたいっていう
  イメージがあるんですけど」
名:今の工房と住居はセルフビルドですか?
ゆ:「そうですね。外側は建てて貰って、中をいじっただけなんですど、床張って、天井張っ
  て、壁張ってっていう」
名:その後、暮らしながら付け足していったり。
ゆ:「はい」


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名:では次行きます。生活と制作の場が同じところにありますが、普段の一日の流れを教えて
  ください。
ゆ:「四季によってそれは違うんですけど。外が明るいか暗いかによって起きる時間も変わっ
  て来ます。冬は六時過ぎだもんね、明るくなるの」
名:そうですね。
ゆ:「夏は明るくなるの、四時ちょっと過ぎ位かな?薄明かりの頃に丁度いい感じでさーっと
  目が覚めて。先週、七月の前半位に、ずっといいタイミングで、四時二分位とか、
  ほわーって目が覚めるんですよ。いい感じで目覚めてました」
名:朝起きてその後は?
ゆ:「夏だったら海に行きますけど、今は鰐日記(わにっき)というのを書いているので、
  それを書いて。珈琲を二杯飲んで、庭の手入れをして、草がすごいんですよ夏は。だから
  それを取って。黒苺が出るんで、毎日少しずつ採って、オクラさんが実ったかなって、
  オクラさんを採って、それでその後、そのまま仕事に突入しますね。午前中、中が暑く
  なるんで、午前が勝負ですね」
名:早い時間帯が勝負。
ゆ:「時々、過ぎてやってる時もありますけど」
名:そういう時は喉がカラカラになって気付く(笑)
ゆ:「40何度だって言っても、へーっとかって言うんだけどみんな、想像がなかなか付き
  難いでしょう?」
名:そうですね。想像は付き難いけど、冗談じゃないなって思う(笑)
ゆ:「あのね、感じとしてはね、私よく旅の時に思うんだけど、『あの状況と同じ』っていう
  のはわかりますね。あそこの村を歩いている午後一時位の感じと同じだなーって。
  地上10センチ位を、地面に足を付けず歩いてる感じ」
名:わからない(笑)
植:熱気でって事ですよね?
ゆ:「うん。もう頭がボーっとしてるんですよね、きっと」
植:ぼあーん、ぼあーんって感じですかね?
ゆ:「そう。現実感がないんですよ。地面を踏んでるっていう。ふわーんっていう。
  空中移動みたいな。飛ぶ夢はよく見るんですけどね。それにも近いかな?
  夢覚えてます?」
名:夢、僕は覚えてないですね。
ゆ:「朝起きるとぱっと、あれしなきゃって思うんでしょうね」
名:ぱっと起きた瞬間、ぱっと動きますね。
ゆ:「動く、でしょう。だから瞬間に忘れちゃうんです。そういう時はやっぱり覚えてないん
  ですよ。明日の朝これやらなきゃって時は、忘れますね。昼間、気の抜けた時に一瞬だけ
  かすめるんですよ。その夢が。というので一瞬思い出す事がある。そういう時、すごく
  いい状況。自分の中で。とっても自分的に生きてる時間の流れだと、一日五つは気付くん
  だそうです。何かに」
名:何かに気づくって意味は、ああ、そうか、って意味ですよね。
ゆ:「そういう気づきがあるんだけど、夢を覚えてるって事もとってもいい状況」
植:気づきのひとつの様なものに数えられるって事ですよね?
ゆ:「どっちが現実かっていうのは、もうどっちでもいいんですよ。
  夢の中だってちゃんと自分なんだから。夢の中で続編があるんですよね。
  昨日見た夢の続きがあったりする。街があるでしょ?ちゃんと」
植:あります僕も。
ゆ:「そういう続きもあるから、どっちも自分だと思っているから、すごく二つ人生があって
  とってもいい感じがする。それで、ここで手仕事はするんですよ、風に吹かれて。
  割とどこにでも自分の場所をつくれます。それは、一ヶ月の旅だとしたら、最終地点は
  ここ迄行こうかなって決めます。その道中何も考えてないし、行きと帰りのチケットしか
  持ってないので、それはどうにでもなるでしょう?どういうルートでも行けるし。
  とりあえず、ここにしようかなっていうのがあるから、どこに寝るってのも決まってない
  です。バス停とか乗合タクシー場のそういう場所の隅とか、割とここって決めたら自分の
  世界になっちゃう。
植:自分の場所になるんですね。
ゆ:「そう。ここも大事なとてもいい場所ですね。スペシャル空間ですね」
名:自分の居場所をつくるってすごく大事ですよね?僕もそれ意識しますよ、どこに行っても。ゆ:「で、ここで手仕事して、海に行くか、ほぼ毎日プールに行ってるんですけど、夏休みは
  子供達でプールが一杯なんで、殆どこっちで泳ぎます。夕方は、夏は本当に良く本が
  読めます。他の季節よりも一番いいかな。で、暗くなる位迄ここにいて、食事はお腹が
  空いた時しか食べないので、泳いで帰って来て、早目に夕方位から食べて。
  無理に窯を焚いたりしないんですよね。もちろん展示会の前だと、ぎゅうぎゅうしたりは
  するけど、それ程に寝る間を惜しんではしないけもしれない」
名:常にやらなきゃやらなきゃって事はない?
ゆ:「そうですね。絵を描いてるでしょう?だからとってもいいバランスなんですよね。
  例えば、土の仕事だと立体ですし、絵は平面でしょう?このバランス、まず、いいですよ
  ね。土を乾かす間にちょっと絵を描くって事もいい。冬なんか特にいい。あと、土の色
  なんですけど、焼き上がった時白か黒のモノクロなんですね、色んな色はあんまり付け
  ないですね。絵は描くかもしれないけれど、色は割とモノトーンかな。
  土の仕事と、絵を描くことはすごく大事な事かな。それは、暮らしてく中で一つの
  キーワードみたい、バランスっていう言葉が。どっちにしろ、一人で仕事して一人で完結
  する訳でしょう。例えばデザイナーの仕事みたいに誰かと関わらないで、最後まで自分
  一人でやるので。一人で暮らしてるというと、割といくらでも偏る事が出来るでしょう?
  究極、ぐっーと偏ってもいいじゃないですか?それでやっていけるんだったら。
  自分の心地いい人達ばかりで、会話したりとか、集まったりとかっていうものそうなん
  だけど、無理に気の合わない人といる必要もない訳なんですけど、自分との違いを知るっ
  て意味では、自分と違うジャンルの人と話しをするってめちゃくちゃ楽しくないですか?
  楽しくない?」
植:楽しいですね。
ゆ:「たまにでいいんですけどね、ストレス溜まるから(笑)。
  例えばトライアスロンの仲間達とかたまに話したりするんだけど、今まで団体とか、
  そういう所に所属するとかすごく自分では好きじゃなくてやってないので、初めてここに
  来てトライアスロンのクラブなんですけど、クラブっていっても何の規制もない名前だけ
  なんですけどね。そういうので知り合って、色んなジャンルの人達がいるでしょう?
  それは結構面白かったかな。比重としてはおじさん達とか多いですから。時々野獣に
  なっていいですけどね(笑)」
名:野獣なんですか(笑)
ゆ:「野獣ですね(笑)」
名:どういう風に野獣なんですか?
ゆ:「だって彼等ってのは競技としてやる訳ですよ。
  私のトライアスロンはあくまで私の個人だけですから。
  スイムがあがってから次はバイクですから、最後のランの時に私はパフォーマンスがしたく
  てやるんですよ。それがしたいからやるんですけどね。それが出来ない時は行かないんです
  けどね。最後のランの時に日焼け止めを塗って、アパッチして、かぶりものをして走るんで
  すけど、カメラを持って走るのね。各ポイントにスタッフの人が立ってて、その人達に
  カメラ渡して、写真撮って貰うの。コースを少しバックして。走ってる所を撮って貰うの。
  いっぱい。そうしてずっと行くんですよ。制限時間が三時間半から四時間だとしたら、
  その一杯を使いたい訳。ラストランナーを目指して。後ろに人がいたら、先に行かせる
  くらい。私が最後なんだからって(笑)」
名:トライアスロンってそういう精神ですよね?最後の人を讃えるというか。
ゆ:「そんな精神だっけ? 知らないけど。私は制限時間一杯なんだけど、野獣の人達は、
  競い合うのも自分の能力を高める為なんで。仲間同士で、自分の方が速かったらビールを
  二本とか、そうやって競争するのが好きな人がいるんですね。子供に「勝(まさる)」
  っていう名前を付ける様な人で(笑)。
  ある時、行ったらマーシャルが名前を覚えていて、
  『ゆうさん、今度あんな事したら退場だよ!失格だよ!』
  っていきなり言われて。そういうのをふざけてると思うんですよね。
  でも、トライアスロンって最初始めたのって、各それぞれのアスリートが、スイマーと
  バイクの人とランナーが、一緒にやったらどう?って言って始まったって聞いたんですけ   ど、そういう元々のノリなんですよね。楽しむ為のものじゃないですか、あれって。     で、日本人はとても真面目な人達なので、選手の為の大会みたいになって来ちゃって。
  で、どんどんやらなくなっちゃったんです。面白くないから。
  そういう色んな職種の人達が集まる所でたまに話しするのもすごいいいですよね。
  やっぱり御年配の人達も多くて、ものすごく超ポジティブなんですよね。
  歯を折ったり指をなくしたりとか。全然めげない人達です。可笑しいの。
  それは、何が起こっても悲壮感ゼロですよね。大丈夫かなって(笑)。
  そういう人達の話しを聞けるのはすごい面白い」
名:毎日の生活の中でそういう時間っていうのは、ものすごく意識する訳じゃないけど、
  自分の中で楽しい位置というか、自分の時間もありつつも自分とは違う人達との対話。
ゆ:「うん。たまにだったらいいと思います。それは自分の入りこみやすい所から、ちょっと
  引っ張り出してくれる事においては。それが私の中でのバランスにもなる訳で、すごく
  必要かもしれない。究極行っちゃいますよね、こんな好きな事ばっかりやってたら。
  例えば八百屋さんだったら、市場に行ったら色んな人のやり取りとかあるでしょ?
  そういうのがひとつもないから。」
名:そう考えたら僕の場合、職場では常に人とのやり取り、相対しかないですけど、職場から
  離れて帰って来ると、それが全くないですね。人との会話を求め探したりもしないし。
  僕にとって今の職場にいながら別に好きなようにやるのは凄くいいバランスがいいですね。
ゆ:「あえて、人とおしゃべりしたくて、人を求めていくのは皆無かもしれない」
名:そう。だから、付き合いのために何かをする事もないなーって。
ゆ:「孤独こそが最大の友っていいますものね。それはすごいわかりますよね」
名:そういう時間がないと人の事もわからないと思いますよね。
ゆ:「それはきっと多分、一杯人と関わってる人なんかはそうだと思います」

名:全然話変わるんですけど、ここの夏の時間もいいですけど、冬の時間も気になるんですよ。
ゆ:「ここ?」
名:いいだろうなって。当然寒いでしょうけど。
ゆ:「朝、寒い時に、キーンって耳が千切れそうな時に走るの大好き。朝、寒い時に走る事は
  しています。とってもエコロジーでいいと思う。身体の中から温まって」
名:住まいが、ゆうさんの所って天井が高いじゃないですか?冬はあの中で寒気を蓄えてると
  いうか、あると思うんですよね。それが却って広いから、その寒さが気持ちいいだろうな
  って感触があそこにいてありますけどね。暑い時は暑いし、寒い時は寒い。
ゆ:「道路の向こうに住んでる人の所は全然凍らないんですけど、うち凍りますよ。
  水瓶張ってあるから、風で凍るんですよね。『えー! ここが凍るの!?』ってみんな
  びっくりするけど。ここはとにかく寒い事は寒いんですけど、浜を歩くでしょう? 
  冬の寒い時なんかは。良く歩くんですよ。夏よりも歩くかもしれないんですけど。
  気持ちいいんですよ、そのキーンとした感じが。  ただ風の日なんて、砂がバシバシに
  当たって、全身にバシバシ当たって、全然目なんか開いてられない。寒いは寒いんですけ   ど、ちょっと寒さプラス激しさがあるでしょ?
名:海風がありますもんね。
ゆ:「激しいですよね。穏やかな日もあるけどだいたい風が強いから」


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名:では次いきます。普段、制作をしている時に、どんな事を考えますか?
  例えばゆうさんの場合だと、絵であったり、器であったりそれぞれ違うと思うんですけど、
  その辺りはどうでしょうか?
ゆ:「つくって入ってしまったらもう考えないです。つくってる時?」
名:制作している時。
ゆ:「考えてないです」
名:何も?
ゆ:「うーん、ただこの形がいいかな悪いかなって、心地良い形かな?気持ち悪くないかな?
  って。それしか考えてないです。絵だってそうですよね。何にも考えてないですよ。
  入っちゃったらね。だから喉渇いたのもわからないし、終わって一時間位経って初めて
  『お腹が空いてたんだぁ』って思うし。考えてます?何か?例えば仕事をやってる時?
名:他の事を思い付くとかはありますよ。まったく目の前に関係しないことを。
  でもそれは考えてるとは全然違うから。
ゆ:「考えたらね、手が止まるんじゃないかな?」
名:うん。
植:僕の小説とかの場合は、流れです。次に連鎖させていく感じです。それは自然な連鎖で、
  考えてるとはまた違うのかなぁー。でも、一旦書き終わった後に構成し直す時には考え
  ますけど、一発目、入っている時にはあまり考えてるという言葉とは当てはまらない
  気がしますね。
ゆ:「だから時間の経過がないんですよね?時間が止まるってそういう事でしょう?忙しい時
  ほど、時間が早かったって思うんですよね。不思議な事に。ホントに自分が満たされて
  ハマってつくってる時って、ここ12時と4時と5時とサイレンが鳴るんですよ。
  で、夕方にサイレンが鳴った時に『あれ?お昼かな』って思ったんですよ。
  時間の流れが止まるって事は正しくその事なんですね。そういうのがあるから、あとに
  なって、『あ、早かったな』っていうのは言葉であって、自分の中では止まってるから
  すごい長いんですよね。つくってる間の時間っていうのは、停止した時間ですよ。
  停止してませんか?
植:停止というか、時間の概念のない世界で書いてる。
ゆ:「そうですね。概念はないですね。そうなるとね、夜見る夢の中もね、時間はない訳です
  よね?その辺で、夜見る夢と現実とは似てるなって思うんですよ。つくってる時って時間
  止まってるし」
植:僕もそれは思います。
ゆ:「あとになって、もうこんな時間とは思うけども、ものすごくぎゅーとした時間というの
  は感じますけど」

名:例えば、スランプみたいのってあるんですか?手が動かないとか?
ゆ:「それはね、書かなきゃいけないとか、じゃないですか?しなければならないと思ったら
  スランプじないですか?そうすると無理にやっているって事だから、それいくらやったって
  ものを書くにしたって、絵でもいいけど、エッセイでもいいけど、あとで絶対に気に入らな
  いんですよ。気に入った試しがないから、どうせこれ後で書き直すんだからって事で。    最近は学習しましたので(笑)やらないですね。だからスランプがないって言い方は
  ちょっと違うかもしれないけれども、スランプになりそうな時には最初からしないですよ
  ね。時間を置きますよね」
名:スランプを寄せ付けない、ですよね。
ゆ:「寄せ付けないっていうか、学んでる、学習したかな。距離を置くって事はあるの。
  つくってる時に何も考えないっていうのはあるんだけど、ちょっと離れてみるって事は
  とても大事な事。例えば夜仕事をしないっていうのもそれなんですね。
  電気を点けて仕事はしないんですね。何故かというと、例えば立体の物は影が出来るから。  あちこち電気点ければ影は出来ないかもしれないけれど、それはとっても不自然な事で
  あって。影が出来るとまず、手の動かし方が変わって来ます。そういう時には雨だったり
  曇りだったりとか、そういう時はしないことにしています。一年間にあまり出来なくなっ
  ちゃうのだけど(笑)
  で、距離を置くっていうのは、例えば夜書いたものとか、朝起きて読むと気に入らないん
  ですよね。エッセイとか。だから、ものを書くにしても、朝はやっぱりいいかな。絵はね、
  昼間に描いても、全部が気に入らない訳じゃない。どこか一部分が気に入らない、どこが
  違うのか、どこが自分にしっくり来ないのかわからないから、とりあえず消さないで置い
  ておこうって一週間位ほっておくんですよ。大きな絵だったりすると、アトリエの部屋の
  中から見える場所に置いておく。で、必ず出入りするからそこら中に置いておくんです。
  絶対目の端にちらっと入るんですね。ずっーとどこか引っかかる場所があって、『あそこ
  だ!』ってわかるんです。そこを他の色に変えてみたりして。そうするとすごくしっくり
  する。そういうやり方はします。どこが自分に違うのかはわかないので、距離と時間を
  掛けて作品をみるというのは
  あります」
名:寝かしておくって感じですか?
ゆ:「そうですね。発酵させておくって感じかな」
 
 
ここで一時休憩。
ゆうさんが一旦家に戻り、飲み物の補充と深い黄色をした南瓜のケーキを差し入れてくれまし
た。ゆうさん曰く、このケーキは南瓜しか材料に使ってないとの事。その風味たっぷりの南瓜の
ケーキを頂きながら、かたやユキくんは、『海にはこれ!』という訳で持参した小豆色のウクレ
レを鳴らし、みんなの笑みを誘いました。特にゆうさんは盛り上がり、「小学校の頃、親にウク
レレ買ってって5000回位言って、買って貰ったのに全然弾かなかったの〜(笑)」と思い出
話しを語ってくれました。そしてユキくんに、「あれ弾ける?これ弾ける?」とリクエストの嵐。しかしユキくんは、残念ながらどの曲も知らず、「自分の曲です」と言って、その曲をポロ
ンポロンと奏でてくれたのでした。
松林を爽やかな風が抜けていき、ウクレレの音色がその風に遊ばれます。
 
 
そしてここからアトリエ訪問インタビュー、後半に入っていきます。
 
 
名:目の前にある海はどうゆう存在ですか?
ゆ:「やらしい(笑)」
名:やらしいですね。こういうの字にすると本当にやらしいんですよね。
ゆ:「そう。鰐はゆうさんにとってどういう存在ですか?と同じですけどね(笑)
  例えば部屋の中でぐーっと考え込んじゃう時っていうのは、絶対ここに来ると
  『ま、いっかー』って。思わない?思うでしょ?こう、わーっと広い所に来た時に。
  今まで心の中で考えてて、いきなりわーって開けた時に、ま、いっかーって思わないです
  かね?私思うんですよ」
植:僕の場合は、家を出て散歩して、少し先に雑木林の開けた場所があるんですよ、そこに
  行くと、そういう感じになる事が多いですね。それはゆうさんの言う海に近いかもしれ
  ませんね。
ゆ:「つくってるとパターン化して来ますよね?器に限っていうんだったら、窪みがあるもの、
  真っ平らでもいいですけど、ある程度の限定が出来てる訳でしょう?何かを乗せる、盛る
  っていう。(海が)一回として同じ波はないんだからと考える時に、自分の器はこうある
  べきだっていう枠が外れていくんですよ。
  すべて枠外しの達人ですよね。このヒトは(注、海)(笑)
  そう、余りにも偉大過ぎて、何もかも許容してくれながらも、でも絶えず私は畏怖する
  部分があって、例えば海に行って、いい波だと思っても全然波に乗れなかった場合、
  『すいません申し訳ありませんでした』って帰って来て、という事はありますよね。
  例えば、私は乗れないんですけど、ばんばん波に乗れて、波なんかこっちで抑えてやるって
  時には、思いっ切りやられる訳でしょ?巻かれちゃったりするんですよね。しっぺ返しなん
  ですよね。恐れ入りました、出直して来ますって感じで。
  そういう意味ではものすごく気づきの原点ですね、ここは。
  かといってものすごくこの人(注、海)が偉い訳じゃなくって、本当に対等っていうとおこが
  ましいんだけど、普段っていうのは何気ない顔をしているじゃないですか?偉ぶる訳でも
  なくってそのまんまなんです。
  海の沖近くにテトラのブロックがあるでしょう?そのブロックが七つくらい、向こうまで
  水平にあるんですね。で、須々木っていう場所まで車で行って、テトラの一番端迄斜めに
  泳いで行って、あそこの相良まで泳いで行って、テトラをよじ登って、飛び込んで戻って
  来るっていうのは、ふた夏やってたんですね。毎日。でも、どうにもならない日があるん
  ですよね。もう今日はダメだって言って戻って来る、そういうあなどれない面もたくさん
  あって、それは引き返すしかないんですね。行きたくてしょうがないけども、今日はやめ
  ときましょう」
植:その話し、ゆうさんにメールで送って貰ったエッセイにあって、引き返すのも勇気、引き
  返す事が勇気って書いてありましたね。
ゆ:「そうか、勇気でしたか。でも普通の言葉ですね(笑)」
植:いえいえいえ。
ゆ:「名倉さんも両方ともでしょうけど、海か山かって言ったらどっちが心地良い?」
名:心地良い場所?
ゆ:「例えばどっちもいいですよね?
  半年間ここにずっと居なさいって言ったらどっちにする?」
名:うーん。それはすごく難しいですね。
ゆ:「じゃ、どっちもいいんだ(笑)私も多分そうだけど、旅に出たらそこで自分の場所が
  出来ちゃうからそれはそうなんですけど」
名:心地良さじゃない色々な事を含めると、海の方がいいですかね。
  海には波の音があるじゃないですか見なくても波の音は聴こえてくるし、音を感じる事も
  あるし、見てると途方もないから。
ゆ:「そうそう。動ですよね。本当にずっと動いてるからね。冬の朝なんかは耳がキーンって
  する位静かなの。波が聴こえない日っていうのは。それはそれですごいいいですよ。
  山に行ったらきっともっと色々あるんでしょうね。今は目の前に比較の対象があるから」
ユ:あ、近くにいる。近くで鳴いてる。(蝉の音)
ゆ:「朝だいたい明るくなると家の横の松林がすごいの。ミーンってとんでもなくすごい音が
  します。その位のポロンポロンだとカリンバみたいだね。
  (ユキくんがウクレレを弾いている)ちっちゃくポロンっていうと」
ユ:海用の一番安い(笑)
ゆ:「本当に波とあってるね」




名:では次行きます。さっきもやらしいって言われましたが、やらしい聞き方ですけど、
  ゆうさんにとって旅の位置付け、単純に好きじゃないですか?
ゆ:「まず形としては一人旅。もちろん二人でもいいけど、それ以上多くなくてもいいなって
  私は思うんですけど。スキューバするのと同じでバディ組むんだったら一番いいのが夫婦
  で、その次が恋人って言う位。やっぱり二人旅だったらそういう関係だったらすごくいい
  かも知れない。自分的には一人がいいかな。好みとして。位置付けとしては、遠くへ行けば
  行く程、戻る場所の事を『あ、あそこなんだ。しかも私は日本人なんだ。なんで日本人に
  生まれちゃったんだろう』って思う事がある。ここにいて考えた事ある?なんで日本人なん
  だろうって?私一度もないんですけど。
植:ない……。(ひと呼吸おき考える)
名:考えるものじゃないよ。ないんでしょ?
ゆ:一応出掛ける時は家の中をすごくきれいにして、帰って来れなくてもいい様にしてあるん
  ですよ。なくてもいいようにっていうか、これなかった場合っていう事なんですけどね。   行く場所が行く場所だから、何が起こってもいいっていう感じで、例えば世界中どこに
  いたって同じ事ですよね?出掛ける前迄っていうのは、全く知らない場所に行く場合、
  だいたいリピートするでしょう。初めて行く場所っていうのは、多少ナーバスにもなるし、
  やめようかなって思う事もあるの。でも五分位経って『やっぱり行こう』って。六分位
  経って、『もうやめようかな』って。それ、一週間とかだったらそんな風に思わないし、
  早く行きたいし。でもそれが一ヶ月から三ヶ月のスパンになると、それは思います。
  例えば目的地の一番最後の所に長くいる。 あとはもう帰るだけ。そうすると、その時に
  一番、『どうして私は日本に生まれたんだろう』っていうのをすごく思う。あの人達は
  どうしてここで生まれたんだろう。じゃ私はどうして?戻る場所の確認って事でもないん
  だけど。作品を時間掛けて見るのと同じで、自分はここなんだけれども離れて自分を見る、
  かな?」
名:作品を寝かしてみるのと同じ感覚で、自分をちょっと離れた所から見る感覚で、改めて
  自分が戻る場所を確認したりとか。
ゆ:「自分のやってること、何もかもすべて」
名:そうすると逆に、帰って来た時に、行った所の事を思い返すって事もありますよね?
ゆ:「結構しばらくの間、美味しいチョコレートは冷蔵庫にあるぞって感じで、ずっーとちび
  ちびちびちび食べてます。思い返す事はあります。当分の間、その頭になってて欲しい
  感じです。三ヶ月あっても機内持ち込みの荷物なんですよ。たくさんは持っていかないの。
  大事なのはガスコンロなんですよ。ガスコンロ。鍋。お茶碗一個。その三点セットはもう
  絶対必要。水のない所でも五分ボイルして冷ませば飲めるでしょ? 水がもしくは毎日
  手に入らなかった場合。あとは着る物は向こうで調達するし。なんで鍋釜を持って行くか
  というと、まず知らない土地の野菜をすごく食べたいの。生で食べれるんだったらまだ
  いいけど、どっちにしろ、生よりも一応火を通して、市場見に行くのがすごく好きだから、
  市場で買ってきた物を料理したいんです。そうするとね、時々、じゃあ旅をしなくても家
  でやってるのと同じじゃんって思うんですけど。ただ聴こえてくる音とか違うでしょ?
  空気も、匂いも全部違う。
  すごい不思議なのが、水平線が大好きで、地平線が大好きで、水平線と地平線って同じ
  感じでしょう?で、なんで地平線だらけの砂漠にいくのかっていうのが不思議な所。
  ここに住んでるんだから、ちょっと行くにはエキサイティングで先進国はいいかもしれない
  けど。先進国こそ、敢えて別に。日本だっていいレベルなので敢えて行く必要はないかなっ
  て。今のこの暮らしとギャップが大きい程、いいなと思う。ギャップが大きいっていうの
  は、自然はここと同じ自然ですよね? 地平線と水平線の違いで。ただ今この時点では
  コンピューターも使えるし、電気も点きます、水道もひねれば出ます、という状況でしょ
  う?そうじゃない所なんですよ、私が行く所は。水も一日掛かって汲みに行くっていう
  遊牧民の人の暮らしとか、そういう感じなので、自分が帰って来ると、そっーと水道を
  ひねるとざーってお湯なんか出たりするじゃないですか!(笑)それがすごい感激!
  サハラの近い人の家も、温度差が激しいので、朝は10度とか位で、日中は5,60度位
  でしょう?一日の内で4,50度の違いがあって、朝寒いけれども、シャワーとかしたい
  んだけれども、お湯がない訳ですよ。どこの宿もお湯はないのね。私が泊まる様な所は。
  水なんですよ。そういうギャップのある所に行きたいかな?リスクはもちろんどこの旅に
  だってありますよね?例えばうちに来るカップルが『こういう暮らししたいんですけど』
  っていう熱烈な人達っていうか、話ししてて『じゃぁこの辺探したらどうですか?』って
  『私も全然知り合いいないけど、なんとかここで住んでます』って言って。 
  で、最後の帰り際の時に、『これ津波なんかは大丈夫ですかね』って。
  それ、去年よりもずっと前の話しだよ、そう言うから。
名:そりゃあ来る時は来ますよって事ですね。
ゆ:「ね。海に、もしくは水辺に住みたいんだったら、そのリスクは受けるべきであって、
  いいとこ取りは無理ですよね。怖いから住みたいけど住めないとか。例えば高台に家の
  ある人だって、時たまその時に海に入ってたらということもあるでしょ。心配事の99%
  は、無意味だと思っているのね。心配性の人を見たりすると思いますけどね。
 
ゆ:「旅は、何ですか?」
名:僕ですか?
ゆ:「じゃぁどういう時に旅がしたいと思う?仕事忙しいけど急に旅に出たくなっちゃったー
  みたいな」
名:そういう感覚はないかな。リセットしたいって感覚はないから。
ゆ:「そうかぁー。そのリセットって誰かからも聞いたんだけどね、リセットって言葉も私も
  不思議に思うかな。時々」
植:わかりますよ。僕が旅に出たい時っていうのは、恋をしてて、片想いで。
ゆ:「あー」
植:行き場がなくて、その気持ちを抱えて、それを道に変えて行くとか。そういう旅とかです
  かね(笑)その時によく一人旅をしてました。今ちょっとかっこよく言いましたけど(笑)
名:かっこいい!?女々しいんじゃないの(笑)誘えばいいじゃん!
植:誘えないから一人旅じゃん(笑)
ゆ:「誘いたいけれども、誘えないって事ね。あーそういう事かぁー。誘いたいけども、
  かぁー」
植:いや、誘いたいとも思ってないかな?やっぱり(笑)すごい距離があるから。その子とは。
ユ:で、どうするの?
植:一人旅して、色んな風景の中に入って、気持ちが別の物に変わるじゃないですか?
  映像に変わる。景色に変わる。そういう物によって癒されるというか。昇華されるという
  か。また帰って来て悶々とした気持ちも抱えるんですけど、その時は癒されているって
  いう。
ゆ:「片恋の時は、旅に出たいと思うかなー。そんな仲良しだったら二人で行くと思うけど」植:それはまぁ、以前そんな旅があったって話しですけど。でも僕もリセットとかではなくて、
  日常の延長上に旅があると思っていて。
ゆ:「敢えてそれを求めるとしたら、こんなに長く同じ町内に住んでるのに、一回も通った事
  のない道っていうのはすごい旅だよね? 今、朝市は自転車で行ったりしてるから、
  自転車で五分から十分位の所に小道があるのね。ホントに狭い道で。 毎回違う道をこっか
  ら行けるかなって、そうやって走ってる。夏は気持ちがいいから、それはとってもいい。   今日初めての事だ。
  そうだ!旅はね、全部が全部何もかも初めてでしょう?
  普段の生活は一日一個初めての事があればって思ってるの。
  初めてやった事とか、初めて見た事とかなんでもいいんだけど。
  それが旅では連続じゃないですか?全て何もかも全部!一日が!
  それが最高かも知れない。それが一番行きたい必要とする事かな?
  なんで旅が面白いの?って言ったら全部初めての事だからって言えるかな。
  そう思うとすごいワクワクしてくるでしょう?
  全部初めての一瞬一瞬、全部初めての事を一ヶ月もするとなると、例えばここに居る時
  だったら、割と目を瞑ってじゃないけど、何にも考えてなくてもここに歩いて来れるじゃ
  ないですか?車に乗ってても考えてなくてもこっちに曲がっちゃうし。そういう事は
  (旅では)在り得ないですよね?
  とにかく脳みそがフル回転してる。それがすごいいいかも。
  人に伝えるって事もそうだけど、単語のひとつが出てこなかった場合も脳みそがグルグル
  回ってて。特にあの辺の国の人達は、時間が有り余ってるから、人を見ればつかまえて、
  話しをしたがるから、そんなんで市場に行きたかったんだけど、途中でつかまっちゃって、
  ずっと話込んで、『あ、市場閉まっちゃったよ』っていう状況とか。
  もうあの人につかまらない様にこっちから行こうとか、そのぐらいみんな話しがしたくて
  しょうがないから。とにかく、毎回毎回毎回、気づきがある訳ですよ。言葉ひとつに
  したって、初めて会った人と話しをすると、時々意味のわからない事があったりする
  でしょう? それがもう一回出てきたりすると、これはこの人のクセなんだ、こういう
  言葉をこういうシチュエーションで使う人なんだってやっとわかったって思ったら、
  すごく話が伝わりやすくなった、繋がりやすくなった。
  ですから、異国にいて異国の言葉を話す事にしたって、さっきはあんなに話しが通じたの
  に、どうして今回は話しが通じないんだろうって。それはその人のクセなんですよね。    よく聞いてみると、私達が『そうだろう』とか『な?』とかただそれだけの事なんだけど、  その言葉がとてもわかり難く、わからなくなっちゃって。
  この人のクセなんだってわかると、話すのが下手とかじゃなくて。相手の言葉をつかまえ
  て、同じ様に言葉を使うと、とっても距離は縮まるわね。
  その土地ではそういう言葉の使い方がされていてるんだとか、なかなかそういう意味での
  気づきもあるし、コミュニケーションの気づきもあるし、村に入るとなんか独特の匂いが
  する。本当に実際の嗅覚としての匂いと雰囲気としての匂いとあるんですけど。
  だからフル回転、全身の細胞が全部使われてる、どくどく活性している感じがするわね」

名:それだと旅でそういう事を求めているというよりも、日常生活の中でそういう事を意識して
  いる事の方が多いですかね。例えば、考えなくてもここを曲がるとか、目を瞑っても何かが
  出来るとか、それって人間の当たり前の行動だけど、それが当たり前になっていく事への
  疑問ってすごくあるんですよね。
ゆ:「思考する人ですね。名倉さんは。哲学する人ですね」
名:わかんないですけど…形骸化することにすごく嫌悪を覚えるというか、当たり前の事って
  確かにそれはその通りなんだけど、あれ?なんでだろう?って思わずにはいられない。
ゆ:「あるある。私も質問しまくりで嫌われる事があります」
名:逆に日常生活は無意識で出来る事がいいんですけど、それが仕事とか自分が好きでやってる
  事に対しては絶対嫌というか、そうなれば自分で壊すというのは常にあって、これはこう
  いうものだけど、今はこういうものなんだよ、でも次の時はそうじゃないかもしれない。   その『かもしれない』って所は常に意識していたいというか。そこを見ないというそんな
  退屈な事はないというか。やる気が起きないし、つまらない。
ゆ:「当たり前なのに、当たり前である事がなんでだろう?それは答えは出ないんですよね。
  ただ思考するんですよね。思考する事が大事で、答えを出す事が大事じゃない」
名:旅とは違うんですけど、何で仕事しているかというと、そういう所が楽しいから。
  それが面白いって思えない仕事だったらやらない。絶対やらなければならないと思えない
  からね。やっぱり仕事って色んな人と集まってやるから、ルールがあるじゃないですか?
  そのルールっていうのが確かなものかもしれないけれど、でも、そうじゃない事も有り
  得るよね?って思うんですよ。変える必要あるなら自分らで変えるって。
ゆ:「そう。他者がいるから、その疑問ていうのは絶えずあるのだと思う。自分の個があれば
  あるほど、自分の個という存在をわかってればわかってるほど、他者に対してその疑問は
  起こると思う。そういった意味では私のこのシチュエーションで、比較の対象(他者)って
  のが普段日常的にはないから、どこかに行ったりすればあるよ、でもそういうのがないか
  ら。いい意味で言ったら超個性的になってるかもしれないけれど、日本社会に対しての
  適応性には欠けるかもしれない。


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名:次の質問なんですけど、コミュニケーション、ゆうさんにとって会話ってどういうもの
  ですかね?
ゆ:「うーん、それは『楽しむ事とはどういう事』とか?」
名:そうですね。
ゆ:「会話?会話をしたいとか?」
名:色々ですね。
ゆ:「色んな事を含めて?」
名:色んな事を含めて。
ゆ:「すごく会話をしたい時はあんまりないんですよ。以前、撮影の時に、動画っていうから、
  私しゃべるのダメですからって言って、普段一人だし、もう声帯枯れますから、退化して
  ますから、って。そうしたら『でも独り言は言うでしょ』って。
  『言いませんよ独り言なんか!』って私言ったの。
  ホントに言わないんだもん、独り言なんて。
  でも多分、心の中で(沢山)話ししてると思うのね。口には出さないんですよ。
  そういうので、会話をすごく必要とはしてない。ここに自分のつくるものがあるから。    これは自分の投影であって、自分と話ししてるのかもしれないし。
  で、会話よりは対話ですね、どっちかっていうと。根本的に何か軸として同じ様な人だった
  ら話しはいいかもしれないけど。ものすごくとんでもなく離れていない限りは、その互いの
  違いを話すっていうのはいいかな。もちろん日常的に他愛ないおしゃべりは力の抜けたその
  状態の中から、何か気づけることはいいかもしれないけれど。
  よりよいものとしては対話であって、投げた事に対して受け取るって事をして、投げた事
  に対して相手から戻って来る事を私が受け止めて考えたいって事はあるよね?そういう
  おしゃべりは好きかな」
名:会話じゃなくやっぱりそれは対話ですね。
ゆ:「すごい仲良しな人達でいませんか?一年も二年も会ってなくても、魂レベルでって
  言い方はあれですけど、そうやってすぐ話しが出来る人っているでしょう?」
名:そうですね。そういう人しか周りにいないですね(笑)
ゆ:「そうじゃない、私なんかは近所に色んな人がいるんで、そういう(深い話ができる)人が
  いる傍ら、そうじゃない人達もいる。そうすると、とってもいい感じのこの人はどこから
  話しをしていけばいいのか?って段階、ステップですけれども、別にそれがかったるいっ
  て意味じゃないですけどね。例えば今の話しみたいに、私おかしかったっけ?の確認とか、
  そういう些細な事でおしゃべりとかはしてもいいかなって思うけど。
  旅をしてて思うのは、ニュージーランドから、私は日本から。(出会った人がいる)
  ここを求めて来るからある程度の部分では近いんですよ。
  そうするといきなり魂レベルで話しが出来るの。
  それは向こうで出会う人の醍醐味かもしれない。おもしろいかなぁ、それ」
名:逆に言うと、僕は他愛のない会話というか、世間話?そういうのがいまいち出来ないと
  いうか、苦手というか、そういうのでいったりきたりが出来ないんですね。全部が全部
  じゃないですけど。
植:テレビ観てどうこうだったとか?
名:そう。
ゆ:「テレビ観る人いないでしょう?」
名:いませんね。テレビ、家にないんで。苦手というか、基本的にそういうことは一人で
  やってるもんじゃないのって思っちゃう。自分の中で、とか。
ゆ:「アフリカにいた時、割と街だったんで、。そこでヨネさんという知り合いの家に一ヶ月
  位いた時に、街の中で丁度市の立つ日だったんで行ったんですよ。一回も怖い目とか
  危ない目にあった事がないんですけど、お!怪しい!って目が合っちゃった人がいたん
  ですね。そうしたらやっぱり怪しい人で、いきなりひったくろうとする訳。でも、頭一つ
  分くらい大きい人なんですよ。元々みんな大きいでしょう?180センチ位あるんだけど、
  もっと大きかったのね、目立っちゃうし、向こうからやって来て、私の鞄をぐーっと
  持ってこうとしたから。周りの人達冗談だと思って全然助けてくれないのね。
  私はどうしたかっていうと、空手をやってたものだから、反射的に足で蹴ったんですよ。
  回し蹴りっていうか(笑)それでうちに帰ってヨネさんに、ひったくりに遭ったって言った
  んだけど、そしたら一、二時間して表に出たら隣の修理工場のお兄ちゃんがいて、よくしゃ
  べるんだけど、『ゆう!シャ!』って空手の真似するのね。街を歩いていたら、みんな
  『ゆう!シャ!』って(笑)とっても速かった。速い(伝達力)」
名:光回線ですね。
 
 
植:じゃ、僕の方から質問していいですか?
ゆ:「はい(笑)」
植:陶器を窯から出す時に、ひとつひとつがいとおしくてキスをするっていうお話しがある
  んですけど、つくる事と愛する事の関係性というか、その辺りの事を聞かせてください。ゆ:「ヤバイですよこれは(笑)」
植:語ってください(笑)。
(名倉とユキは無言)
ゆ:「アトリエに入って来る時に、これは本当にヤバイと思うんですけど、自分で夢中になって
  してるでしょう?その時にすごく愛する人がいたとするでしょう?そういう人がアトリエ
  の中に入って来たとする。簡単に言うと、愛する人が二人いる様な気がする。だから混乱
  する事があるんですよね。これもすごい大大好きだし、この人も大大好きだし、だから
  入って来ないでくださいって言いたくなる。なんかそういうのって、ジェラシーでもない
  し、なんなんでしょうね。面白い感覚なの。だって自分が両方好きでもいいんだよね?」
植:はい。
ゆ:つくる事と愛する事の関係性?
  よく言われるのは、すごく好きになると全てその人の方を向いてしまって、何も手に付か
  ないとか、段階にもよるんですけど。そういう事もあるんだけど、より一層力が倍増された
  様な気持ちになって、一層つくる事に情熱を傾けられる人とかもいるんですよね。
  私はそういう事も有り得ます。
  つくる事に対して愛する人がいたとすると、段階は別としてやっぱりそれはよりパワフルに
  なるかもしれないし、そういう部分はありますね。ただ、そこら辺は難しい所で、よりパッ
  ション的な気持ちでただガンガンいけばいいんじゃなくて、それはなんて力強いものかって
  思うかもしれないけれども、表層だけかも知れない。なんか美味しそうな物があっても、
  中、火通ってないねってなったら美味しくないじゃないですか?
  だから中まで火が通った状態でいい作品が出来たら最高ですよね?」
植:情熱を注いでそれが形になるって事ですよね?
ゆ:「うん。生きている対象の人間として愛する人がいた場合に、つくる事は増幅する様な。
  一人でいる時に使ってない細胞があるとしたら、六十億かそこらあるとしたら、片や愛する
  人が、使ってない細胞まで活性化させてくれる」
植:ああー!
ゆ:「そういうのもあるかも知れない」

 
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名:あと二つ質問させてください。現実に戻しますけど(笑)
植:甘い世界から(笑)
名:護国神社で開催されている静岡の手創り市『ARTS&CRAFT静岡』に参加しようと   思ったきっかけ。あと感想を。
ゆ:「現実的に言ったらまずパンフレットのイラストがすごいいい感じだったかな」
名:山口さんの。
ゆ:「はい。今のネットのもそうですよね?あれもすごい好き!ラフで繊細って言うのが。    あれが良かったのと、知り合いのイラストレーターさんが『いい感じだから私も行きたい』
  って言っていて。彼女も素敵なイラストを描く人なんですけど、おおそうなんだって思っ
  て。そこそこいいレベルで保たれてるんだなっていうのがわかるよね?まだみてもないの
  に。そういう意味で口コミってすごいですね。で、そういうのがあって、近いから二日間
  日帰りでもいいなっていうのもあって。初日でしたっけ?雨が降って」
名:そうです。初日です。
ゆ:「雨降るのはいいんですけど、砂利は苦難でしたね。荷物が重たくて。砂に食い込む流木
  を引きずってる感覚だなって言うのがありました。場所的には私にとっては狭いかなって
  いう。あと正面に鳥居っていうのは最高ですね!イラストも良かったけれどもこれを一回
  みに行きたい、この場所に行ったらどんな感じだろうというのには興味があった。
  鳥居の向こうに森になってるでしょう?あれがいいですよね。あれがなかったら別にいい。
  それを話さなかったかな?あの鳥居と森がすごくいいって。名倉さんか誰かに言った気が
  する。これがあったから来たかったんだって。感想は、いい感じでした」
 
 
名:最後の質問ですけど、今後の目標を教えて下さい?小さい事、大きい事、なんでも。
ゆ:「願ってる事?すごく不思議な事があるの。毎朝、立体をつくるでしょう?絵でもいいし。
  立体だとリアルなんだけど。ただ考えてるだけなのに、それが午後になったらその形が
  出来ちゃうって事が未だに不思議。むっちゃ不思議じゃない?!」
植:時間の経過はありますけど、それがいつの間にか出来上がってるっていうか?
ゆ:「出来上がってるんじゃなくて、頭の中で考えてたのになんでこれがこのまま
  出来ちゃったのって。小さな夢が叶っちゃったんですよ!例えば私が海辺に越したいと
  思って、今海辺に住んでるじゃんって。なんであの時考えてただけなのに、来ちゃった
  じゃんって。住んじゃってる」
植:イメージの具現化ですよね?
ゆ:「うーん。具現化、そうですね。思わない?そういうの。今日スプーンつくろうって
  思ったら、色んな形のスプーンがさっき迄あの棚空っぽだったのに、 (暫くしたら)並んで
  るじゃん。まるで私がつくったんじゃないみたい、みたいな。なんか、夜中に小人がつくっ
  てるって(笑)思うぐらい。誰がつくったの?小人さんいるでしょう?そういう小さな事
  から大きな事まで、目標じゃないんですけど、思ってるとちゃんと叶っちゃうなって。    それは私の力だけではないじゃないですか。
  一人だけで完結出来るものじゃないでしょ?こういうの。だからそれが不思議なの。
  つくるのは私がつくったので小人さんじゃないんですけど、わかりません。
  目標は具体的に言葉に出してこういう風だったらいいなっていうのはありますけど。     ちっちゃい冊子でもいいので、エッセイと絵と、つくろうかなって。
  そういう小さな思ってる事はいくつかあるかな。
  大きな目標?目標持たなきゃダメかな?こんなに満たされてるのに。
  時々思うんですよ、みなさんは、あれとこれとそれと同時に手に入れようと、その目標に
  向かってやってる訳ですけど。私が一番やりたい事で好きな事はここにあって、これが一番
  なので。二番目、三番目四番目は、この同じ間隔で二番目があるんじゃなくて、一番と二番
  の間はこんなに離れてるんですよ。だから要するに一番と二番、一番があるから一番以外は
  いいやって感じなんです。ここにあるから。その次の二番目にあることはずっーとこの辺な
  んですよ。何もかも全てを満たさなくてもいいかなって。グラスの中のいっぱいのお水
  だったら、これでいいかなって。私の容量はこれだから。これだけでしょう?この中に
  入る分だったらそれはいいかもしれないれけど。
  一年好きに時間あげるって言ったら、ぴゅーと旅に出ちゃう。そういうのはありますけど。  ある与えられた期間の中でやる事とかなら。
  この一年の時間とお金をあげるって言ったらそれはするかもしれない。
 
名:植岡さんから何かある?
植:この後、編集後記用に聞くから大丈夫。ユキくんは?
ユ:よくお話しを聞いてました。
ゆ:「あとは泳ぐだけですね」
名:長々とありがとうございました。
一同:お疲れ様でした。


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今回もとてもとても長い記事となりました。
最後までお付き合い下さいまして有り難う御座います。
今回のアトリエ訪問はいつものインタビュー、Q&Aというよりもこばやしゆうさん
私との対話という形に結果的になりました。きっとそれはゆうさんらしさを自然と
汲み取ったゆえの形であるのでしょう。
この日、久しぶりに海で泳いだ私たちは、色々なことが余りにも気持ちよかったからか、
ゆうさんのアトリエから東京へ戻る時に「ビールをのもう」といてもたってもいられ
なくなり、急遽私の静岡の実家に寄りビールをさくさくあおり早々と眠りにつき、
早朝東京へ戻ることに。
ゆうさん、楽しいひと時を有り難う御座いました。 名倉
 
※アトリエ訪問へのご感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。
 
手創り市
info@tezukuriichi.com




山口洋佑「invisible Lady」@名古屋

手創り市のあらゆるビジュアルとロゴを制作してくれている山口洋佑さんが
名古屋のON READINGさんで個展「invisible Lady」を開催致しますのでご紹介。


2012年9月5日〜10月1日

山口洋佑 個展 『invisible Lady』


会場 ON READING http://www.onreading.jp


~OPENING EVENT~

9月8日19:00〜 入場無料

LIVE : jutomani (ふとまに) 

山口洋佑(作詞作曲・ボーカル・ギター)と

久保田千史(電気回路・ギター)の二人からなる音楽ユニット。

http://www.myspace.com/jutomani


ほか詳細はON READINGさんのHPをご覧下さい。


・・・・・


名古屋、初上陸の彼の個展はいったいどんなものになるでしょう。

名古屋方面にお越しの際には是非とも立ち寄ってみて下さい。


手創り市

info@tezukuriichi.com





8月手創り市を終えて

国道沿いの遊歩道にて夜の散歩。車の通らぬ様は舞台のようだった。

8月手創り市では、とにかく一日中しゃべり続けた。
&SCENEスタッフの面接、養源寺内につくるギャラリーこけら落としの企画案内、A&C静岡スタッフとのくらこと打ち合わせ、などなど。
一日中しゃべり続け、手創り市のルポは毎月こんなことを朝から夕方までやり、さらにそれを記事にしていたんだなあと思った。大変な事ですねえ、と。

うえおかさんによる「手創り市のルポ」は、8月の開催分をもって終了となります。
彼とは1年の約束でお願いし、それはきっかり1年で約束通り終える事に。
私としてはルポがどんなものであっても彼にお願いするのは1年のみと決めていた。
途中、もう少し続けてもいいかも・・・と甘い考えもしたけれども、終了。

継続は力なり、継続する事に意味がある、というけれども、その通りだと思う反面、ものごとには時に断つという決断も必要だと思う。(決断と言えば大袈裟だけれども)
ルポをやっていて気づく事、学ぶ事があり、それは私たちスタッフだけではないはずで、そうした気づきがルポの機能であり、またその機能こそ続けるのに価値あるものだと言える。
じゃあ、何故断つのか?
理由は簡単で、ルポという機能、スイッチ(?)、そういったものに寄りかかることなく、自らの頭で考え、気づき、対話という行動に移せるようになることが本来的なものだと思うから。
それに、1年の間に書かれてきたことは、各個人のことであっても、そこに類似性、共有できる要素が多くあるはず。こうしたことは想像するに容易いけれども、実際に文字として取り上げ発信することで想像は事実と言っていいものになる。
事実は文字情報として手創り市の財産となる。
1年間のルポについてはブログだけではなく、今後会場で実際に読むことが出来る場というものを作ってゆこうと思っている。

いずれにしても、手創り市のルポはこれから配信される8月開催時のルポで終わりを迎える訳ですが、ルポの締めについては彼自身にやってもらおうと思う。

夏まっさかりな会場には夏休みらしく遠方からのご来場者が見えられ、お気にいりの作家さんと話をされたりしたようだった。
事前に連絡をもらっていた作家さんはきっとまだ会った事もない遠くから来られるお客さんを待ちわび、お客さんはお客さんでお気に入りの作家さんはどんな方だろう?と少しばかりの緊張を抱えつつ会場にやってくる。
季節が巡ることは何も暑さや寒さとかだけじゃあなくて、出会いの場も運んでくるんだな、と思いつつ開催は終了。

9月の開催は16日。
お申し込みの締切は8月22日消印までとなります。

ご参加ご来場ありがとうございました。

名倉









本日開催手創り市!! (8月19日)

本日、8月19日は手創り市の開催日。

鬼子母神・大鳥神社両会場では、
「&SCENE 手創り市」のチラシを配布致しますので
是非ともお手に取ってご覧下さい。

開催日当日、ご自身のブースがずっと日が当って辛い、などありましたら、
無理せず、体調が悪くなる前に、お近くのスタッフまでお声掛けください。

帽子、日傘、水分をお忘れなく!
暑さ対策をお願いいたします。


【8月19日・手創り市出展者発表】clicks!!


○受付時間が変更になりました
  6月手創り市より受付は8:00からとなります。
  コインパーキング、駅からの搬入は7:30以降からお願い致します。
  ※コインパーキングへ早く到着された方は、7:30まで待機をお願い致します。

○食品出展の方へ
  5月の手創り市より「食品出店規約に変更」が御座います。ご注意下さい。
  営業許可証の貸与は認められません。(レンタルキッチン不可) (食品出展規約の変更



手創り市
info@tezukuriichi.com




8月17日

京都のぼんぼり茄子。正式名称はわからないが袋にそう書いてあった。

夏になるとキュウリや茄子が盛りだくさんとなる。
その辺で売られているキュウリは大抵いぼいぼが少なくサラっツルッなキュウリだけれども、夏にはやはり生でそのままで一本丸ごとかじりたい。
味と香りが濃いめの四川胡瓜なんかは食べ応えがある。
塩でも味噌でもなんでもいける。
砂糖は止しておこう、虫じゃああるまいし。
この茄子は生で食べてみたけれどもいまいちだった。
焼いたらうまいだろう、浅漬けもいいかも。
水茄子や新潟の深雪茄子なんかは生で美味しくいただけるし、今の時期は安くなるしで重宝しきり。白茄子なんかは果肉厚めの田楽なんて最高だ。
そんなことを言ってるとビールが必要になってくる。
今この瞬間に吞みたい銘柄はクラシックラガー。2杯目はプレミアムモルツ。
今吞めないけれども…

今晩は急遽静岡入りが決まった。
その前に、夕方は&SCENEスタッフ面接。
明日は10月ARTS&CRAFT静岡出展者選考会。
日曜は8月手創り市の開催日。

夜中啼く虫の声もいくらか静かになってきた。
夏の終わりはもうすぐそこまで。

8月19日は手創り市開催日。
是非ともご来場下さい。

名倉







8月13〜16日まで事務局不在です

8月13日〜16日まで手創り市事務局は不在となります。
メールのお問い合わせは17日よりご返信を致します。
どうぞ宜しくお願い致します。


お盆休みもあけた8月19日は手創り市の開催日です。
夏休み中の開催とあって、遠方からお越しになることも多いかと。
皆さまのご来場をお待ちしております!!

※10月28日より開催されます千駄木・養源寺会場「&SCENE 手創り市」
 のチラシも配布致しますので是非ともお手に取ってご覧下さい!!

手創り市





8月11日

昨年もご紹介した月光。これはプラムの一種で、酸味はもとより、甘味とコクが濃厚な果実。
杏子と一緒で出荷数が少なく、見かけたと思った矢先にあっという間に終わってしまいます。

ここのところ新たな会場の話題ばかりでしたので目先を変えてみようと思う。

ボー、ナスについて。

世間一般的に、いわゆるサラリーマンという人達がいます。
私のまわりにも当然いますし、私は個人事業主(堅過ぎるこの言葉!!)でありつつも、一般的なサラリーマンとは違えど固定給というものも頂いている。

世間でアルバイトというものを始めた頃から不思議だったことがある。
それは、ボーナス払いという奴。
これって理屈でおかしいと思うし、可笑しさすら覚える。
異論反論あるでしょうが、お付き合い下さい。

いわゆるボーナスとは、棒と茄子ではない。(失礼)
半期に一度いただける報奨金のようなものだろう。(おそらくは)
ただ、ボーナスという位ですから、本来は会社として利益があって、それをそこに勤める人たちにオツカレサマの意味も込めて還元するモノなはず。

ということは、ボーナスがあるって前提はおかしいのではないか?と思う。
何故ならば会社として利益の余りのようなものがなければ支払えるものではないから。
そして、利益があってほくほくの会社もあれば、その逆の会社だってあるはずだから。
皆が皆ホクホクって幻想は今更ないはずだ。(目指す事はあっても)
そう考えると、「ボーナス払いをしますよ〜」と一介の会社員が約束していいのか?と感じる。そんな約束は不健全じゃないか?と。

会社員として最低限約束して欲しい給料というものがある。
それを貰えるものという意識は、それほど間違っていないと思うし、それがある程度約束されない社会はとっても不安だ。(だからこそ基本給というものが提示されるんだろう)

お金の話で恐縮ですが、前々から思っていた事で、ボーナス払いという前提条件が成り立つ事に得体の知れない歯車のおかしさを感じていました。
未だにこの事に決着はついていませんので誰か意見をください。

私にとっての最近のボーナスは、ズボンのポケットにいれっぱなしだった5千円札を見つけた事です。その5千円は見つけたそばからお気に入りの古本屋で使いました。
過去の自分からの贈り物だと思ってます。

良い休日をお過ごし下さい。

名倉














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